第4話『異世界は踊る、されど進まず #2』

 夜風が頬をかすめ、森の湿った空気が肺を満たした。

 薄暗い視界の中で、カノアはゆっくりと上体を起こす。背中と腰に鈍い痛みが走るたび、苔むした地面の湿気が衣服越しに伝わってきた。


「……ここは……?」


 木々が押し黙るように連なり、夜闇がその隙間を埋め尽くしている。微かに残る星明かりだけが輪郭を照らす中、カノアは自身の姿を確認した。

 着ている服は学校指定の長袖の白シャツに黒のズボン。通学時の服装そのままで、森にいる理由が分からない。


「確か俺は……。そうだ、さっきの子は!?」


 思考の淵から不意に浮かび上がる少女の顔。名前も知らない、だが忘れられない笑顔が脳裏をかすめる。

 焦燥が胸を刺し、周囲を見回すが誰の姿もない。妙な胸騒ぎが鼓動を早めるが、理由を説明できず、カノアは呻くように吐息を漏らした。

 カノアは痛む腰をさすりながら立ち上がり、ゆっくりと歩きだした。


「女の子としゃべっていて、確か魔法がどうとか。そうだ、暗闇から何か飛んできてそれが……」


 恐る恐る自分の頭を触る。前、横、後ろと少しずつ場所を変えて触るが、怪我はしていないようだった。


「やはり夢か? 少し、リアル過ぎた気もするが……」


 暗闇にも多少慣れて夜目が利くようになってきた頃、開けている道が見えてきた。


「何処か出られるところまで続いていれば良いが」


 その時、空気の流れが変わる。微かな風が葉を揺らし、枯れ枝を踏む音が遠くから迫る。


「風……いや、違う……?」


 草木をかき分ける音が増えていく。それが偶然の風音ではなく、の接近だと理解するまで時間はかからなかった。

 

「まさか例の魔物ってやつか? 冗談じゃない! 俺は風のように飛んだり走ったりできないぞ!!」

 

 段々と音は大きくなり、それが音の発生源と自身の距離が縮まっていることを実感させる。

 その場から急いで逃げ去ろうと考えるも、近付いてくる音の速さがそれを許してはくれなかった。

 カノアは腰を低くして身を固め、音が近づいてくる方をじっと見据える。木々の間から飛び出してくるのは鬼か蛇か。

 

「せめて見たことのある生き物で頼むぞ……」


 意を決して身構えたものの、余裕の無さは手にじんわりと握られた汗が物語っている。


「——来るっ!!」


 声を出した瞬間、黒い影が木々の間を裂き、獣のような勢いで飛び出してきた。


「きゃっ!?」


「うわっ!?」


「いったぁ……。もう、何なの」


 ドン、と鈍い衝撃が胸に響き、カノアは後方に弾き飛ばされる。乾いた地面に背中を打ちつけ、痛みに呻きながら即座に体を起こす。


「くっ……!」


 息を乱しながら飛び出してきたを視認する。心臓が強く打ち鳴る中、夜目で輪郭を捉えたその姿にカノアは目を瞬かせた。


「魔物か!?」


「失礼ね! 私のどこが魔物よ!」


 カノアは目を凝らして声の主を確認する。

 夜目が利かなかったらきっと分からなかったであろう。尻もちをつきながら頬を膨らませる、同じくらいの年頃の少女がそこには居た。

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