どこへ行こうか。

 俺は死ぬことができない。


 死んだところで生き返る。どこか知らない場所で、裸になって生き返る。これを俺はリスポーンと呼んでいる。こんな風になって、何度リスポーンしたのか、もう覚えていない。

 リスポーンとはランダム性のあるリスタート(この広い異世界のどこに飛ばされるのかさっぱり分からないのだ)であり、これまで持っていたモノのロストであり……そしてコンディションのリセットでもある。身体を真っ二つにされようと、全身に強い毒がまわっていようと……胃の中を空っぽにされることさえ除けば、あらゆる病気や怪我が完治し、五体満足の身体になって元気に生き返る。


 今回もそうなる。

 ――はずだった。


―――


『day:1』


 今回は森のど真ん中で目が覚めた。砂漠や平原に飛ばされるよりは楽なスタートだ。少し歩けばどこかに水場もあるだろうし、腹を膨らませるための木の実もあるだろう。死んでも記憶はそのままであり、つまりこの手の知識もまた俺の中に蓄積している。“死んで覚える”ことも多くある。だから今回もなんとかなるだろう。そこまではいい。


 問題は、左手がない、ということだ。手首から先が完全に消失していて、断面には赤く微細なキューブ状の何かが大量に付着している。リスポーンしても肉体が完全に戻っていない。それは、これまでに前例のない不可逆な変化だった。もう一度リスポーンしたところできっと状況に変化はないだろう。いくら見つめていても手が生えてくるわけではない。

 そういえば、本来はここにあるはずだったあの銀球はどうしたのか。一緒に消失してしまったのか、と気になって己の身体を見回すと、それはすぐに見つかった。胸元に移動していたのだ。裸の――少女らしい小ぶりな乳房の間に、その銀球は存在を主張するように埋まっていた。

 文字通り、胸に右手を当てて精神を集中してみる。空きっ腹には厳しい不快感と共に、いつものように脳内にいくらかの情報がなだれ込んでくる。


『■■■■』

『day:1』


(主な“数値”は特に変化がないので中略)


『PERK:Undying(■) Ignite(3) P.K.(8) Realm Walker(■)』


 ……やっぱりな、と俺は嘆息する。

 あれは夢などではなかったのだ、と。


―――


『day:3』


 左手がないというのは確かに不便だったが、意外に慣れるのは早かった。かつて大熊に手痛い一撃を食らい、しばらく左腕が麻痺した状況で生活していた経験が活きた。その気になれば服も着られるし、水も飲める。片手で持つにはいささか重い鉈でさえ、全身の“ひねり”を利用すれば十分な威力で振るうことができるようになる。


 状況がどう変わろうと、俺が俺である限り旅は続く。

 いつものように空腹と寒さに耐えながら街道を辿り、廃村を見つけ、いつものように廃屋漁りをする。そこで拾ったのは前述の鉈が一本と、食料である缶詰が数個。麻袋を補強して作った背嚢。水筒や食器といった日用品。

 ちなみに今回見つけた衣服は、身体に張り付くほどのタイトな青いワンピースで、太腿にかけてスリットの入った意匠のものだ(どういうわけか俺の脳内に“チーパオ”という謎の単語が浮かんできたが、心当たりはない)。他に着るものもないので着るしかなかったが、俺の中にいる“俺”がやたらに抵抗したのが妙におかしかった。

 それからスニーカーに、キルティングのジャケット。着るものがあるのはありがたいものの、相変わらずどういうチョイスなのかが分からない。まあ贅沢は言うまい。


 略奪がてらにざっと見たところ、世界にそこまで異常はなさそうだ。元から異常だと言えばその通りだが――どこかが抜けていたり、歪んでいたり、そういったものは見当たらなかった。

 数日かけてゆっくり旅の支度を整え、明日の朝の出発に備え、廃屋の一角を間借りして暖を取りつつ休息する。


 どこへ行こうか。


―――


 目的はない。


 そう。目的などないのだ。この旅の果てに何もないことを知ってしまった。これまで目を背けていた事実が重く圧し掛かってくる。いつものように支度を整え、いつものように旅をはじめようとしたところで、俺はその一歩を踏み出す先を見失ってしまった。


 異世界の隙間とも呼ぶべき場所に落ちてから後、俺の中の“俺”が見聞きしたことは(多少の欠けはありつつも)だいたい覚えている。あのよく分からない“物体”がべらべらと喋ったことを鵜呑みにするというならば、俺が、他ならぬ俺自身が……この世界を異常な風に作り替え、自ら閉じこもってしまった……ということになる。無論ああ言われたからといって過去の記憶が蘇ったわけではない。自分自身がそんな存在であったと言われたところで、何一つ実感などない。

 この旅路の終わりは“自身が消えること”なのだと奴は言っていた。あのよく分からない境域に戻り、左手だけではなく、全身を“虚無の門”に飲み込ませることで、自身は抹消される。俺も、そして“俺”も……そうすることでしかこの異世界から抜け出せる道はない。冒険譚や御伽話のように“倒せば終わる”悪役がいるわけでも“見つければ終わる”聖域があるわけでもない。今やそれらはすべて手の届く場所にある。もしそんな都合の良い悪役がいるとすれば、それは俺自身なのだ、と奴は言う。消失こそが救済。それ以上でもそれ以下でもないのだと。


 だとすれば……これ以上に旅を続ける目的はなんだ?


 ごろりと横になり、目を瞑る。

 眠れるわけがない。夜になっても気持ちは休まらない。うっすらを目を開けると、窓の外には夜空に浮かぶ二つの月がある(心なしか“青の月”が少し小さくなっているような気がした)。髪の毛先を弄び“赤い月”に透かす。髪の色も、相変わらずまだ赤いままだ。


 再び目を瞑る。こうして横になって、少しでも意識が遠のけば……俺の中にいる“俺”がまた出てくるかもしれない。

 もしそうなったら、試しに色々聞いてみようと思った。あの“物体”が言っていたことを解釈するならば、この少女の身体の元の持ち主も、他と同様“作り物”ということなる。しかしあれには意思がある。俺にはそれが実感できる。それに、少なくともこの身体の持ち主は俺ではない。この身体をどうするかは、俺だけでは決められない。だから聞いてみようと思ったわけだ。


 この異世界において、かろうじて意思が感じられる唯一の存在は自分自身だけ。

 何だかおかしな話だが、実際そうなのだから仕方がない。


 けれど、そんな時に限ってあいつは出てくる気配がなかった。

 お前は一体どうしたいんだ、と聞いてみたかった。

 あるいは、俺はそうして判断を他者に立て掛けようとしているだけなのかもしれない。

 そんな狡い考えになど答えるものか、とそっぽを向かれてしまったのかもしれない。


 消えてなくなったはずの左手首が、何故だか、一晩中じくじくと疼いていた。


―――


『day:4』


 俺が消えない限り、この異世界は消えない。

 裏を返せば、俺は……俺達は、望みさえすれば旅を続けていられる。

 何人かの“他の誰か”を捕らえたまま、ここで、ずっと。


 言わば永遠のモラトリアム。

 自分自身がしでかしたらしい事象の、決着の、先送り。

 今のところ、その手段は一つしかない。だが俺がそれを実行するまで……もしくは、世界がどうしようもなく崩れ去ってしまうその日まで……いくらでも時間はある。あるいは、他に何か手段が見つかるかもしれない(これがまったくの非現実な、希望的観測だというのは理解しているが)。


 どうする?


 俺は“俺”に問う。

 答えはない。まあ、それはそうか。

 俺の考えなど、とっくにお見通しだろう。


 じゃあ、質問を変えよう。



 消える前に、この有り余るほどの時間で――“お前”が――行ってみたいところはあるか?


―――


 本日の探索結果:発見済住人、なし。

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