偶然の1週間
赤大佐
水曜日
残暑厳しい9月の水曜日
九州にある田舎町、明津町の明津中学校では定期テスト2週間前に差し掛かっていた。
明津中学校の職員室では一人の男が汗を滲ませながら赤ペンを使って採点をしていた。
一通り終えると、コツコツとペン先で丸の数を数えていた。
「62点か…」
男は赤ペンを走らせると「62」と記入した。
そして次の用紙に手を伸ばす。
この男は、明津中学校の社会科教諭、片山スグルという。
教師歴3年目の新人であったが、2年6組の担任を務めている。
「片山先生。」
片山は声のした方を向くとそこには明津中学校の夏服制服を着た、色白でポニーテールが似合う女の子が立っていた。
「奥宮さん、どうかしましたか?」
片山は手を止め、身体ごと彼女を向いた。
この女の子は、奥宮カナエという。
2年6組の生徒で、内気な雰囲気の子だが、勉強熱心で浮いた話ひとつ聞かない優等生であった。
「この問題教えてほしいんです。」
カナエは一学期の期末テストの問題用紙に書かれている一つの問いを指さしていた。
「ここはね…」
デスクの端に置いていた教科書を開いて説明を始めた。
「51ページの右下の補足っていうところに解説が載っています。あと…」
片山は同じ場所から社会科資料集を取り出た。
「32ページには当時の時系列も載っていますので参考にするといいでしょう。」
一言で答えを教えないのは、自分で調べて覚える力をつけてもらうためである。決して意地悪で言っているわけではない。
カナエは、ありがとうございます、と言って職員室を後にした。
片山はそれを見届けるとデスクに向き直し採点を再開した。
キーンコーンカーンコーン
採点に集中していた片山は腕時計を見た。時刻は午後1時55分を差していた。
「さて、行くか…」
このチャイムは昼休みが終わったことを示すものだった。この後、午後2時10分まで掃除時間となっている。
片山は、痛たた…と声を上げながらその重い腰を上げた。
学校の形はカタカナの「エ」のような構造となっており、東西に伸びる校舎が南北に1つずつある。そして2つの校舎を結ぶように渡り廊下が設置されていて、1階は靴箱、2階は南北の校舎を結ぶ連絡通路になっている。北校舎東側のさらに北側には多目的棟という別棟が二階建てであるが現在は使われていない。南校舎西側は二階建てでその他は全て三階建てである。
職員室は南校舎西側1階にあり、2年6組は北校舎最も西側2階にある。
片山はきちんと掃除しているか教室を見に行った。途中、別のクラスでチャンバラしている生徒を注意して6組に辿り着いた。
6組の生徒たちはきちんと掃除しており、片山が口を出すことなく掃除を終えていた。そして程なくして掃除終了のチャイムが鳴り響いた。
片山は荷物を教卓に置き、全員が準備を整えるまで教科書を開き待った。
キーンコーンカーンコーン
時刻は午後2時20分、5時間目が始まった。
「起立!気をつけ!礼!お願いします!」
生徒たちが号令して授業が始まる。
「では教科書64ページ、資料集は…」
片山はページを示しながら黒板に書き込んでいた。生徒たちはそれを目で追いノートに書き込んでいく。
時は刻々と進み、黒板は余すことなく使われていた。消して続きを書こうかと片山は考えたが腕時計を見てやめた。彼はチョークを自身のケースに戻した。時刻は午後3時08分、5時間目終了2分前。
「キリがいいのでここまでにします。なにか質問は?」
片山はゆっくり教室を見渡したが誰も返事をしなかった。
「ではこれで終わります。号令。」
「起立!気をつけ!礼!ありがとうございました!」
号令が終わると同時に5時間目終了のチャイムが鳴り響く。
「よし、ホームルーム始めるから早く準備してくれ。」
今日、水曜日は通常より1時間早い5時間授業になっている。生徒たちは有り余る元気さを見せながら自分たちのロッカーから学校指定のリュックを持って自分の席に戻って行った。全員が着席したことを確認すると片山はホームルームを始めた。
「よし、まだ暑いからな。熱中症に注意してください。だからといって買い食いはしないように。」
まだ夏のような日差しと暑さが残る中、片山の話に全員が、はい、と答えた。
「じゃあ帰り道気をつけて、また明日な。以上!」
片山が話終わると号令がかかり「ありがとうございました!!」とホームルームが終わり、生徒たちは堤が切れたように廊下に流れ出た。
元気だな、と片山がボヤくと黒板を綺麗に消して数人残った教室を後にした。
まだほかの教室ではホームルームが行われていたが、それを横目に廊下を歩いて北校舎階段までやってきた。
「そういえば…しばらく確認してなかったな…」
階段を降りようとした片山の目に掲示板の掲示物が映った。片山は掲示物チェックの係であったが、多忙のためにチェックを怠っていた。
さすがに気づいた以上無視できなかった片山はそのまま掲示物のチェックを始めた。
「ここは期限近いな…」
階段の掲示物を確認したあと、北校舎階段横の2階渡り廊下に移動して掲示物をチェックしていた。すると掲示板の隅に画鋲で留められた紙切れを見つけた。
「…なんだ、これは。」
画鋲を外し、折りたたまれていた紙切れを恐る恐る広げた。
『死にたい。助けて。』
片山は驚きのあまり十数秒動きが止まった。
しかし事態を理解したのかすぐさま職員室へ歩き始めていた。すると職員室手前で廊下の角から出てきた学校長の佐田クロウとぶつかりそうになった。
「おっとっと…片山先生どうしたんですか…?」
佐田も片山の様子がおかしいことに気づいていた。
「校長、お話があります。」
片山は先程の紙切れを渡し、耳打ちで簡単に状況を説明した。佐田は直ぐに片山を校長室に入れると2学年主任の岡田を連れて戻ってきた。
「うーむ…隣の暗与中学校でいじめによる事件があったばかりだ。本校でも起きているとなると…」
佐田は眉間に皺を寄せ唸った。佐田が黙り込むと学年主任の岡田が口を開いた。
「校長、暗与中学校の件もあります。悪戯でも本気であると仮定して対策を講じなければなりません。」
「それは分かっておる。だが、大山教頭も生徒指導の久我先生も、暗与中学校の事件報告会議で1日居らんのだ。」
昼行灯のあだ名を持つ佐田の受け答えは校長室を静かにした。この沈黙を破り片山は「明日の1時間目は全校集会にしましょう。」と提案した。
「投書があった事実と出した人間は名乗り出て欲しいという内容だけ生徒に伝えるんです。報告はそれからでも遅くは無いでしょう。」
岡田と佐田は片山の案に乗るしかなかった。
片山は校長室を出ると深いため息をついた。すると後ろから「先生。」と呼び止められた。振り返ると、2年6組の麻田トシミツが立っていた。
「ため息なんかついてどうしたんですか?」
片山は、見られていたか、と呟き手で顔を覆った。
「なんか怒られたりとか…?」
興味津々に聞いてくるトシミツは片山に迫った。
「あ…あぁ…そ、そんなところかな…?」
片山は嘘が付けない大根役者であった。
「先生って嘘だけは下手くそだよねー。」
もちろんトシミツは見抜いていた。
「まぁ色々とあるんだよ。でも君らに言える内容じゃないんだ。」
「ふうん。」とトシミツは納得していない様子だったが、「これ出しときます。」と片山に学級ノートを渡した。
「今日塾なんで。」
トシミツは笑って背を向けた。
麻田トシミツは男子バスケットボール部に所属しているエースだが、有名塾に通っており成績優秀。典型的な文武両道な生徒だ。今日は部活より勉強を優先したようだった。担任としては喜ぶべきなのだろうが残念ながら頭に入っていないようだ。
「そうか、気をつけてな。」
はい、とトシミツは答えて靴箱の方へ歩いていったが、片山はぎこちなく職員室に入っていった。時刻は午後5時。片山は残った採点を始めたが、まずは深呼吸して冷めたコーヒーを啜った。
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