22話 思惑を賭し、賽は投げられる②
「……随分と唐突な質問ですね。どうしてそのようなことを知りたいのですか?」
要領が掴めないとでも言わんばかりに、北沢は困ったようにはにかんでみせる。
整然としていながらもあどけなさを感じさせるその仕草を前にすると、その気がなくてもこちらに非があるのではないかと疑ってしまいそうだ。
しかし……いや、だからこそというべきか。北沢由莉はその行動や言動に何かしらの意図を含ませていることが多い。それ故に、不可解という回答そのものがブラフにしか映らないのだ。
そんなことは当の本人が誰よりも知っているだろうに、あからさまにしらを切ったのなら、それは彼女のほうから先に情報を提供するつもりはないという意思表示に他ならない。
「他の奴ならともかく、おまえならこれだけでも十分伝わるだろ」
「そうかもしれません。ですが、何事も順序というものを大切にするべきです。犯人を追い詰めるのなら推理ショーを披露するのが、探偵の役目でしょう?」
やはり素直に答える気はないようで、北沢は端正な微笑みを崩さなかった。
時間がないという割には随分と余裕があるようで、この状況すら彼女にとっても予想の
それならそれで構わない、こちらの打つ手は最初から決まっているのだ。どんな反応を示されたところでやることは変わらない。
「……最初に違和感を覚えたのは中間試験の5日前。北沢さんが俺に依頼した、備品の点検が終わったときだ。あのとき俺が手渡した点検表。おまえは受け取りこそしたが、その場で確認はしていなかった。雑務ならともかく、あれは生徒会として取り組んでいた仕事だ。それを他人に任せている以上、その場で確認をしないのは不自然だろ。後から不可解な点が見つかったとき、二度手間にしかならないからな」
人手が欲しいから手伝って欲しいという理由で、北沢は協力を求めた。彼女の見解はともかく、生徒会という立場で見れば俺はただの部外者でしかない。そんな相手に依頼するのなら、仕事への取り組みに問題がないかを確かめるべきだ。
もし何か不手際を起こしていた場合、その責任は依頼した張本人である彼女自身にも問われることになるのだから。そのようなケアレスミスを北沢由莉が許すはずがない。
「なかなかに鋭い意見ですね。そこはひとえに、朝霧さんを信頼してのものだとは思っていただけませんか?」
「本当にそうなら光栄だが、そこの真意はどちらでも構わないんだ。後からどうにでも手を付けられるし、確かめようもないことだからな。それよりも気がかりなのは、北沢さんが俺に仕事を依頼した目的だ」
「そのことなら、生徒会に向かうまでの間に説明したはずですよ? 朝霧さんは随分と疑り深いのですね」
「どうだか。タダ働きさせるならまだしも、お礼するだなんてあからさまな対応までされて、何か裏があると考えないほうが無理あるだろ」
手数が欲しいとは言われたものの、そんなものはただの取っ掛かりだ。それに生徒会の仕事であるのなら、その組織の一員を活用をするほうが手っ取り早い。わざわざ事情を説明する必要がなく、協力するにあたって見返りを用意する必要もないだろう。
にもかかわらず、生徒会に関係のない俺に依頼をしてきた。あまつさえ、一個人として協力してくたことへのお礼をすることも厭わないという始末。裏を返せば、そこまでのことをしても彼女にとっては得るものがあったのだ。
生徒会の仕事ひとつでそこまでのことをするとはとても思えない。となれば、それ以外の要因があると考えたほうが妥当だろう。そうなると、あのとき起きたことで疑いの対象になるのは明白だった。
「仮に他の目的があったとするなら、心当たりは一つしかない。……あの日、第一体育館で何が起きていたのか。おまえは最初から知っていたんじゃないか?」
あのときはその場の状況から告白でもされたのだと解釈したが、その実態は菊池雅彦による夜宮霞をターゲットにした悪質な嫌がらせだった。
わざわざ放課後に呼び出すにしてはムードの作りようもない殺風景な場所。人目もつかず、校内の敷地内で手間もかからない、
加えてあの暑さの中ではまともに頭も働かないだろう。感情的な言い争いを引き起こすにはうってつけだったはずだ。
不幸中の幸いといえば、夜宮が言い返そうとする素振りすら見せなかったことだ。そのおかげで、恐らく菊池は相手にもされなかったというマイナスなイメージを持たれるのを避けるために、この話をそこまで公に広げられなかった。
せいぜい部内での内輪ノリに使う程度、そこから先は好き勝手に誇張された噂になれば御の字というところだろう。
しかし、お手軽とはいえ校内で行ったことはいささか軽率な行動だったと言わざるを得ない。そんな悪目立ちを彼女が見逃すはずがないと、少し考えれば予測することもできただろうに。
「――――っ」
ほんの一瞬、好奇心一色だった北沢の表情に驚きという不純物が混じる。
けれど、彼女はそれを取り繕うような素振りは見せなかった。 ――――それどころか、まるでこちらの思惑を見透かすように冷徹な眼差しを向けてくる。
「その質問をするということは、やはり見ていたのですね。戻ってきた朝霧さんの反応が乏しかったので、行き違いになったのではないかと不安でしたが……どうやら杞憂だったようです」
淡々としていながらも、北沢の声音からはどこか喜ばしさすら感じ取れた。
悪びれる様子もないあたり、あの居心地の悪さしかない状況に鉢合わせることは目論見通りだったということになる。
「知っていたらすぐにでも引き返していたと思うけどな。なんであんな場面に俺を向かわせたのかは知らないが、意図的にそうしたのなら、おまえが注視していたのは夜宮霞だとわかる」
「確かに夜宮さんは、この学校の生徒の中では特に異彩を放っている生徒ですからね。ですが、あの場にはもう一人生徒がいたはずですよ? 彼が口にしたであろう暴言の証拠を押さえると考えたほうが、筋は通っているのではないですか?」
北沢の反論には迷いがなく、まるであの場で起きた一部始終を全て知っているかのような口振りだった。さっきからこっちは憶測でしか話していないというのに、流石に話がかみ合い過ぎている。
北沢はこちらの質問に答えることを渋っているわけではないのだ。
単に朝霧涼也という生徒がどの程度まで扱えるのか推し量ろうとしているだけ。少なくとも現時点で、俺と彼女にとっては今回の球技大会で派手に動くことそのものが得策ではない。
故にこそ、彼女の視点は今ではなくその先へ向けられる。わかりやすく反論できるポイントを作って話を進めやすくしているのも、こちらが主張できる状況を作ることでその思惑を引き出そうとしているのだろう。
だからといって、こちらが無駄に足踏みをするつもりはさらさらないけれど。
「まさか。あの程度の輩にお前が手を焼くとでも言うつもりか? らしくない冗談だな」
「そうでしょうか? 彼一人だけならともかく、高原さんを中心としたグループとしての影響力は、侮れないものがあると思いますよ」
「だとしても、おまえと比較すれば遠く及ばない。あいつが第一体育館でやったことが筒抜けになっている時点で、そこに疑う余地はないだろ」
北沢の言う通り、
とはいえ、今回の基準となるのは目の前にいる彼女である。
一年生でありながら既に次期生徒会長候補に挙げられている、文武両道の完璧主義者。そんな奴を相手にして内輪で盛り上がるだけの連中に勝機があるなどと、考えることすらおこがましい。
「……そこまで看破されているのなら、これ以上取り繕うことに意味はありませんね」
北沢は観念したように軽く首を横に振ると、冷然とした雰囲気が薄れていくのを感じた。互いに小手先の探り合いをするのはここまでといったところだろう。
「もうその必要もないでしょうけれど、一応聞いておきましょうか。私が夜宮さんを危惧していたとして、そこからどうやって神崎さんまでたどり着いたのですか?」
「ただの消去法だ。夜宮霞と関わりを持とうとする生徒という時点で、最初から候補は少なかった。それに、以前にも気にかけている奴がいると泉から聞いていたからな。その他諸々を含めて、条件に合うのがそいつしかいなかったってだけの話でしかない」
この球技大会を利用して夜宮霞に干渉するというのなら、できることは二つ。
一つはこのイベントで相応の結果を残し、彼女の気を引くこと。そしてもう一つは衆目で彼女に恥をかかせ、尊厳を徹底的に貶めることだ。
貶めるというだけなら簡単な話だ。見た目以外に何も取り柄もないという印象を学校全体に植え付けるため、試合の中で思いつく限りに無様な姿を演出し、晒し者にでもしてしまえばいい。
だが今回、彼女はただの部外者に過ぎない。もちろんここで一人教室に残っていたり、無断で早退したりしていればマイナスなイメージにつながるが、その最悪のケースだけは避けている。
どの種目であれ、観戦していれば嫌でも周囲の目に止まる。その状況で夜宮霞に絡んでくるような間抜けはいないだろう。使い勝手こそ悪いが、こういうときは外見の要素を強く出せるものだ。
これで面倒な有象無象はひとまず無視できる。そうなると疑う対象として残るのは、球技大会以前から夜宮霞のことを気にかけていた生徒だ。
菊池に関連して、高原やその取り巻きも候補に入りはするが……わざわざこの場を利用してまで夜宮霞に関わるような動機がない。それで自分たちが彼女に固執しているように見えてしまっては、本末転倒もいいところである。
だからこそ、各クラスの選手を見た時には強い違和感を覚えた。そんな奴らと関わりを持ってまで、神崎翔はこの球技大会に臨もうとしている。
経験者を中心に楽しくやるというクラスの意向を無視してそうすることを選んだのなら、何かしら思惑があると考えるのが自然だ。
「神崎さんもまた、男女問わず人気がありますからね。そんな彼に気にかけられていては、他の生徒に嫉妬されてしまうのも無理はありません。当事者からすれば、はた迷惑な話でしょうね」
北沢は辟易とした態度で腕を組み、ため息をこぼす。誰もいない窓際を横目に見つめるその眼差しには憐れみが込められていて、心底度し難いと侮蔑しているようにすら見える。
しかしそれも瞬きの内に薄れて、一呼吸を挟み腕をほどいた彼女はいつもどおり静謐な雰囲気を漂わせていた。
「さて……まずは質問の答えですが。残念ながら、神崎さんの考えは正確にはわかりません。ただ、彼が利用しようとしているのは高原さんで間違いないでしょう。何しろ、今回の球技大会の結果はサッカー部に所属する彼らにとって、ないがしろにできるものはありませんから」
「……今回の結果次第で、レギュラー選抜にも影響が出るってところか。熱血漢な教師がやりそうな手口だな」
テスト明け早々に限界まで走らされたと、泉が愚痴をこぼしていたことを思い出す。練習風景を確認しに行ったときには顧問の竹内先生の姿も見たが、汗と涙こそが青春の証とでも言いたげな顔をしていたような気がする。
「概ねその通りです。神崎さんは高原さんが最大限活躍できるよう協力することを条件に、チームの一員として加わっています。他のメンバーもそれにあやかって、自分をアピールするでしょう」
「あのプライドの高そうな連中が、そんな話をよく受け入れたな」
あの連中の態度から見て、返って憤慨されてもおかしくないだろうに。そうなっていないということは、それ以上に優先していることがあるということだろう。プライド以上に優先するものがあるとすれば、間違いなく悪意によるものだ。
……泉が選んだ他のメンバーも、そこそこに腕が立つ生徒だった。あいつもまた楽しむだけではなく、勝つための算段をつけている。
カラオケでの泉の反応から見ても、高原や菊池との相性が良くないのは察せられる。そういう意味では、この大会はどちらが上なのかはっきりさせるにはいい機会なのかもしれない。
「そこは神崎さんのやり方が上手かったと認めざるを得ませんね。もっとも、クラスの中で話を持ちかけられた時点で、高原さんに拒否権はなかったと思いますが。いずれにせよ、このままいけば神崎さんの思うままに終わることになるでしょう。私としては、その展開はあまり好ましくありません」
「だからあんなまわりくどい忠告をしたのか。だったらなおさら、泉たちに言うべきだったろ」
己の道化ぶりを嘲笑うように、投げやりな口調で吐き捨てる。
何の警戒もしていなかったからとはいえ、実際のところ俺がここまで動いているのも全て北沢の目論見通りだ。何を言ったところで説得力なんて欠片もない。
そんな幼稚な言い訳すらも見抜いているかのように、彼女は勝ち誇ったような顔をしてみせた。
「既に動いている彼らにそんなことをしても、意味はありません。それに言ったはずですよ? ――――何を言われようと、私の人選が覆ることはありませんから」
「そうかよ。 ……じゃあ後はせいぜい、裏目に出ないことを祈るんだな」
ここまでの駆け引きに関しては、完全に俺の敗北だ。使える武器も、利用できる手札も揃っていない状態で彼女を相手にした時点で詰んでいる。
ボードゲームに例えるなら、朝霧涼也は盤上にある一つの駒に過ぎず、北沢由莉は全ての駒を扱えるプレイヤーだ。初めから勝負の土台にすら立てやしない。
……だが、絶対的優位であるプレイヤーにもできないことはある。そして、逆もまた然り。ゲームを動かすのはプレイヤーだが、ゲームを終わらせるのはいつだって、取るに足らない一つの駒なのだから。
その権利を行使するかどうかはさておき、仮にそれをするなら後ろ盾は必要だ。ようやく落ち着いた学校生活を送れているというのに、こんなところで台無しにされるだなんて冗談じゃない。
「一つ確認しておきたいんだが。前に保留したお礼とやら、まだ使用期限は切れていないのか?」
「はい。私から言い出したことですから、できることであれば協力は惜しみませんよ。事前に内容を伝えていなくても構いません、その場合は勝手に解釈しますから」
「それは頼もしい限りだな。できればそのまま、期限切れになることを願ってるよ」
聞きたいことは全て聞いた以上、もうここにいる意味はない。
早々に泉たちと合流しようと、踵を返し生徒会室の出入り口へ足を向ける
「私からも一つ、聞いていいですか?」
そのまま退出しようというところで、北沢は背中越しに呼び止めてくる。
半身だけ振り返り続きの言葉を待つと、彼女にしては珍しく腑に落ちない様子でこちらを見据えていた。
「朝霧さんの座右の銘、確か借り物だと仰っていましたよね? ……それ、いったい誰からお借りしたものなんですか?」
北沢の声色は何も変わっていない。けれどその問いかけには、先の質問の数々と比べて僅かな重みがあった。
「…………」
即座に答えてもよかったのだが、そこでようやく今のスタンスからずれてしまってることに気がついて、思わず言い淀んでしまった。
誰から借りたのか、なんて正面から聞かれたせいだろうか。忘れていたわけでもないのに、ふと、思い出したかのように一つの面影が脳裏をよぎる。
冷たくもない雪が降る灰色の空。
授業を抜け出し屋上まで追いかけてきた彼女が、開口一番に口にした自己紹介があまりにも馬鹿馬鹿しくて、間抜け面を晒したのが最初の対面だったか。だったら、その言葉をそのまま使うのが、性に合っているのだろう。
だから、あの日の彼女を再現するように。怪しさ満点の笑みを浮かべながら、こう言ってのけるのだった。
「――――どこにでもいる、通りすがりのストーカーだよ」
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