第45話 人間 vs 妖怪⑪

 下へ、下へ、下へ……やがてぼくの魂は終点までたどり着いた。


 地獄の最下層、一番下はてっきり真っ暗闇だと思っていたけれど、意外と明るかった。かといって、別に何がある訳でもない。閻魔大王の裁判所もないし、冥土の土産屋さんもない。ただ広々とした空間が、どこまでもどこまでも続いていた。天井も、壁も、足が地面についている感覚すらなかった。だ。何かあるとしたら、きっとここには『無』が在るんだ……ぼくはそんなことを思った。


 の中に自分が在るというのも変な気分だが、考えてみれば、の中に、現実の中に自分が在るというのも変な気分には変わりない。そもそも何を持ってして自分は存在していると言えるのか……自分の存在意義は……考えれば考えるほど分からなくなる。


 手足が八本あった……蜘蛛だ。魂は、いつの間にか体の中に戻っていた。あるいはぼくが蜘蛛だから、夜でも明るく感じるのかもしれない。八個ある目で周囲を見渡すと、向こうにぽつんと青白い光が見えた。それ以外は何もない。動かし慣れない手足を必死にバタつかせて、ぼくは仄暗い闇を這いつくばって進んだ。


 近づくに連れ、次第に淡光が輪郭を造り始めた。それは鬼火のような、ゆらゆらと揺れる、昏い光の牢獄であった。青白い光の炎の中に、一匹の狐が捕えられていた。


『コックリさん!』


 ぼくは叫んだが、あいにくコックリさんには届かなかった。弱り切ったコックリさんは、もう巫女の姿を保てず、動物の姿に戻っていた。白い狐の躯に、何本ものチューブが突き刺さっている。管狐だ。違う。閉じ込められているのだ。コックリさんは目を閉じ、時々悪夢でも見ているかのようにうなされていた。


『コックリさん!』


 ぼくは何とか光の中に近づこうとしたが、何か見えない力に遮られ、それ以上進むことができなかった。熱は感じない。ただコックリさんがうなされるたび、光の炎から火の粉のように、ぽん。ぽん、と得体の知れない影が飛び出してきた。


『ゲゲゲゲゲゲゲ!!』


 黒い影は薄気味悪い嗤い声を上げると、そのまま風船のようにふわふわと上の方へと昇り始めた。あれはきっと、地上に出て、妖怪になるんだ。影を見上げ、ぼくは何となくそう思った。コックリさんはここに捕まって、妖怪を作らされている……ふと冷たいものがぼくの頬辺りを触った。


『あ……』


 ぼくは上を見上げた。雪だ。上には雲一つないのに、空は晴れているのに、雪が降っている……。


「遅かったじゃないか」

『うわぁっ!?』


 突然背後から声をかけられて、ぼくは飛び上がった。振り向くと、たぬき先生が笑顔を浮かべてそこに立っていた。


「あれは妖怪になるんだよ」

 ぽん、ぽん、と上がる黒い火の粉を見上げて、たぬき先生はそう云った。


「あれは全部、元は人間だったんだ。地獄に堕ちた人間の魂を、再利用しているんだよ」

『…………』

「君もここまで来て、ようやく妖怪の正体が分かったんじゃないかな?」

『…………』

「そう……何を隠そう、妖怪とは人間のことだったんだ」


 たぬき先生がにっこりと笑った。


「悪しきもの。怪しきもの。理解不能なもの。そう云ったものを……」


 まるで自分には関係ないものみたいに切り離して。


「……人々は妖怪と呼んでいたんだね。昔から日本では、臭いものには蓋をしてきたんだ。村八分にして黒塗りにして、見ないように見ないようにしてきたんだ。まるでそうしてさえいれば、世界は平和になるとでも云うかのように! いじめはなかった。事件性はなかった。そんな事実はなかった……そうやって目を逸らし続けて、都合の悪いことは全部なかったことにしてきた」

 

 見えないんじゃなくて、見ないんだね、きっと。


「……だけどどうしても蓋ができなくなったら、その時はみんな口を揃えてこう云うんだ。あんなことをするなんて、あいつは日本人じゃない。反対する奴は、非国民だ。悪い奴は、人間じゃない……そうだ。妖怪だ。化け物だ。汚いもの妖しいものは、全部あいつらのせいにして、擦り付けてしまえ」

『…………』

「それで? 妖怪のせいにして……臭いものには蓋をして……?」


 たぬき先生がぱん、と手を叩いた。すると、先生の頭上にのぞき窓みたいに時空穴ポータルが開いて、そこにこことは別の世界、別の地獄が見えた。花子さんが。なまはげさんが。こいしさんが。健太も秀平も……五つの窓の、そのどれもが、それぞれの地獄で悪戦苦闘していた。


「哀しいね」


 たぬき先生が微笑みを絶やさず、目を細めた。足元にしんしんと雪が降り積もる。ぼくはぶるる、と震え上がった。


「富も、名声も、力も、人々が喉から手が出るほど求めるそのどれもが、いまだに平和を成し遂げていない。それどころか争いの火種、戦争の原因になってるくらいだ。ましてや……」

 

 もう一度、先生がぽん、と手を叩いた。

 すると今度は、先生の後ろから、大勢の子どもたちが現れた。ぼくは驚いた。あれは……!


「敵を殺せ!」

「悪者をやっつけろ!」

「妖怪のせいだ! 妖怪が悪いんだ!」


 地鳴りとともに激しい怒号が飛び交った。地平線を埋め尽くさんばかりの大群で現れたのは、何とぼくのクラスメイト……いや、全校生徒、それどころか、周辺の小学校も含めて、何千、何万にも及ぶ小学生たちだった。


 囲まれた……みな目の下にクマを作り、武器を構え、血走った目でこちらを睨んでいた。マシンガンが、ミサイルが、ドローンが、ジャベリンが……古今東西の殺傷武器がこっちを狙って牙を剥いている。ぼくは息を呑んだ。


「……ましてや、その何一つ手に入れていない君に何ができる? 君の存在意義って何なんだ?」


 大勢の生徒たちを引率し、たぬき先生がにこやかに宣言した。


「さぁ、戦いVSの時間だぜ」

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