第20話 十八の日の儀式

 帝都より遥か西。日の沈む先にある西海道。

 その南に位置する旧薩摩国。現鹿児島県。日置郡阿多村。


 古き時代から連綿と続く、蒼月家の次期当主を選ぶための儀式が行われる。


 十八の日の儀式。数え年ではなく、出生日より数えて、蒼月蓮華が十八歳となる日らしい。儀式が行われるのは、蒼月神社の奥にある神域。


 蒼月家の言う神域は、いわゆる洞窟だった。参拝所の社の裏手に立ち入り禁止の小さな山道があり、その山道の先に洞窟がある。洞窟の前には祭壇が構えられていて、蒼月蓮華たちによく似た顔立ちの女性が儀礼装束をまとい、大釜にたっぷりの湯を焚いていた。


 儀式を行うのは現当主である蒼月詠と、次期当主である二人の蒼月蓮華。そして数人の氏子たち。


 儀式の立ち会いを許されたのは、蒼月蓮華の婚約者である長幸と僕、それから蒼月教授の三人だけ。僕たちは氏子に案内され、洞窟の入り口と祭壇を囲うような注連縄の結界の外側でぽつりと立っている。


 二人の蒼月蓮華は巫女装束を着て、蒼月詠の後ろに控えていた。氏子たちが甲斐甲斐しく巫女装束の裾を直したりしている。


 やがて湯が煮え立ち、氏子たちも結界の内側から去り、僕らと同じように注連縄ほ外へと全員が出た。


 祭祀が始まる。

 蒼月詠が湯気の上がる釜へとしきみを掲げ、ゆっくりと奏上していく。


「かんなぎ、蒼月詠が奉じます。かけまくもかしこき、おおやまつみのかみ――」


 祝詞だ。

 よく聞けば、通常の祓詞と違うことに気がつく。


 別に信心深いわけでもないけれど、神道の行事ではたびたび聞く。祓詞は難しい言い回しをしているだけで、その内容は伊弉諾神の禊の様子を表していたはずだ。


 でも蒼月詠の読み上げた祝詞は。


――かけまくもかしこきおおやまつみの神。

――吾田の長屋の笠沙の碕に。

――くかたちし給ひし時に生り坐せるうけひの大神たち。

――もろもろの神意によりて禍事罪穢れ有らむをば。

――祓へ給ひ清め給へと白すことをきこしめせと。

――かしこみ、かしこみ白す。


 聞き慣れない言葉が耳をすり抜けていく。

 祝詞は三度繰り返され、蒼月詠は湯に掲げていたしきみを下ろした。


 ぱしり、ぱしり、と、しきみが揺れて、地面に水滴が落ちていく。

 神楽のような独特の足どりで、蒼月詠は結界内に湯を散らしていった。


 空気が変わっていくのが分かる。肌がひりひりとして、産毛立つ。緊張だろうか。何者かの圧倒的威圧感が、両肩にずしりとのしかかっている気がする。


「蒼月蓮華よ、前に」


 しゃん、とどこからか鈴の音が聞こえた。

 厳かに告げる蒼月詠の言葉を受けて、二人の蒼月蓮華が歩み出る。


 巫女装束を纏う僕らの婚約者たちは、見たことのない花の枝を持っていた。


 青い花弁が鮮やかだ。鈴なりに花を咲かせている様は桜に似ているかもしれない。遠くてよく見えないけれど、青い桜と言い表すのが一番近いと思った。


 二人の蒼月蓮華たちは青い桜の枝を釜の下、轟々と燃え盛る火へと翳した。

 炎がうねり、枝へと移る。

 花が燃え、松明のように燃え始めた枝を二人が掲げると、蒼月詠が娘たちを見据えた。


「これより、かんなぎの儀をいたします。かんなぎがかんなぎたる由縁は唯一つ。神域にて御神体をご覧じ、御神託を賜ることです」


 つまり、これから蒼月蓮華たちはあの洞窟の中へと入り、御神体を探すということか。それだけではなく、神託を賜ることも条件とされている。


 神託とは神の言葉だ。何を神とし、どれを言葉とするのか。見つけるものなのか、自然とそれだと分かるものなのか。ずいぶん曖昧だけれど、蒼月蓮華はその答えを知っているのだろうか。


 気になることはそれだけじゃない。

 僕は手を挙げる。


「神託を賜れなければどうなるんですか」


 声を上げた瞬間、ぴんと張り詰めていた空気がぶれるかのように現実感が戻ってきた。


 蒼月詠がこちらを向く。僕のそばに氏子の一人が寄ってきた。小さな声で氏子が囁く。


「神託無き者は、〝ちるひめさま〟のご意向により、根の国へと召されることでしょう」


 氏子を見下ろす。顔を布で隠しているのでどんな表情をしているのか分からない。僕はさらに問いかけた。


「召されるとは」

「言葉のままです。蒼月はかんなぎの家。神にも人にも娶られ、天神地祇の系譜を紡いできた家でございますゆえ」


 あまりにも抽象的すぎて的を得ない。

 欲しい答えではなかったから、もう一度問いかける。


「もっと詳しく」

「これ以上は儀式の妨げと見做し、貴方をこの地より追放いたすが、如何とする」


 氏子の声がにわかに険しくなる。

 隣に立つ長幸から肩を掴まれた。


「……おい、次行」

「分かったよ」


 これ以上食い下がっても、追い出されるだけなら止めておくさ。


 僕は一歩引いて、もう何も言わないと態度で示す。蒼月詠が僕から視線を外し、双子の姉妹へと厳かに告げた。


「――神域へ」


 二人の蒼月蓮華が、蒼月詠の導きで洞窟の中へと入っていく。

 蒼月詠は二人が洞窟の奥へと進むのを見送ると、再び祭壇の前に戻り、ひたすら祈祷を捧げた。


――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。

――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。


 小気味よく短い音。

 なんの意味を持つのか知らない言葉を蒼月詠が唱えると、氏子たちも輪唱するように同じ言葉を唱え始める。


 延々と。

 滔々と。


――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。

――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。


「……気が狂いそうだ」

「数でも数えておけば? 今、四十二回」


 長幸がげんなりする気配がした。短い文言だからやけに耳に残るし、うんざりするのは分かる。これ、いつまで続けるんだろうね。


「蒼月教授、これってどれくらい続くんですか」


 試しに蒼月教授にも話を振ってみる。蒼月教授は袖に腕を差し入れて、じっと儀式を見つめたまま答えてくれた。


「私の時は詠が戻ってくるまで続いていた。今回も、おそらくは」

「もう一人の詠さんは?」


 言葉にした瞬間、肌がざわりと粟立った。


 僕は後ろを振り向く。

 長幸も身構えたように辺りを警戒する。


 蒼月教授が、そんな僕らを宥めた。


「おかしなことを言うね。戻ってきたのは詠だけだ」


 曖昧に隠された事実。

 僕は苦笑した。今感じた気配を無かったことにするけれど、警戒は解かない。氏子たちが、僕らを異様に見張っていることだけは分かった。対象が僕と長幸だけじゃなくて、蒼月教授も入っていることを念頭に置いておこう。


 以降、僕らは辛抱強く待った。

 延々と繰り返される文言に意識が気が狂いそうになる瞬間があったのは間違いない。それでも一刻もすれば、氏子たちのさざめき声なんて、木々の葉擦れと変わりなく思えてくる。


 そしてようやく。

 蒼月蓮華が帰ってきた。


「一人だけか!?」

「……」


 洞窟の奥から揺らめく炎は一つだけ。

 娘が一人、神域から帰還する。

 頬に風が当たる。

 気がついた長幸が走り出して、彼女を抱きとめた。


「無事で良かった……! 君が、蒼月蓮華だな」


 長幸はすぐさま身体を離し、彼女の全身を検分した。巫女装束の裾が少しだけ汚れているものの、怪我などは何もない。


 それ以上に。


「はい、蓮華でございます!」


 初めて見る、満面の、笑顔。


 花が咲くように、星が瞬くように、果実が色づくように。


 これまで無機質だった一人の娘に、感情が芽吹く。


「私が、蒼月蓮華でございます。生まれた時より私が蓮華の名を与えられておりました……! そして、長幸様の婚約者でございます」


 蒼月蓮華が、長幸の胸にそっと身を寄せる。困惑気味だけど、長幸は彼女を抱きしめ返した。


 血の気が引いていく。顔が、強張る。


 可能性としては考えていたけれど、実際に目の当たりにしてしまうと……すごく、きつい。


「洞窟の中でいったい何があった」

「声が聞こえてきたのです。道を選べと。一人に一つ、道を選べと。私が神の道を選び、あの子は人の道を選びました」


 神の道と人の道とは何か。


 二者択一のできなかった彼女たちに、選ぶことが本当にできたのだろうか。


 今、彼女はその人の道とやらにいるのだろうか。


「神の道を選んだ私は御神体を見ることが叶いました。そして御神託をいただいたのです。私こそが正しい蒼月蓮華であると。ただ一人として生きることを許されたのです。そして片割れを根の国に残すことを知らしめるよう申し渡されました。ゆえに私こそ蒼月蓮華、次代のかんなぎでございます」


 ぐるぐると言葉がとぐろを巻いていく。


 蒼月蓮華は御神託を賜っている。自分こそが正しい蒼月蓮華だと告げられた? そして片割れを根の国に残すと? そう言えと、誰に言われた?


 その片割れは、僕の婚約者だろうに!


「……待ってくれ。もう一人は。蒼月花蓮はどこにいる」


 深く息を吸って、吐いて。

 絞り出した言葉をぶつければ、蒼月詠がこちらを見た。


「聞いた通りです。あの子は根の国に召される宿命だったのです」


 根の国が死を現すのならば。

 なぜ。


「なぜ、僕らを婚約者に選んだ。彼女の婚約者は僕だ。勝手に与えて、勝手に取り上げるのは許さない……!」


 語気が強くなってしまう。ああ、やっぱり駄目だ。いざその場を目にしてしまうと、怒りで我を忘れてしまいそうだ。


 本当は心のどこかで思っていた。どこまでいっても、少しくらいの親の情はあるだろうと。蒼月教授のように。ただ、惰性によっておかしな儀式をしているだけだと思っていたかった。


 でも蒼月家は本気だ。

 蒼月詠は本気で言っている。

 娘を、道具か何かのように、そう思っている。


 ふつふつと沸騰する感情を持て余していれば、蒼月詠が淡々と宣った。


「これが蒼月のやり方です。悔しければ、お前も根の国に行けば良い。ただし、神性を持たぬ唯人が生きて帰れるとは思わないですが。そうですね、真実」


 話が蒼月教授に振られる。

 蒼月教授は一度瞑目すると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「古来より、根の国は黄泉の国と混同されがちだが、そうではない。彼の国たちは隣接していると考えられていた。……どうするかは、君次第だ」


 ここだ、と思った。

 蒼月教授の弟が、いなくなったとしたら。


 間違いなく、もう一人の蒼月詠を追って、あの神域に入っていったんだ。そして帰らぬ人となった。


 根の国とは地下の国。黄泉の国じゃない。

 占い師の言葉が蘇る。選択肢を間違えるな、と。


 僕は注連縄をくぐり抜け、結界の内へと入る。


 長幸たちの横をすり抜ける際、彼と目が合った。


「次行」

「うん」

「……無茶はするなよ」


 洞窟の入り口の前で、氏子から青い花の枝を松明にしたものを渡される。燃えにくいようだけれど、とうてい一刻も保つようには思えない。


 急がないと、帰りは真っ暗になりそうだ。

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