大晦日「推理のない日」⑥
「さあ、身体も温まってきたしそろそろ行こうか、っと」
立ち上がったシロが、ふらりとよろめく。
「大丈夫?」
「いや、うん、なんだろう、ふわふわする」
シロが右手で額を抑えている。
「頭が上手く回らないな」
「気分は?」
シロが左手に持っていた紙コップを受け取って私の紙コップに重ねた。
「悪くないよ、むしろ良いくらいなんだけど、なんだろうこれ、視界がぼやける」
「もしかして」
ストーブに照り返されている以上に、シロの顔が上気している。足元が少しおぼつかないようにも見えた。
甘酒で酔ったのか。
米麹より酒粕の方がアルコール度が高いにしても、それでも火を入れているし、度数は一度もないはず。それならみりんでも酔うのではないか。今までどんな食生活をしているのか、そっちの方が心配になる。
「杏、ちょっと肩を貸して」
「うん、え」
正面に立って私の肩に手を置くのかと思っていたら、背後から覆い被さるように肩に手を回した。
「ちょっと! 顔が近い!」
真横にシロの顔がある。
「顔が近いと、何か問題がある?」
顔は見えないけど、たぶんシロは真顔だ。
「ななな、ないけど」
「それならいいじゃないか」
「ううん……」
こっちが緊張してしまうんだけど。
「杏」
頬が重なりそうな距離でシロが言う。
「いつもありがとう」
「そんな……」
シロがそんなことを言うとは思わなかった。いつも半ば無理矢理連れ回して、辟易しているのとさえ思っていた。
「杏といると、まあまあ楽しいよ」
「それならいいけど、ってまあまあなの」
「大変なことの方が多いからね」
吐息がかかる。
「杏、プレゼント、大事にしている?」
「してるよ」
「まあ、無難なものだけど」
「前に言っていたこと、覚えてくれていたのが嬉しかった」
シロがくれた誕生日プレゼントは、夕焼けの写真集だった。私が青空の写真集をシロにあげたのと対になっている。私が前に夜に近づいている景色が好きだと言ったことを覚えていたのだ。
「それならよかった」
大切にしているが、ベッド脇に置いていつでも見返せるようにしているとまでは言えない。なんだか手の内を晒すような気恥ずかしさがある。
「時間をかけてこそ意味が出ることもある」
シロにプレゼントを渡したときも、シロはそう言っていた。
「そう、まだゆっくり見ているよ」
肩から手を離し、顔も遠ざかる。
「それそろかな」
シロが社務所にかけられている時計を見た。
十一時五十五分。
社務所で休んでいる人も外へ出て始めている。
「僕らも行こう」
「うん」
社務所を抜けると、また詰めたい風が吹き付けてきた。雪が降っていなくて良かった。
「寒い……」
寒暖差が激しい。
「ユートは寒くないの?」
「カイロをポケットに入れている」
「ズルい!」
「自ら防寒を捨てたのは杏じゃないか」
シロが右のポケットからカイロを取り出す。
「一つあげるよ」
「ありがと」
温もりのあるい四角形の使い捨てカイロを受け取って、私がポケットに入れる。外気に比べれば、ないにこしたことはない、くらいだ。
「並ぼう」
「寒い!」
大きな流れとは別に、手水を終えた人や社務所から並ぶ人の列も用意されているのがありがたい。
あと三分くらい。
「杏は、寒いのは好き?」
「夏の暑さよりは好きだけど、この寒さは東京では味わえないから、やっぱり北海道の夏が最高かな。でもこの空気が透き通った感じも好き。ユートは?」
「どの季節も一長一短だ」
「ズルい、じゃあなんで聞いたの?」
「二人がわかりあうための認識合わせ」
そう言われてると、私には何にも言えない。
「いや、でも春を前提とした冬は好きだよ。冬来たりなば春遠からじ」
「どういう意味?」
「そのまま、季節が変わっていくことに価値があるってこと」
「わかった」
行列に並ぶ。
あと一分を切った。
「杏」
「なに?」
「せっかくだから、飛んでみようか」
「?」
『じゅう、きゅう、はち』
どこからかカウントダウンが聞こえた。
言い出したのは一人かもしれないけど、それは人の波に伝播するように、神社全体を包み込んでいっている。全員が合唱しているかのようだった。
『なな、ろく』
みんなで一つの声になっている。
右手に温かい感触があった。
「え、ええ」
シロが私の右手を握っていた。
慌てる私より早く、その手を軸にしてくるりと回り、私の前に立つ。
『ご、よん』
「ど、どうしたの?」
「なにって」
正面に回ったシロが、そのまま私の左手を右手で握った。
「飛ぶんだよ」
『さん、に』
身体を持ち上げるように両手の指を絡ませる。
心の準備も感情をぐるぐるさせる間もなく展開が進んでいく。
密着した押し相撲のような体勢だろうか。
『いち』
「いま!」
シロがぴょんと飛んだ。
手が絡んでいるからそれに合わせるように私の身体も一瞬宙に浮いた。
一秒にも満たない空中浮遊から降りて、シロと顔を合わせる。
周りからは拍手なのか、歓声なのか、色々なものが混ざった声が聞こえた。あちこちでケータイのフラッシュがたかれている。
私はそれに注意を向けることもできず、ただシロと見つめ合っていた。人混みに押しつぶされてしまえば、鼻と鼻とくっつけてしまいそうな距離だった。
指を絡ませたまま、シロは笑顔で言った。
「これで年越しの瞬間、地球にいなかったってことになるね」
「ああ、そんなの」
今時小学生でもしないようなことをやるために手を握ったのか。
シロの性格からして素面ではやりそうにない。
やっぱり完全に酔っ払っているな。
「まあまあ、あけましておめでとう、杏」
「あけましておめでとう、ユート」
「今年もよろしく」
「うん、今年もよろしく」
絡んだ指を一度強く握っておく。
シロもそうして返したような気がした。
さて、何をお願いしようかな。
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