第17話 葬られた論法
「俺の発表は、停止性問題の解決です」
スライドのタイトルを見せると、数学者たちは驚いた。そりゃそうだ。この世界にとって、これは数学のあらゆる分野に影響を及ぼす重大問題だ。
しかし興味深そうにしたのは一瞬で、すぐに俺を疑いの目で見始めた。そりゃそうだ。最も有名で最も重要な問題ってことは、幾多の数学者が証明らしきものを発表してきたに違いない。そしてそのすべてが間違っていたはずだ。
だから、俺の発表だって、どうせ間違っているだろうという色眼鏡で見られることになる。
とにかく俺は、発表を続けた。大丈夫だ、証明は正しい。少なくとも、俺たちの世界では。
停止性問題とは、「与えられたアルゴリズムが停止するかどうかを、判定するアルゴリズムは存在するか?」という問題だ。「停止」と言うより「完了」と言った方がわかりやすいかもしれない。任意のアルゴリズムAに任意のデータxを入力したとき、Aが無限ループすることなく、正しく完了してくれるかどうかを事前に判定できるだろうか、という問題である。
証明には背理法を使う。
そのようなアルゴリズムTが存在すると仮定する。Aが停止するならT(A,x)=Yesを返し、Aが無限ループするならT(A,x)=Noを返すようなアルゴリズムだ。
このTを使うと、こんなアルゴリズムQが作れる。
AにAを入力したとき、Aが停止するなら(つまりT(A,A)=Yesなら)無限ループし、Aが無限ループするなら(つまりT(A,A)=Noなら)停止するようなアルゴリズムだ。
さて、このアルゴリズムQにQを入力するとどうなるか?
もしQ(Q)が停止するなら、それはT(Q,Q)=Yesということで、Qは無限ループするアルゴリズムってことになるので矛盾する。
逆にもしQ(Q)が無限ループするなら、それはT(Q,Q)=Noということで、Qは停止するアルゴリズムってことになるので矛盾する。
結局、QにQを入力した場合は、停止しても無限ループしても矛盾する。
Tが存在すると仮定して矛盾が導かれたので、仮定は誤り。すなわち、Tは存在しない!
ということを、俺は紙のスライドをめくりながら、十分程度で説明した。
「以上が、停止性問題への解答です。ご清聴ありがとうございました」
俺は最後のまとめスライドを見せた。
さぁ、数学者たちの反応はどうだ!?
五人の数学者たちは、腕を組んでうなっていた。好反応ではなさそうだ。
「ええと、私の理解が遅いのかもしれませんが、結局Tは作れるんですか?」
「いえ、作れません」
「え、しかし途中までは作れる前提で話していましたよね?」
「ですから、それは仮定なんです。その結果、矛盾が生じたと」
「はぁ、仮定。うむ……」
全く意味がわからない、と一蹴される危険もあった。が、数学者たちは、一度は理解しようと試みてくれた。
「作れると仮定してましたが、作り方は示しませんでしたね。構成方法が不明なのに構成できると言われても」
「この証明で重要なのは、構成方法ではなく、構成した結果なんです。もし作れたら何が起こるかを考えるんですよ」
「はぁ……ふむ……」
数学者たちは、なんだか腑に落ちていない。五人でざわざわと話し始めた。
「どうにも煙に包まれたような証明ですね」
「証明にはなっていないでしょう。ただの作文ですよ」
「各部分の論理は理解できるんですが、全体としてデタラメのような……」
「加算窮法(非存在を示す代表的な方法のひとつ)でも古典離散法(同)でもない。まるで聞いたことのない証明方法だ」
「いえ、似たような証明なら見たことあります」
おや?
端っこの小柄な数学者が、意外なことを言った。
俺はこのあたりで、背理法について説明するスライドを見せるつもりだった。だが、知っている数学者がいるなら話は別だ。
いや、本当に知っているのか? なぜ知っている? この数学者、何者だ?
「どんな証明ですか、トドルトさん」
「なんとも奇妙な方法で、古代の一部地域で一時的に流行った方法なのですが」
なんだそれは。
トドルトと呼ばれた数学者は、俺の目を見て質問した。
「君はもしかして、クユリ人の文献を読んだのではないか?」
クユリ人の文献? なんのことだ?
俺は背後のイリハをちらりと見た。
たしかに俺は、イリハの持っている本を何冊か読んだ。が、そういう意味ではないだろう。
どうする。これは乗っておいた方がいいのか? いや、ダメだ。知ったかぶりをして、それがバレたら、一気に信憑性を失ってしまう。
「いえ、読んでないです。というか、なんのことかわかりません」
「ふむ、そうか……」
「何か有名な文献があるんですか?」
「つい最近、数学史家の間で話題になった文献群があるのだよ。君が我が国の歴史をどこまで知っているかわからないが……我が国では最近、古代のクユリ人の文献を大量に翻訳し始めたんだ。……色々あってね」
トドルトさんはイリハの目を気にしながら苦笑いした。色々というのは、差別のことだろう。今の国王になってからクユリ人差別は激減し、クユリ人の残した文化の調査が始まったということか。
「その中に、奇妙な論法を使っている文献があったんだ。それも一つや二つではない。複数の人間が、同じような論法を使っていた。それは、いま君が使ったような、煙に巻いたような論法なんだ。現在、我々数学史家が、その意味を理解しようと努めているところだ」
なるほど、この人は数学史家……数学の歴史を研究している人なのか。だから、古い数学を知っている。そしてその中に、背理法の萌芽が見られたってことか?
だが、いまのこの世界には、背理法がない。クユリ人のイリハも知らなかった。
「なぜその方法は廃れたのですか?」
「それはまだ調査中だが、おそらく、当時の人々にも意味がわからなかったのだろう。そしてあるときを境に、ぱったりと使われなくなった」
いったいなぜだ? この世界の人間にとって、排中律や二重否定除去は、そんなにもわかりにくいものなのか? そしてなぜ、クユリ人はそこにたどり着き、そしてなぜ、それを放棄した?
「君は彼らの方法を説明できるかね?」
「え、ええ。できます。次のスライドを見てください」
俺は、予定とは少し違ったが、背理法を説明するスライドを開いた。
排中律を公理に含めると、二重否定除去が導かれる。つまり、否定の否定は肯定になる。
求めたい命題の否定を仮定し、矛盾を導けば、命題の否定が否定される。よって二重否定除去から、求めたい命題が真だと示される。
俺はそのことを、懇切丁寧に説明した。
「なるほど、論理は理解できた。理解はできたが、やはり納得はしかねるな」
「こんな証明に数学的価値はないでしょう」
「排中律は公理として強すぎるし、直感にも反する」
「そもそも、矛盾からはどんな命題も導けるんです。せっかく矛盾を導いたのだから、二重否定除去など使う必要ないのでは?」
五人中四人が否定的な態度を取る中、トドルトさんだけは感動に打ち震えていた。
「なるほど、なるほど……。その論理なら、あっちの文献もそっちの文献も理解できる。これは、これは物凄い発見になるかもしれないぞ……!」
どうやら俺は、ピンチらしい。五人中四人が、俺の発表に納得していない。
なんとか説得しようと口を開きかけたとき、国王が手を挙げた。
「非常に気になる話ですが、持ち時間を過ぎています。タテガミさんの発表はここまでとしてください」
うっ、ここまでか。
あとは、唯一納得しているトドルトさんが、他の四人を説得できることに賭けるしかない。
頼むぞ、数学史の専門家!!
俺はお辞儀をして、席に戻った。
次の発表者は、いよいよ最後の一人、モルダカだ。
「モルダカ・ジェロノです。俺の発表は、これです」
モルダカは、服のポケットから一枚の紙を取り出した。
まさか、俺と同じ紙スライドか?
数学者たちも身構えたようだったが、違った。
モルダカは紙を広げた。ポスターくらいの大きさがある紙には、不思議な模様が描いてある。あれは、魔法陣か? 数学の「魔方陣」ではなく、魔法を使う「魔法陣」だ。
モルダカはそれを床に広げると、呪文を唱えた。
「"ト・ヨブコ・コ"。出でよ、キティラ」
魔法陣が光った。その光の中に、何かがうっすらと浮かび上がってきた。あれは……箱?
光が消えると、そこには大きな黒い箱が鎮座していた。高さ二メートル、幅と奥行き三メートルほどの大きな箱で、これといった装飾もない。二か所に長方形の穴が開いていて、そこから何かを出すか入れるかできそうだった。
「それはいったいなんですか?」
「これは俺が作った、世界で唯一の装置。そして、全く新しい装置」
ここが正念場とばかりに、モルダカは力強く言った。
「計算する装置です」
その言葉に最も驚いたのは。
何を隠そう、俺だった。
「け、計算機!?!?」
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