第27話 月食期という名の繁忙期

 月食期、それは夜空から月が消える期間を差している。


 現代でもあった月食と同じだが、少し違うのは闇が増えたことで魔物が普段より大量発生してしまうことだ。雑魚は勿論、大物にいたるまでそれはもう大盤振る舞いかというほどに至る所から湧き出すらしい。

 そのためシュトゥールヴァイセン国はこの時期、騎士団による討伐隊を国外周辺地域に配備している。


 国内への流入を避けるためだが、この期に乗じて稼ぎ時とばかりに仕事を請け負うのが冒険者などのハンター達だ。


 そしてイサが務める案内所は文字通りその案内役、もしくは騎士団の手が足りない補填としての救済役を担っている。


 というわけで―――


「お念話ありがとうございます! シュトゥールヴァイセン案内所、イサ・ビルニッツでございます!」


「出るの遅えんだよ! こっちは命かかってんだぞ!」


「申し訳ありません! 大変お待たせいたしました!」


 案内所は、まさに阿鼻叫喚地獄となっていた。


(ひえええ忙しいっ!!)


「だ、だいべん、お待だぜ、ぢまっ……がっ」


 ちらりと横方向へ目を向ければ、ユッタがオープニングトークを噛んでいた。イサ自身も話し過ぎて最早喉がガラガラだ。


 魔物が大量発生しているということは、案内所にも大量に念話が入ってくるということでもある。


 つまり今はシュトゥールヴァイセン案内所が最も忙しいとされるシーズンなのだ。


「そちらの場合は、耐毒効果の護符に合わせて耐火効果のある火鼠の頭巾を装備していただければ防ぐことは可能です」


「だーかーら! そんな金無いんだって! 今ある装備でどうにかできないか聞いてんの!」


 もう何件受けたかわからない念話に、イサはマニュアル通り淡々と答えていく。念話相手も保留でかなり待たされたせいか大分苛立っているようで、こちらの説明にも喧嘩腰で怒鳴りつけてくる。


 一瞬念話機に視線をやったイサは『待ち呼数 38件』という数字に覆わず口が引き攣っていた。


 受けても受けても終わらない念話。そしてどんどんヒートアップしていく顧客。

 まさに繁忙期のカオスである。


「申し訳ありませんが、そちらの魔物相手では特性防御は必須となりますので、現状お持ちでない場合は雑魚狩り等で資金集めをなさってから装備を揃えていただいた方が宜しいかと」


「うるっせーな! せっかくの月食期にんなちんたらやってる暇無えよ! だったらお前が金よこせよ!」


 既に魔物のテリトリーにいるせいか、もしくは待たされた苛立ちかその両方か、イサの念話相手は怒りのあまりに無茶苦茶なことを言い始める。これには流石にイサも内心うんざりした。


「それはできかねます」


 無茶な要望には毅然とした対応をするのが案内所のルールだ。念話を待たせたのは確かにこちらの落ち度だが、そもそも案内人は万年人手不足だし、そもそも魔物を自ら狩りに言っている時点で準備不足は本人に責がある。案内所は、あくまでサポートでしかないのだ。


なのでたとえ念話相手の冒険者に命の危険があったとしても、こういった無茶振りには答えなくて良いとされている。


「客の要望が聞けねえってのかよ!! 俺が死んだらお前らの責任だからなあ!!」


「そう言われましても、」


 あまりに客が怒鳴り散らすので、イサはヘッドセットのスピーカー音量ボタンを押して思い切り下げた。すると、突然にゅっと伸びてきた手がイサの念話機にある通話交代ボタンを押す。


(ん?)


「よお。交代して出張案内専門のエキディウスだ。資金不足はてめーの問題だろうが。これ以上難癖つけるなら案内所への入念禁止かつ当該エリアへの立ち入り取り消しにすんぞコラ」


 驚いて見上げると、エキディウスが先ほどまでのイサの念話相手に対し凄みをきかせている。


 どうやらイサの念話を聞いていたらしい。エキディウスやジャンなど管理者は案内人達の念話をランダムで聞いていて、様子がおかしい場合はこうしてサポートをしにきてくれるようになっているのだ。


「謝るくらいなら最初っから言うんじゃねえよ。今回のは念話記録に残しておくからな。今後は考えて話せよ。じゃあな」


 そう言って、エキディウスは念話を終了させた。相手の方はまだ何やら叫んでいたようだが、彼はさっさと切ってしまったようだ。ヘッドセットを首にずらしたエキディウスは、イサに顔を向けるとにっと笑う。


「イサお疲れ。面倒な客だったな」


「エキディウスさん、交代ありがとうございました!」


「いやいや。新人が頑張ってるから応援しにきただけだ。ま、無理せず頑張れ」


「はい!」


 イサの感謝にひらひらと片手で答えたエキディウスは他の案内人達が並ぶ方へと軽い足取りで歩いて行く。

 ジャンもだが、彼も部下のサポートには余念が無く、こうしてさらりと助けてくれることがある。


 イサが元いた日本のコールセンターでは、上司がああやって通話を交代してくれることはほとんど無かったので最初はカルチャーショックの大きさに衝撃を受けたものだ。

 あちらでは最低限の研修を終えたらすぐに現場に出され、酷いクレームだろうが何だろうが一人で処理させられていた。


(……元の世界に戻ったら、あまりの違いに頭抱えるかも)


 それを考えると、この案内所はとても良い環境だとイサは思う。忙しくても困ったときは助けてくれるし、恩着せがましくもなければ、評価は正当で勤務環境などもすこぶる良い。


 こんなに良い環境で仕事をしていたら、戻った時に違う意味で困りそうだとイサは苦笑しながら思ってしまった。



 そんなこんなで、日中で最も念話の入念が増える時間帯。


 イサは当たってしまった。


「ね、ねえ君……すごく可愛い声してるね…」


「は……?」


 野太いおっさんの声に、荒い息遣い。そして微かに聞こえる粘着質な水音。


 一瞬、イサは念話相手がスライムか何かに襲われているのかと錯覚した。が、明らかに違う声音と台詞に、ぞぞぞ、と背中の産毛が怖気立つ。


(げっ! この忙しい時に!!)


 脳内で悲鳴を上げながら、イサはさーっと顔が青ざめるのを感じた。


 生理的な嫌悪は、人間の血の気を引かすほどの効果があるのだと、改めて体感していた。

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