第七十四話:訣別する友情





                 ※※ 74 ※※




「きっと平日のラッシュ時間に比べれば……いてるほうなんだろうけど」


 電車の人混ひとごみに押されてれて、灼はほおを俺の胸に押し当てつつ、苦笑の顔で見上げた。複数の路線が乗り入れる柏駅への行程は休日の昼下がり――特に二時・三時過ぎ、首都圏へ向かう乗客で混雑するのである。


(少しゆっくりしぎたかな)


 俺は今さらながら後悔した。遅い昼食の上に灼とた映画――『風よ吹け~公爵令妹れいまいの短い生涯~』の話に花を咲かせてしまったため、この時間になったのだ。おかげで身動き一つ出来ず、足元も覚束おぼつかない状態であちこちから強く引っ張られる。


てっっ……。灼、大丈夫か」


 り革に腕を伸ばして、ようやくぎりぎりでとどく灼を、俺は背中からくように支えてやる。


「なんとか……ね。どうせ、もうすぐ着くでしょう」


 小さい身体で心身ともにつらいだろうが、声だけは弱音をかない。俺は心の奥で感心して窓の外、ぎ行く田園風景とまばらに建っている家屋の景色をながめた。その先にある高層マンションと駅ビルを住宅地越しに確認する。


「ああ、もうすぐだ」

 

 俺はいたわるように優しく微笑んだ。と、車掌しゃしょうによる耳みみなれた、しかし余所余所よそよそしさもあるアナウンスが車内に響く。


《いつも東武アーバンパークラインをご利用いただきまして、ありがとうございました。間もなく終点柏……柏に到着です。お出口は右側です》





 俺と灼は駅のホームに立ち、人の流れに沿って階段を上る。フロアの左右に立ち並ぶテナント店をけ、自動改札口をくぐった。そこを右に折れ東口を抜けると駅舎と正面に見える家電量販店の間に併設された高架広場に出る。雑踏ざっとうに交わり、多くの人とすれ違い、俺は時計塔を見た。


「バスにはまだ時間があるな」


 俺と灼は雑踏の流れからはずれて階段で高架広場を下りる。階下のその向こう、バスターミナルに次々とアイボリーホワイトにオレンジラインが引かれたツートンカラーのバスが入る中、路線掲示板を確認した灼が、

 

「さて、と。スーパーに買い物へ行くわよ。ばんご飯、なにが食べたい?」


 さっぱりした笑顔で振り向いた。


「うーん……昨日はラーメンだったし。和食が良いけど、魚って気分じゃないな」


 俺は小首をかしげたまま、少し歩いた先にある交差点を目指した。灼が後ろから追いついて俺の腕に自分の細い腕をからめる。通りの入り口にある駅前の信号が変わりかける前に俺と灼は足早に渡った。

 渡って少しの場所『二番街にばんがい』を横切り、雑踏に流れるまま歩行者天国になっている大通りに入る。その大通りに面している多目的商業施設の地下に目指すスーパーマーケットがあるのだ。


「今日、何か安くなってるといいけど……」


 誰に言うわけでもなくこぼす灼はからめた俺の腕を引き、ぐちドアをけた途端、表情と身体を固くして何者かをにらみつけた。


「よ、……よう。久しぶり」


 正面に立ち尽くす少年――富樫とがしはゆっくり確認するように手を上げた。


「富樫。奇遇だな」


 彼の姿を認めた俺は明るい口調で声をかけた。しかし灼は答えず、きびすを返し、無言で俺を来た道のとびらへと押し戻す。その態度に富樫は、やや慌てて呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待ってくれッ」


 俺を押し出す手を止め、灼は大きな栗色の瞳に拒絶の色を宿やどらせて振り向いた。それでも富樫は安堵あんどと緊張、相半あいなかばする声で、


「平良。お前とはと思ってたんだ。少し時間をもらえるとありがたい」


 多目的商業施設一階フロア―、入り口付近にある喫茶きっさ店を指さした。





 

 数分後、俺と灼、富樫の三人は向かい合ってボックス席に座っていた。

 俺と灼の前にはロイヤルミルクティー、富樫の前にはブレンドがかんばしいかおりをただよわせている。


「呼び止めたおびに、ここは俺のおごりだ。双月ちゃんも何か食べたいものがあれば注文すると良いよ」

「いらない。晩ごはん前だし……しければ自分で頼む。ちなみにあたしのお代は平良持ちよ」


 周囲は誰もが自分たちの趣味や興味でき立つ中、俺たちのボックス席だけ沈黙がりる。


「相変わらずだな、双月ちゃんは」


 富樫はブレンドに異なる苦さと笑いを混ぜてすすり、


「で……その何だ。話の事なんだが……平良、お前にだな……」


 しかし言う内に探していた言葉が見つからず、ついには語尾を小さく途切とぎれさせてうついた。俺もあえて会話を交えずロイヤルミルクティーに口を付けて声を待つ。再び痛々いたいたしい沈黙が流れたが富樫が突如、気をけっして顔を上げた。


「平良。お前、本当に『部室整理令』を――の後を引きぐのか?」

「ああ」


 俺は短く答えて正面から向き合った。対する富樫は悲しむような怒るような表情で首をる。


「『部室整理令』が出た時、俺たち一緒に反抗したじゃないか。お前たちの部長や四字熟語、オザキちゃんと結衣ゆい先輩に……飯塚いいづか先輩。皆で生徒会に一泡吹ひとあわふかせてやるって『考古研修旅行』に行って……平良が始めた『歴史検証ゲーム』だって生徒会に打ち勝つためだって聞いたぜ?」


 生徒会に向けられたるぎのない憤激。そして同士――だった俺に向けられたのは、


「平良……。になるな。ならないでくれ」


 不安と不満が渦巻うずまく強烈な懇願。俺は無言を通した。そんな俺に怒りと焦燥しょうそうの視線をしてきたが、ふいにそれも霧散むさんした。


「もう何を言っても無駄なんだな。それほどの覚悟があるってことか……」


 あきらめよりもあきれに近い声で冷めたブレンドを一気にあおった。そして苦笑交じりに、


「何がお前をそんなに変えたんだ? まさか『妖狐ようこ』に取りかれたってうわさは本当だったのか?」


 俺も軽い口調で返す。


「さあ、どうだろうな」


 今までとなりで黙って聞いていた灼が横目でにらんできた。俺はあわてて誤魔化ごまかしの咳をく。


「俺だって最初は生徒会の横暴に腹を立ててた。でも『歴史検証ゲーム』を通じて旧時代のうみが見えてしまった。だから新時代をきずくために生徒会長になると決めた」

「言ってる意味は分からないが、とにかくお前が決めたことなら仕方ない。だったら俺とお前は戦うことになる」

「戦う?」


 富樫の強い言葉に、俺は戸惑とまどいの表情を見せた。


「ああ、俺はやはり『部室整理令』で人をためすような山科やましな会長のやり方は嫌いだ。生徒会の中でも藤川先輩や高橋先輩のように反対側の人もいる」


 と、衝動的に富樫は言葉を続ける。


「確かに今の部室棟が無法地帯だって事は俺も理解してる。お前たちが新部室棟を新築して生徒会の管理のもとで新たに部室をてることも知ってる。でも、その割り当て方法はどうする? 今度は平良――お前が俺たちを試すのか?」


 言い終えた富樫の双眸そうぼうから先ほどの強さは消え、俺から目をらした。


「……すまん。俺はお前の応援は出来ない」


 はじかれるように立ち上がった富樫は伝票を持って去っていった。俺は呆然ぼうぜんと富樫の背中を見送った後、深く嘆息する。


「ふふふ。富樫にられたわね」


 すっかり付添人となっていた灼は嬉しそうに俺をのぞき込んだ。俺は憮然と眉をすがめて非難する。


「まあ、あいつも色々と考えてたということだな。でも俺は負けてないからな」

「はいはい」


 空元気からげんきの軽口を受け止めてから、灼は幼い顔を引きめ微量の鋭さを含めて言う。


「富樫の背後には藤川先輩に高橋先輩や『部室整理令』に反対の部がつながってると見るべきね。まあ、それはそうと……」


 急に灼が相好そうごうを崩して、可笑おかし味を隠すように口元に手を当てる。


「あんたたちの会話、はたで聞いてて思ったんだけど……まるで仮名垣魯文かながきろぶんの『当世牛馬問答とうせいぎゅうばもんどう』みたいだったわよ」

「俺が『文明開化』で出世したものの愚痴ぐちばかり言う牛で、富樫が世の中の動きに耳を貸さず、取り残された『幕藩体制』の馬ということか?」


 後味あとあじの悪い富樫との会話を思い出して俺は顔をしかめた。灼はこらえることなく声を出して笑い出す。


「まあ『部室整理令』で新秩序を作り上げるのも、今まで通りにその時々の有力の部に秩序の安定をゆだねるのも、あくまで支配体制の一手段だわ。つまりということ。のよ。あたしは平良のすることが好きだから付いて行くだけ。それが『歴史』でしょ」


 俺は灼の理知の強さに感服しつつ、恥ずかしさと照れ臭さがいてくるのを心で感じ、笑って答える。


「――『そう聞けばなるほど尤もだ。モウモウ・・・・愚痴はうめえ。アア、ぎゅうも出ねえ』……そうだ。今晩のご飯は『安愚楽鍋あぐらなべ』が食べたい」


 灼は少しくせのあるツインテールを肩に流してすくめた。

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