第八話 ただの風景 または猫たちの戯れ
8-1
ある朝目覚めたら、次元を超越していた。
比喩表現ではない。幽体離脱というのに近いのかもしれないが、体と霊魂が分離したわけではない。通常通り動いている。だが自宅の一階に降りても両親がぼくを認識することがない。それが異変に気づいたきっかけだった。二人はまるでぼくなど存在していないかのように家事をしたり出勤の準備をしている。どういうことだ、これは認識をされていないのかとぼくは母親に近づいたが、すると手が彼女をすり抜けた。ここでぼくは完全に異変が発生していることに気づき、この感覚は対鬼哭アルカロイドでゲートを通過した感覚と同じだという認識に至るのだった。
なぜこのような事態が発生したのかわからない。ぼくはゲートを潜り抜けたわけでもないし、鬼哭アルカロイドと対峙しているわけではない。ぼくは風邪を引き三十九度の熱を出し三日間学校を欠席してずっとベッドの上で過ごしたのだ。それが今朝になって突然こうなっていた。なぜだ。
そうなるとぼくはこの問題を解決するためにはレッドさんの元へ行かなければならないと考える。よってぼくはある程度パニックが収まってから外出することに決めた。確かに陰陽連の活動で不思議現象には慣れていたが、しかしだからと言っていかなる不思議現象に冷静でいられるほどぼくは経験を積んでいない。それでもこの緊急事態において救済の方法があることを思いつけるほどにはぼくはレッドさん並びにみんなのことを信用していた。
台所から自室へ戻り、とにかく一旦服をパジャマから着替えようと思ったが、服を着替えることができない。すり抜けてしまうからだ。だから服以前にクローゼットを開くこと自体ができない。仕方がないのでぼくはパジャマのまま部屋を出る。どうしても気になったのでぼくは洗面所の鏡を見たが、そこにはちゃんと映っている。ゲートを潜り抜けた際も鏡やガラスに姿は映っているのだが、どうしても原理がわからないまま今に至る。次元を超越したのであれば鏡に映ることもないのではないかと思うのだが、レッドさん曰く「次元を超越しているからね」とのことで、であるのであればそれをそのまま受け入れるしかない。第一鏡に映って困ることがあるわけではないのだから。
玄関で、一応靴を履こうかと考えてみたが、やはり履けなかった。そしてこの時点でようやくぼくは自分が裸足であることに気づき、例の靴を履いていないことにも気づく。ということはゲートとは関係のない事態に陥っているということか。疑問は尽きないし、一人で悩んでいて結論の出る疑問ではない。とにかくレッドさんのところへ行かなければ。
と思ったが、今はまだ朝である。レッドさんは会社に出勤しているだろうから彼がアジトへやってくるまでぼくは何もすることができない。ならば学校に行って相沢さんたちに助けを求めればいいのではないかと思いぼくはとりあえずパジャマ姿のまま裸足のまま学校へ向かうことにした。
裸足ではあるが道路の石や砂などが足の裏に当たることはない。とにかく普通に歩いている。その割には微風を感じているのがなぜなのか。いつものことではあるが本当に「次元を超越しているから」という説明でその辺りの不思議事情はまとめるしかないようである。
この時間に学校に向かっているわけだから、通勤通学途中の人々を認識するわけだが、やはり彼らはぼくを認識することはない。ぼくは今ここにいない。それがよくわかる。いるのにいない。いつも鬼哭アルカロイドと戦うに当たって様々な場所に移動するが、誰もぼくらに気づくことなく日常生活を過ごしている。それと同じことだった。
河川敷に出る。ぼくは通学途中の生徒たちと一緒に中学校へと向かっていく。誰もぼくに気づかない。パジャマ姿で裸足で歩いているぼくに誰も気づかない。だがぼくはやはり格好が格好なのでどうしても気になってしまう。しかし、今気にしなければならないことはそんなことではない。とにかく相沢さんたちに会わなければ。
道を歩いていて、ふと、このままどうにもならなかったらどうしようという物騒な不安が頭をよぎったが、しかし前に進むしかない。もしかしたら相沢さんや殊袮もこういった事態に陥ったことが過去あるかもしれないし、であればそこから復活したことがあるということなのだ、そうなのだ、だからなんとかなるのだ、と、ぼくは必死だった。
しかしその一方で冷静沈着な自分もいた。なぜ冷静な部分を保っていられるのかはよくわからない。次元の超越は普段やっていることだからかもしれないし、もしかしたら自分で思っているよりおもぼくは陰陽連にかなり馴染んだのかもしれないし、あるいはぼくの特殊能力者としての意識が根底にあることが冷静な頭を維持する機能を果たしているのかもしれない。理由はよくわからないが、とにかくぼくはそこまで堪えていない。あるいは不安はあれど最終的にはなんとかなると思っているからかもしれない。レッドさんならなんとかしてくれるはずだ。そう信じるしかないから信じているだけなのかもしれないが、それをシンプルに信じることのできる要素がぼくの中にはある。
学校へ向かう。学校なんていつも面倒臭いなぁと思うばかりだが、今のぼくにとって学校は天国であり相沢さんたち女子三人組は天使だった。と、そんなことを考えたら状況に反してぼくはクスッと笑ってしまった。天使ねぇ。ずいぶん豪放磊落な天使たちであることよ。そんなどうでもいいことを考えながらぼくは河川敷を出ていく。
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