(8)接触
ブライト銀行はそこそこ古いが比較的小さな銀行で、プリンセス・メモリアル公園から道路を二本挟んだ所にある。いちおう通りには面しているが、繁華街からは若干外れており、営業時間が過ぎる頃には周囲の通行人も少なくなる。
金庫泥棒があったのは本当のようで、野次馬や腕組して話し込むリンドン市警、銀行員らしき人々が見えた。
「はいごめん、メイズラント警視庁の者だけど」
ブルーは警視庁の手帳を示して市警の警官、銀行員らに近付いたが、例によって警官は怪訝そうな顔で刑事手帳を提示する少年を見た。
「子供が遊んでるんじゃない。あっち行って」
「いや子供だけど刑事なんだよ!ちゃんと見てよ、ライセンス」
「は?」
警官は、ブルーが強引に見せてきたライセンスをまじまじと見る。
「あー、わかったわかった。刑事ごっこしててもいいから邪魔するなよ」
その返答も噴飯ものではあったが、致し方ないとブルーは諦めた。早く身長が伸びて欲しいが、まだジリアンにも若干負けている。
「アーネットを呼ぶべきか」
言いながら、ブルーは勝手に銀行の裏手に廻る。すると、丁度そこへすでに聞き慣れた透明感のある声が聞こえてきた。
「アドニス君」
後ろから声をかけてきたのはジリアンだった。早い。
「どうやって来たの?あっという間じゃん」
「秘密」
気になる。やはり魔法を使ったのだろうか。
「表の人に聞いたわよ。泥棒が出たんでしょ?」
「そう」
「今回の事件に関係あると思うの?」
ジリアンの問いに、地面を観察しながらブルーは答えた。
「さっき、壁抜けの魔法の話をしただろ。この盗みが、それを使ったとしたらどうだろう」
「脱獄囚が金庫破りしたっての?」
「考えてみて。脱獄囚は現金の持ち合わせがない」
「あ」
なるほど、とジリアンは頷いた。
「逃走の資金調達か」
「しかもだよ。アーネットの推測が正しければ…つまり、獄中で」
そこまで言って、ブルーは大変な事に気がついてしまったのだった。
「…ジリアンに、魔法の万年筆の話したっけ」
「うん、さっき唐突に万年筆とか言い出すから何の話かと思ったけど、話の流れで瞬時に理解した」
「なんでその時リアクションしなかったの」
「それ。その、今の表情が見たかったから黙ってた」
ブルーは、急速に背筋が寒くなるのを感じた。本当に体温が下がっているのではないか。
「なるほどね、って思ったよ。そんなものが存在してるとはね」
「こ、こ、これ黙っててくれる?」
ブルーの懇願に、ジリアンは意地悪く笑ってみせる。魔法の万年筆の存在は、まだ外部には漏らさない事になっているのだ。
「どうしようかなー。じゃあ、あたしと今度デートしてくれる?」
「何でもします!」
その時、ブルーの杖にアーネットからの着信があった。もはやブルーは生きた心地がしていない。出るのをためらうブルーを無視して、ジリアンが勝手にブルーの杖を使って通話に出た。
「あっ!」
「もしもーし、こちらアドニス君の彼女です」
「返せ!」
ブルーの手をひらりとかわして、ジリアンはアーネットとの会話を勝手に続ける。
「え?ああ、はい。もう聞きました。あ、そうなんですか。はい、はい。わかりましたー」
何がわかったのかわからないが、ジリアンはまたも勝手に通話を切って、持ち主に杖を返した。
「あのね、魔法の万年筆の件、私にバラしちゃって構わなかったんだって」
「へ?」
「どうせ話すつもりでいたから、知ったならそれでいいってさ」
肩から急速に力が抜ける。じゃあ先に言っておいてくれ、とブルーは思った。
「…冷や汗かいて損した」
「まあ、良かったじゃん。本題に戻ろうか」
そう言われても、どこまで話したか覚えていない。
「どこまで話したっけ」とブルー。
「今度デートしようってとこまで」
「ああ、そうそう…違う!もっと前!」
「金庫からお金を盗んだ理由?」
それだ。そこに戻るまでだいぶ回り道をしたような気がする。ブルーは改めて推理に戻った。
「例の、魔法の万年筆には正体不明の『バイヤー』がいるんだ。彼らは、いつどこに現れるのかわからない。だから、獄中に現れて脱獄囚に接触を計った可能性もある」
「なるほど」
「そして、脱獄囚ということは、おそらく彼らは無一文のはずだ」
「つまり、バイヤーに支払う万年筆の代金を調達するために金庫破りをした?」
ジリアンは真面目な顔でブルーの推測に答えた。ブルーは小さく頷く。
「そう考えると、今日は殺人が二件で終わっていることの説明にもなる。二件の殺人は、テストケースだったのかも知れない。手応えがあったから、そっちは一端置いて、ひとまず資金調達に動いたとすれば、どうだろう」
ジリアンは、純粋な刑事、探偵としてのブルーの頭脳に感嘆の思いを抱いていた。この少年は、魔法の能力以前に優れた知性を持っているのだ。ジリアンもまた、それに応えなくてはと思い意見を述べた。
「つまり、次の犯行の前にその『バイヤー』と接触する可能性がある?」
「断定はできない。ただ、三度も四度も連続して殺人を犯すのは、リスクが高いと思う。僕なら、今夜のうちにまず支払いを済ませつつ、明日以降の犯行の計画を練る」
「ということは、仮にここの金庫からお金を盗んだとすれば…」
「そうだ。ここから、足跡を辿れる可能性がある!」
ブルーとジリアンは、揃って魔法の杖を構えた。
「追跡の魔法は?」
ブルーは訊ねた。
「使えるよ」
「よし。推測が正しければ、この建物に壁抜けの魔法で侵入した人間がいるはずだ」
二人は手分けして、銀行の裏側に回り、人間がいた足跡をたどる「追跡魔法」をかける。
「いた?」
再びブルーは訊ねた。ジリアンが杖を構えながら答える。
「まだ。うん?あ、ちょっと待って。これは…」
ジリアンが何かに気付いたらしく、言葉を途切れさせて何か唸っている。ブルーは「当たりかな」と、ジリアンに駆け寄った。
「当たり?」
「見て」
ジリアンが杖を構えた前方の壁に、突き抜けるように入り込んだ一筋の光が見える。通常、こんな事はあり得ない。明らかに魔法による、壁を通過した痕跡だった。
「すごいよ、アドニス君。君の推理した通りだ」
「アーネットの推理が先になきゃ、わからなかったよ。それより、この侵入者がどこに向かったかだ」
ブルーは、ジリアンが見つけた光の筋、つまり侵入者の足跡をたどるため追跡魔法を使った。
しかし、その侵入者はなんと、銀行の表の通り、つまり人ごみの中を堂々と歩いて行っている事が判明した。
「なんてこった」
ブルーは舌打ちして光の筋をにらんだ。追跡魔法は、その人間が持つ「波長」の痕跡をたどる原理の魔法である。繁華街ではないとはいえ、人は何人も通り過ぎる。その中に紛れてしまうと、大勢の人間が残す波長が混信してしまい、まともな追跡はできなくなるのだ。
案の定、侵入者の痕跡は表の通りの真ん中あたりで霧のようにぼやけてしまっていた。
「くそ。これ以上の読み取りは不可能だ」
「でも、とりあえず収穫はあったよ。あの、何とか警部に連絡しよう!」
「デイモン警部ね」
ナタリーを通じてブルーの報告を受けた、デイモン警部の行動は早かった。すぐさま捜査班の大部分を、ブライト銀行を中心とした一帯に向かわせたのだ。
「いいか、脱獄囚の二名はおそらくどこかに潜伏していると思われる。魔法捜査課からの情報によれば、彼らは壁を通過できる魔法を所持している。従って、追い詰めても逃走される危険が伴うため、出来る限り挟み撃ちの形で確保しろ。最悪の場合は射殺も許可する!」
老いたりとはいえ、デイモン警部の経験からくる読みの深さは流石だった。
「なかなかどうして、あの少年もやるものだな」
ひととおり指示を終えた警部は、ナタリーにそう言った。
「ブルーはアーネットから捜査や推理を学んでいます。つまり、警部の孫弟子みたいなものですわ」
ナタリーは、目の前にいる老刑事への敬意を忘れないようにそう言った。
「はは、孫弟子とはな」
警部もまんざら悪い気はしないようである。
「して、わしの不肖の弟子は今どこにいるのかな」
「そういえば連絡がありませんね。ちょっと連絡ついでに確認してきます」
ナタリーはその場を離れ、本庁裏手の公園のベンチに座ってアーネットの杖に通信魔法を送った。少しして、アーネットから声が返ってきた。
『もしもし』
「アーネット?今、どこ」
『すまん、杖にエネルギーを充填していたんだ』
「そう。アーネット、あなたの弟子が見事に当てたわよ。脱獄囚は壁抜けの魔法で、銀行から金を盗んだみたい」
『銀行の金を?…そうか、なるほどな。なるほど、うん。だいたいわかった』
その一言だけで、アーネットは状況の全てを把握してしまったようである。その洞察力にナタリーは感心した。
『警部のチームは動いたんだな』
「ええ。すでに、ブルーとジリアンがいる地点を中心に、捜索チームを送ってる」
『なかなかの大捕物だ』
アーネットの軽口は、こういう緊迫した状況では頼もしく感じる。
「もう、一人で行動しなくていいんじゃない?あなたもブルーに合流したら」
『そうだな。えっと…』
「プリンセスメモリアル公園よ。ブルーとジリアンは、そこで一旦休憩させてる」
そうか、とアーネットは溜息をついた。すでに時刻は夜9時を過ぎている。元気があるとはいえ、少年少女に無理はさせられない。
『ここからは大人達の仕事だ』
そう言って、アーネットは通話を切った。
まだ、一日が終わってもいない。その事実にアーネットは軽い驚きを禁じ得なかった。朝、オハラ警視監から出動要請の電話が入って、現場に向かった所から始まった。そこでジリアンが現れ、何やかんやのうちに同行する事になった。”元カノ”、カミーユの事まで思い出してしまった。続けざまに事件が起き、しまいには脱獄囚が容疑者の最有力候補となって、今彼らを追っている。濃密すぎる一日だ。
「三日ぐらい経ってるような気分だな」
歩きながら、アーネットは独りごちた。
しかし、捜査は大きく進展を見せているようで、結局まだ容疑者は確保できていない。そして、まだ何か自分の中で、不安がくすぶっているのをアーネットは禁じ得なかった。
「何か気になる…何だ」
脱獄に壁抜けの魔法が使われたのは、おそらくブルーとジリアンの捜査でほぼ実証された。つまり獄中で脱獄囚に、推測の域は出ないがおそらくは、魔法の万年筆を渡した者がいるのだ。例の「バイヤー」だろう。脱獄の手引きをしたのもそいつに違いない。
だが、何か肝心な事を見落としていないか。アーネットはそれが気になっていた。
「犯人は魔法を使って脱獄し、その後犯行の計画を練った。脱獄してからは魔法の使い方について、おそらく学習を重ねていたのだろう。そしてようやく、計画がまとまって行動に出た…」
だとすれば、どういう順番で殺害していくだろう。彼らは、子供の頃に仲間を死なせた煙突掃除夫を恨んでいる。その被害者は何人いたのか。
「…待てよ」
そういえば、その煙突掃除夫に子供を売り付けた人身売買業者、通称「悪魔」はどうしたのか。現在どこにいるのか。直接死なせた煙突掃除夫だけでなく、その元凶となった人間にも、彼らは恨みを抱いているのではないのか。
否、恨んでいるに違いない。
アーネットはそう結論づけた。そうなると、殺害リストに「悪魔」が含まれている可能性は十分にある。極悪人ではあるだろうが、殺害される危険がある人間を、警察は保護しなくてはならない。
再び、アーネットはナタリーに連絡を取った。
「『悪魔』の居場所?」
杖を耳にあてがい、ナタリーは聞き返した。アーネットは答える。
『そうだ。例の煙突掃除夫たちに子供を売った、人身売買業者だ。その男も殺される可能性があると思わないか』
「動機としては、十分すぎるほどあり得るけど」
『そいつの情報はさすがに、今から追うのは難しいか』
ナタリーは、眉間にシワを寄せて唸った。
「私のルートはすでに今日の”営業時間”が終わっちゃってるし。明日ね」
『そうか』
「アーネット」
言い含めるような口調で、ナタリーは言った。
「辛いんでしょ」
ナタリーにそう言われて、アーネットは黙り込んだ。
「いつか、ブルーがあなたに突っかかった事があったわね。あれは確か、殺人事件の被害者が生前、自分を殺害した犯人に対して、公金横領の工作を長年強いた挙句に、その責任を全て押し付けていた事がわかった時だった。今でも覚えてるわ。『僕たちって、何から何を守る仕事をしてるの?』って」
ブルーの背が今より低かった過去を思い出しながら、ナタリーは続ける。
「あれ、全員が思ってた事をブルーが言ったのよね。だから、あなたは怒らずに、静かにこう言った。『怒ってもいい。その怒りは善でも悪でもない、お前自身だ。その気持ちは捨てるな。しかし、警察官としての職務は全うしろ』って」
『…忘れたよ』
「そう?私は覚えてるわ。ねえ、アーネット」
少しだけ、軽いトーンでナタリーは言う。
「あなたは真面目な人だから、自分の中で抱え込もうとするでしょ。それは、格好いいかも知れないけれど、あまり褒められたことじゃないわね」
アーネットは、そう言われて返す言葉がなかった。
「私たちはチームよ。みんなで背負えばいいじゃない」
『……』
「明日、朝一番で『悪魔』の居所を調査してもらうよう、私のルートに話は通しておくわ。あるいは、今夜のうちに動いてくれる可能性もある。だから、みんなを信じて待っていてちょうだい。大丈夫、犯罪者だって人間よ。今夜は動きを見せないと思うわ。寝食を忘れて人殺しに没頭するような、一所懸命な犯人ならともかくね」
その若干不謹慎なジョークに、アーネットはつい吹き出してしまった。
『君のジョークも冴えてる』
「”元カレ”の影響よ」
『会ってみたいもんだ。さぞかし面白い奴だろう』
「どうだか」
今度はナタリーの声が、笑いで上ずった。こんな風に話すのは、いつ以来だろう。
「杖の魔力が減ってきてる。そろそろ切るわ」
『ああ、ナタリー』
「え?」
『冷えてきたから、風邪をひくなよ』
それだけ言って、アーネットは一方的に「電話」を切った。
「こういうとこは昔のままね」
言われたとおり、夜風が冷たくなってきた。他のみんなには悪いが、一度オフィスに戻ることにして、ナタリーは本庁に向かって歩き出した。
魔法捜査課や、重犯罪課の面々が夜通し捜査に乗り出している最中、薄暗い部屋の中で、二人組の男ともう一人の黒いコートの男が、ホコリの見えるテーブルを挟んで向き合っていた。
「約束の金だ」
二人組のうち、鋭い目の男が袋に入った札束をドンとテーブルに載せる。
「確かに」
コートの男は、袋の中身を確認してそう言った。顔は隠しているが、ハットの下に見える眼光は、裏の世界で生きる人間を怯ませるに十分だった。手を出してはいけない種類の人間だ、と二人組の男は理解した。
しかし、コートの男は意外な行動に出た。
「この間言った代金だが、こちらからも危険な行動を教唆しているのでね。仲間と色々相談したが、迷惑料ということで、いくらか割引させてもらう事になった」
そう言って、コートの男は札束を二つ、袋から取り出して差し出したのだった。
「あるいは新製品のお試し価格、とでも思ってくれればいい」
「そいつはまた親切な話だ…ゴホン、ゴホン」
二人組のもう一人が、咳き込みながら遠慮なく札束を受け取った。
「あのペンは自由に使っていいんだな」
咳がおさまると、癖毛の男は改めて確認した。
「むろんだ。報告は要らない。我々は社会の出来事を常に把握している」
コートの男は、抑揚のない声で答えた。
「条件はこれだけだ。我々の組織について探らない事。組織が存在する事実を公言、公表しない事。組織に危害を加えたり、敵対しない事。それさえ守れば、君たちの自由だ」
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