第12話 1989年11月7日/8日 捜査開始
打ち合わせを終わらせるなり車を飛ばして本庁に戻った。同行した南部警部は警視庁で降り、令状請求の手続きに入った。僕は平山を伴い鎌田さんのオフィスに直行して、そこで二十分近くを費やし状況を説明した。
鎌田さんは目の前で腕を組んだまま目を
この事件の犯人像、即ち一家の拉致を行う可能性のある集団として僕は「暴力団」「宗教団体」と共に「政治団体」「国外の団体」を挙げ、可能性は小さいが「単なる偶発的な犯罪」の可能性も否定はしなかった。
ただ、子供を含めた一家が拉致されており、身代金目的の誘拐・拉致とは性格が異なること、何らかの暴力的な行為がされた痕跡(部屋の状況と、出血・嘔吐の跡)がある一方、合計十万円ほどの現金が入った夫妻の財布や通帳・宝飾類が残っており強奪・盗難などの形跡が認められなかったこと、マスコミ業界に所属する人間に必須であるメモや手帳の不存在は、それらが奪われた可能性を示唆しており、その手帳等に犯罪者側の何らかの情報が含まれている可能性が高いことを
「蒲田署から持ち出しの許可は取ったのだろうね」
と呟いた鎌田さんに
「ええ、署長さんの立ち会いの下で。あちらでは・・・どちらかというと厄介払いができて喜んでいましたよ」
と答えると彼はまじまじと僕を見てから、唇の
「なるほどね。その気持ちは分からないでもないな。で、このバッジが別の犯人によって置かれた可能性はないのか?」
「ゼロというわけではありませんが・・・」
と僕は答えた。間違えなくゼロなのだが、迂闊に「ゼロ」と答えるのは禁物である。それは場合によって「予断を持っている」と判断されるからだ。逆に本当にゼロの場合、判断を保留したように受け取られる場合もある。官僚というのはそういうものを使い分けて生き延びる生物なのだ。
「しかし、もし、これを誰か別の人間がおいたとするならば、それをどうやって入手したか、という点があります。どうやら、このバッジは末端の信者が持っているような
「もし、誰かが意図的に残したとなれば・・・一体誰が何の目的で、か?」
「その通りです」
僕は頷いた。自らの意見を主張するより、相手に言わせる。それも一つのテクニックであり、鎌田さんもそれを承知で相対している。
「もし、そうだとしたら犯人には大光輪を犯人に擬する動機があることになる。となるとかなり対象は絞られる。でなければ大光輪自体、というかそのメンバーが犯人という事になる」
鎌田さんがそう言った段階で、「行きずりの犯行」という可能性はすでに僕らの議論の
暴力団が「拉致」をして被害者をどこかに「沈めたり」「埋めたり」するのは相手が「沈めたり」「埋めたり」されても分らないし、誰も調べない、というケースが圧倒的に多い。事を荒立てないための死体処理であり、最初から「不在が問題視」される可能性がある場合はそんなことはしない。「拉致」の「対価」が少しでもあるならばともかく、このケースではそれもありそうになかった。まして「宗教団体」に濡れ衣を着せるという発想は暴力団に似つかわしくない。とりわけ、この雑誌が追っていた暴力団は「武闘派」であり、そんな小細工をするような集団ではない。鎌田さんも十分それを承知していた。
可能性として残る「政治団体」や「国外の団体」に関しては、取り分け後者に関して未知な部分は多い、場合によっては宗教団体に罪をなすりつけるような挙に出る可能性は捨てきれない、と告げると鎌田さんは頷いた。
ただ、と僕は付け加えた。現段階において被害者の所属する出版社がそうした集団を追っている形跡はない、それに関しては南部警部が現在被害者が勤務している出版社に行って確認を取っている最中だ、と。
「・・・。まあ、
鎌田さんは唇の端に笑みを浮かべた。
「はい。緊急性が高い案件ですから」
僕は答えた。鎌田さんは頷いた。
「南部警部たちには雑誌社に確認を取らせているんだね」
「ええ。一方で被害者の人命を考えると早い措置が必要となります」
心の奥が痛んだ。恐らく彼らはすでに生きてはいない。その命を使って僕は交渉しているのだ。
「うむ・・・」
鎌田さんはもう一度バッジの入ったビニール袋に目を遣った。
「これを基に令状の請求をするというわけだね。狙いは一つか」
「はい」
「基本、わかったよ。しかし、相手は宗教団体だからね、それなりに慎重を期さねばならない。裁判所はすぐには動かないかも知れないな。蒲田署は、令状が出るまで絞りこんではおらず、他と平行して捜査を進めているという理解で良いね」
「署長には令状をこちらで取るまではその捜査方針で進めて貰っています。今後どういう風に進めましょうか?」
「慎重さ」の中身によって突きつける切っ先の鋭さは大きく変わらざるを得ない。最初の切っ先が緩ければ、相手からの反撃を受けることにもなりかねない。そんな僕の懸念を感じてか、鎌田さんは窓際へと二・三歩足を進めると窓の外を眺めた。僕も続いた。窓からは桜田通りをゆっくりと進む車と、その先に東京地裁の建物が見えた。
「まあ、まず雑誌社の状況を確認して貰おうよ。令状は目と鼻の先にあるさ。いざとなればこちらからも一押しする。ところで・・・」
「はい?」
「それだけ緊急性が高いという事なら、取りあえず、令状がなくてもできることはあるだろう?相手に悟られることもなく」
鎌田さんの言葉にはっとさせられた。
「分りました。大光輪の監視と調査だけはすぐにとりかかります。ただ、実働部隊は警視庁に相談しないと。もし他府県に跨がる場合はそれぞれの警察本部にも」
「そうだね、取りあえず都内の分について南部君と相談してください。もし手に余ったり他県とも調整する必要がでてきたら、上の方に掛けあうよ。あとそれ以外にもあるだろう」
「分かっています。それともう一つ・・・」
「うん?」
「このケース、難しい問題を
「異論が出たら?」
繰り返した鎌田さんの目が細く、光を帯びた。
「念のため、その異論のでどころを」
そう答えた僕を鋭い目で鎌田さんは見つめた。
「・・・。それを懸念する必要があるのかね?」
「念のためです。怪しいとはいえ、今のところ大光輪は単なる・・・イノセントな宗教ですから、もしかしたらそうした理由で異論が上がるかも知れません。しかしそうでない場合も考えておかないと」
「そうか・・・。とすると捜査においてもその点、留意しなければなるまいな。警視庁の方は南部君を通して留意するように伝えてくれないか?警視庁でのコンタミは極力避けたい。捜査の拠点だからね、捜査状況が相手に逐一漏れる等といった事になったら目も当てられない。不穏な動きがあれば監察を動かす」
鎌田さんは椅子に座ったまま腕を組んだ。
「わかりました」
そう言うと、僕は平山を目で促した。報告を終える
「令状がなくてもできること・・・って何ですか?監視以外に何かできることがあるんですか」
鎌田さんの部屋を出て早足でエレベーターに向かった僕の背中を平山が小走りで追いかけながら、訊ねてきた。
「車だ」
僕は短く答えた。
「車?」
「拉致をするには車が必要だろ?大光輪の車の動き・・・とりわけ、昨日から都内を出た車の移動先の確認をする。犯人たちは急いでいれば高速を使うだろう」
その言葉で何かが閃いたのか平山は手を叩いた。
「Nシステム・・・ですか?」
「ああ、まだNシステムの実力は世間に余り知られていない。だから犯人たちも気にしていない可能性が高い。あれは警察庁のシステムだからね。鎌田さんからの指示という事で部局に指示をしておこう。只その前に教団の所有している車なナンバーをできるだけ広くカバーして陸運局に確認する必要がある。君はその作業をしてくれ。部局に伝えるときには余計なことは云わずに」
「はい・・・。さっきの最後の話、と今のご指示」
言いにくそうに平山は口籠もった。
「あれ・・・警察の内部を疑って・・・警戒しているって事ですよね」
平山は鋭いところをついてくる。僕は平静を装ったまま答えた。
「大光輪は今のところは犯罪組織ではない。単なる宗教集団だ。もし警察官がそれを信仰していても、それは信教の自由で保障されている。だがそれは・・・逆に言えば警察の内部にスパイがいても野放しにされているという事だ。もし彼らが犯罪集団だとしてなら事情が異なる。今まで無害だったものは突然、毒に変わるんだ」
「そうですね」
平山は緊張した声を出した。僕の言っていることの本当の意味が分ったようである。
「もしもその自由を誤って使い、捜査を
「ですね」
平山は頷いた。
「ちなみに聞いておくが・・・君は何かの宗教の信者なのか?」
「え、私、疑われているんですか?」
心外とでも言うようにエレベーターのだいぶ前で立ち止まると平山は体をのけぞらせた。その姿はどこかで見た女性コメディアンの姿に重なり、思わず笑ってしまったが、平山にはその反応が面白くなかったようで、
「そうじゃない。だが一応確認させておいてくれ」
というと、平山は唇を突き出すようにして答えた。
「宗教は信じていません。家は浄土宗ですけど、申し訳ないくらい仏様には縁がありません。年に一度か二度お墓参りするくらいで。無神論者というわけではありませんけど」
「なるほどね。家が仏教でも命日とお盆以外はそれを忘れている。今では普通のことだよ」
僕の言葉に平山は安心したようだった。
「西尾さんは、神様を信じているんですか?」
「信じているかは別として、いてもらわないと困ると思っている」
「どういうことです?」
意外な答えを聞いたかのように、平山は目を見開いた。
「僕らみたいな平凡な人間には、神様のような存在が必要なんだよ。そうじゃないと正邪の区別がうまくつかないんだ。もちろんその神は新興宗教の
僕の言葉に平山は首を傾げた。
「え?西尾さんの言う神様ってどんな神様なんですか?」
僕は少し、考えた。エレベーターは三つ上の階でもたついているようだった。
「あれかな、悪いことをしたらお天道様に顔向けできない、って知っているだろ?あのお天道様が僕らには必要なんだよ」
そう言うと、
「ああ」
と平山は飲み込んだような顔をした。
「私のおじいちゃんも良く言っていました。お天道様に顔向けできないことはやっちゃいけないって」
「それは大切な知恵なんだよ。人間が正しく生きていくためには。それでこそ、変な宗教にはまったりせずにすがすがしく生きることができる。自分の我を通すために人を殺すなどということをお天道様が許してくれるわけがない。とりわけ警察官には必要な意識だ」
そう言うと、平山は少し嬉しそうに頷いた。
「おじいちゃん、もう死んじゃったんですけど、大切な言葉だと思っています」
「おじいちゃんがお天道様になったのさ。そうやって知恵というのは続いていくんだ」
「ええ」
「何の罪もない子供たちまで攫った卑怯な集団にお天道様が見ていることを知らしめなければならない、僕らがすべきはそういうことさ。それを妨害する人間がいたとしたら例え警察内部でも許してはならない。お天道様に背くことになるからね」
僕の言葉に目を瞬かせた平山の前で漸くやってきたエレベーターのドアが開き、僕らは乗り込んだ。
オフィスに戻った僕と平山は作業を開始し、平山は割り出した陸運局からの情報を基にNシステムのデータを確認した。陸運局でも秘密が漏れる可能性はあるので、念のため情報ソースの出処はきちんと確認しておく。
宗教法人の捜査が、暴力団などに比べて面倒なのは万一捜査機関の中に裏切り者がいる場合「どこにユダがいるのか分らない」ことである。暴力団が警察にスパイを送り込むとき、その大半は生活安全課であり、彼らは「タダの酒と女」で取り込まれていく。4課や
それに比べて、宗教団体の場合は、あらゆる所に浸透の可能性がある。組織レベルでも階級レベルでも・・・。それが捜査を妨害するだけではなく遅延させる恐れがある。
雑誌社に聞き込みにいった南部警部の部下たちはかなり詳細に情報を探り出していた。もっともこの件に関しては、雑誌社の方から捜査の依頼があった件なので、雑誌社が協力的なのは当然である。
雑誌社全体での取材対象、及び巻山氏が編集長をしている「日本ジャーナル」の取材対象のリスト、及びその取材内容に関する概要は雑誌社の方からファックスで合計10枚、警察庁の方に送られてきた。手書きでかなり細かい情報まで添えられており、南部警部のグループの仕事の綿密さが垣間見えた。リストの8割は「日本ジャーナル」のもので、宗教関係ではやはり圧倒的に「大光輪」に関する物が多かった。
それ以外では、暴力団に加えいくつかの政治団体、共産圏に属する国家及び日本の施設(大使館、領事館)に関するものがあり、とりわけ極東の国家の大使館に関わる取材は興味深い物だった。その国家は何かがあると、国家に属する諜報機関が国内外で平気で殺人などの犯罪を犯すという噂があり、外事課でも神経質に探っているという話が時折聞こえてくる。その上、国内では細かい犯罪、スピード違反、違法駐車などを平然と行い罰金などを払ったことがない。外交官特権を踏み違えていること、
リストの中には「大光輪」とその「国家」に関連する情報も存在していた。僕の知る限り、この時点では「大光輪」はその「国家」へ進出していることはなかったが、彼らはすでにその「国家」へとアプローチを開始していたのだ。僕の認識では事実上その「国家」が解体する2年後、「大光輪」は他の宗教団体と同じく
ここで「大光輪」の普及活動を止めれば、恐らくその国家へと宗旨が波及することはあるまい。
そもそもその国家で「大光輪」が普及したのは二つの要素がある。一つはその国家の腐敗した官僚組織が、宗教がもちこむカネに目が眩んだこと、もう一つは「国家の存亡の危機」という状況が国民、取り分け若者たちにもたらした絶望感と虚無感を埋めるのに「心の拠り所」が必要だったこと。
今の時点でこの宗教団体を潰しておけば、どちらの要素も防ぐことが出来るだろう。だが、それは本質的な解決にはなるまい。「大光輪」が埋めることが出来なくなる「穴」は他の新興宗教が「埋める」ことになるだけだ。それを防ぐのはその「国家の国民」しかいない。「大光輪」の進出を防ぐことができても、その国民がもつ虚無感までは僕らに責任はないし、救う事は出来ない。
そう考えた僕がまさか別の形で手酷く裏切られることになるなんて、その時は全く思っていなかった・・・。
Nシステムによる割り出しはその日のうちに済んだ。まず犯行のあった翌日朝、ほぼ同時刻、東名高速道路の富士宮インターを通過する教団所属の二台の車が映っていた。一台はバン、もう一台はブルーバードである。運転手はバンが本山という信者、ブルーバードの運転手は古田、そしてブルーバードの助手席には町屋秀樹が座っていることが確認できた。後部座席にはもう一人、顔は映らなかったが川村らしき人物が乗っていた。
そしてその日の午後、車は再び東京方面へと戻り、そのまま首都高を経由して中央高速を通過、岡谷、松本を超えて更埴インターチェンジで降りると右折して信濃大町方面へと向かっていった。そのフィルムにはブルーバードの運転を川村が行っていた。
「世界1」で起きたこと・・・彼らが四つの遺体をその近辺に埋めたことを苦い思いで脳裏に浮かべた。その世界で6年地中に埋められたままになった遺体は恐らく遙かに早く発見されることになるだろう。だが・・・それが何というのだ。亡くなったことに変わりは無い。
翌日、蒲田警察署で署長以下、本事案に関する捜査員を集めると僕と南部警部は新しい捜査方針を提示した。
本件に関しては犯行現場に於いて発見されたバッジをもとに「大光輪」の周辺を監視、同教団のものらしい車が犯行現場の周辺に停められていたこと、その車が直後に富士宮にある教団本部へ向かい、その日のうちに今度は二台揃って長野県信濃大町方面へと向かったことなどから、本犯行に関しては「大光輪」による事案である疑いが極めて強いこと、現在振り分けている「暴力団」或いは「政治団体」に向けられたリソースの一部を「大光輪」に振り向けること、既に裁判所に対して本犯行に関わっていると思われる数人の逮捕状請求を行っていることを説明した。
捜査陣からは幾つかの疑問が提示された。僕はその質問を南部警部と共に答えながら、彼らの質問の内容と様子を丁寧に検証していた。彼らの中に「大光輪」と繋がっている者がいないとも限らない。四課に所属する捜査員たちは暴力団による犯罪ではないだろう、という方針に異議を唱えなかった。彼らの目にもこの犯罪の態様が暴力団によるものだとは見えなかったらしい。一課の人間は必ずしも同じような反応を示さなかった。犯罪と政治家との繋がりを結びつける証拠を見出したわけではないが、まだ「確実に可能性がゼロ」と言い切れるまで捜査は進んでいないのではないか、というのが彼らの意見であった。
とはいえ、証拠という意味ではバッジの存在は大きい。僕が留意したのはそのバッジを「証拠として疑わしい」と唱える人間の存在だった。もし、それを言い出す人間がいるとしたら、その人物は「要注意人物」として監視する必要があった。だが、少なくともその会議ではそんな人間は現われなかった。
それは必ずしも「蒲田警察署は汚染されていない」という証明にはならない。だが、セメントは少し「固まった」と言える。固まっていないセメントに足を突っ込む可能性があれば、捜査は慎重にならざるをえず、それだけ歩みは遅くなる。その意味では進展があったと評価することが出来た。
最後に南部警部が異例の訓示を行った。
「本件の対象である、大光輪に関しては現段階に至るまでは通常の宗教法人であり、信教の自由の観点から何の制限も掛っていない団体です。従って、場合によっては警察官である諸君、あるいはその身内に信者がいないとは限らない。まず、諸君にお伺いする。もし本人が信者、あるいは身内が信者であるものがいたら挙手をしていただきたい」
講堂に集められた署員たちは静まりかえった。何人かは横を
「よろしい。同様のことは諸君の親戚、あるいはここにいない同僚にも当て嵌まることであり、万一捜査の方針がそうした人間を通して対象に漏れることは断じて防ぐ必要がある。とりわけ今回の対象は宗教団体であることから通常より慎重に扱う必要があり、マスコミを始め社会に対してもきちんとした説明が求められることになる可能性が高い。そうした事情を勘案して当面は捜査方針は決して外部に漏らさないことを徹底して欲しい。単に外部だけではない。この捜査に携わっていない警察関係者に対しても情報は漏らさないこと。万一、君たちに本件に関して何らかの接触が他方面から合った場合、必ず報告をあげること」
捜査員たちの中には互いに顔を見合わせるものたちがあった。警察の内部に「スパイがいる可能性がある」という事実を突きつけられたような物である。もっとも南部警部の言うとおり、裏切り者は「存在」しているわけではない。「転向」する可能性があるだけであり、現時点に於いて「犯罪者」でも何でもない。そうした「転向」を押さえつける必要があるだけである。しかし・・・僕は思っている。もし、もう少し上の立場の存在、例えば警視庁あるいは警察庁の幹部にそうした存在があったとしたなら事態はかなり厄介である。
そして「その存在が全くなかったとは言えない」。なぜなら僕がやってきた「世界1」では、あの地下鉄の事件の直後に警察庁長官が狙撃されるという奇妙な事件が発生したからである。
狙撃された警察庁長官は、実は今年の人事で公安部長からある県の本部長へと転任していったばかりであり、それまでは僕と鎌田さんの直近の上司でもあった。この事件の解決が、地下鉄の事件・・・藤島愛の死を防ぐばかりではなく、別の事件を防ぐ盾になってくれる事を僕は祈った。もし、そのことでもとの上司が「世界2」において警察庁長官になれなかったとしても・・・それはそれで良いのではないだろうか。
警視庁が長野県警との合同会議を行う開始する前に、鎌田さんの指示で警察庁は長野県警の現職幹部に関して徹底的な調査を行うことになった。最初に警察庁から県警に出向経験のある幹部、いわゆる出向組の身元調査が行われた。思想信条に関するデータは警察の幹部職員に於いては「自由」の範疇にはない。そこを甘くすれば警察という組織の根幹が揺らぐからであって、それを主張する人間は「警察には不要」というのが一貫した考えである。一方で「それを主張する人間は怪しい」とまで考えるとそこは民主主義との齟齬が生じるわけで、そのバランスは難しい。ただ言えることは少なくとも幹部に関しては「身元調査」はかなり徹底しており、政治的思想のみでなく、宗教的背景に関してもかなり綿密に調べられている。長野県警は当初かなり拒絶反応があったらしい。そもそも犯罪が起きているのかどうなのか分からないまま、警視庁の要請があったことに強い違和感を感じただけではない。そもそも長野県での犯罪でも無ければ遺体が発見されたわけでもない。なのに合同捜査と言われても、と言っていた先に幹部の身元調査まで求められた。だが、それも警察庁長官から長野県警本部長の電話で収まったらしい。
県警では新興宗教に関して完全な調査が行き届いているとまでは断言できないこともあって、逆に宗教的立場が明確な人間から選んで調査が行われることになった。その陣頭指揮は鎌田さんが長野にその日のうちに赴いて執り行った。警察幹部に於いても一番の多いのは無宗教であり、仏教が次いで多いわけだが、実は仏教徒というのは実態は無宗教であることが多い。却って神道とかキリスト教徒の方が宗教的立場は明確である。神道は恐らく世間における比率より高いが、意外な事にキリスト教というのも世間より比率が高い。警察という、場合によっては死に直結する職業においては何らかの宗教を信じるというのは心の平安を保つ一つの手段なのかもしれない、と電話の向こうで鎌田さんは笑った。
「僕は無宗教だが、そういう心理は分らないでもない。だからこそ君の意見は留意しなければならないと思ったんだ。特に現場の警官の中には新興宗教にその拠り所を求めている人間は必ずいるだろうから。何よりも」
受話器からため息が聞こえた。
「幹部の中にもいないとは限らない、君の指摘通りにね」
「ありがとうございます」
「しかし・・・」
鎌田さんはふと呟いた。
「西尾はまるで、この事件が起こるのを知っていたようだな。宗教団体が公安の捜査対象になるなどとは、僕は思っても居なかったのだが、現実になった。最初にレポートを読んだ時は実はなんて見当違いなことをやっちるのかという思いもあったんだが・・・」
その言葉に僕は思わず首を竦めた。鎌田さんの
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます