祭灯り・下

 狐火の灯る提灯に照らされた参道に一歩足を踏み入れれば、そこはもう人も狐も入り混じる、異世界とも見紛う光景が広がっていた。誰も彼もが狐面を身に付け行き交う様は、異様でありまた不思議な一体感があった。そして誰も、この祭の主祭神である宇迦之御霊神がいることなど気が付きはしない。

「あ、ここのお団子屋さん、稲荷大社の皆大好きなの」

「稲荷寿司が色んな所で売っているのね!どれも美味しそう」

「ここでも貸本屋さんが出てる!この前刀羅がここの本を借りて来てくれて…」

「この玩具、鏡夜が好きそう。買っていったら刀羅が怒るかしら」

 灯華は屋台の一つ一つを興味深そうに眺めては、時々隣を歩く葵葉に語り掛けながら歩みを進めていく。普段人里に降りない灯華にとって、全てのものが真新しく映るのだろう。彼女の記憶にある祭の光景と現在の祭では、きっと何もかもが違うだろうから。

 興味の赴くまま、見て、触れて、歩き回るその姿は、かつての彼女と変わらない。

 記憶の中にある彼女の姿は徐々に輪郭を持ち、目の前にいる灯華の姿と重なっていく。

「葵葉、これは何?とても綺麗…」

 目の前にある店で足を止め、灯華がぱっと葵葉へと振り返る。進み出て灯華が指さすものを見てみれば、それは様々な形を取った飴細工の数々だった。硝子細工のような透明度を持ち、色鮮やかに着色された飴は繊細で美しく、周囲の光を含んで眩く輝いている。

「飴細工ですね」

「飴細工…」

 初めて口にした言葉を復唱しながら、彼女の目は釘付けのまま。

「一ついただきましょうか。どれがいいですか?」

「いいの?…でも、お金は」

 そういえば先程からお店を見て巡るばかりで、まだ何も買っていないことを思い出し提案すれば、灯華の表情が一瞬明るくなるが、またすぐに申し訳なさそうに眉尻を下げた。そんな返事が返ってくるのは織り込み済みで、葵葉は懐から小振りの巾着を取り出した。

「実は刀羅君からこちらも持たされていたんです。何か買いたいものがあればこれを使ってほしいと」

 それは所謂お小遣い。握らされた時はさすがに断ったが、物凄い形相になった刀羅から「これも依頼の一部だから」と強引に持たされたものだった。どこまでも準備のいい神仕に感心してしまう。

 刀羅の気遣いに促され、「それなら…」と改めて飴細工と向き合った。形も色もそれぞれに違う飴をじっくりと吟味して、ややあって黄金色をした野を駆ける狐の形をした飴を手に取った。

 葵葉が用意した代金を店主に手渡しながら、灯華は「嬉しいけど、食べるのがもったいない」と困った様に笑えば、「そう言ってもらえると、作った甲斐があったねえ」と店主は照れ笑いを返す。

 ありふれた祭の一場面。それが灯華にとってどれだけ特別なものかを知るのは、この場では葵葉だけだ。

 飴細工の店を離れ、参道をまたゆっくりと歩き出して暫し。灯華が立ち止まる気配に、葵葉も足を止め彼女を見た。

「…ずっと、」

 手にした飴細工を握りしめたままこちらを見上げたその眼差しは、愛おしさで満ちていて。

 瞬きをする度、溢れた光が零れて落ちていく。

「ずっと、この光景を見てみたかったの」

 並び立つ灯華と葵葉の傍を、玩具を手にした子ども達が駆けていく。屋台から響く売り子の闊達な呼び声。屋台の食べ物に舌鼓を打つ客達。道の端で談笑する者達もいれば、酔っ払った狐と人が相撲を取る姿もあった。提灯の光の下に浮かぶ人びとの表情は、そのどれもが幸福に満ちていた。

 近くとも触れることが叶わない世界。

 焦がれて触れて、一度は失った世界。

 その世界の中に、今立っていること。

「こんなにも温かい世界ところだったのね」

 晴れやかに笑うのに、彼女の頬には涙が止めどなく伝っていく。

 ここに至るまでに、どれだけの時間がかかっただろう。

 重荷を背負い歩いた道は、どれだけ険しかっただろう。

 傷付き、雨に濡れ、それでも続けた彼女の歩みが、どうか報われますように。

 そうして辿り着いたこの世界が、彼女にとって光あるものでありますように。

「…そう、温かいんです。貴女が心を尽くした世界だから、こんなにも」

 零れる涙を、葵葉は静かに伸ばした指先で掬い取る。

 頬に触れた葵葉の指先のぬくもりは、いつかの彼が灯華に触れてくれた時と変わらない。

「―それは葵葉が、私と世界を守ってくれたおかげ」

 その記憶はいつまでも褪せることなく傍にあった。長い旅路を照らす道標のように。

「貴方が私を、この世界まで連れて来てくれたの」

 あの時2人で目指した道は、正しいものではなかったかもしれないけれど。

 それぞれに進むと決めた道の先に待っていたのが、この世界であるならば。

 きっとこれ以上の幸いはない。

 2人は顔を見合わせて、どちらともなく破顔する。

 その時、祭に神を招くための祭囃子がどこからともなく風に乗って響いた。

 それは、「祭囃子の音が鳴るまで」と刀羅から伝えられていた、帰りの合図。

「鳥居の前までは、共に」

 葵葉が言えば灯華は小さく頷いて、もと来た道を歩き出す。途中、稲荷大社の面々が好きだと言う団子屋のお菓子をお土産に買って。

 祭囃子が聞こえ始めてから、参道を歩く人びとは減るどころか益々増えていた。ここからが祭の本番なのだと言うように。提灯の灯は夜通し絶えず、朝まで祭は続いていく。

 人の流れに逆らいながら、灯華は参道の終わりまでその光景を見続けた。

 参道の終わりはそのまま社に向かうための階段へ繋がる。階段の始まりには一の鳥居が立ち、一定の間隔で鳥居は連なり社まで続いていた。鳥居と鳥居の間には狐火の灯った灯籠が立ち並び、足元を点々と照らしている。

「今日はありがとう。帰ったら、刀羅にもお礼を言わなくちゃ」

 灯華は鳥居の前で立ち止まると、葵葉へと向き直った。その腕には、お土産の団子の包みと、飴細工をしっかりと抱えている。

「楽しめましたか?」

「えぇ、とても!」

 葵葉の問いに、溌溂とした返事が返ってくる。先程まで残っていた涙の跡は、今はもうすっかりなくなっていた。

「それなら良かった」

 葵葉は呟きながら、灯華の頭に着けた狐面の紐を解く。灯華は葵葉の手に収まる狐面を少し名残惜し気に目で追うも、それは一瞬のこと。

「また社に来た時に、改めてお礼をさせて。…おやすみなさい」

「おやすみなさい、灯華様」

 灯華は踵を返し、ぼんやりと紅く浮かぶ鳥居を潜り階段を上っていく。足取りに合わせ、石畳を叩く下駄の音が山の中へと吸い込まれていく。燈篭の灯に揺れる灯華の影が静かに宵闇に溶けていくのを見届けて、葵葉は鳥居から背を向けた。

 目の前に広がる温かな光の海。その中を泳ぐように、人と狐は手に手を取って、お囃子の音色に合わせて歌い踊る。その声は、きっと稲荷神にも届くだろう。

 自分の狐面を外し、葵葉は大きく一度息を吐いた。祭の活気から少し離れたその場では吐く息は白く、ゆらりと虚空に流れて消えていく。

 ―夜照る月のように、彼女を見守ることができたらそれでいい。

 ―彼女の幸せを見届けることができるならば、それがいい。

 そう己に誓っていたはずなのに。

「貴方が私を、この世界まで連れて来てくれた」

 そう彼女に言われた時、息ができなくなるほどに胸に満ちた想いがあった。

 手にした2つの狐面を見る。

 同じ形だけれど、それぞれに違う模様が描かれた面。この狐面のように、描き方は違うけれど、互いに望む形は同じだったのかもしれない、なんて。

「思い上がりですよね」

 そう独り言ちて、狐面をそっと包みに戻すとそのまま懐に入れた。


 祭の始まりに、春をはらんだ風が吹く。

 提灯を揺らめかせた風は光の灯った参道を駆け抜けて、やがて天へと昇っていった。



 ***


―その後


「皆お祭りの準備ご苦労様。良かったらこれを食べて、今日も頑張りましょう」

「さくら屋のお稲荷団子だ!灯華さま、下のお祭に行ったの?!いいなあ僕も行きたかった!」

「ふふ、また今度ね」

「いいわけないだろ!灯華様もこいつを甘やかさないでくださいよ」

「お腹ペコペコ~。いただきまーす!」

「ちょっとこれから祝詞上げるんでしょ後にしてよ!」

 灯華が戻った境内が明るく盛り上がっている頃。


「どうして教えてくれなかったのだ!我も現場を見たかった!」

「誰ですか月詠様に言ったのは!」

「ごめんオレ!こんな面白いネタ菖蒲とだけで留めておくの無理だったー!」

「仔細を教えてもらうまでは帰さんし仕事もせんぞ!葵葉―!」

「仕事とこれとは別問題でしょう!?」

 夜食国では珍しく、月読命が荒ぶっていたという。

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あやしよにふる 短編 あんみつ @anmithu

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