【三題噺 鏡・エレベーター・猫】魔ねき猫

 ガタ……ガガガ……ウォォォォォン……


 今日もエレベーターの調子が悪い。ガタンガタンと小刻みに揺れる機械音を貫通して、子供の鳴き声が聞こえてくる。顔色の悪い女を2階で下ろし、誰もいない3階で10秒ほど待ち、4階で曇る窓ガラスを見やって、いつも通り5階のオフィスへと向かう。チープで温かみのない鍵を回してドアを開けると、すぐ脇の靴箱に置かれた招き猫と目があった。

 今日も俺を儲けさせてくれよ。そう呟くと、猫の爪がギラリと輝いたような気がした。


 この招き猫は半年ほど前、仕事の用で行った中国の街商で見つけた物だ。臙脂色えんじの太った体で、人を小ばかにしたような笑みを浮かべている。小判の代わりに細かな装飾のついた鏡を抱え、そして何より異質だったのが、挙げられた左手だった。

 ミイラの如き筋張った真っ黒な手に、長く伸びた3本の指と爪。猫というより悪魔のそれであり、こんなものを見た日には招かれた福も逃げ出してしまうだろう。


「お客さんお目が高い、それ、滅多に見られないお宝」


 目ざとく俺を見つけた店主が寄ってきて、中途半端な日本語でセールストークを始める。アジア人特有の媚びへつらいが鬱陶しかったが、追い払う程でもなかったので話に付き合ってやることにした。


「招き猫、普通は福と人、を招く。右手だと福、左手だと人。その猫、悪いものを招く、なので魔の、招き猫で、"魔ねき猫"です」


 ちらりと見せた興味の表情に食いついた店主は、一層熱を帯びた口調で語りだした。


「これ、使うのは易しい。鏡とこれを合わせる。そうすれば、悪いもの出てきます」


 このあたりの説明は特に拙かったが、何となく言いたいことは理解できた。おそらくは"合わせ鏡"のことを言っているのだろう。猫の持つ鏡と他の鏡を向かい合わせにすることで、魔のもの――不吉なもの、良くないもの、邪悪なものを呼び出すという理屈のようだ。


「嫌いな人の家に置く。そうすれば、いいことになる」


 なおもセールストークを続ける店主の前にいくらかの札と小銭を投げ捨て、"魔ねき猫"を手に取る。地面に転がった金を素早く拾い集めた店主は、これじゃ足りないとばかりの不満げな顔を見せたが、俺が一瞥をくれると黙って店の奥に引っ込んだ。さすが、ネズミのようにこそこそと生きているだけあって引き際は弁えているらしい。


 そうして日本に持ち帰ってきた"魔ねき猫"は、予想以上の働きぶりを見せてくれている。"ビジネス"は極めて好調で、毎日誰かしらがこの部屋を訪れては俺と取引をしていく。旦那を灰皿で殴り殺した女も、借金で首が回らなくなった男も、良心的な取引先に我慢ができなくなった薬物中毒者ジャンキーも、誰かに成り代わりたい裏社会の人間も、みーんな俺の商売相手だ。すぐ目の前の破滅が見えず快楽を貪る奴、人と虫の命の区別がつかない奴、姿かたちが人間っぽいだけの奴……下手な魑魅魍魎ちみもうりょうよりよっぽど"魔の者"に違いない。

 

 もちろん"魔ねき猫こいつ"が引き寄せるのは客だけじゃない。エレベーターはよく分からん連中の巣窟になっているし、廊下を歩けば気味の悪い奴らとすれ違う。つい先日、1階に開いたばかりの中華料理屋の店長は青白い顔で、今すぐにでもここを出ていきたいと呟いていた。ネットだと、心霊スポットとしてすでにこの場所のことが広まり始めているようだ。


 だがそれもちょうどいい。人が立ち寄らなくなれば、その分、自由に活動がしやすくなる。俺の客はそんなのにビビるほどの人間味を持ち合わせていない。


 またチャイムが鳴った。"客"にしか教えていないリズムで、濁った音が室内に響く。


 さぁ仕事だ。今日もたんまりと儲けさせてもらうぜ。


 俺は上機嫌で玄関の方へと向かうのだった。


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