第13話 上司の謝罪
「―――いいのか?」
「え?」
部屋へどうぞ、とジャンを促し、彼が通れるようにと玄関脇に身体を寄せたイサだったが、ふいにそう尋ねられて再度首を傾げた。
いいのか? とはどういう意味だろうか?
わけがわからず戸惑っていると、ジャンはなぜか言いづらそうに一度視線を横に逸らせてから、もごもごと話し始める。
「その……他の者は知らないとはいえ、俺が君の、部屋に入るというのは」
ジャンにしては珍しく要領を得ない説明に、イサはますます首を傾げた。部下の部屋に上司が入るくらい、一体何の問題があるんだろう? と困惑する。
そんなイサに痺れを切らしたのか、ジャンが唇をくっと引き結んでから拗ねたように声を低くした。
「だからっ、女性……である君の部屋に、男の俺が立ち入るのは良くないのではと」
そして女性、の部分は声を抑えて説明をしてくれる。イサは漸く合点がいった。
「あ、ああっ、そういう意味で……! いえ全然! 気にしないでください!」
ジャンの言いたいことをやっと理解して、イサは両手を顔の前でぶんぶん振った。ついでに、ジャンに対して『真面目かこの上司!』という感想を抱く。まあ実際そうなのだが。
まさか急に女性扱いされると、なおかつ変な恥ずかしさもあって胸中は複雑だった。
けれど今後もこんな風に気遣われては仕事がやり辛くなるかもしれない、と
そう思って、この際はっきりさせておこうと口を開く。
「あの、私のことは本当にただの部下として扱ってくださって構いませんので……!」
ただでさえ案内所をクビにしないでもらえて助かっているのに、このうえ性別で気を遣わせるなど言語道断である。ジャンの心遣いはありがたいが、いちいち気にしていては彼も面倒だろう。
そう思って、イサは笑顔で「さあどうぞお入りください!」と再度ジャンを部屋へと招き入れた。
「うむ……」
今度は素直に部屋に入ってくれたジャンに安堵してから扉を閉めると、彼は玄関を入ってすぐのところで立ち止まっていた。ジャンはどこか珍しそうに室内を眺めている。
(あ、不思議がってる)
じっとテーブルとベッド周りを見つめているジャンの後ろでイサは内心苦笑した。彼の反応の理由に思い至ったからだ。
おそらくジャンはイサの部屋がこの世界の「普通」と違うので違和感を感じているのだろう。
(当然かな。誰もこんなことしてる人いないし)
きっと変なやつだと思われいるんだろうなぁと思いつつ、イサはジャンの反応を待った。
まあ至極当然のことではあるのだ。何しろイサの部屋は『日本仕様』になっているからして。
ここシュトゥールヴァイセン国の建造物は、まあ言うと元の世界では十九世紀だかその辺り、もしくは年代は不明なものの古い西洋式の造りになっている。
つまり扉を開ければすぐに部屋、という仕様で、日本のように靴の脱ぎ履きをする玄関のたたきが無いのである。海外ではよくあるタイプの土足で室内に入室するようになっているのだ。
けれどイサにはそれだとどうにも過ごしにくく、我慢ならなかった。
というわけで、せめてもの工夫として、ベッドとテーブル周りにはぐるりと絨毯を敷き詰めてそこだけは裸足で歩けるようにしたのだ。
外で履いている靴は扉の横に置き、部屋にいる時は今も履いている室内用のスリッパで過ごしている。
「……不思議な配置だな。なぜテーブルやベッド周りにだけ絨毯が敷いてあるんだ?」
イサに向き直ったジャンが質問を投げてくる。
妙に表情が真剣なのが気にかかったが、イサは普通に答えることにした。
「私の故郷では家の中で靴を履かないんです。大抵は扉を開けてすぐに靴を脱ぐ場所があって、それから通路、部屋へと続いているんですよ」
説明するとジャンはふむ、と右手を顎の下に添えて考える仕草をした。それから納得したのか感心したように軽く頷く。
「成る程……攻め入られた時には有利な造りになっているんだな」
「攻め……? あ、ああ。考えたことはなかったですが、確かにそうかもしれませんね」
攻め入られる、などという言葉が出てくるとはついぞ思わずイサは面食らったが、ジャンらしい意見だと遅れて納得した。言われてみれば確かにそうだ。
あまり意識したことはなかったけれど、入ってすぐに部屋より廊下などを挟んだ方が侵入者に気付きやすいかもしれない。
まあ、あの世界でそういう事態に遭遇する危険性は低めではあるが。
案の定、イサの反応で察したのかジャンがぱちりと銀色の瞳を瞬かせた。
「君の世界では、そういった危険は少ないのか?」
「ええと……無いとは言えませんが、比較的少ないですね」
押し込み強盗的な事件は元の世界でもニュースに上がっていたが、イサ自身は幸いにも体験したことが無いし友人知人などにも経験者はいない。それを話すとジャンはどこか安堵したようにふ、と口元を緩めた。
「そうか。平和な場所だったんだな」
「……はい。そうですね」
平和な場所、と言われてイサはこくりと頷いた。少なくともイサにとってあの世界は平和だったと言えた。全部が全部とは言えないが、食うに困らず、職もあり、家族もいた。
それを思うとつい帰れない寂しさがこみ上げてきた気がして、ほんのり心が切なくなる。
そんなイサの様子をじっと静かに見守っていたジャンが、ふいと気まずげに視線を床へと逸らした。
普段ならはっきりとした声音で冷たいとすら思える指示を飛ばす唇が、どこかこわごわと言葉を紡ぎ始める。
「その……イサ・ビルニッツ。いや、イサ・カブラギ、だったな」
「は、はい」
突然本名で呼ばれて、イサは一瞬反応が遅れた。
見れば、ジャンがいつの間にかじっとイサを見つめていた。それも驚くほどの鬼気迫る表情で。
まるで死刑宣告を受けたばかりの囚人のようだ。その迫力に圧倒されてう、とイサの喉が詰まってしまう。ジャンは両腕を左右に下ろし、ぐっと強く拳を握りしめている。
まるで張り詰めた糸のようだ。
(な、何だろう……? やっぱり気が変わって
本来であれば、上司が部屋に来たのなら椅子を勧めて茶でも用意すべきなのだろうが、やたら圧のあるジャンの気迫と、よもや解雇を言い渡されるのだろうかという恐怖のせいでイサはその場に固まってしまった。
彼の顔色はお世辞にも良いとは言えず、ついでに言えばイサを呼んだ割には何やら言いづらそうに口を開いたり閉じたりを繰り返している。その様子を見るに、絶対に良い話ではないと思えた。
先程はこちらの事情を汲んでくれたジャンだったが、後から気が変わったのかもしれない。
規律に厳しい彼のことだし、他への示しにならないと苦渋の決断でイサの解雇を伝えにきたのだろうか。
だとしたら、イサは甘んじて受けるしかない、と内心落胆しながら身構えた。
けれど―――
「部屋まで押しかけてすまない。先ほど君に言うべきだったことを伝えに来た」
「へ?」
「その……すまなかった」
言うなりジャンはその場でイサに向かってすっと頭を下げた。彼の長い銀髪が床に向かってさらりと流れていく。
それを、イサは半ば呆然と眺めていた。
(え―――ええええっ!?)
上司に頭を下げられている、と認識した途端、イサは内心叫びを上げた。
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