7 破壊装置

 熱が出たので、仕事を休んで診療所に立ち寄った。

 まどの外の雲がぐんぐんと湧いてきて、干してきた洗濯物が気になってきた。

 俺は診療所のテレビから流れてくる音声と、そこで流れている会話の音がクロスされてわけがわからなくなっていた。サイキン、イツモ、カラダ・・・「細菌はいつも体の中にはいっている」って話か。熱っぽい頭からすれば、何がいつも入っていようといまいと、自分に近いどの誰も仲良くしてくれている感じがしない。血や筋肉と同じで、脳も意識も同じだった。金にならないから使えないとか、そういうことでもない。

 ハナがマスクの奥からせり出してくる。

 これもだめだ。

 医者のいうことを聞いて、金の支払いを済ませた。

 外に出ると光線の強さが尋常ではない感じがした。まだ太陽は本番の強さではないのに、威力を増している。太陽など、自分より明らかに遠いのに不自然に自分を嫌っているように思われた。

 しかし、それよりもわからないのが体だった。

 最近はいつも体が近くにない感じがした。

 コロナ禍が去ってから、家族や友達からの連絡が減った。あれはおそらく最後のチャンスだったに違いない。ばあさんはまだ元気だったが、おそらく家族はもう俺に頼むことはなくなったということなのだろう。断絶ではないが、連絡するほどではないつながり。連絡を取らなくてもいい親戚。できればいなくなっていてほしい友達。有益でなければ傍にいてほしくない生命。動物番組で見た、群れから追い出されて野垂れ死ぬ個体。

 そんなこと、考える必要もない。

 必要のないことを考えるということは、体がおかしくなっていることだ。たとえば頭に熱があるとか、神経のつながりが切れているとか。ところがおかしな話を読んだことがある。寝ると、神経のつながりはかえって切断されるらしいのだ。本当になにかをうまく認識するためには、余計なつながりが切れた方がいいってことなのかもしれない。

 家に向かって坂道を歩いていく。まだつかない。ごご……と、音がする。少しだけ雲の奥が黒っぽく見えて、空が明るく光った。

 目の奥がちかちかする。雨が降る予感がする。予感じゃなくて予報だ。スマホでチェックすれば、雨雲レーダーでいつ降り出すかも分かるだろうが、体の方がすでに知っている感じがした。すでに雨に降られていて、もう終わったな、という気分を感じている。家にまでたどり着けない、そんな気がする。

 少し先に、青い傘を振り上げている子供がいた。大きく腕を振り回して、顔もよく見えない。大声でなにか言っているがよく聞こえない。俺に言っているわけではないことはたしかだろうが、怖くなった。心臓が激しく鳴った。

 終わった。

 とにかく終わっている。

 もともと壊れていくようになっているのだ。

 いや、これは風邪をひいているからだ。

 脳と目が、青い傘の子供が走り去っていくのを見ている。道路を渡っていく顔に、青色の傘の光線が透けている。皮膚に青色が張り付いていた。その前を自転車が飛び出していく。ブレーキを強く握ってはじけ飛ぶ。

 俺は子供が引かれずに済んでよかったと思った。

 信号が変わる。右、左、右。自転車。壊れている。横断歩道をわたる。

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バカ32 @moyo

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