第18話 1989年12月1日 教祖起訴

 この日、捜査本部が置かれていた蒲田署で会見が行われた。

 警視庁を代表して刑事局長が出席すると共に捜査に当たった南部警部、蒲田署長らが起訴内容を集まった記者たちに説明するという段取りである。集まった記者の数は予想を超え、一社あたりの人数を制限しても講堂は記者であふれかえった。

 朝10時、予定通りに始まった記者会見で、首謀者として司馬天命こと諏訪達夫を殺人教唆、死体損壊、死体遺棄で起訴するとともに、教団内部における暴行、傷害、殺人などの疑いで継続的に捜査を行うことを発表された。

 黒崎が、どう動くのか、僕は興味を持っていた。このまま行けば大光輪に対する包囲網は狭まる。宗教法人格に対する取消しもいずれ議論になるだろう。しかし余り追い詰めれば、窮鼠きゅうそ猫を噛む、というたとえもある。追い詰めればどんな人間、組織でも必死で相手に噛みつくものだ。 彼が簡単に引き下がるとは思えない。

 そもそも宗教団体が法人格を求めて必死になる理由など本来はなく、結局は金の問題に行き着く。法人格のない宗教団体に税金の優遇はない。殆どの宗教はそれを求めて法人格取得に動く。法人格を求め、脅迫まがいの手法で都の担当者を追い詰めたのは司馬であった。だが、黒崎が求めている物はそれではないような気もした。彼の求める物、彼が見返りとして差し出す物、果たして彼は交渉して来るであろうか、そしてその目的はなんであろうか?


 僕と鎌田さんはその日、蒲田署に赴いて記者会見の様子を舞台脇から覗いていた。

「世間はこれで一段落ついたと考えるだろう」

 会見が終了し、溢れかえっていた記者たちが帰っていく姿を見ながら鎌田さんは呟いた。

「ええ、そうですね」

 僕は同意した。会見に出席した一同が纏まって署長室へ戻っていく中に南部警部がいて、僕らに向かって目礼をしてきた。僕らも目礼を返すと、すぐに車で署から本庁舎へと向かった。車中でも僕らの会話は続いた。

「だが、われわれはもう一仕事しなければならない。その時はマスコミの追求は今回どころではなくなるだろう」

「確かに・・・」

 僕は頷いた。果たして上は全てをマスコミに披瀝ひれきするだろうか?

「下手すれば警察庁長官や警視総監の首も飛びかねない。長官は覚悟してくれているが、もしコンタミネーションが警視庁の中にあった場合、警視総監がどう出るかは分からない」

 警視総監は今では殆どの場合、警察庁の重職にあったものが横滑りで占めるという役職になっている。警察庁が本社なら、警視庁は子会社、その社長は本社からの天下り人事という形だが、何もそれは警視庁だけの話では無く、都道府県の警察のトップは殆どの場合、警察庁からの天下りで占められているのだ。

 今の警視総監は前警察庁刑事局長の小沢信二、刑事局長から警視総監になるのは長官官房長や警備局長からの転身に比べて少ないが、全くないという話ではない。

「特に小沢さんは今年の夏に総監になったばかりだからね。最低でも一年というのが警視総監の任命期間だとすると、簡単にはいかないかもしれないな」

「そうですね」

「まあ、それは組織の内部の話だ。警視総監の次の役職がそれなりのものなら、身を処してくれる可能性もある。まあ仮定の話だがね」

「というと・・・」

 鎌田さんは人事情報にも精通している。

「一般的には交通情報センターの理事長か、一流企業の役員というのが相場だが、内閣参与とか大使職で箔をつけてから、という事になるかな」

「ですかね」

 僕はため息をついた。ふと岡田が言っていったことを思い出したのだ。官僚はその在職期間中に仕事に見合った報酬を渡すべきである。そのかわり・・・天下りやらそれに代るような制度は一掃いっそうすべきだ。組織はそうした所から腐っていく、岡田はそう言っていた。鎌田さんは僕のそんな思いに気づく様子も無く話し続けた。

「まあ、それはその時、上が考える話だ。ともかくもそれがどこにあろうと、うみを出すことに僕らは集中しなければならない」

「そうですね。相手がこの起訴をどういう風に考えるか」

 そうだ。しばらくは現状に集中しなければならない。

「取りあえず嵐は過ぎ去ったとみるだろう。しかし、火の粉が残っていると考えるのは間違えあるまい。問題はその火の粉をどう振り払うか、或いは消そうとするか」

 消そうとするか・・・考えようによっては物騒な言葉である。

「となるとやはり、この問題ではキーとなるのは教団の二人ですかね」

「そうだな。確実に身元をしられているの相手は司馬と金沢。しかし司馬はしぶとい。もし話をさせるとなれば司法取引のような真似をしなければならないが、この事件、司馬が犯罪の張本人だ。張本人と司法取引のような真似はできない。そもそも禁止されているんだからな。カネの動きからは解明できそうにないのか」

 司馬の逮捕で教団や逮捕を逃れた人物たちがどう動くのか、それは主に警視庁の捜査一課の南部部隊が監視しているが、金沢だけは秘密裏に公安が追っている。一方で資金の異動に関してはその道のプロである二課が担当となっており、事案の重大性を鑑みて警察庁の刑事部捜査二課が乗り出している。

 通例、公安は体制側を守るというように思われており、政治家や官僚が絡んだ事案では彼らを守る方向に動くとされる。それは強ち間違えではない。だが、畢竟ひっきょうそれはトップがどう考えるかによって異なるし、守るべきものかどうか、の判断によるものである。この場合、それはまだ判然としておらず、あえて言えば加治屋議員の主張するように「守るべき対象」ではないと判断される可能性が高い。

「難しそうですね。教団の使っていた金融機関でカネの動きを調べているようですが、二課からは情報がありません」

「二課か・・・」

 鎌田さんは眉間みけんに皺を寄せた。二課のトップは町田真之介である。もし彼が教団と繋がりを持っていたなら把握される前に握りつぶしてしまうことも可能である。

「まあ、二課にはその取引先に警察関係者がいるかどうか、という視点でチェックしてくれとは頼んでいませんから」

「確かに見つかったとしても、町田さんが関係者ならばそれとなく隠蔽されたり可能性は高い」

 鎌田さんはため息をついた。

「とはいえ、さすがに疑いだけで二課の課長を異動させるわけにはいかない。万が一の事を考えて、上を通して長官にも伺いを立てているが、それは最後の最後、と言われた」

「僕も同期の富田を当たってみましたが」

 富田は合同捜査に当たり二課を仕切っている。彼は僕が警察庁の中で最初にこの件を関わり、警視庁と連携して動いていることを承知しているので、状況を聞いても富田は特に不審そうな顔をしなかった。

「まあ、宗教団体によくあるカネの動きだな」

 富田はいかにも手慣れた捜査の一環のひとつというような言い方をした。

「特に不審なカネの流れはないのか?」

 彼にそう尋ねると、

「ないといえば嘘になるが・・・。宗教関係の研究者に多額ではないにしろカネが流れている。あとはマスコミ、といっても二流どころにばら撒いて自分たちの宣伝広告のようなものをしてもらっている」

「政治家とかにはないんだな」

 そう尋ねると、富田は妙な目つきで僕を見た。

「お前、何か知っているのか?」

「いや、もしかしたらと思ってな。政治家とカネとは切っても切れない縁だ」

 そう答えると、富田は少し考える素振りを見せてから、

「実はあの教団の金庫番は神保邦子という教団幹部の女が握っている。この女は司馬の愛人だ」

 うむ、と僕は答えた。そのことは何度か町屋から聞いている。入信者としては町屋よりも早く、入信したときは既に神保は幹部の一員だった。彼女が司馬の愛人だと知ったのは神保が妊娠した時だった。司馬の妻である優子が包丁を持って暴れていると聞き、慌てて飛んでいった町屋の視線の先に神保の姿があった。

 女二人はにらみ合っており、その側に司馬が困ったような顔で立っていた。まさか、宗教施設の中で不倫騒動の現場に立ち会うとは思ってもいなかった。まして司馬は信者同士の恋愛を堅く禁じており、その当人がこんな修羅場を見せるとは町屋も思っても居なかった。

 そのことで多少、司馬に不信感を持ったものの、教祖ともなれば女の方も放っておかず、その種を宿したいと思う物なのだろうと自らを納得させたと町田は言った。まさか、教祖の方から誘った、ということでもあるまい、と。今となってはそう思い込もうとしただけかも知れませんが・・・。

「その女が何度か百万単位のカネを司馬に渡したと白状した。銀行から引き出したカネの使い道を調べたときにな」

「使い道は分かったのか?」

「それを調べているところだが、司馬は遊びに使ったとしか言わない。実際に女遊びはしていたようだが、それだけではどうも金額の桁が合わない」

「ふうん」

「全部合わせば、数千万から数億にはなる。もっともこの教団のカネの流れは数十億の単位だ。土地や建物、あとは訳の分からない実験用具、これは一課の方で使い道を調べているが、億というのは組織としては細かいが、個人としてはそこそこのカネだ。もっともその程度で有力な政治家を動かせるかというと疑問だが」

「なるほどな。で、そのカネの行方は調べるのか」

「まあな、とはいえ、町田さんからは全体感を見失うな、と言われているからな。単位が細かいと多少、おろそかになるのは仕方ない」

「そうか」

 僕は、また、何か分かったら教えてくれと富田に頼み、彼からも、抜け目なく、同じ事を依頼された。

「それにしても、カネの話は、警備には無関係だろ。何か裏にあるんじゃないか?」

 富田は別れ際にそう言ってじろりと僕を見た。甘く見てはいけない。官僚というのは、そういうものだ。

「確かにな。とはいえ、この事件全体は刑事だけじゃなくこちらのヤマでもあるからな。全体像を掴んでおきたいと思ったんだ」

「ふうん」

 富田は視線にあった険を少しなごませたが、

「まさか、カネが変なところに流れているんじゃないだろうな」

 と鎌を掛けてきた。

「そんな事をして宗教団体に何の得がある」

 僕が返答すると、

「いや、認可団体である都とか、文化庁とか、或いは警察なら考えられるだろう。官僚なんて権力はともかくカネには縁が無いからな」

 富田は鋭かった。ただ、その疑いが彼の上司にも向けられているとは思っていないようだった。

「まあ、確かにな。それはあり得るかもしれんが、それなら奴らにとっては政治家を巻き込んだ方が得だ。政治家は緩衝材になるし、迂闊に警察が手を出せない」

 そう言うと、富田は少し考えてから

「それはそうだな」

 と答えた。だが・・・大光輪に限ってはそれは違うという事を僕は知っている。「世界1」では彼らは政治家を頼るという風には考えず、自らが政治家になろうと目論んだ。結局、それが彼らの失敗に繋がるのだが・・・。

 いずれにしろ富田との遣り取りでみる限り、町田警視正が捜査を妨害しているという兆候は見られない。もしそうなら、富田の反応で分かる自信が僕にはあった。となると、町田警視正も疑惑の外なのか・・・。いや、そう判断するのはまだ、時期尚早である。司馬の様子を窺いながら着地点を探っている段階なのかも知れない。

 その経緯と考えを鎌田さんに告げると、

「なるほどな。全体感を見失うな、か。しかしそれだけで、町田さんを疑うのは確かに難しいな、といって除外するには早い。西尾の判断は正しいと思うよ」

 と答えた。

 町田真之介は二課のトップらしく、バランス感覚に優れている幹部だった。経済事犯を扱う二課の捜査員は基本的に粘り強い性格の人間が多く、それが事件の解明に繋がることも多いが、時にそれが事件をとんでもない方向に誘導したりする。例を挙げれば、実際は浮気を隠すための工作をし、それをばれないように嘘を吐いたために捜査二課員に責め立てられ、自殺寸前まで行った容疑者がいると聞いたことがある。だが、そうした粘り強さは、警察のような組織にとっては欠かせない物で、エリートコースの1つであり、富田もだからこそ、その道を選んだのだ。

「まあ、しかしそのカネの流れはくさい。どのタイミングで幾らくらい、というのはつかむようにしたいな。他には?」

「ええ、実は友引さんなのですが」


 友引篤は警察大学の研修所所長で候補者リストの中ではもっとも階級の高い警視監だが、その男の行動に不審な点があるという情報が、山下のチームからもたらされていた。

 ある金曜日、大学校のある府中から新小岩にある自宅に帰る前にお茶の水で乗り換えた友引は自宅と正反対の江東区のタワーマンションへと姿を消した。最初はそこに知り合いがいるのか行確こうかくのスタッフは考えた。

 行く途中に銀座の洋菓子店で買い物をし手土産にした友引は特に不審な様子も見せずに淡々とした様子でマンションへ入りエントランスから訪問先に連絡しエレベーターへ消えていった。部屋までは分からなかったが、余りに自然な様子だったので。一応メモしたがその時は単なる知り合いへの訪問だと判断した。だがその翌々週も同じルートを辿り、マンションの中へと消えていった。さすがにその時は近くの住民を装って友引がコンタクトした先の部屋番号を確認した。

「その相手は?」

「赤坂のホステスです。バーの名前は東大門。ホステスの名前は金田ひとみ。ですが、実際は日本人ではありません。男好きのする容姿で男性関係の噂は絶えない。その一人が友引でした」

「韓国、か?」

 赤坂には韓国企業が集まっており、歓楽街には韓国のバーがたくさん出来ている。

「それが・・・」

 そのバーはもともとは韓国バーであったのだが、オーナーだった韓国人の乱脈経営でとある中国人に経営を乗っ取られたという噂があることが判明した。代表取締役はまだもとの韓国人オーナーのままだが、そのオーナーの姿を見た人間はこの半年いない。そして乗っ取った中国人は中国大使館を通じて諜報機関にコントロールされているのではないかという疑いが浮上し、その網に引掛ったのがこちらが送り込んだ捜査員で現場で同じ公安の外事課と少々のいざこざが発生したのだ。働いている中に北の女性が混じっているという疑いがあり、その一人が金田ひとみだというのだ。

「その話は外事課から上がってきて居ないな」

 鎌田さんは苦虫を噛みつぶしたような表情で言った。

「まだ捜査中で、課長止まりの案件だったそうです」

「それで・・・北と大光輪の関係は」

 鎌田さんの目は鋭く光っていた。大光輪は海外にも進出を企んでいて、その一つの拠点がロシアである。ロシアと北の関係を考えれば、そうした繋がりがないとも限らない。

「今のところ関係は確認されていませんが・・・」

「関係が無くても放置しておくことは出来ない、そういうことだな。しかし、本当に無関係なのか?」

「もう少し調べさせてはいますが」

「無関係だとしても厄介だな。だが、いずれ処置をしなければならない。折を見て上に報告しなければならない。外事との調整も必要になる。面倒だな」

 面倒というのは外事に対してなぜ友引を見張っていたのかを説明しなければならないからだ。

「ええ」

「柴田さんの方は、どうだ。神戸で会ってきたのだろう?」

 鎌田さんは尋ねてきた。

「おそらくはホワイトだと」

 僕は手短に答えた。ホワイトとは無論、罪に加担していないという意味である。

「そうか」

 鎌田さんは少しほっとした様子だった。

「ですがもしかしたら、疑われているのか、と感づかれたかも知れません」

「そうか、勘のいい人だからな。仕方あるまい。もし関係があるならばそれはそれで、何か動きを見せるかもしれない」

 鎌田さんは言ったが、万が一、柴田さんが関係しているとしたら、動きを潜めるだろう。そして、油断をした途端に背後から襲いかかる・・・それが有能な公安というものだ。本来、柴田さんはもっとも敵に回してはいけないタイプの人間なのだ。もちろん鎌田さんもそれは承知の上だ。おそらくは無関係だと考えたに違いない。

 「小島さんにも会ってきました」

「うん」

 鎌田さんは頷いた。

「独自で新興宗教に関してネットワークを張っていました。鎌田さんに・・・その私の論文を借りて読んだことがあると」

「ああ、確かに。そんなことがあった」

 鎌田さんは頷いた。

「近畿管区内では大光輪が警察幹部に浸透している形跡はないとのことです。滋賀はまだ調査のネットワークに入っていないようですが」

「小島の言う事なら確かだろう。ますます柴田さんの線は薄いという事だ」

「だとしたら、奈良県警の植田本部長代理も除外できる、ということになります」

「・・・そうだな、あの二人はプライオリティを下げても問題なさそうだ」

「ですが・・・小島さんにも出張の目的を悟られてしまったかもしれません」

「警察に大光輪に繋がっている人間がいるかもしれない、と疑っていることをか」

 鎌田さんは視線を上げて僕を見た。

「ええ」

「小島なら、仕方ない。あいつは口は堅い。信頼できる」

「小島さんが関わっているという事は絶対にないですかね?」

「大光輪にか。それは考えにくいな。宗教に関わるくらいならどちらかというと思想の方が危ない、そういうタイプだ。彼は何というか、感情的な部分が欠如している、というのか。宗教には嵌まらないタイプの人間だと思う」

「そうですか・・・そうですね」

「それより府中の線はもう少し深く調査をする必要があるな。友引さんは謹厳実直な性格だったのだがね。確か三年前に奥さんを亡くしたと思う。それが響いたのかも知れないが、本当ならば彼もこれでおしまいだな。とりわけ北が関わっていたとしたら一番まずい」

「おそらくはハニートラップでしょう。仕方ありませんね」

 余り公表されていないが、警察官、自衛官、外交官でハニートラップに引っかかる人間は公表されているより遙かに多い。だが、世間に隠し通せるなら隠し通すというのが官僚の世界の暗黙の了解である。彼は静かに身をひくことを強要され、警察の息の掛った会社へ再就職することになる。但し、少なくとも五年に亘る監視付きで。

 官僚になる、というのはそういう事なのだ。


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