28話 歪な簒奪者は怪しく手招く

 急ぎ足でグラウンドの傍まで戻ると、見違えるほどに観戦する生徒の数が増えていた。


 生徒会が運営する放送席の周りはもちろん、階段や芝生の上まで入り乱れるように集まっている。その混雑を整理するためか、巡回していたと思われる生徒会のメンバーたちが誘導を始めていた。


 前半終了後の空気からして神崎を目当てに増えたとしても、その分見限って離れた生徒もいるだろうから総じて変わらないものだと踏んでいたのだが……状況が呑み込めないまま辺りを見渡していると、不意にポケットに入れていた携帯から着信音が鳴る。


 着信を入れたままにしている連絡先はそう多くない。不審に思いつつも画面に目を向けると、送られてきていたのは1通のメールだった。


 ――――【稼げても3分です。】


 差出人は北沢きたざわ由莉ゆり。本文には何も書かれておらず、件名には簡素な一文が書いているだけだった。


 ……周囲に人の気配はなかった、さっきの会話を聞かれていたとは思えない。

どうやら賭けに出るつもりなのは俺だけじゃないらしい。彼女が手を加えているのなら、この集客具合にも納得がいく。


 人混みに巻き込まれないよう移動しつつ休憩所の近くまでたどり着くと、いずみたちの姿が見えた。


 各々、軽く体を伸ばしたり瞑想していたりと思い思いに過ごしている。きっと集中を切らさないための習慣として体に染みついているのだろう。


 戻ってきたことに気がついたいずみは頭上に “お・そ・い” の三文字を浮かべながら、腰に手を当てていた。その反応で水無みなせも察したようで、そそくさとこちらへ駆け寄ってくる。


「やっと戻ってきた。こんなときにどーこほっつき歩いてたんだ?」

「おっかえ~りさん! 顔色悪そうだったから大丈夫かなーって、冷や冷やしてたよ」

「待たせてわるかった。思いのほか、頭冷やすのに時間かかったんだよ」


「そうなのか? ……その割には、随分吹っ切れた顔してるように見えるけど??」


 泉は怪訝そうにこちらの様子を窺いこそしたものの、その必要はないとわかったようで困ったように苦笑する。


「こっちの心配はしなくていい。そんなことよりも――――後半の動きについて、二人に提案したいことがある」

「ん? そりゃもちろん、何かいい案があるなら大歓迎だけど……」


 そこまで言いかけて、水無は泉に含みのある視線を送る。


 十中八九、判断を委ねるというだけのものでしかないだろう。このチームの方針を決めるのはリーダーである泉なのだから当然の確認だ。

 ……もっとも、今から話す内容はそのチームの輪を壊しかねないわけだが。

 

「俺も春樹はるきと同じだ。それにわざわざもったいぶるってことは、何か面白いことするつもりなんだろ?」


 いつにも増して挑戦的な眼差しで、泉はにかっと笑ってみせる。思いついたことがあるなら話してみろ、とでも言いたげな顔だ。


 ほんとうに、こういうときのノリの良さは素直に尊敬したくなる。 

 ……単に熱くなりやすいというだけなのかもしれないが。


「……うちのクラスは察しがいいやつが多くて助かるよ」


 そうして俺は泉と水無に要点だけを端的に伝えた。


 ――――提案した内容は三つ。

 

 一つ目は、攻守を問わず水無は井上のフォローではなく高原たかはらのマンマークを優先すること。


 二つ目は、神崎こうざきが単独で攻め込んだものについて泉と水無は取り合わないこと。


 そして三つ目は、高原をマークすることで水無がフォローしきれなくなる部分については全てこちらで引き受けること。


「――――このまえ行ったカラオケのときもそうだったけどさ。涼也りょうやはいきなりぶっこんでくるよねぇ」


 水無の反応は前向きでこそあったが、その声音にはどうしたものかという困惑がありありと乗せられていた。


 それもそうだろう。このチームの攻撃の主軸は泉と水無のツーマンセルによる速攻だ。その前提を根底から崩そうと言われれば、戸惑うどころか激怒されてもおかしくはない。

 顔色を変えず取り合おうとするだけ、水無は最大限の譲歩をしてくれている。


 だが説得するだけの時間はないし、納得させるだけの根拠も今は示せない。

 できるのは賭けに乗るだけのメリットを提示し、勝負に出るかどうか一考の余地があると思わせることだけだ。


 これまでのプレーとサッカー部にとってこの試合の結果がどう影響するのかを考えれば、彼らにとって勝ち負けは大きな問題じゃないとわかる。

 純粋な優劣の競い合い、つまりはプレイヤーとしての価値をより強く示すことができるかどうかが重要なのだ。


「無茶苦茶なことを言っている自覚はある。だが少なくとも、これで恭介きょうすけ高原たかはらよりも優秀なプレイヤーだと証明することはできる。そこから先は出たとこ勝負だ」


 泉はこの試合、間違いなく勝つための算段をもって挑んでいる。

 神崎がどの程度動けるのか事前の情報がなかったとはいえ、それでも点差を付けられるほどの実力差はないと判断していたはずだ。


 それなら俺があの練習風景を見て把握した、それぞれのポテンシャルは見立て通りと考えていい。仮に多少の誤差があったところで、そんなものは些事でしかない。


「……言いたいことは山ほどあるし、正直納得もできない。でも、涼也がこういうときにふざけるような奴じゃないってこともわかってるつもりだ。だから教えてくれ。どうして涼也は、そこまでして勝ちに行こうとするんだ?」


 黙したまま頭を悩ませていた泉が、意を決したように問いかける。


 思っていることをそのまま口に出すなんて、相変わらず生真面目で素直な奴だと感心する。それはきっと、いかに今の自分が嘘と詭弁にまみれているのかを思い知らされているからだろう。


「どうして、と言われてもな。男が意地を張る理由なんて……恭介のほうがよく知ってるだろ?」


 願いに準じた行動は、いつだって自分以外に応えてはくれないものだ。

 

 テストで一番になりたい。部活動のライバルに勝ちたい。好きになった女子を振り向かせたい……誰のためと口にしたところで、どこまでいっても自己満足で終わる。思い通りにいかず、不本意な結末を迎えることだって往々にしてあるだろう。


 ――――それでも、彼女は信じると言い切った。


 この衝動にかしこまった理屈も建前も要らない。ただ、美しくも儚いその純粋な願いに恥じることのない姿を見せつけたいだけだ。


 夜空を走る流れ星を目に焼き付けるように。たとえそれがどれほど刹那的で、いずれは記憶から抜け落ちてしまうような取るに足らないものだとしても、その瞬間に立ち会えた自分を誇らしいと思わせてやりたい。


 かつての自分がそうであったように。その輝きはきっと、これから前に進もうとする彼女の道を示す指針となってくれる。


 なぜなら――――願いを叶えるために全力で挑む姿は、最高にカッコいいのだから。


 けれど、そんな感情論をそのまま口にしたところで何も伝えられない。

 馬鹿正直なヒーローは正面からぶつかることしか知らないように、姑息なヴィランは相手をたばかることしかできないのだ。


 だから噓つきは噓つきらしく。含みのありそうな笑みでも浮かべながら、彼をその気にさせるためだけの言葉を口にする。


「――――気になる女の子の前で、カッコつけたくなったからだ」


 そんな傲慢極まりない身勝手な言い分を、堂々と宣言した。


「…………」

「…………」


 二人とも面食らった顔をして、ぽかーんと口を開けてしまっている。


 開いた口が塞がらないというのは、まさにこういう状況のことをいうのだろう。

 そこかしこから喧騒が聞こえているにもかかわらず、まるで沈黙に包まれたような錯覚に襲われる。


「……そっか。 ――――なら、全力で勝ちに行くっきゃないよな!!」


 だがそれも束の間のことで。泉は温かさを感じるような微笑みをこぼしたかと思えば、息を大きく吸い込んで――――いつも通りの勝ち気溢れる面構えをしてみせた。


 ……やはり、無理をして強気にいくよりも、少しくらい調子づいているほうが泉恭介の強みが引き出せているように思える。これなら、相手の挑発に乗るだなんて心配はいらなそうだ。


「……えぇ!? 恭介、マジでこの話に乗るつもりなの? 本気で言ってる!?」


 快く賛同する泉に反して、水無は動揺を露わにして驚愕の声を上げる。


「本気も本気、大マジだ。前半の二の舞を避けても、今の流れを覆すのは正直厳しい。どうせ勝負するなら、勝てる可能性に賭けるべきだし……なにより、そっちのほうが面白そうだろ? 窮地からの逆転劇は、王道の展開だしな!!」

「いやそりゃそうだけども!! …………いくら前向きといったって、流石に限度あるよ。ただでさえギャラリー増えてアウェイなのに、リスク高すぎるって」


 盛り上がる泉を諭すように、水無は周囲に視線を投げかける。


「わかってるって、この空気のままガチでやっても白けちまうだけだ。だから後半は――――。全員ぶち抜いて、この勢いは誰にも留められないってみんなにわからせてやればいい。ようやくエンジンかかったんだから、それくらいできるだろ?」


 そう言いながら一歩前に出た泉はこちらに向けて拳を突き出す。


 徹頭徹尾、最後まで走り続ける。最前線を駆け抜けることしか眼中にないいずみ恭介きょうすけらしいやり方だ。

 だが最初が肝心なのは言うに及ばず、泉を使った戦略ならそれが一番効果的でもある。


「そっちこそ、途中でバテたりなんてしたら承知しないからな」


 出された拳を突き返したと同時に、後半開始のアナウンスがなった。

 それを聞き終えてから、自信満々に踏み込んでいく泉、やれやれと頭を抱える水無と共にフィールドへ戻っていく。


 全員が舞台に出揃うと耳鳴りがしそうなほどの声援が波のように引いていく。

 呼吸を整えながら空を仰ぐと、眩暈めまいがしそうなくらいに澄み渡っていた。


 数秒後、身を震わせるほどの熱狂がこのフィールドを包み込むだろう。

 その中心にいながらもどこか他人事のように感じるのは、周囲から飛び交う声援の先にいるのが自分ではないと理解しているからだ。


 立役者を引き立てるための脇役にすらなれないエキストラ、見どころのワンシーンまで垂れ流されるだけのコマーシャル。捨てることも外すこともできないから、しかたなく取り残された不用品。


 現役のサッカー部に負けない活躍をしてみせた期待の新星、神崎こうざきかけるを見るために集まった彼らにとっては、それ以外の情報など全てが雑音に等しい。

 目に映ることすらも嫌悪し、その存在を否定することに一切の躊躇ちゅうちょを持たないだろう。


 ……だというのに、胸の高鳴りは収まるどころか増していく一方で、その熱は体を焼き焦がそうとする勢いで膨れ上がっていた。

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彼と彼女の青春はどこかずれている。 枯元 一 @Mk-007

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