第28話 真実

 俺は、全員にはっきり聞こえるように、大声で告げた。

 この世界の人間では、きっと思いつきもしない真相を。

 そして、聞いたとしてもおそらく理解できない真相を。


「魔王の本当の目的は、だったんだ!」


 全員、怪訝そうな顔をした。美法すら、何言ってんだこいつ、という顔をした。

 しかし、魔王の顔色をうかがうと、やっと肩の荷が下りたという顔をしていた。どうやら、俺の推理は当たっているらしい。


「あの、よくわからないのですが」

 イリハが全員の気持ちを代弁するかのように言った。

「百歩譲って、人類の滅亡が目的ではなかったとしましょう。でも、魔王は神の存在を否定する本を書きました。存在を証明したことは、一度もありません」

「そこが勘違いだったんだよ」


 俺は、この世界に来てからのことを思い出していた。色々な苦労があった。特に、数学に対する考え方が、まるで違ったからだ。きっと魔王も、俺と同じ気持ちだったに違いない。


「魔王はたしかに一度、神の存在を否定した。だけどそれは、だったんだ!」


 イリハが目を見開いた。信じられない、という目で俺と魔王の顔を交互に見る。


「待て、楯太郎。どうして魔王が、背理法を使えるんだ?」

「理由はわからない。だが、背理法を使えた人間が何人かいたのはたしかだ。そのうちのひとりが魔王だったんだよ」

「とすると、背理法が使われていた古代の文書を書いたのは……」

「魔王の同志、センメルヌスの人間だ。トドルトさんの話では、背理法を使えた人間は五人くらいだったと推測できるらしい。おそらくその五人全員が、センメルヌスだ」


 センメルヌスには、背理法を使える人間がいた。俺がそう確信したのは、あの最後の文書を翻訳したときだ。あれには、こう書いてあった。


『……その来訪者が言うには、そのような若者が近年増えているという。全く嘆かわしい。……』


 この文章を理解するには、二重否定除去が必要だ。だからトドルトさんはこれを読んで、「よくわからない文章だな」とつぶやいた。

 だがおそらく、書いた本人には意味がわかっていた。彼らは普段から、こういう文章を読み書きしていたに違いない。

 つまり彼らは、二重否定を除去できる。それならば、背理法だって理解できる!


「どういう理由かはわからないが、魔王は背理法にたどり着いた。そして、背理法を使って、神の存在を証明した! 神が存在しないと仮定して、矛盾を導いたんだ!」


 魔王は神を否定したわけじゃないし、人類を滅亡させようとしたわけでもない。だから魔王は、今でも魔法が使えるんだ。

 俺の説明を、イリハと美法は理解したようだ。その後ろの兵士たちはどうだろう。おそらく、みんなあまりわかっていないだろう。それでも俺は続けた。


「だけど、ここで悲しいすれ違いが起きた。この世界の人々は、背理法を理解できない。だから、背理法の仮定を、結論だと勘違いしてしまったんだ」


 俺はこっちの世界に来てから、何度も背理法を披露した。そのたびに、この世界の人たちと何度もすれ違った。

 イリハに初めて会ったとき、素数の無限性を証明しようとしたら、彼女は仮定を仮定だとなかなか認識できなかった。

 城で数学者たちに停止性問題の証明をしたときも、何が結論なのか、すぐに理解してもらえなかった。

 背理法に馴染みがないせいで、「背理法の仮定」という概念が存在しないからだ!


「そして勘違いされたまま魔王は処刑され、背理法が理解されないと気付いたセンメルヌスのメンバーも、背理法を封じた。だからこの世界では、一度生まれた背理法が失われたんだ」

「なるほどな。自分たちも、いつ危険な勘違いをされるかわからない。現に魔王は封印されてしまった。背理法は危険だから使わない方がいい……そう考えても不思議はない」


 美法がまとめた言葉に、俺はうなずいた。


「おそらく、魔王自身も、初めは混乱したんじゃないか? 自分は神の存在を証明したはずなのに、なぜかみんな、自分が神を否定したと勘違いしている……と」


 俺は魔王を振り返った。魔王はわずかに微笑んでうなずいた。


「すぐには理解されないだろう、とは思っていました。しかし、内容を完全に勘違いされるとは思っていませんでした」

「魔法で予測できなかったのか?」

「多少は予測したのですが、そこまではっきりとはわかりませんでした」


 どうやら魔王ですら未来予測魔法は難しいらしい。


「私の論法――あなたのいう『背理法』を、私は学生時代に身に付けました。同時に、それが他の人には一切通じないことにも、すぐ気が付きました。しかし私は、この論法を使えば神の存在を証明できることにも気が付いていました。だから、センメルヌスを作ったのです」

「どういうことだ?」

「優秀な神学者なら、背理法を理解してくれると思ったのです。そして事実、彼らは理解してくれました」


 魔王は優しい表情を浮かべた。きっと、センメルヌスの仲間のことを思い出しているんだ。


「センメルヌスで過ごしたあの数年間は、とても幸せでした。同じ志を持ち、同じ学問を同じ水準で学ぶ仲間たちに囲まれ、私たちは知恵と信仰を高め合いました。私はそこで初めて、私の論法の理解者も得られたのです」


 俺たちの世界の数学者にも通じる話だ。優秀過ぎる数学者は、あまりにも数学の未来を先取りしすぎてしまい、同時代の数学者たちから理解されないことがある。数十年、数百年経ってようやく理解された数学者は、実際にいる。


「ですから、根気強く説明さえすれば理解してもらえると思って、あの本を書いたのです」

「だけど、説明する間もなく、あんたは封印されてしまった」


 魔王はうなずいた。


「みんなわかったか? 魔王には人類を滅ぼす気がない。そして、今後は背理法で神の存在を証明することもないだろう。つまり、魔王を封印する必要はないんだ」

「……たしかに、そういうことになるな」

「魔王が人類に危害を及ぼすことはないだろう。だから、魔王を倒すには、ただ放置すればいい。何十年かすれば、勝手に寿命で死ぬ」


 これが、俺の導いた結論だった。

 だが、俺にもひとつ、わからないことがあった。


「ひとつ教えてくれ。どうしてあんたは、背理法にたどり着けた? A∨¬AAまたはnotAが常に真だと、どうして思えるんだ?」


 この世界の人間は、直観主義的な感覚を持っている。それは、魔法を通じて、神にもできることとできないことがあると、知っているからだ。だから、あらゆる命題の真偽を事前に知っているかのような排中律(A∨¬A)を、受け入れることができない。

 だけど魔王は、あっさりと答えた。


「だって、神様なら、どんな命題でも真偽がわかるはずでしょう?」

「えっ?」

 声を上げたのはイリハだった。

「どうして? 神様にも、できることとできないことがあります。実際、未来を知ることはできません」

「そうね。ですが、私がいま話しているのは数学の話です。数学は、突き詰めればただの演繹です。神様が、演繹ごとき、できないはずがないわ」


 イリハはすぐに文意を読み取れなかったようだ。魔王は言い直した。


「神様なら、どんな命題だって、一瞬で証明できる。私たちが知覚できないくらい短い時間で。それはもう、真偽を知っているのと何も変わらないわ」


 ラプラスの魔物だ。あるいは、計算機コンピュータだ。未来を一瞬で計算できる存在は、未来を知っているのと変わらない。なら、どんな命題でも一瞬で証明できる存在にとって、数学とは既知の事柄の集合と変わらない。

 気が付くべきだった。魔法を使えば、行列式の計算や複雑なアルゴリズムの実行が、簡単にできる。それはつまり、神にはそれらが簡単に行えるということだ。


「だから、任意の命題Aについて、『Aの証明か、¬Aの証明のどちらか』は、神様が既に構成していると見なせる。したがって、A∨¬Aは常に真と言えるのよ」


 それは、俺たちの世界の古典論理と、こっちの世界の直観主義論理の融合だった。

 俺たちは、数学の命題は人間とは切り離されたどこかにあると、ぼんやり考えている。そしてその切り離された世界で、Aか¬Aのどちらかは成立しているのだろうと思っている。

 魔王も同じだ。人間と切り離された神が、既にAか¬Aのどちらかの証明を終わらせていると考えている。だから排中律を受け入れられたし、背理法にたどり着いた。


「どうりで、あんたが史上最強の魔法使いになれたわけだよ。そこまで心から神のことを信じているんだからな」

「その通りじゃ」


 頭上から、聞き覚えのある声がした。

 生意気そうな、幼い少女の声。それでいて、有無を言わさぬ威厳を感じる声。


 俺たちは一斉に上を見上げた。

 そこには、和服を着た光り輝く少女が浮かんでいた。


「……神」

「久しぶりじゃな、立神楯太郎」


 少女の姿をした神は、にこりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る