#19 欲を凝縮した闇
一瞬気絶してしまったのかもしれない。いつ倒れたのかも分からなかった。身体が重い。頭が重い。起き上がることができない。視界には、濃厚な闇が発散されているのが映る。垣間見える四本の机の脚を挟んだ先に、人の足があった。
「案外良いものだよ……思う存分『欲』を発散できる環境というのは」
闇は、幾重にも波紋となって広がる。漸く動いた手で頭を抑える。駄目だ。
「あの場所を離れてからはじめて、何かを伝えたいという小綺麗な『欲』も、誰かに嫉妬するなどという小汚い『欲』も、全て『闇』に凝縮することができると知った」
「……っ」
余計な情報を耳に入れながら、頭を抑えていない方の手で上着の上をまさぐる。
黒色のオーラが辺りに飛び散った。
魔力が身体の中を駆け巡る。それまで重かった頭が楽になった。被っていたフードを外す。猫耳を装着し、素早く立ち上がった。同時に、先程聞こえていたのとは別の種類のアラートが鳴り響く。
扉までは数歩の距離。そして、この先生と戦うメリットは特にない。前と同じように、この場から逃げ出す方が懸命だ。
「君も闇に呑まれては如何かな」
私は何か言葉を返そうとした。途端、全ての毛が逆立った。
「我が名は小説家アウタム。さあ、新たなる拙作の餌食になってくれたまえ。ムクルレとミイナルの同輩よ」
私はその場に転がった。転がされた。
何か薄い霧のようなものが私を包んでいる。再び頭が重くなる。訳の分からないざわめきが全身を撫でている。立ち上がるだけで精一杯だ。
「小説家としては、作品の雰囲気を大切にしたいものなのだよ。上手く吾輩の闇を描けているか、その身で確かめて貰うとしようか」
分が悪い。恐らく、膨大な闇を凝縮して私の身体を包んでいるのだ。今度はポーチに手をやる。相手は一歩も動いていないのだから、マキビシは使えない。かといって、吹き矢を用意している間に相手はまたあの闇を放つだろう。
「……闇を追究するのも良いものなのだと、ムクルレに伝えてくれたまえよ。此処から逃げる気があるのならね」
爪を立てる。突き飛ばして逃げるとすれば、机が邪魔だ。それでも、跳び上がっえて机の上に乗ることさえできれば、あとは簡単であるはずだ――
「さて」
先生は手を挙げた。また、何か重いものが頭の上からのしかかってくる。
「ぐっ!!」
「広い空間であるならばまだしも、狭い空間で吾輩に勝てるとは思うまいね」
私は、この状況で勝てる手段を何も残していない。物理的に動けない状態が来ることを考えていなかった。
「闇が拡散しづらいこの場所では、纏めて君を取り込むことも容易いものなのだよ」
先生は嗤う。あの青年が参考にしたような笑みを浮かべていて腹が立つ。
目の前が霞んだ。
――バン!
大きな音が、落ちかけていた私の意識を浮上させた。
頭を持ち上げ、扉の方を見る。黒色のローブを着た何者か。私より少し高いくらいの身長で、仮面を被っている何者かが、私と先生を交互に見比べる。
「ああ、君か」
「……」
その仮面は、私と先生を交互に見比べる。一言も発することはなく。何を動揺しているのか、手を震わせながら仮面は先生を指さした。
「闇かね。もう創っても問題はないだろう? 早速侵入者に向かって試していた所で」
私は先生に目を移す。辺りの闇が濃くなって、部屋中に渦巻いているのを見る。その闇は、心做しか部屋の中央に寄っているように見えた。目を見開く。
「……!!」
爆発音が辺りに響いた。
身体が持ち上がる。
誰かに抱えられたと気づいたところで、目の前は真っ暗になった。
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