第23話 求道と愚道
木造の廊下は古く歩くたびに鶯張りのようにギシギシ音が鳴り絶妙なクッションのようにヘコヘコするが、古いのは伊達ではなく廊下には龍の掛け軸とか壺とか桃仙郷の屏風とかがさり気なく飾ってある。
「これは良いな」
飾られている花瓶が目に入った。花瓶のラインに沿って変わる釉薬のグラデーション、頭が大きくアンバランスのようでいてどっしりと重心が取れている絶妙のプロポーション。あの曲線にこそ・・・言葉が消えていき段々と思考が俯瞰されていく。
バチッ
俺は思いっきり頬を叩いた。
「お~いて~」
危ない危ない。もう少しで御簾神を開けてしまうところだったぜ。神へ通じる美を求めるのは俺の性(さが)ではあるが今は抑えろ。温泉に浸かったのは一仕事終えたからじゃない、疲れた体を癒やして次に備える為であり、危機は依然としてある。気が付いたら何時間も経っていた浦島太郎になっていたこともあり、こんな締切が迫っているような状況下では心ゆく迄御簾神を開けていけない。そんなワンナイトラブのような愛し方はナイスガイとしては好みじゃない。愛するならとことんだ。
しかし流石歴史ある温泉街、掘り出し物がひょっこりと眠っている。一段落したら物色してみるのを仕事が終わった後のお楽しみとして今は湧き上がる性をぐっと飲み込む。
心頭滅却、我欲を抑え飛び込みで取った部屋に戻ってきた。由緒ありすぎて今どきオートロックもない部屋だ。古き良き時代に思い至る風情があると言えるが物騒とも言える。流石にまずいと考えたか部屋には最新の電子ロック式金庫が壁に埋め込められている。古きものに新しいものを継ぎ足していくちぐはぐさがなんとも言えない雰囲気を醸し出してくれる。
襖を開けて部屋の中に入ると既にあおいと黄泉は既に戻ってきていた。温泉を堪能したようで二人共頬が桃のようにピンクに上気して浴衣を着ている。二人してちゃぶ台でお茶を飲んでいたようで、まるで仲の良い姉妹のようにも見える。とても互いに相譲れない宿命を背負っているとは思えない。
「二人共温泉は楽しめたか?」
「はい」
黄泉は子供らしいニコニコで答える。
「ええ、さっぱり出来たわ。あと言われた通り服をクリーニングに出しておいたわ」
あおいは年頃の娘らしく俺が表れ胸元など服装を整え答える。
部屋の隅にクリーニングの袋に入った服が置かれていた。古いだけではない。30分クリーニングもやっている。こういった企業努力で歴史は紡がれる。
温泉街にいる間は目立たないように浴衣を着ている予定だが、いつどうなるか分からない身だ準備はしておくに限る。
「それは良かった」
取り敢えず立っているにも何なのでちゃぶ台の空いている席に座り込む。
「お茶を入れますね」
神輿に担ぎ上げられてふんぞり返っているのが当たり前になったかと思えば意外と気が利く黄泉が甲斐甲斐しく急須に茶葉を新しく入れ備え付けられていたポットからお湯を入れる。根は庶民の子のままのようである。逆にあおいのその様子をゆったりと見守る様はお姫様だなと感じる。
まだ戻れるなと思いつつ、備え付けの温泉まんじゅうを放り込む。疲れた体に鮟鱇のほの甘さが染みる。口に残る甘さをお茶で流し込むと俺は口を開いた。
「二人共話がある。聞いてくれ」
「はい」
「分かりました」
二人共姿勢を正して俺の方を向く。ゆったりとした庶民の浴衣姿だというのに高貴な雰囲気が漂いだす。
「ツテを使って応援を呼んだ。遅くとも明日には迎えの者が来る。二人共迎えの者が来次第ここから脱出して貰う」
「断ります」
あおいが考えるまでもないと即答してきた。
まあ予想通りだ。驚きはしない。ここからどう説得するかが腕の見せ所。感情で話すような子供は苦手だが、こういう高貴で気が強そうでいて賢い娘の扱いには日頃から鍛えられているさ。
「儀式を完遂したい気持ちは分かるし、仮とは言え従者としても完遂させたいとは願っている。だから一次避難だ。お前達が退避した後にビセンとは俺が方を付ける。その後ゆっくり儀式を完遂すれば良い」
美女を片手に大暴れはナイスガイとして憧れるシチュエーションだが、現実はそうはいかない。安心安全、お嬢様方には退避して貰い俺が一人で戦うのが合理的かつ大人の対応というやつだ。ナイスガイの前に大人として女性を危険に晒すわけにはいかないよな。
「私はここから逃げるわけにはいきません」
そんな俺のロマンを諦めた大人の対応をあおいは俺の目を真っ直ぐ見てきっぱりと拒否してきた。
親に反抗する思春期少女かよ。いやまさに思春期少女なのか。俺も覚えがある無意味に親に歯向かったりカッコ付けたくなる黒歴史。まあ俺の場合今でも夢見る青春真っ盛りな駄目な大人だけどな。半歩たりとも歩み寄る姿勢を見せないあおいに俺は若き日の黒歴史を見せられているようだった。
「姫さんの心意気は立派だが、ビセンは洒落にならない危険な男だ。それは実際に会った姫さんなら分かるはずだ」
「だからといって逃げるわけにはいきません」
きっぱりと拒否するその姿は城を枕に討ち死にすることを覚悟した武将のようである。
こりゃ生半可な説得では駄目だな。ビセンの恐ろしさを教えて脅した所で反発が強くなるだけだろうな。頑固で強気、それでいて正義感も強そうだな。いやらしいが、そこを大人らしく狡猾に突かせて貰おう。
「刺激が強いからあんまり言いたくないがビセンの恐ろしさを知って貰うために敢えて言おう。
昔語りになってしまうが、彼奴は元は俺と同じ神に通じる美を追求する同志だった」
「仲間だったのですか?」
あおいが驚いたように俺を見る。人間誰しも過去がある。彼奴だって昔からああではなかった。
「大学が同じでな。共に美について熱く語ったこともある。
ビセンは我こそは神に至る美を見付けると傲慢な奴ではあったが、厄介なことに真面目で勤勉な男でもあった。美の本質を探求する為に宗教や歴史、心理学、そして科学も貪欲に学んでいった」
「話だけ聞くととても真面目な方のように感じますね」
真面目で一途な真っ直ぐな男。それ故に徐々に道から逸れていっても修正出来ずに突っ走っていく。
「元は人の手で生み出した芸術作品に神を求めていた。芸術こそ人間の中に眠る神の発露であり、それを辿っていけば神へと至ると良く持論を述べていた。
だが、ある事件があってビセンは女そのものに神の美を見るようになった」
「あなただって女好きでしょ」
あれ俺って結構紳士に対応していたはずなんだけど酷い言われようだ。
「それは否定しないが、彼奴は道を外れた」
「具体的に言いなさい」
あおいからはいいように言い包められないという意思を感じる。
「最初は当然のようにビセンは神の生み出した最高の美人を求め探した。ここまでだったらまあ女好きで済んだんだけどな」
むっつりスケベ野郎と肩を叩いて笑って茶化せる友に成れたかもしれない。
「彼奴は神に至る美を求める求道者としての思いは俺に匹敵する。生まれた時に決まる偶然に頼るだけではなく美容整形技術を発達させ神へ至る美を自ら生み出そうとした。彼奴が厄介なところは優秀な男であるこで美容整形で成功を収め、彼奴のプロデュースで数々のタイプの美女が生み出された。俺も見たことあるが男なら一目で惚れてしまいそうな美女だったよ」
「凄い人なんですね。でもそれなら今なんでシンジケートなんてやっているのですか? 自分が求める美女を生み続ければいいじゃないですか」
そうなんだよな。金は集まり己が求める美女も作り出せる。そのままでも十分に成功を約束された人生を歩めた。だがそんな一般的な成功に何の価値も見いだせないのが求道者という生き物。
「満足できなかったんだ。己が思い描く様々な美女を生み出したが、彼奴を満足させる美女は生まれなかった。長い苦悩の末に外見だけでは駄目なのかと思うようになり、外見と合わさった内面からの輝きが必要だと気付いた」
「心が大事だと思ったのなら素晴らしいことのように思えるけど」
あおいは聖者に目覚めたかのような一見いい話風の逸話と実際に会ったビセンの実像との剥離に戸惑っているようだ。
俺はあおいの戸惑いに構わず話を続けていく。
「内面の輝き。それは才能だ」
「ええっ」
「内面からの輝きはその者のが持つ才能によってもたらされる。すなわち外見・才能が高次に融合されてこそ神へ至る美が生まれると考えた」
そうビセンは人の内面の輝きを心などと考えず才能だと考えた。ある意味不確定な心に安易に求めず外にアウトプット出来る才能に着目したのは流石とも言える。
「そこから更に踏み込み、人間の外観・才能を生み出すのはDNA、ならば神へ至る美との本質とはDNAだと悟った」
「人の美しさをそんなものだと思うような人は研究所にでも籠もって顕微鏡でも見ていればいいのに」
この年頃の少女の潔癖さが現れた辛辣な言葉だが、あおいが言う通りそうしてくれたら世の中平和だったのにな。
「そこで思い留まれないのがビセンという男の不幸なんだ。
DNAは生まれた時に決まってしまう。神へ至る美とは生まれただけで至ってしまうものなのか? そこに人の意志は介在出来ないのか?
人格が破綻しているようでいて、その根底には人間讃歌が流れている男。故に苦悩し、その果に彼奴は記憶や経験は遺伝するという学説に出会ってしまった。
まさに天啓。
外見、才能を持った生まれながらのDNA、そこに人の手で偉業が刻み込まれることで神へと至るDNAが生まれる。その考えに彼奴は辿り着き染まった。
だからビセンは美人で偉業を成した女性を狙う。だがなこれでも、まだここで踏み止まってくれればまだ良かったんだ」
多少強引でも美人の才女のDNAを奪うだけの怪人と笑う余地はあった。
「まだ先があるのですか」
あおいが恐る恐る聞く。
「偉業が遺伝するなら悪行も遺伝する。大抵偉業を成した後はピークアウトしていくのが人生だ。ならば美しいDNAが汚されることになる。ビセンは老も人生だと受け入れなかった。美への冒涜だとビセンは許容出来なかったんだよ。
彼奴は偉業を成した瞬間の女性を攫いDNAを採取した後、美を永遠にする為に誘拐した女性にかつての美容整形で生み出した禁断の技術ディバイニング処理をする」
「うっ!!!」
ディバイニング処置とは攫った女性に彼奴が編み出した処置を施すことでまるで生きているかのような像にしてしまうということ。それはまさに彼奴にとっての神像。その神像とDNA配列を一緒に展示して彼奴は悦に入る。
そのおぞましさに濁したが、実際にビセンに会っているだけにあおいは詳しく言わなくても察したのであろう顔が青褪めていた。
「彼奴の恐ろしさ悍ましさが理解したようだな。彼奴は求道者から愚道者に道を違えてしまい突き進む」
「外道」
「その通りだ。そんな外道が蠢く危険に己の我儘で黄泉のような娘まで巻き込むつもりか?」
俺はあおいを糾弾する。可愛そうだが、いい子にはこういう搦手は効くだろ。
「黄泉さんだけを連れて逃げてください」
予想していた高貴なお嬢様の言葉をあおいは返してくる。
「そういう訳にはいかないことも俺がそうしないことも分かるだろ。幾ら俺でも二人を守ってビセンとやり合うのは分が悪い。守りきれる自信はない。その場合真っ先に犠牲になるのはまだ幼い黄泉だぞ」
大人って狡いよな。正義感に漬け込んで子供を人質に取る。美しくないが心を鬼にする。ここでダメ押しをさせて貰おう。
「それにだ。お前の言う通り俺が黄泉と一緒に逃げたとする。その場合、お前が出会った時に言ったことが本当なら儀式には俺がいないと成り立たないはず。結局儀式は破綻する」
「なんとかします」
「どうやって? 具体的な方法は思い付いてないんだろ。そんないい加減な気持ちで儀式をやり遂げられと思っているのか」
「それでも逃げるわけにはいかない。あなただって見たでしょ儀式が狂わされたことで土地がおかしくなっている」
「あの鼠のことか?」
「それだけじゃない、崖崩れだって儀式を妨害した者達に対する怒りよ。これでもし私がこれ以上離れたら何が起こるか分からないわ」
あおいの顔から心の底から恐れていることが分かる。
「それに時間も無いの。儀式は始めてから月の一巡りで終わらせなくてはならないの」
初耳だがあおいとしては俺に言うまでもなく余裕で儀式を終えるつもりだったのだろうが想定外が多すぎた。
「どのくらいの猶予が有る?」
「月の一巡り。次の朔までに儀式を完遂させこの土地を治める土津神を決めないと土地が乱れ、最悪穢れた大地になる。次の朔の日まで後五日しかないわ」
「なんでもっと早く始めなかった。夏休みの宿題をする子供か」
「初めていたわよ。二日月から禊を始め、それが終わってからここに来て、あなたに会う前にも一人で儀式を進めていたのよっ」
怒鳴る俺に怒鳴り返すあおい。かなり精神的に追い詰められていたのかヒートアップし破裂寸前の風船だ。ここでガス抜きをさせないと取り返しのつかないことになる予感がした。
「そこだっ」
「何よ」
「なんで一人なんだよ。黄泉は根の国の者達によって守られていたぞ。なんで対極にある葦原の国の姫ともあろうものが供一人いないで一人きりで大事な儀式を行っていたんだ。葦原の国として大事な儀式なら護衛とか補助の侍女が付くの普通だろ。
さてはお前葦原の国の者達に厄介者扱いされているな」
「黙れっ。あなたと出会ってから何もかも狂い出したわっ。あなたこそ儀式を邪魔する悪魔よっ」
あおいは獣の如く体のバネを活かして無拍子で一足飛びに俺に飛び掛かり押し倒し馬乗りになると、怒りの奔流を吐き出さんばかりに俺の襟元を締め上げてきた。
当たらずとも遠からずってところで逆鱗に触れたようだな。
しかし何がこんな少女をここまで追い詰めてた? それを察してやれないとはナイスガイとして失格だな。それ故にこのまま大人しく絞め殺される訳にはいかない。
泣いてる少女を救ってこそナイスガイよ。
抵抗しようとする前にあおいの手が緩んだ。
「ごめんなさい。あなたの所為じゃないのに」
俺の顔に冷たいものが降ってくる。
「いいさ。愚痴くらいは受け止めてやるさ。何と言っても俺は君の唯一人の従者だからな。
それに俺も言い過ぎた。お前がこの儀式にどれだけの覚悟で挑んでいるか分かっていたのにな。済まなかった」
「ほんとうよ」
もしかしてあおいは俺が思っていた以上に俺を頼りにしていたのか。
「しかし残念だ。君がもう少し大人だったら酒でも酌み交わして大人の夜と洒落込めたんだけどな」
「馬鹿」
俺は優しくあおいの背中を擦ってやりつつ起き上がり、その流れで抱き締めてやる。
「さてどうしたものかな」
優しく頭を撫でつつ考える。
思った以上に条件は厳しい。あおいはここから遠くに離れられないし時間制限もあるのか、だがナイスガイとして乗り越えてみせねばなるまい。
前向きにいこう5日もある。三美神のお嬢様に土下座して応援を頼んで来てくれれば一日で撃退できる。だが人の手配には時間が掛かる。そうなるとやはり俺一人でやるしか無いか。
「提案があります」
「黄泉」
今まで黙って落としく話を聞いていた黄泉が口を開き、嫌な予感がする。
「私を置いていけばいいのです。応援の方と葦原の姫とあなた、合わせて三人ならあの邪な者達にも対抗出来るでしょ。それにそもそも彼らは私を狙っているのですか?」
痛い所を付いてくる。思った以上に聡明、俺はあおいがその考えに思い至らないように詰めていったというのに岡目八目でずばり俺の論理の土台を突いてきた。
「いや君は十分美しいし聡明だ。ビセンが狙う可能性は高い」
「彼は私を殺そうとしましたよ」
聡明な子は好きだけどこの場合は嫌いだ。
「確かに、ビセンはまだ幼い君に美の価値は見出さないかったようだな。だが一緒に逃げたことは知られただろう。あおいに対する人質として狙われる可能性がある」
「人質になるくらいなら・・・」
黄泉はその先は口を噤んでしまった。それは恐れたからではない。聡明な彼女はそのセリフこそあおいを縛り付けるものだと察してしまったから。
「死を選ぶか。そんなこと聞いてしまっては益々あおいは君を見捨てられなくなるな」
黄泉の失言は俺にとってナイスアシスト。
「なら私も応援を呼ぶことを許してください。多分今頃根の国の者達が近くにいるはずです。ここに私がいることを知らせれば迎えに来てくれるはずです」
聡明過ぎるのも困ったもんだ。派閥は違えど巫女を見捨てるようなことはしないと踏んでの提案か。
「却下だ」
「なぜです。合理的だと思いますが」
「君を根の国に返す気はない。君は日の当たる世界に帰るんだ」
「余計なお世話ですよ。私はもう根の国の女です」
「子供が粋がるな」
「侮辱と取りますよ」
ぶわっと禍々しいオーラが溢れだしたかのような圧をこんな幼女から受ける。
「凄んでも駄目だ。君は俺に命を救われたんだ。君は俺のものだ。君をどうしようと俺の勝手のはずだ」
前時代的価値観だがこういうときにはいい。小賢しい理屈な倫理など蹴り飛ばしてやる。
「私に対価を返せと言うなら、それこそここで囮となりましょう」
「俺は日の世界に帰れと命令したんだ」
「私にあの苦界に帰れというのですが」
「そうだ」
俺と黄泉が睨み合う。黄泉はまるで歴戦の手練れの如き意志の力で俺と拮抗する。ある意味あおいより手強いかもしれない。
「ん?」
決着が付かないままに俺は嫌な気配を感じてさっと窓側に寄ると、車が一台旅館の前に横付けされるのが見えた。
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