江戸の検屍女医

霜月華月

第一章 吊り下がる女

プロローグ

 法医学とは「医学に基づいて、法律的に重要な事実関係の鑑定・解釈等をする学問。例えば、血液型や指紋による個人識別、親子鑑定、殺人に対する死因・死後時間の推定を行う。犯罪医学」である。


 プロローグ


 法医学の一線で活躍している法医学者の大石信子は、スクリーンに映された頭蓋骨のCTの断層写真を講義を聴きに来ている学生達に見せながら説明をする。


「このように、溺死した人の六〇%が錐体部出血を見られることから、たとえ水泳選手が溺れて溺死したとしても、安易に水泳選手がそう簡単に溺死をするわけがない、なので心臓麻痺と決めつけるのではなく、必ず錐体部を調べることをお勧めしたい」


 そこで信子は手に握っている指示棒を少し引っ込めると四十二歳とは思えない魅力的な体を移動させてから、少し休憩がてらに面白い話をしましょうかと話を切り替える。

 難しい話を主体に話しながら時折休憩を挟んで、学生達をリラックスさせるのは信子の講義の常套手段だった。


 信子は指示棒を折りたたむとゆっくりとした口調で喋り始める。その顔には少し悪戯めいた微笑が浮かんでいた。それはなにかビックリをするような話をしようかと考えている信子の癖だった。


「私の家は江戸時代から続く検屍をする家系です。特に江戸時代では古代中国の法医学、無冤録述を主にしながら検屍をすることが主流だったようです」


 ここまでの話で別段驚くような情報はないが、信子はそこで言葉を一つ句切ってから続ける。


「ところがつい最近、私の家の蔵を調べていたら妙な書類が発見されたのです。江戸時代、年代を細かく言えば徳川家定の時代に作成されたものらしいです。鑑定も済んでいてその年代に間違いはないそうです。その文書にはこう記されていました。ノンバーバルコミュニケーションつまり行動心理学と。ノンバーバルコミュニケーションはつい最近研究されている分野で、私自身も法医学とは別に犯罪捜査のために研究をしている分野でもあります」


 そこで信子は一つ咳払いをしてから先を続ける。


「どうにも私のある特定のご先祖様はノンバーバルコミュニケーションと現代水準に近い法医学の知識、失礼、無冤録述を超えたなにかを用いて犯人を追っていたようなのです。非常に不可思議なことだと私は思います。なぜいまから数百年前の江戸で高度な法医学の知識やノンバーバルコミュニケーションを使えるご先祖様が存在したのか、私はできうることならその謎を知りたいと思ってしまいます」


 信子の言っていることが嘘でないなら、それはとんでもなく異常な話でもあるし、とんでも科学にすら発展しかねないだろう。


「そんな馬鹿なと皆さん思われるかもしれませんが、それで何人もの犯罪者を捕縛した記録も残っています。事実は小説より奇なりと言われることもあるかもしれませんが、これがまさにそうなのかもしれませんね」

 信子は最後にそう言うと、天井を見上げる。そう、一体どんなご先祖様だったのかと想像すると興味が尽きない。だから信子はうっすらと自分のご先祖様を想像するのであった。


 そしてそのご先祖様が活躍したのは今から百六十六年前の安政四年にまで話は遡る。

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