第百十一話:『平家』の盛衰~検証㊻~





               ※※ 111 ※※




 

 夕焼けの赤が山端やまはに暮れて深くあおい海にすべる。

 後部デッキから見える伊豆の無数の灯りが、大きく揺らぐ海面と夜の彼方かなたに浮かんでいた。二度目のキスで二人の唇が離れた時、


「言っちゃ駄目だと思ってた。でも、ずっと言いたかった。自分のやりたい考古に逃げて君の想いからも逃げてた」


 想いを伝える言葉まで理屈っぽい茂木センセに、


「いいわ。だって好きなんだもの」


 簡単な言葉で山科会長はなぞる。


「会長におめでとうと言うべきでしょうが……これって秘密にしておいた方がいいんですかね?」


 突然、新庄が気恥ずかしさをゴホンと、わざとらしい咳払いで誤魔化ごまかす。振り向きざまに茂木センセと山科会長は、ようやく自分たちの行為が傍目はためでどう映っているか自覚した。無自覚の甘さに満ちた行為に猛省もうせいしつつ灼と新庄を前にして、山科会長はそれでもなんとか言葉としてつなぎ合わせる。


「えーと……ごめんなさい。見せつけるつもりはなかったの。でも全然勇気が足りなくて、あなたたちに見守ってほしかった。ありがとう」


 感謝と謝辞の奥に愛の恥じらいがあることを始めて知った灼は、わけも分からず鼻をらして背を向けた。その向けられた熱さと激しさに、ただ声だけで気持ちを伝える。


「よかったじゃん。じゃあ、平良を待たせてるから先に行くね」


 一瞬呆気あっけに取られた山科会長は客室に向かって走り出す少女の背中に、もう一度。


「ありがとう」


 既に日は落ち夕闇ゆうやみの中、嬉しさと恥ずかしさと共にこの光景を受け止めた。






 


 背を向けて小走こばしる灼は初めて『好き』の形をの当たりにした。当然、キスという行為あるいは意味くらいは知っている。ドラマや映画に小説と漫画、何度も見て来た。

 なのに今、彼女の脳裏に、そうでないもの、まがい物ではないそれ以外の何か――きずなを求める『好き』の形が焼き付いて離れない。


(――いいんだ)


 混乱の中で、どこか何かがはずれた気がした。


(好きって言っていいんだ)


 胸の中で無意識に芽生めばえていた気持ち。おさない頃から少しずつはぐくんできた気持ち。

 それと最近になって、平良の周りに女の子が集まり、突発的にき上がるくるおしいほどの熱い気持ち。何度考え直しても、自分自身さっぱり分からなかった。それは灼のうちにある無知と無防備からくるおもいの堂々巡どうどうめぐり。


(今なら分かる――いや分かる・・・じゃない、感じる・・・ことが出来る)


「おい、灼」


 誰かが――いや、誰でもない平良が灼の腕を引く。気が付けば、いつの間にか後部上甲板から客室に入り、前部までけようとしていた。


「そっちは有料デッキだぞ?」


 俺は気楽に笑う。灼はその声に項垂うなだれて足を止めた。止めたままで固まった。後姿の肩が小刻こきざみに震えて息も荒い。耳たぶから首筋までとにかく赤くまっている。いぶかしさから正面をのぞき込んだ俺はギョッとした。今まで見たこともないくらい灼の顔が真っ赤になっていたのだ。


「あきッ!?――」


 思わず掴んだ腕を放して、灼が振り向くわずか二秒後、灼のストレートパンチを鳩尾みぞおちらった俺は三秒後には悶絶もんぜつしてひざを折った。


「らァァァ~~……」


 理不尽りふじんな思いで立ち上がると、灼がほお上気じょうきさせ、栗色の大きな瞳をうるませながら真摯しんし眼差まなざしで俺を見ている。


「……好き」


 足りない言葉を全てき飛ばして灼は、身を小さくして顔をせる。


「ええと、何が一体どうした?」


 言いつつなかあきれて混乱している俺を見て、灼は緊張きんちょう昂奮こうふんから我に返った。急にぶっきら棒な声で、


「あんたの好きな・・・歴史――ずっとご無沙汰ぶさただった『歴史検証ゲーム』を始めるわよッ」


 まるで違う場所に取り残されたかのような俺を無視して、灼は近くの二等客室ベンチに座った。そして恥ずかしさをにじませた顔をそむけて自販機を指さす。


「へいへい。お前、ミルクティーでいいよな」


 俺はあきれにあきらめの笑みをえて、ポケットから小銭入れを取り出した。





 

 やがて俺と灼のミルクティーが空になりかけた頃。


小侍従こじじゅう頼朝よりとも義仲よしなかを関東から挙兵させ、その中でも実効支配されてた八条院領を開放しながら義仲よしなかは京都を目指したのだったわね。また九州でも八条院の国人たちに兵を挙げさせ一時的に太宰府だざいふも制圧した。しかも飢饉ききんで平家が兵糧を調達できない時期を選んで――という話だったわ」


 灼が言うのに気付いて、


「ああ、治承じしょう四年<1180>九月五日付で平維盛これもりに東国追討の宣旨せんじくだったという話もしたと思う。しかし『玉葉ぎょくよう』『山塊記さんかいき』によると、維盛これもり率いる東国追討軍は二十二日に福原を出発、翌日に上洛し平家の邸がある六波羅ろくはらに入ったとある」


 俺はやや安堵あんどの声で答える。耳から首筋から全てを真っ赤にして戻って来た灼の無茶苦茶ぶりがようやく収まり、いつもの灼に戻ったからだ。


(ホント……一体何だったんだ)


 と俺は心中で思いつつも、


(ともあれ、落ち着いてくれたのなら後で何があったのか聞いてみよう)


 思い直して『歴史検証ゲーム』を続ける。


「さらに上洛した後も『山槐記さんかいき』によると、


――九月廿九日戊寅 :朝間陰、今晩東國追討使右少将維盛朝臣出六波羅家発云々、去廿二日出福原、廿三日着舊都、其後于今所逗留也、伝聞、上総守忠清於此都忌十死一生日、少将云、於今者途中儀、於舊都可忌日次、忠清云、六波羅先祖舊宅也、争不被忌者、如此間争論云々。


 かなり長いが我慢してくれ。意味は俺の意訳だが、


――九月二十九日戊寅つちのえとら:朝はどんよりとした日だった。聞くところによると今晩東国追討使ついとうしである平維盛これもりが六波羅を立つとのことだ。二十二日に福原を出て二十三日に上洛したというのに今までずっと留まっていた。

 噂によると忠清ただきよが「都に着いて占ったら十死一生日じっしいっしょうびという大悪日が出てしまいました。なので吉日まで出発は延期します」と言い、維盛これもりは「今は進軍途中だ。どうして都で日取りを占わなければならない」と反発する。すると忠清は「六波羅は代々平氏が守ってきた土地ですぞ」と突っぱねたと言う。吉日を選ぶかどうか、今日までの間そんなことを言い争っていたそうだ。


 まあ、作者である中山忠親ただちかあきれの声が聞こえてきそうだが、結論から言うと二十九日戊寅つちのえとら天赦日てんしゃびこよみの中では一番良いとされる大吉日だ。忠清ただきよの言い分が通ったのだろう。ただし、維盛これもり忠清ただきよの口論について過去にもあったことを思い出してほしい」 


 灼が残り少ないミルクティーを飲み干して、得意げに笑う。


「あんたが言ってるのは『橋合戦』のことよね。以仁王もちひとおうと源頼政よりまさを打ち倒した維盛これもりがさらに奈良に向けて南進しようとする時に『いたずらに戦線をばすことにどんな意味があるのか、青二才あおにさいは用兵を知らない』と忠清ただきよたしなめた話でしょ」


 笑いと一緒にしっかりと受け止めて俺はうなずいた。


「そうだ。これは俺の私見だが、保元ほげんの乱より清盛きよもりの先鋒だった宿将の忠清ただきよが単純に『占い』に頼るとは思えない。維盛これもりがどこまで理解してたかは分からないが、これは表面上は陰陽おんみょうの『方違かたたがい』に見せかけて完全に時間稼ぎだったと思う。その理由は――」

「兵糧の調達ね」


 その即答に今度は俺が苦笑した。


「ああ、その通りだ。とにかく西国は飢饉ききんで兵糧の調達が難しい。兵糧次第で追討軍の兵数が決まるだろう。これから頼朝よりともと富士川で対陣するのだが、通説では『水鳥の羽音』が大きく指摘されてる。しかし俺は『兵糧』という視線で見ていこうと思う。あと、随分前に保留にしてきた頼朝よりともの『征夷大将軍』と『鎌倉殿』についても話してみたい」


 それは目指す先が、目標が見えるほど『歴史検証ゲーム』の山頂が現れたような気がした。終わりの予感を感じさせながらも、まだ山頂までの距離は遠い。

 俺は慎重に、今まで以上に慎重に緩い坂を登ってゆく。

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