黄昏の世界でも明星は輝く
鈴成
黄昏の世界でも明星は輝く
……大切な人の亡骸だとしても決して寄り添ってはいけません。一刻も早く隔離し、聖印術士を呼びなさい。死を悼むのはそれからです。……たとえ亡骸が動くようなことがあったとしても故人が生き返ったなどと思い違えることのないように。あれは人を殺すだけの化け物なのですからね……
――救世主フォロペの教戒(一部抜粋)
■■■
涸れ井戸を利用して作られた地下室に縄梯子を伝って下りる。男は地面に下りきる前に身を捩って穴の近くに落とされた死体を覗き込んだ。鉄の鎖が何重にも巻かれている。男は注意深く左手を掲げた。
すると小指に嵌められた印章指輪が光り、金色の円が空中に出現した。円には文字や図形、記号などが複雑に描かれている。聖印と呼ばれるそれが一瞬のうちに消えて間もなく死体の四方を半透明の壁が囲んだ。
男が井戸の底に到着する。同時に縄梯子は回収されていった。天井の穴から射し込む日光だけが頼りの薄暗い室内には死体以外に目立ったものはない。男はまた聖印を発動させた。先ほどとは描かれた文字も図形も異なり単純だ。室内の蝋燭に火が付き、周囲をぼんやりと照らす。死体は動かないままだ。
「
異常がないことを改めて確認してから男は地上で待機している村人の一人に声を張って話しかけた。
「次の鐘が鳴っても僕が出て来ないようであればヴェネレ……僕と一緒にいた金髪の女性を呼んできてください。あなたたちは絶対に近寄らないように」
「わ、分かりました。リュミアム様もお気をつけて……!」
リュミアムと呼ばれた男は緊張しきっている村人たちに愛想よく返事をしつつ、聖印を使った。菫色の目を眇める。円の中に入り組んだ紋様が滑らかに描かれていく。
先ほどよりも少し時間をかけて完成した聖印はまず死体を覆ってもなお余裕のある大きさまで拡大した。次に死体を囲んでいた半透明の箱が消え、代わりに聖印が死体を包むように覆いかぶさる。まばゆい光が聖印から発せられて湿った穴蔵を満たしていった。
「平穏で何よりだ」
地下室がもとの暗がりを取り戻すとリュミアムは死体の傍らに屈んで額を調べた。金色の聖印が浮かび上がっている。術の効果が現れている証だ。リュミアムは聖印で蝋燭の火を消してから再度地上へ声をかけた。
「遺体は保護しました。
報告を聞いた村人の行動は早く、すぐにリュミアムの元へ縄梯子が下ろされる。素早く縄梯子を登り地上に出ると安堵した様子の村人たちに出迎えられた。
惜しげもなく感謝の言葉を述べてくる村人にリュミアムは笑顔で応対しつつささやかな謝礼を受け取る。この辺りの人々はまだ聖印術士に敬意を持って接してくれるのが有り難かった。「時代遅れ」だとか「詐欺師」だとか罵倒やら石やらが飛んでくることはない。余計な労力を費やさずに済む。
リュミアムは周囲を見回した。涸れ井戸は村の外れも外れにあるため、肉眼で見えるのはほとんどが森である。村の中心に位置する小さな広場の様子を窺えるはずもない。
「では僕はこれで。また何かあればアルトゥ
にこやかに踵を返そうとしたリュミアムを村人の一人が引き留める。彼は一番最後にこの場へやって来た人物でもあった。
「お待ちくださいリュミアム様」
「どうかしましたか?」
「お連れの……ええと、ヴェネレ様でしたか? あの方は広場にはおられません」
あの女はたかだか一人の遺体を保護する時間すらじっと待っていられないのか。リュミアムの作り笑顔に亀裂が生じる。初めてではないからこそ余計に腹が立っていた。あれでリュミアムよりずっと年上だというのだから驚きだ。やはり普段の仕事にも同行させるべきなのかもしれない。
などと考えることは山ほどあったが、村人に不審がられる前にリュミアムはひとまず表情を取り繕った。
「彼女がどこへ行ったかご存知ですか?」
「あちらの森です」
村人が指差したのは今いる場所とは逆――村の入口の方向だった。リュミアムは助かりましたとお礼を述べてから早足で村人の示した森へと向かう。
そして、その途中で聖印を使いヴェネレへと呼びかけた。だが返答はない。リュミアムは眉間に皺を寄せながら呼びかけを継続しつつ、ヴェネレの追跡も行った。空中に浮かんだ聖印から金の糸が何処へと伸びていく。この先にヴェネレがいるだろう。
村のど真ん中を突っ切って渡るリュミアムとすれ違った村人たちはぽかんと口を開けて見送っていた。
「ヴェネレ、いい加減に答えろ」
『……リュミアム? お仕事は終わったの? 早いね』
村の入口を通過したところでようやく返事が聞こえた。
駆け足になったリュミアムは左の手のひらを下へ向ける。すると地面に聖印が描かれ立派な一対の枝角を生やした四つ足の獣が姿を現した。大の男を二人乗せても余裕がある骨太の体に純白の毛皮を纏っている。
リュミアムは手綱を掴み敏捷な身のこなしで騎乗すると踵で腹を蹴った。
「あっという間に終わったさ。それで、君は? また廃魂を見つけたんだろ?」
『うん。数はそんなに多くなかったけれどね。リュミアムがお仕事している間に片付けられれば時間の節約になると思って』
のんびりとした言い草にリュミアムは盛大に舌打ちをした。その音は確実にヴェネレにも届いているはずだが特に言及はされない。忌々しいことに慣れてしまっているから不快にならないし疑問も抱かないのだろう。
「君の心遣いは嬉しいけどね。僕を待って行動してくれた方がよほど時間の節約になるよ」
『そうかしら……あ、いけない。遠くに散ってしまう』
「おい、今君のもとに向かっているんだ。僕が着くまで待――」
『ごめんね、待てないわ』
そう言って一方的に繋がりを切られてしまう。しかしリュミアムは再度の呼びかけはしなかった。真面目な、あるいは鬼気迫る表情でヴェネレへと続く金の糸を見つめる。
「クソ女……苦しむのはお前だろうが」
■■■
速度を落とし、ネーヴェから降りる。それから金の糸も消した。目的の人物はすでに視認できる距離にいた。
「リュミアム。こっちも終わったよ」
こちらに向かって呑気に手を振るヴェネレに山ほど小言を投げつけたくなる。だがリュミアムには鬱憤を晴らす前にやるべきことがあった。顔色は悪くない。廃魂の数が少なかったというのは本当かもしれない。だが、信じきることはできなかった。廃魂はヴェネレにしか見えないからだ。
廃魂は物言わぬ遺体を廃骸という化け物に変えてしまう元凶であり、聖印術士がずっと戦い続けている敵であり、不可視の存在でもあった。大昔に人々へ聖印術を授けた救世主フォロペには廃魂が見えていたらしいが、真偽は確かめようがない。
とにかく、廃魂は見えないものだとリュミアムは教わったし、事実そうだった。ヴェネレが初めて出会った例外だった。「廃魂はね、黒い蝶の形をしているのよ」とはヴェネレの言だが、そのときの陶酔した表情をリュミアムは忘れられないでいる。
「僕を待てって言っただろ」
大股で歩いていってヴェネレの指先をそっと握り聖印を使う。リュミアムの手から黄金色の光が波のように広がってヴェネレの苦痛を和らげていく。今回は大して意味はないだろうが。意味があったときがあったか? と理性が囁いてくるのが鬱陶しい。
そんなものないに決まっている。ヴェネレはリュミアムと出会う遥か昔から聖印術で廃魂そのものを消す……ヴェネレ流に言うならば昇華してきた。死体に取り憑いて暴れだす前に廃魂を消せるならそれに越したことはない。問題はそれがヴェネレにしかできないこと、そして何より相当の苦痛が伴うことだ。ヴェネレはそんなに辛くないよと惚けているが、辛くないならどうして昇華の後に脂汗を滲ませながら顔を真っ白にしていたり、自分一人で立っていられないほど疲弊していたのか。
短時間で術は終わった。だがリュミアムは手を放さなかった。手のひらを合わせて指を絡める。ヴェネレもそれに応えた。
「リュミアムがすぐに来てくれるって分かってたから」
「何だよそれ、分かってるなら待ちなよ。本当に堪え性がないな」
「酷いなあ」
ヴェネレが黄金色の目を細めて屈託なく笑う。
意味はない。リュミアムは心の中でくり返し唱える。廃魂の数は減るどころか増える一方で、リュミアムの制止の声はヴェネレに届かない。ヴェネレの献身にも、リュミアムの悪あがきにも。意味はないのだ。
「僕が酷い人なら君は極悪人だよ」
■■■
一日半後、リュミアムとヴェネレはネーヴェに乗ってフェーヌム村へとやって来ていた。リュミアムの担当するアルトゥ地域の西端に位置し、先の村よりも人口は少ない。本来の巡回ルートから外れたこの村に来たのは、リュミアムたち聖印術士の育成と監督を行う啓明院に任務完了の報告をした際に新たな命令を受けたからだった。
啓明院の命令はこうだ。『巡回でフェーヌム村へ向かったジョワイ術士から定時連絡が来ず、追跡も不可能。不測の事態が起こった可能性が高いため現地に直行し調査するように』
それからリュミアムたちは最低限の休息を挟みつつ移動を続けていた。廃魂の昇華で疲れているヴェネレのためにも本当はもっと移動の速度を落とすなり休息の時間を長くするなりすべきだったのだろうが、当のヴェネレに急かされてしまった。それにリュミアム自身も焦燥感に駆られていた。
萎れたり枯れ始めたり、あるいは獣に食べられている穀物畑を横目にひとまずリュミアムは村を見下ろせる丘までネーヴェを走らせた。丘に到着すると懐から遠眼鏡を取り出して村の様子を観察する。しばらくすると背後からヴェネレが身を乗り出して尋ねてきた。
「どうなってる?」
「見える範囲には誰もいない。家畜も見えない。村人全員が何もかも置き去りにしてどこかへ逃げ出したのでなければ、賊か廃骸にやられたのだろうね」
遠眼鏡越しに見る村は建物が壊れたり死体が転がったり廃骸がうろついたりもしておらず、平穏そのものだった。しかし、本来いるべき村人の姿がない。まだ日の出ているうちから全員が全員家に籠もっているとでも言うのだろうか? 家畜も畑も放ったらかしにして? 考えがたいことだ。
フェーヌム村は何らかの異常事態に見舞われている。ジョワイが巡回の仕事を放棄したのでなければ、巻き込まれた可能性は高い。そして啓明院に連絡もできない状況に陥っている。
「リュミアムの先輩も?」
ヴェネレがリュミアムの思考を読んだようにちょうど尋ねてくる。なるべく感情を乗せないように意識している声だった。
「追跡の聖印術が有効なのは生者だけだって忘れたわけじゃないだろ?」
「……仲のいい先輩なんでしょう?」
「いや、仲は良くないけど。向こうが一方的に絡んでくるだけで。暑苦しい人だよ」
リュミアムがとっくにジョワイの生存を諦めていると理解した上で、それでもヴェネレは「だった」とは言わなかった。余計な気遣いだと思う。だが無下にすることもできず、リュミアムもまたジョワイをまだ生きているものとして語った。
啓明院で天才と称されていたリュミアムは元来の高慢さも相まって同僚から距離を置かれていた。そんな中でジョワイはリュミアムにやたらと関わろうとしてきて隙あらば先輩風を吹かせようとした。素気なく対応してもまったく懲りなかったし、時には堂々と偉そうに教えを請いにも来た。仲が良かったとは嘘でも言えない。しかし、彼が仕事を放棄して逃亡するはずがないと断言はできる。鬱陶しかったのは紛れもない事実だが、真面目な人でもあったから。
ジョワイの話をこれ以上続けても落ち着かなくなるだけで得るものがないと判断しリュミアムは話題を変えることにした。
「なあ、君には何が見える?」
そんな意図を汲んだのかは不明だが、ヴェネレは深追いしてくることもなくあっけらかんと答える。
「沢山の廃魂が村の上を飛んでいるのが見えるわ。戦場みたい……」
「想像するだけで気持ちが悪いな。頼むから全部昇華するだなんて言わないでくれよ」
軽口を装ってはいたものの、紛うことなき本音でもあった。黄金の双眸と視線がかち合う。するとヴェネレは「さすがに倒れちゃうかもね」と屈託なくリュミアムの懸念を笑い飛ばした。せめて言葉だけでも否定してくれれば一時でもいらぬ心労を溜めずに済むのだが。しかしすぐこの女にそんなものを期待する方が悪いと思い直した。
表情を引き締めてヴェネレが言う。
「これからどうするの?」
「調べに行くよ。どう考えても怪しいから気乗りはしないけどね。あ、君は別についてこなくていいから」
自慢の作り笑顔で言ってやった。ついでにネーヴェから降りろと手で追い払う。しかしながらヴェネレは微動だにしない。そうだろうとは思っていたが、いざ予想通りになると脱力してしまう。
「分かった。じゃあ行こう」
「僕の話聞いてた?」
ヴェネレはリュミアムの言葉をまるっと切り捨ててあまつさえネーヴェの腹を蹴って勝手に移動しようとする。だが主に忠実な聖印獣は首を下げたまま先ほどのヴェネレと同じく微動だにしなかった。「仲良しだと思ってたのに……」と勝手に落ち込んでいるヴェネレを見てリュミアムは多少なりとも溜飲を下げたのだった。
■■■
フェーヌム村の全景が明瞭に窺える距離まで接近したところでリュミアムたちはネーヴェから降りた。左小指の指輪が光るとネーヴェの真下に聖印が浮かび、ネーヴェは瞬く間に姿を消していった。リュミアムは続けて聖印で金の光を帯びた剣を出現させる。隣ではヴェネレが同じく聖印によって現れた弓を構えていた。
そして二人は無言のまま村へと足を踏み入れる。やはり死体も廃骸も血痕も見当たらない。家屋の窓は全て目隠しがされていて中がどうなっているのかは分からない。生きているものの気配はせず、隠しきれない血のにおいだけが漂っていた。
リュミアムはゆったりと歩を進め、その少し後ろにヴェネレがついていく。しかし何も起こらない。物音すらしなかった。やがて二人は村の中心にある礼拝堂の前で立ち止まった。礼拝堂の扉は僅かに開いたままになっている。リュミアムは暫しそれを見つめてから、扉を開くべく近づいた。そのときだった。村に入って初めて音らしい音が鳴り、分厚い扉が力任せに開かれる。
「リュ……ァム!」
礼拝堂から飛び出してきた白い装束の男は槍を構えてリュミアムへと襲いかかった。槍先がリュミアムの胸を貫く、その寸前で金色の矢が男の肩に突き刺さる。微妙に槍の勢いが削がれるのとリュミアムが咄嗟に身を引いたのはほとんど同時だった。そうして奇襲をかわしたリュミアムは飛び退きながら瞬時に聖印で短剣を出現させてそのまま男へ投げつける。短剣は回避も防御もしなかった男の胸の中心を間違いなく貫いた。
しかし男の肩からも胸からも新たに血が流れることはない。腹の部分だけ――リュミアムと同じ聖印術士の白装束――が黒く変色した血に塗れていた。
「ジョワイ術士……!」
と呟いて、リュミアムは舌打ちをした。あれはもはやジョワイではない。廃骸だ。ジョワイの姿をしているだけの化け物だ。聖印術士でありながら廃骸に向かって故人の名を呼んでしまった自分にひどく苛立っていた。ヴェネレが二の矢を放ちながら叫ぶ。
「ねえ、囲まれてる!」
ヴェネレの言葉通りに家々から次々に元は村人だっただろう廃骸が出てきては礼拝堂に押し寄せていた。村人それぞれに出血の痕跡がある。死因とは限らないだろうが。村人の廃骸はジョワイの廃骸に比べると動きは鈍かった。正しく言えばジョワイの廃骸が通常の廃骸に比べて俊敏すぎるのだが、こういう特殊な廃骸を相手にするのは初めてではなかった。
村人たちの廃骸が武器にしているのはナイフやら鎌やらピッチフォークやらと様々だ。中には素手で向かってきているのもいる。再度出現させた短剣を投げてジョワイの廃骸を牽制しつつリュミアムはざっと周囲を観察した。それから最接近していた村人に矢を射っていたヴェネレに呼びかける。
「ヴェネレ、あちらの廃骸は君に任せていいかい」
「ええ。でも何体かはそっちに行ってしまうかも」
「君の方が相手する数はずっと多いからね。それは気にしないさ」
と答えるとヴェネレは一度だけジョワイの廃骸を見てすぐにリュミアムに視線を戻した。「勝つからね」とだけ笑って言って弓を消す。首から下げている指輪が光った。地面に聖印が浮かび、そこから牛に似た巨大な聖印獣が現れる。白く金色がかった毛皮に二対の太い洞角が生えていた。
「トルメンタ。今日もたくさん暴れようね」
ヴェネレは軽やかにトルメンタと呼んだ聖印獣へ騎乗すると今度は槍を装備した。トルメンタが勇ましい雄叫びを上げるのに合わせて廃骸の群れに突っ込んでいく。廃骸は攻撃する間もなくトルメンタに轢き潰され、あるいは角で体の一部を千切られた。運良く回避できたとしてもヴェネレの槍によって的確に刈られていく。トルメンタはリュミアムの聖印獣に速さと軽やかさでは劣るものの力強さと突撃力では勝っている。自分だったらあの主従と真っ向から戦いたくはない。策を講じたところで全て蹴散らされてしまう気さえする。
ヴェネレが去っていったところで、ジョワイの廃骸が鋭く槍を突いてきた。最小限の動きで横に避けると今度は後ろではなく前へと踏み込んで一気に距離を詰める。そして槍の柄で反撃しようとするのを剣で防ぎながら胸に突き刺さった短剣を引き抜く。廃骸はガチガチと激しく歯を鳴らした。
「リ……アム!」
「いいよ、そういうの。中途半端だし……そもそも廃骸は喋らないものだろ?」
引き抜いた短剣で骨ごと首を切り落とそうとしたが回避されて喉を切り裂くのみに留まった。そのせいで声が出せなくなったにも関わらず廃骸は唇を動かしている。リュミアムは言葉を読み取る努力を早々に放棄した。
聖印術で死体に取り憑いた廃魂を浄化しなければ首を落としたところで廃骸は活動し続ける。ただ切り落とした部分が回復することもないので、すぐに浄化できない場合は首と四肢を切り離して動きを止めるのが術士の定石だった。
首は後回しにして四肢への攻撃に切り替えようとしたリュミアムよりも廃骸が膝蹴りを繰り出す方が早かった。接近したことが仇になって蹴撃を腹部へもろにくらってしまう。しかしながらリュミアムは顔をしかめることもなく続く二撃目を片手でいなして廃骸の軸足の膝を思い切り踏み蹴った。骨の砕ける鈍い音が響く。片足が使い物にならなくなった廃骸は体勢を崩した。
追撃を加えるべく構えたリュミアムの背後に忍び寄る影が一つあった。
「リュミアム! 後ろ!」
「!」
ヴェネレの声に反応してリュミアムの体は勝手に動いていた。ピッチフォークの一突きをかわす。だからといって廃骸は攻撃を止められず、ピッチフォークは倒れかけていたジョワイの廃骸に突き刺さった。それも簡単には引き抜けないほど深く。ジョワイの廃骸は仰向けに倒れ込んだ。おまけに槍を取り落している。リュミアムは鼻で笑った。
「援軍かい? 助かるよ」
一心にピッチフォークを引っ張っている廃骸の両腕を剣で切り落としてから容赦なく蹴り飛ばした。地面に打ち付けられた廃骸はすぐに立ち上がろうとするが腕を失くしていてはなかなか難しい。そのうちヴェネレが行動不能にしてくれるだろうと判断して即座にジョワイの廃骸に向き直った。ちょうど槍を握って起き上がろうとしているところだった。手に持っていた剣と短剣を消して廃骸に近付く。
「そんなに急いで起きようとしなくていいのに」
廃骸の肩を蹴って再び寝かせると槍を奪い取って放り投げる。そして刺さったままになっていたピッチフォークの柄を両手で握り、体重をかけて廃骸を地面に串刺しにした。廃骸は拘束から逃れようとまず柄を握って引き抜こうとしたがピッチフォークはびくともしない。それでも廃骸は諦めずに意味もなく両足を力任せに動かして暴れた。その過程で傷を負ってもまったく怯まない。廃骸は痛みなど感じないからだ。けれども拘束を解くことはできなかった。
廃骸は濁り曇った目でリュミアムを見上げながら歯を剥き出して威嚇している。獣に似ているようで異なる。暴虐と殺意に満ちた実に人間らしい表情だったが、ジョワイの顔には不似合いだ。リュミアムは聖印を発動した。廃骸の足掻きが激しさを増す。一際まばゆい聖印がジョワイの廃骸をじっくりと覆っていった。廃魂の浄化も遺体の保護も術が完成するまでには僅かに時間がかかる。平時はともかく戦闘時には致命的になりかねない時間だ。
「……先輩を返してもらおうか」
そうしてようやく静寂を取り戻した遺体の額には輝ける聖印が刻まれていた。息つく暇もなく先ほど放り投げた槍に駆け寄って掴み、素手でこちらに走って襲いかかろうとしていた廃骸へ投擲する。槍は狙い通りに廃骸の胴体を貫通し吹っ飛ばした。
それからヴェネレたちに目をやる。立って元気にしているのはヴェネレとトルメンタ、そしてリュミアムだけになっていた。リュミアムと目が合ったヴェネレが槍を消してトルメンタから降りた。トルメンタを一撫でしてから帰還させ、リュミアムへと走り寄ってくる。しかしリュミアムに再び手で追い払われてしまい途中で足を止めた。
「浄化と保護が全然終わってないだろ。君は向こうから始めてくれ」
「お腹、怪我してるんじゃないの」
「大したことないよ」
リュミアムは肩を竦めて地に伏せながらも再起を図ろうとしている廃骸たちを一瞥した。気乗りしない様子ではあったがヴェネレに使った痛みを緩和する聖印を使ってから言う。
「まだ調査も啓明院への報告も残っているんだ。ああ、遺体の埋葬もする必要があるな。呑気に話してる時間はないはずだけど?」
「言っていることは正しいけれど言い方がだめね」
ヴェネレが顔をしかめる。しかしそれ以上に反発することはなく素直に踵を返して後処理に向かった。リュミアムは軽く息を吐きだしてから、遠ざかる背中にふと声をかけた。
「ヴェネレ」
「なあに」
ヴェネレが振り返る。リュミアムは空を指差した。
「廃魂はまだいる?」
空を仰いだヴェネレが目を見張った。慌てて周囲を探すような仕草をする。
「あれ。いない。あんなにいたのに?」
「……それはとんだ偶然だね」
「また思ってもないことを言ってる」
「言いたくもなるさ。最近はおかしなことだらけだ」
と吐き捨ててヴェネレから目を逸らす。そして近くで倒れている廃骸にさっさと術をかけていく。ヴェネレは首を傾げながらも反対側へと歩き始めた。
太陽はまだ天高くに昇っている。日が暮れる前に遺体の埋葬まで終わらせられるだろうか。最後まで体力が持つといいが。体を動かすのにも術を使うのにも体力が必須だ。聖印術士の卵たちが啓明院でまず「体を鍛えろ。体力をつけろ」と教えられるくらいには体力勝負の仕事だった。
リュミアムが啓明院に報告を済ましたら近日中には他の術士と事務官が派遣されて更に調査が行われるだろう。村の惨状やジョワイの死についても解明が進むかもしれない。
「なんて、そこまで楽観的にはなれないけどね……」
そうこうしている間にも聖印の輝きが遺体を清めていく。リュミアムは廃骸へ術をかけるヴェネレの姿を無意識に目で追っていた。リュミアムの想像が及ばないほど昔から廃魂と廃骸に関わってきているはずなのに、新人術士さながらの緊張感と真剣さをもって臨んでいた。自らに課せられた使命に、あるいは運命に倦むこともなく真正面から向き合い続ける。
そんなヴェネレのあり方は聖印術に長けてはいても平凡な人間に過ぎないリュミアムには眩しすぎた。憧れはしない。リュミアムはただ見つめるだけ。時折身の程知らずに手を伸ばしては失望するのを繰り返して、いつの日か孤独に死ぬだろう。廃骸に殺されるのか、人間に排除されるのか、それとも小石に躓いて死ぬのかは分からないけれども。血と泥に汚れたジョワイの装束が脳裏に浮かんだ。
「この先何が起きるとしてもやることは変わらないさ」
完
黄昏の世界でも明星は輝く 鈴成 @tou_morokoshi
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