幕間

0-1.天上国の王と王妃


 アウストゥール王国に来てからというもの、侍女たちが自分に触れる手の温かさに何度も何度も感動してきたフロスティーン。

 しかしこの温かさは……。



 ──凄いわ。こんなにも温かいのね。



 フロスティーンが人生で初めて感じるものだった。



 ──これはっ。温かいに包まれる湯浴みみたいね。でも何か違うわ。もっとこう……あぁ、上手く言えないっ!天上を語るには、私の学びが足りていないんだわ。



 幼い頃のフロスティーンにも、世話役の女性が付いていた。

 さすがに赤子は一人では育たない。


 良く世話をしてあの環境で見事にフロスティーンを成長させたその女性は、しかしながら物心付いてからのフロスティーンを抱き締めることはしなかった。


 たとえあの城では一度もそれらしい扱いを受けていなかったとして、フロスティーンは王女だから。

 王族に相応しい距離を置く、使用人としての立場を忘れない素晴らしい女性だったのだ。


 だから幼子に向けて優しい声を出していても、フロスティーンに笑顔は見せなかった。

 フロスティーンの祖国サヘラン王国の使用人として、それがまさに正しき姿だったのである。


 そのうえフロスティーンも、あまりに人と会わないせいで、泣いて要望を訴えるという行いを早々に手離した子どもだった。


 おとなしく手の掛からない王女を、彼女が他の成人済みの王族と変わらぬように世話をしていたとして。

 誰がこれを責められよう。


 むしろあの与えられた僅かな時間で、王女が一人で生きていけるよう育て上げた功績は、賞賛に値する。



 彼女は冷たい人ではなかったから。

 もしも一度でもフロスティーンが子どもらしく泣きじゃくっていたら。

 抱き締められた記憶も少しは残っていたかもしれないが。


 フロスティーンに残るものは。

 美しいとは言えないひび割れた指先。その手の温もり。ゆったりと諭すように語り掛けていた女性の声。

 そして教えてくれた王城でひっそりと生きるための術。



 そんなどこまでも不憫な王女は、今まさに、記憶のある限りの初体験を得ているところだ。



 ──もう間違いないわ!ここは天上なのよ!そうではないとおかしいもの!だって……。



「フロスティーン。俺に知らせてくれ」



 ──そうだったわ!せっかく天上のお仕事をいただいたのよ!私という人間をお知らせしなければっ!



「ゼインさまが天上国の王様であることを実感しておりました」



 心の内はこんなにも興奮しているのに。

 フロスティーンから出て来る声はいつも平坦な音となる。


 そして今はその顔を見られる者がいないせいで、フロスティーンは気を抜いていた。

 気を抜くと……無表情に戻るのがフロスティーンである。


 なんとなんと不憫な育ちの王女だろう。



「ついに俺も天に召されたか」


 ゼインが気持ちよさそうに笑っているのに。

 フロスティーンは一緒に笑うでもなく、淡々と問い返した。


「ゼインさまは天上国の王さまですよね?」


「フロスティーンが言うのなら、そうなのだろうな」


「ゼインさまが天上国の王さま……」


 ゼインはこのとき極上に機嫌が良かった。

 若い頃に戦争で初勝利を収めたときのそれを越える喜びを与えているのは……。


 はじめて膝に乗る王妃。


 後ろから抱き締めたまま「まだ細いな」と呟いたのち、ゼインはテーブルの上に乗る皿からはじめから一口大で作られている小さなマフィンを指でつまむと、迷いなくフロスティーンの口元へと運んでいく。


 すると膝に抱える王妃は、雛鳥のように口を開けてゼインの手からマフィンを啄んだ。

 しばし沈黙が続く。



 ──甘い。甘いわ。それにふわふわよ。天上国の王さまは温かくてふわふわで甘いのよ。ん~甘いわ~!!!



 頭の中は興奮によりぐっちゃぐちゃに混乱していたが、その身体に触れているゼインでも、まさかフロスティーンがここまで興奮していることには気付かない。


 やがてフロスティーンは、食べ終えると何事もなかったかのように淡々と言った。



「この身体は、天上国の王妃として失格でしょうか?」





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