1-5 冬月名雪
――肩の位置で切り揃えられた、艶やかな黒髪。
――見ているだけで吸い込まれてしまうと感じるほどの、黒く澄んだ瞳。
――言葉を発せずとも伝わる、淑やかな佇まい。
「うわぁ、綺麗……」
窓越しの翠ちゃんがそうであるように、その場の誰もが彼女に釘付けとなっていた。
「…………」
それはまるで、彼女だけが別の次元で生きているかのようだった。
終始無言のまま、周囲の状況など意に介さず。
そして何事もなかったのように、静かにその場を立ち去っていった。
そしてその背中が小さくなってから、ようやくその場の空気が動き始める。
『……お、おい! 誰だよいまの美人!? アイドルか!?』
『ばか! お前、冬月名雪さんを知らないのかよ!』
『転入生なのに初日からAクラスに配属されたっていう、二年の有名人だぞ!』
『噂には聞いていたが……実物可愛すぎんだろ……』
一年生と思われる男子生徒が、まるで芸能人に遭遇したかのようなリアクションを見せる。
――冬月名雪。
去年の十二月にこの学校へやってきた、僕と同じ学年の女の子。
見る者すべてを魅了するその圧倒的な容姿や気品漂う立ち振る舞いから、転入生にも関わらずAクラス配属という伝説を生み出した子。
そして、僕にとって……。
「……ゆきちゃん」
ほとんど音にならない掠れ声でそっと呟きながら、彼女の小さくなる背を見送った。
「いや〜、普通の高校じゃないのは知っていたけど、まさか始まる前からこんな面白い場面に出くわすとは……これからが楽しみですな、兄やん!」
そんな僕の心境など知る由もなく、翠ちゃんがそんな小言を言いながら、なにかを探すように窓の外を眺める。
「あ、あそこじゃない? クラス発表してるの!」
そうして指し示したのは、噴水エリアの少し先。
普段は設置されていない大きな看板の前に、大勢の生徒が集まっている場所があった。
「叔父さん、ありがとうございました!」
「ああ、精一杯楽しむといい」
実の子を見送る父のように、慈愛に満ちた表情で手を振る理事長。
「行こ、兄やん!」
「……うん」
期待に胸を膨らませる翠ちゃんに手を引かれ、僕もそのあとを……。
「……祐希、少し話さないか」
追おうとした時、理事長がそんなことを呟く。
「…………」
「……あれ、どったの兄やん?」
先に車から飛び出した翠ちゃんがクルっと身を翻して首を傾げる。
「ごめん翠ちゃん。ちょっと理事長の手伝いがあるから、先に行ってくれる?」
「え、そなの? なら、あたしも手伝おっか?」
「ううん、大丈夫。すぐ終わると思うから」
「そっか……あい、りょーかい! んじゃ先行ってるね!」
パタパタと駆けていく妹の背を見送り、再び後部座席へもたれる。
「すまないな、忙しい新学期の朝に呼び止めて」
「……いえ、別に」
車は校舎方面から外れ、普段あまり訪れない教職員向け駐車場の方へと向かった。
「お前が入学してもう一年か。早いものだ」
「そうですね」
「前にも話したが、俺は妻子を持たない身でな。ゆえにお前たちのことは我が子のように想っている。翠にも言ったが、お前も困ったことがあったら何でも相談するといい」
「…………」
言われた言葉だけを素直に受け取ると、ただの気の良い叔父のように思えてくる。
実際翠ちゃんはそう認識しているだろうし、この叔父が生徒から高い人気を集めているのも知っている。
けれどその本性を知っている僕にとって、その態度は白々しいものにしか感じられなかった。
「ああ、そういえば最近自炊を始めたんだが、あれがどうも上手くいかなくてな。よかったら今度作り方を……」
「理事長」
いよいよ耐え切れなくなり、僕は自分から言葉を切り出す。
「つまらない前置きはやめてください。雑談をするために僕を残したわけじゃないでしょう」
口調を強め、慣れない言葉を紡ぐ。
しかし理事長は、まるでそれを楽しむかのように笑った。
「……祐希よ、率直に聞こう」
静まり返った車内に、低い声音が小さく響く。
「お前は……この学園をどう思う?」
理事長はそれだけ呟くと、椅子に深く腰を掛け、回答をこちらへ委ねた。
どう思う……か。
「そんなの、決まっています」
僕は自分の真意を正しく言葉にするため、頭の中で一言ずつ言葉を紡いでいく。
――生愛学園。
ここは理事長によって設立された、最高の青春を過ごすための学園。
人生でたった一度しかない高校生活。誰だってより良いものにしたい。
そんな学生の願いを少しでも叶えようとするこの学園は、まさに若者のための学園といえる。
……ゆえにこそ。
「――この学園は、日本一クソッたれな高校だ」
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