第3話 ズレている
2週間ぐらいが経ったか。オレのストーカーはあの日以降音沙汰を無くした。
なんでだろうか。あんなにも熱心に毎日毎日飽きもせずにメールを送ってきたり監視したりしていたのにもかかわらず、あっさりと終えたものだった。
愛してるとか好きだとかそんなん言ってたのに、こうもあっさりと引いてしまうんだなと思った。ますます恋愛というものが分からなくなった。
「幸司先輩、何考えているんですか?」
「ん? ああ、あれだよ。ストーカーの」
「ああ、うまくいきました?」
「うん。特に何も大きなことは起こらずにそのまま静かに終わった。まあ、これでしようやく静かになれるよ」
「それはよかったですね!」
愛華は後ろで手を組みながら笑った。前かがみになり片目でオレを上目遣いで見つめた。
「ありがとう」
「えへへ。そんなの言われたら顔の崩れが止まらないですー」
愛華はオレの前を歩きスキップしていた。
そんな時、オレは「あれ?」と見た顔をみつけた。
少し足を止めて、物陰に隠れるようにした。そんな様子のオレを不審に思い「どうしたんですか?」と尋ねた。
「あいつだよ、あの例のストーカー」
「はへ?」
例のストーカーしていた女が男と仲良さそうに腕を組んで歩いていた。まるでずっと付き合っていたかのように仲良くしていた。
「オレの事をあきらめてまだ2週間くらいなのに、切り替えと惚れるの早くないか?」
「別にいんじゃないですか?」
「ま、まあ……それはそうだけど……」
「先輩は女心が分からないんですから」
「どういうことだよ?」
「まあ、タイプは色々ありますけど、女の子は切り替えが早いんですよ。男みたいにずるずるずるずるとねちねちねちねちと引きづってやれないです。はい、恋をしました。無理でした。じゃあ次に切り替えよう! ってそういうもんなんです」
愛華が説明していたが釈然としなかった。ストーカーなんてどうでもいいんだけど、気になって仕方がなくなった。
「ほら、よく言うじゃないですか。恋に恋する乙女なり。って。つまりそういうことですよ」
「そういうもんなのか?」
「よく聞くのは恋している時が一番楽しいって。案外それが心理なのかもしれないですかね? 蛙化現象ってやつですか? 違うですかね? わからないですが、まるで、義理のようですよ。自分の恋に対しての。結局のところ、つまるところ、自分本位でしかありゃしないんですよ」
「なるほど? じゃあもしも、オレが仮にOKしたら、君のオレは蛙になるのか?」
そういうと愛華は腹を抱えて笑った。
「私はそんなにはなりえませんよ。もし仮に先輩が物理的に蛙になろうと南くんの恋人みたいになろうとも、何になろうとも、私はずっと先輩を愛していますから。この気持ちは変わりません。変わってなるものですか、です」
「……」
オレは頭を掻いた。嘆息し、両腕を組んで頭を捻らした。そして、歩き出した。その後ろを愛華が付いていった。
——
帰宅したオレはまっすぐと自分の部屋に向かった。部屋着に着替えて、そのままベッドへ倒れこんだ。仰向けになり、何もない真っ白な天井をぼんやりと眺めた。頭を働かせる気力すらわかなかった。このまま眠ってしまおうと思ったのだが、むかつくぐらい冴えてしまっていた。
頭も体も疲れ切っているはずなのに、どうしてこうもねむれないのかなと、自嘲する。
オレは愛華のことを思い浮かべていた。自室に隠してある彼女がオレにプレゼントした「愛」。オレはそのことについて考えた。
あのストーカーはあれを見て、狂っているといった。確かに。そうなのだろうか。彼女はなぜ、こうまでして、オレに身をささげようとするのだろうか。オレにはわからない。
しかしながら、きっとこれはきっとオレの責任なのだろうか。オレは彼女から奪ってばかりだ。ただでさえ、彼女は何も持っていないのに、そこからオレは追いはぎをしているにすぎないのだ。
「……」
自室にいても落ち着かないので、オレはスマホを置いて、リビングへと向かった。じっとしてると変なことばかり考えて落ち着かない。
この家には両親はいない。もちろん死んでなんかはいない。ただ、二人とも仕事でいないのだ。机に置かれているものを見て、オレは嘆息した。千円札がぽんとおかれていた。これもいつもの情景だ。これで夕飯でも買って一人で食っててという事だ。本当にいつものことだ。
オレはその紙を取り、何を食べようかなと熟考してみることにした。
この家は2階建ての平均的な家だ。家族はオレと親の三人だけ。兄弟なんていない。両親はいつも仕事で家を空けることが多い。だから、こんな空間に一人でいることが多いのだ。平均的な広さといっても、狭いと感じる人もいるかもしれないが、この家は海のように広く、深海のように深く暗い。何もない。そんなところで一人でぽつんといるのだ。
両親同士も仲がいいとはわからない。会話なんてしている所を最近見たことがない。寝室も別だし、どこかへ出かけたりするところもみたことがない。昔はそうだったかなぁと思い巡らせても思い出せない。
一つの壁が冷たく分け隔てられている。
「愛華……」
オレは無意識のうちにつぶやいた。
オレにとっては彼女がまぶしい。温かいと感じる。だが、昔は彼女自身もひどく凍えていた。オレと何も変わらない。
オレはとりあえず水だけを飲んで自室へと戻った。
独りぼっちの家。家族はいるはずなのにどこはかとなく感じる他人のような距離感。ひどく冷酷で冷淡なこの家には家庭という言葉は似合わない。ただの箱庭だ。
こんな雪国のように白く寒く凍えるこの箱庭に愛華が願う家庭という温かさはどういうものなのだろうか。もし仮に愛と幸せというものにこの温もりというものがあるというのならここには一切ないと断言できてしまうだろう。
愛華のことは一部しか知らない。そもそも半年以上の付き合いでしかない。それなのにもかかわらず、彼女はオレの事を心から慕ってくれていると、そう感じる。まあ、そうでなければ告白なんてしてこないだろう。
オレは悩んでいる。それはなにか。オレに愛華の「愛」というのを受け止めることが出来るのか、いや、していいのだろうか。
一種の罪悪感が心にひしめきあっており、どす黒いそれがオレの心を蝕み、彼女の心を拒否しようとしている。
その正体とはいったいなんなのだろうか。
わかっているのだろう。自分では。
彼女の生活はこの半年でがらりと変わった。持っていたもののほとんどを失った。失わせるきっかけを作ってしまったのは、オレがきっかけだ。いや、オレの所為といっても過言ではないか。
あいつは今、祖父母の家に住んでいる。前は父親と住んでいた。一緒の学校にも通っていたが、退学した。そして……。
オレはあいつの「愛」というものを受け止めることへの自信がない。資格がないのだ。
――私は死にたいんです。だから、放っておいてください。
会って初期の頃、彼女はオレにそういった。凍てついた眼をしていた。生気が通っておらず、抜け殻のようだった。身も心もボロボロで、この世界に対して憎悪を抱きしめ、それを抱いて身を飛び込ませようとしていた。
そして、オレは彼女の物を奪い取ってしまった。いや、捨てさせてしまった。
それなのにもかかわらず、彼女はどうだ? オレを一切合切恨む様子などない。むしろ、これはオレの知りたい、この上ない愛情、幸福というものに満ち満ちているのだ。
もぬけの殻であった彼女は生気を取り戻し、一人の人間として地に足をついて立っている。
オレにとってそれが不思議でならない。いや、まあ……境遇を考えればわからなくはないか。
彼女がオレに対して送ろうとしている「愛」と「幸せ」とは一体何だろうか。
オレが彼女に抱いている感情は、しいて言うのならば「罪悪感」というものだ。もしその類義語がそれらだとするのならば、言いえて妙だな。
オレは中途半端に彼女と接してしまった。だからこその「責任」がある。その「責任」というのがオレをこうも悩ませるものなのだろうか。
——もう、こんな世界終わってしまえばいい。死んですべてなくなってしまえばいい。
愛華の言葉はまるで刃物の様だった。それを首筋にあてられるような感覚があった。ただ、その刃先はオレに向かっていたが、気が付くと愛華が自分自身に向けていた。
あの時の愛華は本当に……。
どうして、オレは愛華にあそこまでしたのだろうか。結局オレには力不足で、そこまで慕ってもらう価値などの行動はしていない。
——先輩! 愛してます!
……愛華。
愛って何だろうか。
普通は告白されたら、OKするかNOというか。どちらかだ。
もしOKをだしたら付き合う。これは至極当然で真っ当で自然の成り行きで当たり前だ。
しかしながら、付き合うってなんだろうか。恋愛って何だろうか。
愛華は自分の「目」をかけてまでオレに求愛してきた。
責任……義務……。恋愛……結婚……。「かたち」……ますます頭の中が混乱してきた。霧が濃くなっていき、目指すべきゴール地点がますます見えなくなってきた。
オレはどこへ向かえばいいのだろうか。教えてほしい。
ただ、これだけははっきり言っていいだろう。
オレにとって愛華はほかの人とは違う特別な存在、人、女性であるということ。これは間違いがないのだ。
なぜなら、オレが昔から抱えていたトラウマ……コンプレックスといってもいいのだろうか。どちらともとらえることができるものは愛華に対峙した際にオレを襲わない。
そう。オレはとあるコンプレックスをもっていた。それは、女性に対して抱くモノだ。このモノというのはどう形容したらいいのかがわからない。でも、これが楔となってオレを苦しめているのは間違いない。
オレには愛というものがわからない。いや、アレが原因か。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
それはあの日から……。
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