第33話 ラジオは告げる

 それまで非常口やベニア板の隙間から申し訳程度に差し込んでいた薄明かりは、夜になるとすっかり消え失せた。

 室内は漆黒に沈み、すぐ隣にいるはずの人の顔すら判別できなくなった。


「……やっぱりアンテナが立たない。もぉ、これじゃ意味ないよ」


 玲奈は電波の途絶えたスマホを睨みながら、小さく息をついた。

 指先で画面を何度スワイプしても、圏外の表示は変わらない。


 そのとき、ふっと頬に柔らかな明かりが差し込んだ。


「おっ、眩しい……」


 顔を上げると、森本さんがLEDランプを手に持って微笑んでいた。

 仄白い光が彼女の手元を包む。


 ──どこから持ってきたんだろう?


 懐中電灯やランプは避難所にありがちなものとはいえ、彼女は食料やコーヒーまで用意していた。準備が良すぎる。


 スーパーマーケットだから?

 

 いやいや、お店は閉店している。それも何年も前に。

 ひょっとして、未来から来たおばちゃん型……


「ドラえもんみたい!」


 太郎くんがぱっと顔を輝かせて声をあげた。


 玲奈は思わず「こら、女性にそんなこと……」と咎めようとしたが、森本さんは朗らかに笑った。


「そうでしょう? おばちゃん、四次元ポケット持ってるんだぞぉ!」


 彼女はわざとおどけた声でそう言うと、腰に手を当ててふざけてみせた。


 玲奈はふっと肩の力が抜けるのを感じた。

 張り詰めた空気が、少しだけ和らいだ。

 太郎くんは無邪気に笑い、玲奈は肩の力が抜けるのを感じた。


 けれど、そんな穏やかな空気は長くは続かなかった。



「おい、面白い放送やってるぞ」


 二階から戻ってきた池神さんが、耳に差していたイヤホンを外すと、ラジオのプラグを引き抜いて皆に聞かせた。


 手のひらに収まるほど小さなラジオだったが、スピーカーの質は意外に良く、室内の誰もがはっきりと音声を聞き取れた。



〈〈……我々はこの都市の一般市民に手をかけることはしない。我々は自衛官、警察官、その他の人々であっても敵対しないのであれば、これまでどおりの生活を保証しよう。この放送を聞いている人々は安心して投降して欲しい。温かい食事と旨い酒で御もてなししよう〉〉



 ラジオの向こうで響く抑揚のない声は、妙に淡々としていた。それが却って不気味だった。


「投降しよう!」


 突然、それまで黙り込んでいた大学生風の青年が立ち上がった。


「そうだよ、俺たちは軍人じゃない。政治家が悪いんだ! 日本がどうなろうと関係ないだろ!」


 声が震えている。


「バカか、おまえは!」


 珍しく、池神さんが感情を剥き出しにして怒鳴った。


 青年は怯むことなく叫ぶ。


「なんでだよ、戦争なんて俺たちに関係ないでしょう。なんで逃げ回らなきゃならないんだ。日本がどうなろうと……俺の生活に何の関係があるんだよ!」


 そう吐き捨てると、突然玲奈を指差した。


「そこの女子高生だって……!」


 玲奈はぎょっとした。


「な、なによ……私をダシに使わないで!」


 青年は、なおも食い下がる。


「キミだって同じだろ! 早く家に帰りたいだろ!」


 カチンときた。

 帰りたいか、だって?

 帰りたいに決まっている。


 でも──もう帰る家はない。


「あんた、何なのよ……!」


 玲奈の声が震えた。


「街が焼かれて、いっぱい人が死んで……ここに来るときだってね。私と太郎くんは、パラシュートで降りてきた兵隊に撃ち殺されそうになったのよ。何もしてないのに……ただ逃げようとしただけなのに……!」


 叫びながら、玲奈は涙が滲むのを感じた。

 太郎くんが彼女の手をぎゅっと握った。


「……あ、うん。ごめんね、大きな声を出して」


 太郎くんは小さく頷きながら、玲奈の手を握り返した。


 だが、青年はなおも言い放つ。


「ふざけるなよ……、向こうは助けてくれるって言ってるんだぞ。俺は行く。冗談じゃない!」


 出口へ向かおうとした青年の腕を、意外な人物が掴んだ。


「やめなさい」


 森本さんだった。

 彼女は力強く腕を引き止めた。穏やかな顔には、怒りと悲しみが滲んでいた。


「これは罠よ。出て行ったら殺されるわよ」


 だが振り払うように腕を振り抜くと、


「ふざけんな、おまえらはここで仲良しゴッコでもしてろ!」


 叫びながら出口へと駆けていった。


 皆の視線は、一緒にいた佐藤へ向いた。


「先生は、あのアホガキと一緒に出ていかないのかい?」


 壁際で寝たふりを決め込んでいた日立さんが、意地悪く声をかけた。


「……ぼ、ぼくは……」


 佐藤さんは消え入りそうな声で呟いた。


 玲奈はその姿を見て、ぽつりと呟く。


「……お医者様には、居てほしいな」


 佐藤さんは俯いたまま、肯定とも否定ともつかない表情で──しかし、その場から動こうとはしなかった。


 ラジオからは依然として投降を促す声が響いていた。

 けれど誰一人として、もうその放送に耳を傾ける者はいなかった。

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