第16話 音速の貴公子

『 GA歴八十七年 七月十一日 十八時 』


『アドルフ指令室』には、初動捜査や鑑識作業を終えた各部隊の隊長および副隊長たちが顔を揃えていた。室内ではそれぞれが自らの推理や考察を語り合っていたが、その表情には緊張と真剣さが滲んでいた。


そんな中、ドアが静かに開き、バクマを伴ったナイスミドルな総司令(そうしれい)が姿を現した。彼の姿に気づいた面々は、一斉に話を止め、背筋を伸ばして総司令席に向いた。


古山参謀(こやまさんぼう)が一歩前に出て、鋭い声で号令を掛けた。


「それでは、捜査会議を開始する!」


その声に応じて、一同は背筋を伸ばし、静かに正面を向いた。


「まず、事件発生までの経緯を説明する。


――妖魔による連れ去りが起きる数分前、『アドルフ指令室』では妖魔の反応を感知した。最初の反応地点は『神代町(じんだいちょう)』の繁華街だったが、解析の結果、高速で『神代中学校(じんだいちゅうがっこう)』へと移動していることが判明した。


急ぎツバキ隊長を現場に向かわせたが、到着時にはすでに少女は連れ去られた後だった――」


「それでは、各隊の報告に移る。まずは『鑑識隊』──大坂(おおさか)!」


古山参謀(こやまさんぼう)の鋭い声が指令室に響いた。


「はい!」


勢いよく立ち上がった大坂(おおさか)は、背後に控える大石総司令(おおいしそうしれい)の方へ向き直り、深く一礼をした。その表情には緊張と覚悟が滲んでいる。


「まずはこちらをご覧ください」


指令室正面のメインモニターに映し出されたのは、薄暗い道路の映像だった。画面中央には、不自然な黒い跡が残されている。


「これは、現場付近の道路の映像です。注目していただきたいのは、この黒い跡──拡大映像をお見せします」


映像が切り替わり、黒い痕跡のアップが映し出される。その輪郭はどこか既視感のあるものだった。


「おい、大坂(おおさか)……これはまさか……タイヤ痕か?」


古山(こやま)が眉をひそめながら声を上げた。その顔には明らかな動揺が浮かんでいる。あり得ない。そう思いながらも、映像から目を離せない。


「はい。間違いなく、タイヤ痕です」


冷静に答えた大坂(おおさか)の声には、言葉にするのもためらわれるような違和感と警戒心がにじんでいた。


「……だが、現代に“タイヤ”なんてものは存在しないはずだ」


大石(おおいし)が低く呟くように言った。目を細め、モニターを睨むその表情には、混乱と疑念が入り混じっていた。


その言葉に、一同がざわめき始める。時代錯誤ともいえる痕跡に、誰もが得体の知れない不安を覚えていた。


「…… 現代の車両には、もはやタイヤは存在しない。


すべては『アクセラレーター』と呼ばれる力のベクトル制御装置によって、車体の上昇・下降、前進・後退、加速・減速が自在に制御されている。運転手も不要で、車両は高度なAIによって制御されており、『虚空ネットワーク』と常時連動することで、走行経路の逸脱や通行台数の制限も自動的に管理されている。


その結果、交通事故はほぼ発生しなくなった。


これらすべては、『光次幻科学(こうじげんかがく)』の進化によってもたらされた恩恵である。 ……」


「おっしゃる通り、現代にタイヤは存在しません。この痕跡は、妖魔の通過経路を追っていた際に、道路のカーブで発見したものです。通過ラインと完全に一致しており、妖魔が残した“ブレーキ痕”であると断定しました」


大坂(おおさか)は、緊張を滲ませながらも明瞭に報告した。周囲には静かなざわめきが広がる。


「つまり……今回の妖魔には“タイヤ”がついている、ということか?」


大石総司令(おおいしそうしれい)が静かに問いかけた。声は冷静だったが、わずかに驚きの色が滲んでいる。


「はい、その通りです。そしてさらに驚くべきことに――このタイヤ痕、形状とサイズが“西暦時代”のものと完全に一致していました」


そう言い切った大坂(おおさか)の言葉に、一瞬、室内の空気が凍りついた。


「西暦時代……だと? そんな古い記録が、今も残っていたのか?」


古山(こやま)が眉をひそめ、思わず声を上げる。困惑と半信半疑が入り混じった表情だ。


「はい。かつて発掘された西暦時代のサーバから復元されたデータの中に、当時の裁判記録が残されており、その中に証拠物件として記録されていたタイヤ痕のデータと完全に一致しました」


大坂(おおさか)は動揺を抑えながらも、淡々と事実を述べた。その眼差しには、自分自身もこの事実の重みに圧されている様子がありありと見て取れる。


「裁判記録……?」


大石(おおいし)は驚きと興味を隠しきれず、身を乗り出しながら問うた。


「その記録とは、一体何だ?」


「西暦時代に流行(はや)っていた『F1』というカーレースで事故死した、『アイン・セイヤ』というレーサーの事故原因を追究する裁判の記録です。


事故は第3戦の『サンマリノGP』で起きました。搭乗したマシンは”FW16”というモデルで、装着していたタイヤのブレーキ痕と完全に一致しました。


ちなみに『アイン・セイヤ』は”音速の貴公子”と呼ばれ、数々のレースで優勝しており、世界中のファンが熱狂していたそうです。」


「“音速の貴公子”か……。レーサーの事故死に裁判なんて、と一瞬思ったが……それほどの世界的英雄だったというわけか」


大石(おおいし)は低くつぶやいた。

その胸には驚きと同時に、知らず知らずのうちに湧き上がる興味が入り混じっていた。


「その通りです。では、続けます」


大坂(おおさか)はメインモニターに目を向けたまま、淡々と報告を続けた。


「当時のF1マシンにおける最高速度は、時速およそ340キロとされています。しかし、今回の妖魔は消失直前に時速460キロを記録しました。これは『F1』の記録を大きく上回る数値です……これが、妖魔の力というものでしょうか」


室内にどよめきが走る中、その静けさを破ったのは、思わぬ人物だった。


「『VF1』に迫る速度だな。現代のカーレース、『VF1』の最高速度は時速500キロ。本来はもっと出せるが、レギュレーションで500に制限されてるんだ」


急に口を挟んだのは芹川(せりかわ)副隊長だった。目を輝かせ、どこか嬉々とした表情を浮かべている。


「……よろしいですか? 芹川副隊長(せりかわふくたいちょう)」


大坂(おおさか)は、やや呆れたように眉をひそめながら、やんわりと諫めた。


「あっ、すいません……つい、熱が入ってしまって……」


芹川(せりかわ)はバツが悪そうに頭を下げ、苦笑いを浮かべた。


空気を立て直すように、大坂(おおさか)が再び報告を続ける。


「妖魔の痕跡ですが、『神代駅(じんだいえき)』周辺の繁華街から始まり、『神代中学校(じんだいちゅうがっこう)』を通過した後、約二キロ先で完全に消えました。『虚空カメラ』の映像を確認しましたが、それ以上は追跡できませんでした」


「……やはり、消えたのか」


古山(こやま)が重い声で呟いた。その顔には、どうしても拭えない既視感と、不気味さへの警戒が浮かんでいる。


「さらに、こちらの映像をご覧ください。妖魔が通過した道路各所に設置された虚空カメラの記録を、時系列に沿って編集しました。まずは通常速度、続けてスロー再生で再生します」


モニターが切り替わり、再生が始まった。


「……スローでも黒い靄(もや)に覆われているな。だが、なんとか輪郭は分かる」


大石(おおいし)は、映像に釘付けになりながらそう呟いた。その瞳には、ただの報告では済まされない何かを見極めようとする強い意志が宿っていた。


「うおっ、『VF1』見てるみたいだ! スゲー、『妖魔』のフォルムも『VF1』そっくりだし! ヤバっ、マジでスゲーっ!」


興奮を抑えきれず、ついに芹川(せりかわ)が声を上げてはしゃぎ出す。明らかに場にそぐわない様子だった。


「芹川(せりかわ)ぁ! はしゃぐな! お前がVF1ヲタクなのは分かるが、今は真面目な会議中だろうが!」


伊波隊長(いなみたいちょう)が鋭い声で叱責する。冷静で厳しい視線が、芹川(せりかわ)を真っすぐに射抜いた。


「すっ、すいません……」


芹川(せりかわ)は勢いをそがれたようにしゅんとしながら頭を下げた。が、完全には落ち着ききれていない様子だった。


「……では、少し趣向を変えて。VF1風に報告いたします」


そう言って、大坂(おおさか)が苦笑を浮かべながら言葉を継いだ。


「全長約20キロのコースを、妖魔はジャスト四分で走破しています」


「そっ、それはすごいっ! 西暦時代の技術でその速さって、マジでヤバいっすね! 伊波隊長(いなみたいちょう)!」


再びテンションが跳ね上がった芹川(せりかわ)が、伊波(いなみ)に同意を求めて振り返る。


「……分かったから、少し黙ってろ」


伊波(いなみ)はため息混じりにそう言って、再び芹川(せりかわ)を睨みつけた。

だがその表情の奥には、彼なりの焦りと危機感が静かに浮かんでいた。


「また――『アイン・セイヤ』が乗っていたマシン、FW16は『HONODA』という西暦時代の日本の大企業によって製造されたものでした。以上で、鑑識隊からの報告は終了します」


そう言いながら、大坂(おおさか)は一礼し、ゆっくりと席へ戻った。

内心では、古代の記録と妖魔の痕跡がここまで一致することに、得体の知れない不気味さを感じていた。まるで過去と現在が、どこかでねじれながら繋がってしまったかのような感覚だった。


(まさか、こんな“形”で過去が蘇るなんて……)


表情には出さずとも、大坂(おおさか)の胸の奥には、ただの事件では済まされないという直感が静かに波打っていた。


「では次、伊波(いなみ)」


古山参謀(こやまさんぼう)が落ち着いた声で指示を出す。その口調には冷静さを保ちながらも、これから報告される内容への重みを察している気配があった。


「はっ!」


伊波隊長(いなみたいちょう)は力強く応え、静かに立ち上がると大石総司令(おおいしそうしれい)へ一礼する。眼差しは真っ直ぐで、その姿からは責任の重さと覚悟がにじんでいた。


「連れ去られた少女がこちらです」


メインモニターを指差すと、すぐに映像が切り替わり、一人の少女の姿が映し出された。


「三枝沙織(さえぐささおり)、十三歳。七代命(ななしろみこと)と同じクラスに在籍しており、三枝コーポレーション現社長──三枝門之助(さえぐさもんのすけ)(55歳)の長女です」


伊波(いなみ)の声は淡々としていたが、その裏には緊張感がはっきりと感じられた。少女の身柄が、単なる一国民に留まらない重みを持っていることを彼は理解していた。


「……三枝コーポレーションか」


古山(こやま)が目を細め、ゆっくりと記憶をたどるように口を開いた。


「たしか、ガイアが建国されるより前だったな。先々代の社長が、浄化を終えた『神代町(じんだいちょう)』の土地に真っ先に工場を構えたと聞いている。あの工場では各種部品の製造を担い、今もなおガイアの技術発展を支えている企業の一つだ」


その声には、過去の苦難と、技術と努力によって築かれた信頼への敬意が滲んでいた。そして同時に、そのような企業の後継者である少女が妖魔に狙われたという事実に、場の空気は一層引き締まっていった。


「…… ガイアにおいては、浄化が完了した土地に対し、国民からの申請を受け付けている。申請内容が有用であると判断された場合、その土地の使用許可が下り、居住や商業、農業、研究施設の設置など、目的に応じて自由に活用することが認められている。土地の使い方に制限はなく、申請さえ通れば個人であっても自由に開発・利用が可能である。


また、ガイアでは通貨として旧日本円が発行されているが、すべての国民に対して衣食住が無条件で保障されているため、働かなくても生活に困ることはない。そのため、労働の対価として得られるお金は、主に趣味や娯楽といった遊興目的に使われることがほとんどである。 ……」


「続けます」


伊波(いなみ)は一歩前へ出て、表情を崩さず淡々と報告を続けた。だがその声音には、今回の事案がどれほど深刻かを理解した上での緊張感がはっきりとにじんでいた。


「現時点では、妖魔の目的は依然として不明です。そのため、GFBIの薮川武久警視監(やぶかわたけひさけいしかん)に正式に協力を要請。『GFBI本部』内に臨時の捜査本部を設置し、『三枝邸(さえぐさてい)』には専属の捜査隊員を配備しました」


静かに区切りながら、伊波(いなみ)は慎重に言葉を選んでいく。


「さらに、三枝門之助(さえぐさもんのすけ)氏の許可を得て、『三枝邸(さえぐさてい)』および『三枝コーポレーション』の全社屋、全工場を『GFBIネットワーク』にリンク。これにより、すべての通信および『虚空カメラ』の映像がリアルタイムに監視可能となっています」


重みのある報告を終え、伊波(いなみ)は一瞬だけ視線を大石総司令(おおいしそうしれい)に向けた。自分にできる限りの迅速な対応を取ったという自負と、それでもなお状況が予断を許さないという焦りが胸中に交錯していた。


「そうか……さすがだ! 仕事が早いな、伊波(いなみ)!!」


大石(おおいし)が思わず声を上げた。その言葉には、現場の隊長としての判断力と行動力に対する信頼と、わずかな安堵の色が滲んでいた。


「……いえ」


伊波(いなみ)は控えめに答えると、静かに大石(おおいし)へ一礼した。

表情には誇りも慢心もなく、ただ次に備えるための冷静さだけが浮かんでいた。


「次ぃ! ツバキ!」


古山参謀(こやまさんぼう)が声を張りながら辺りを見回し、落ち着きなくキョロキョロとツバキを探す。

彼女がどこにいるのかまったく気配を感じ取れず、若干不安げな様子だ。


「はっ!」


突如として、ツバキが古山(こやま)のすぐ隣に姿を現した。


「うぉっ!?!?」


思わず古山(こやま)はのけ反り、バランスを崩しかける。

椅子が軋み、手をバタつかせながらなんとか踏みとどまった。


「またお前はっ! いい加減に、気配ぐらい出せっ!」


呆れたようにツッコむ古山(こやま)だったが、その顔には驚き半分、もはやツバキのやり口に慣れつつある諦め半分の表情が浮かんでいた。


「ふふ」


ツバキは楽しげに微笑み、いたずらが成功した子どものように軽く頬を緩ませた。


(このリアクション、やっぱり面白い……)


そんな心の声が透けて見えるような無邪気な表情だった。


「それでは──周辺の聞き込み、および関係者への聴取結果についてご報告いたします」


表情を引き締め直したツバキが、きりっとした声で報告に入る。

一瞬前までの悪戯っ子のような顔から一転、隊長としての顔つきへと切り替わるその切り替えの早さに、古山(こやま)は内心「やれやれ」と小さくため息をついていた。


* * *


現場で聞き込みを始めたツバキは、通行人のひとりに穏やかに声をかけた。


「あのぉ……失礼します」


「うわぁっ!? な、なんですか……いきなり目の前に……ビックリしたぁ!」


驚いて身を引いた相手に、ツバキは小さく頭を下げて名乗る。


「申し訳ありません。GFBIの者です」


「あぁ、隊員さんでしたか。びっくりしたぁ……」


「はい。それで、この辺りの騒ぎについて何かご存じでしょうか?」


「ええ、私もちょうどバスを待っていたんですけど……突然、ものすごい音が聞こえてきて」


「ものすごい音、ですか? どんな感じの音でしたか?」


「そうですね……わりと高い音で、今までに聞いたことのないような、不気味な感じでした」


「その後、何が起きたか覚えていらっしゃいますか?」


「ええ。その音がどんどん近づいてくる感じがして、思わずその方向を見てたんです。そしたら……何かが女の子二人のそばをすり抜けるように通り過ぎて……その瞬間、一人だけ、ふっと消えたように居なくなってしまったんです」


「“何か”、ですか?」


「はい。とにかく速くて、しかも黒くて……全体がぼやけて見えて、よく分からなかったんです」


「なるほど。それで、その“何か”はどうなったんですか?」


「私のすぐ前を通り抜けたと思ったんですが……そのあと、スッと消えてしまって。姿も、音も」


「音も消えた……ですか。わかりました。それから、何か変わったことは?」


「ええと……そうそう、残されたもう一人の女の子が、急に泣き出してしまって……」


「そうでしたか……他に、何か気づいたことはありますか? どんな些細なことでも構いません」


「うーん……あっ、そうだ、臭(にお)いです!」


「臭い?」


「はい、“それ”が通り過ぎたとき……今まで嗅いだことのない、妙な臭いがしたんです」


「嗅いだことのない……具体的にはどんな?」


「うまく言えませんけど……薬品っぽいような、金属のような、ちょっと鼻につく感じでした。とにかく、すごく印象に残ってます」


「なるほど……ありがとうございます。貴重な証言、助かりました」


ツバキは丁寧に一礼し、その場をあとにした。

彼女の表情には、見えない何かに手がかりを得た手応えと、それでもまだ全貌が見えないもどかしさが混ざっていた。


* * *


「数名に聞き込みを行いましたが、証言はおおむね共通していました。特に多かったのは、“何か黒い影のようなものが高速で通り過ぎた”という内容と、“今まで嗅いだことのない異様な臭(にお)いがした”という点です」


ツバキは自身のブレスを操作し、指令室のメインモニターに次の映像を映し出した。その目元には、緊張と集中の色が宿っていた。


「この臭いについては、その場でバクマに大気を採取してもらい、即座に成分分析を行いました。その結果、何らかの燃料を燃焼させた際に発生する排気ガスと判明。さらに鑑識隊が過去の成分データと照合したところ……西暦時代のF1マシンが排出していたガス成分と完全に一致したとのことです」


室内に低いざわめきが広がった。

その空気を切るように、大石総司令(おおいしそうしれい)が重々しく問いかける。


「つまり……これで、“妖魔の正体はF1そのもの”であると断定していいということか?」


大石(おおいし)の声は低く、響きがある。

その眼差しは鋭く真剣で、尋ねたというより、最終確認をしているようだった。

この異常な存在が、いよいよ確かな輪郭を持ち始めたという実感が、その眉の動きにも滲んでいる。


「はい、総司令(そうしれい)♪」


ツバキは軽やかに返事をしつつ、少しだけ首を傾げて愛嬌を添える。

緊張した空気を和らげようとする、彼女なりの場の読みでもあった。


しかし――


「こら、ツバキ! 続きを報告しろ。まだあるだろ?」


古山(こやま)が、堪らず口を挟む。

やや苛立ち混じりながらも、その言い方にはツバキの“癖”に付き合い慣れた様子と、やれやれといった気配が混ざっていた。


「あれ? 古山参謀(こやまさんぼう)ぉぉ〜? ……もしかして怒ってますぅ?」


ツバキはからかうように微笑みながら覗き込む。

いたずらっ子のような目で揺さぶるその仕草に、古山(こやま)の顔が引きつる。


「なっ……なにを言ってる……! 怒ってるわけないだろ!」


思わず声を上げながら目をそらす古山(こやま)。

だが、その口元がわずかに緩んでいたことに、誰もが気づいていた。


「ツバキ、それぐらいにしておけ」


大石(おおいし)が咳払い交じりにぴしゃりと言いながらも、声にほんの少しだけ笑みが混じる。

だがその奥には、事態の深刻さを見据える確かな意志があった。


「失礼しました、総司令(そうしれい)っ!」


ツバキはピシッと姿勢を正し、声のトーンを引き締めた。


「では続けます。次は、関係者への聴取についてです」


* * *


保健室にたどり着いた安生(あんじょう)ミキ、七代命(ななしろみこと)、七代一斗(ななしろいっと)の三人は、保健の先生から差し出された冷たいお茶を静かに啜(すす)っていた。

ミキはそのグラスの水滴をぼんやりと眺めながら、手の震えがまだ止まらないことに気づいていた。


さっき、目の前で――

友達の三枝沙織(さえぐささおり)が、音もなく何かにさらわれていった。

手を伸ばしたが……届かなかった。胸の奥が重くて、苦しくて……ずっと押しつぶされそうだった。


そんなミキが、ふと目の前に座る一斗(いっと)に小さな声で話しかけた。


「あのぉ……一斗(いっと)くん?」


「はい、えっと……安生(あんじょう)さん?」


緊張の残る口調で応じる一斗(いっと)に、ミキは少しだけ表情を和らげた。


「うん……一斗(いっと)くんって、命(みこと)ちゃんの……双子のお兄さんなんだよね?」


「えっ? そうだよ? ……もしかして、髪の色が違うから?」


「うん、髪色もだけど……なんか、雰囲気がぜんぜん違うから」


ミキの声はまだどこか不安定だったが、それでも一斗(いっと)と命(みこと)との会話が自分の意識を少しだけ現実に戻してくれていた。


「ミキちゃん、それは当然なんです。イチと私は二卵性双生児なんですよ。だからあんまり似てないって、よく言われます」


命(みこと)がそう言って微笑んだ瞬間、ミキはようやく「今ここにいる」という感覚を取り戻した気がした。


「……そうなんだ」


ミキはそう呟いて、少しだけお茶を口に運んだ。


「私はママ似で、イチはパパに似てるです」


さらりと語る命(みこと)の言葉が、不思議と心に染みる。


「なるほど……なんか、ごめんね。こんな時に変なこと聞いちゃって……」


自分の状況を思い出し、また少し顔を伏せるミキ。けれど、次の瞬間――


「ちなみにぃ……祈琉兄様(いのるにいさま)はぁぁ、私(わたし)と一緒でぇ、ママ似でとっても綺麗なお顔をしていて、とても優しくてぇぇ……」


突然、命(みこと)の“祈琉兄様(いのるにいさま)語り”が始まった。


「ストップ、ストップ、命(みこと)っ!」


一斗(いっと)が勢いよく声を上げて遮る。

妹が暴走する気配を察知して、慌てて制止に入ったのだ。


「ああ……ごめんです、ミキちゃん……祈琉兄様(いのるにいさま)のことを考えると、つい……えへへぇぇ」


命(みこと)は照れ笑いを浮かべながら頬を染める。


「おーーーい、命(みこと)さん……」


一斗(いっと)が思わず呆れたように声を漏らす。

その表情には、苦笑いと共にほんの少しのジェラシーが混ざっていた。


そんなやり取りを見ていたミキは、思わずぽつりと漏らした。


「一斗(いっと)くん……命(みこと)ちゃんのこと、本当に大事にしてるんだね……」


「そうなんですよ、安生(あんじょう)さん……もう、嫉妬が……ぐっ……!」


一斗(いっと)は唇を噛みながら、堪えるように拳を握った。

その様子がなんとも滑稽で、ミキは小さく息を吐いた。


「ふふっ……なんか……ちょっと安心した」


ほんの一瞬だったけれど、泣きそうなほど張りつめていた心が、やわらかく緩んだ気がした。

命(みこと)と一斗(いっと)の兄妹げんかのようなやり取りが、ミキにとっては確かな“日常”の匂いだった。


そして、もう一度現実に戻らなければならないのだと――ミキは、静かに目を閉じた。


* * *


そこへ、保健室のドアが静かに開き、『アドルフ捜査隊』の伊波隊長(いなみたいちょう)が姿を現した。

その背筋の伸びた立ち姿と制服の上からも感じられる落ち着いた気配に、保健室の空気が少しだけ引き締まる。


「命(みこと)、一斗(いっと)」


短く声をかけるその口調には、いつもと変わらぬ穏やかさと、少しばかりの安堵が混じっていた。


「ああ、伊波(いなみ)パパです。こんにちわです」


命(みこと)はぱっと笑顔になり、椅子から少し体を浮かせるようにして手を振った。

その表情には、長年慣れ親しんだ“家族のような存在”への安心感がにじんでいる。


「伊波(いなみ)さん、こんにちわ」


一斗(いっと)も控えめに立ち上がって挨拶したが、その口調はどこかよそよそしい。

それに気づいた伊波(いなみ)は、目を細めて少しだけ苦笑する。


「命(みこと)、元気そうだね。パパ、安心したよ」


優しい笑みを命(みこと)に向けると、すぐに一斗(いっと)へと目を向ける。


「一斗(いっと)、”伊波(いなみ)さん”なんて他人行儀じゃないか。……寂しいね。いつもみたいに”父上(ちちうえ)”でいいんだよ?」


その言葉に、一斗(いっと)は少し肩をすくめて目をそらした。

けれど、伊波(いなみ)が本気でそう言っているのは分かっていた。


「あっ、あの……父上(ちちうえ)……分かりました」


どこか不器用に答えるその姿は、律儀で真面目な一斗(いっと)らしさが滲んでいた。


「ありがとう、一斗(いっと)」


伊波(いなみ)の声には、優しさと懐かしさが滲んでいた。

自分の子どもではないが、那岐紗(なぎさ)も含めて幼い頃からずっと一緒に育ってきた三人は、もはや“家族”だった。


そして、伊波(いなみ)はふと隣に座る少女に目を向けた。


「えーっと……安生(あんじょう)ミキさんかな?」


「……はい、そうです」


ミキは緊張をにじませながらも、はっきりと答える。

彼女の中では、まだ沙織(さおり)が目の前から消えた光景が焼きついていて、心の中は嵐のようにざわついていた。


だが、伊波(いなみ)の柔らかな声が、その不安をわずかに包み込んだ。


「私はGFBIの隊員で伊波健一(いなみけんいち)です。もう少しだけ待ってくれるかな。うちの上司が……ミキさんに、直接話を聞きたいって。いま、こちらに向かっているところなんだ」


伊波(いなみ)の言葉はとても静かで、そして優しかった。

それは、ただの捜査隊員としての言葉ではなく、目の前の少女が抱えている“心の重み”を理解している人間の声だった。


「……はい、わかりました」


ミキは小さく頷いた。

伊波(いなみ)の目が、命(みこと)や一斗(いっと)に向けられていたのと同じ“家族を見る目”だと、なぜか分かった。

そしてほんの少しだけ、その胸の痛みが和らいだような気がした。


「すいません、先生。GFBIの者ですが、少し保健室をお借りしてもよろしいですか?」


伊波(いなみ)は、扉の近くにいた保健室の先生に丁寧に頭を下げた。

その声音は、現場の捜査隊員というよりは、生徒を心配する保護者のように穏やかだった。


「あ、はい。どうぞご自由にお使いください。私は職員室におりますので、終わったら声をかけてくださいね」


そう言って微笑んだ先生は、そっとドアを閉めて保健室を後にした。


「ありがとうございます」


伊波(いなみ)は静かに頭を下げ、先生が見えなくなってから改めて三人の子どもたちに向き直る。

その表情は、いつもの鋭さとは打って変わって、柔らかい父親のような優しさが滲んでいた。


「なぁ、命(みこと)。……学校、楽しいか?」


問いかけは何気ないようでいて、どこか心の内を探るような響きがあった。

伊波(いなみ)の声には、命(みこと)の小さな変化を見逃したくないという、深い想いがこもっていた。


「うん、すっごく楽しいです。でも……ミキちゃんと沙織(さおり)ちゃんと放課後遊びに行けないです……」


命(みこと)は少しだけ顔を伏せながら、素直な気持ちを吐き出した。

その声には、心からの“寂しさ”がにじんでいた。


「そうなんです。いつも断られてばかりだったから、私たちも“寂しいね”って沙織(さおり)ちゃんと話してて……」


ミキも続けるように口を開いた。

思い出に触れるたび、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じながらも、言葉を絞り出す。沙織(さおり)がいなくなった現実を、まだ受け止めきれないでいた。


「ごめんね。命(みこと)の家は神社で、お手伝いもあって忙しいんだ。なかなか時間が取れないことが多くて……」


伊波(いなみ)はミキに目を向け、優しく説明した。

それは謝罪でもあり、命(みこと)の代わりにミキを気遣う、父親としての想いでもあった。


「やっぱり……沙織(さおり)ちゃんも、同じこと言ってました」


ミキがぽつりと呟くように言った言葉は、どこか儚げだった。

その声音に込められたのは、親友との最後の会話に寄せる未練と悔しさだった。


「ほんとに……ごめんです。わたしも、すっごく行きたいです」


命(みこと)は肩を落とし、悔しそうに小さく拳を握った。

本当は一緒に笑いたかった。だけど、いつも断るばかりだった自分が、今さら悔やまれる。


「……忙しいなら、仕方ないよ」


ミキは無理に笑みを作って応えた。

誰も悪くないことは分かっている。でも、ほんの少しだけ、心に残る隙間をどうにもできなかった。


「でも、命(みこと)。たまには……放課後に遊びに行ってもいいんだよ?」


伊波(いなみ)がふっと笑って言ったその一言は、父親としての“許し”であり、気遣いでもあった。


「えっ……そうなんです?」


命(みこと)は驚いたように目を見開いた。

それは聞いたことがあったはずなのに、改めて“言葉”としてもらえたことで、気持ちがふっと軽くなった。


「もちろん。ただし……一斗(いっと)が“もれなく”ついていくことになるけどね?」


少し茶目っ気を含んだ笑顔で、伊波(いなみ)が続けると――


「えっ……一斗(いっと)くんも、一緒に来てくれるんですか……?」


ミキが顔を伏せながらそう呟いた。

頬がほんのり赤く染まっているのを、誰よりも伊波(いなみ)が見逃さなかった。


「ん? ミキちゃん……もしかして、一斗(いっと)のこと?」


伊波(いなみ)の声に混ざる微笑が、からかいではなく“親の勘”のような柔らかさを帯びていた。


「なっ……なに言ってるんですか!? 別に、そんなんじゃないですっ!」


ミキは慌てて手を振りながら否定するが、その動揺ぶりが逆に分かりやすい。


「おー、一斗(いっと)も隅に置けないなぁ」


伊波(いなみ)は一斗(いっと)の方に話を振りつつ、どこかくすぐったそうに微笑んだ。


「父上(ちちうえ)、なっ……何をおっしゃるんですか……!」


一斗(いっと)もまた珍しく動揺し、視線を泳がせている。

その照れと焦りが妙に初々しく、保健室にやっと“年相応の空気”が戻ってきたような雰囲気が漂った。


「いやぁ……なんか、二人とも……ちゃんと青春してるんだなって思ってさ」


伊波(いなみ)はそう言いながら、ふっと遠い目をした。

その声には、微笑みと共に、どこか寂しさの混ざった響きがあった。

思い出すのは、もうここにいない――那岐紗(なぎさ)の笑顔。


「パパ……私たちは、ちゃんとここにいるです」


命(みこと)が優しく、けれど真っ直ぐに言った。

その小さな胸の中には、那岐紗(なぎさ)の死を受け止めながら、それでも前を向こうとする強さが宿っていた。


「そうですよ、父上(ちちうえ)。安心してください。……那岐紗(なぎさ)のぶんまで、俺たちがいますから」


一斗(いっと)も命(みこと)に続いて、しっかりとした声で言った。

彼の眼差しには、守るべきものへの覚悟と、哀しみに立ち向かう意志が光っていた。


「……ありがとう、二人とも」


伊波(いなみ)は堪えきれず、そっと目元を拭った。

それは、親としての涙だった。かけがえのない家族のような存在に、今、改めて支えられていることへの感謝の涙だった。


そして伊波(いなみ)は、誰にも聞こえないような声で静かに呟いた。


(那岐紗(なぎさ)……お前の大切な仲間たちは、今日もちゃんと生きてるよ)


* * *


保健室では、命(みこと)と一斗(いっと)、そして安生(あんじょう)ミキが束の間の落ち着いた時間を過ごしていた。

緊張の余韻はまだ完全には消えなかったが、互いの言葉に少しずつ心をゆるめていたそのとき――


静かに扉が開いた。


姿を現したのは、黒と赤を基調にした重厚なアドルフ総司令仕様の隊服をまとった大石総司令(おおいしそうしれい)だった。

その制服は、石井真白(いしいましろ)と同じ色合いながらも、細部に施された金の縁取りや厚みのある生地が、彼の立場と威厳を物語っていた。


「ああ、命(みこと)くん、一斗(いっと)くん。こんにちは」


その穏やかで温かみのある声に、命(みこと)はぱっと顔を上げた。


「大石(おおいし)さん、こんにちわです!」


「おつかれさまです、大石(おおいし)さん」


命(みこと)は明るく元気に、一斗(いっと)は礼儀正しく落ち着いた口調で挨拶を返した。

伊波(いなみ)も無言で一礼し、大石(おおいし)と視線を交わす。

それだけで通じ合える関係だった。


次の瞬間、元気な女性の声が保健室に響く。


「こんにちわぁぁぁっ!」


勢いよく飛び込んできたのは、石井真白(いしいましろ)。

彼女もアドルフ隊の制服を着ており、華やかさと機能美を兼ね備えた黒と赤の隊服が彼女の活発な性格によく似合っていた。


「うわ、真白(ましろ)さんだ!」


一斗(いっと)が思わず声を上げる。驚きと困惑、そして少しだけ嬉しそうな気配がその声に混じっていた。


「お姉ちゃんも来てたんです?」


命(みこと)が無邪気に問いかけると、真白(ましろ)は胸を張ってドヤ顔で答える。


「そうよ、命(みこと)! 私(あたし)だもん、来るに決まってるでしょ?」


「えっ……命(みこと)ちゃんのお姉さんなの?」


ミキが不思議そうに尋ねる。


「血は繋がってないけど、小さい頃からずっと遊んでいたです」


命(みこと)が答えると、ミキはほんの少し戸惑いながらも頷いた。


「……そうなんだ」


その反応を見て、命(みこと)はさらりと事実を付け足す。


「どっちかって言うと、一斗(いっと)の方がよく遊んでたです」


「えっ……一斗(いっと)くんと……?」


ミキが思わず目を見開き、少しだけ頬を染める。

その反応に、命(みこと)はにやりと口元をゆるめて――


「大丈夫です、ミキちゃん。一斗(いっと)は、そういうんじゃないです」


からかうような調子で、さらっと言い放った。


「そ、そう……よかった……」


安堵したように笑うミキ。心のどこかで引っかかっていたものが、ふと溶けていく。


その様子をじっと見ていた命(みこと)が、微笑を深くして呟いた。


「ふーん……やっぱりです」


「もぅ、命(みこと)ちゃんまで……」


照れたように視線をそらすミキ。

彼女の頬には、真っ赤とはいかないまでも、明らかな火照りが残っていた。


そこに、真白(ましろ)が一歩前へ出て明るく名乗った。


「お話し中にごめんね。ミキちゃん、私もそこの伊波(いなみ)と同じでGFBIに所属してる石井(いしい)です。そしてこちら――愛する私の上司、大石(おおいし)ですっ!」


言った瞬間、真白(ましろ)の中で何かが弾けた。


「こら、石井(いしい)! “愛する”ってなんだ」


大石(おおいし)は苦笑しながら、軽く真白(ましろ)にツッコミを入れる。

だがその目には怒りはなく、むしろ年の離れた妹を見るような優しさが滲んでいた。


「っ……ち、違いますからっ! いまのは、言葉のあやでっ……!」


真白(ましろ)は完全に顔を真っ赤にしてうろたえる。

今まで誰にも言ったことのない気持ちが、不意に口からこぼれてしまったのだ。


“大石(おおいし)には妻子がいる”。

“自分は妹のような存在にすぎない”。


それを誰よりも分かっているのは、真白(ましろ)自身だった。


だからこそ、動揺は隠しきれなかった。


「ごめんね、騒がしくて」


空気を立て直すように、大石(おおいし)がミキに向き直る。


「えっと……安生(あんじょう)ミキさん、だよね? こんにちは」


「こんにちは……えっと、大石(おおいし)さん?」


ミキは少し緊張した面持ちで応える。


「うん。ちょっとだけ、お話を聞かせてもらえるかな」


そう言って、大石(おおいし)はミキの座るベッドの端に腰を下ろす。

その動作は丁寧で、威圧感のかけらもなかった。


「はい……」


ミキは小さくうなずく。

先ほどまで感じていた緊張は、不思議と和らいでいた。


「どうかな? 少しは落ち着いた?」


「……だいぶ。みんなとお話ししてたら……落ち着きました」


「そうかい。それはよかった」


大石(おおいし)は娘を見るような優しい眼差しでミキを見つめ、そっと背中に手を添えた。

そのあたたかな仕草に、ミキの強張っていた肩が少しだけ緩む。


「大変だったね……じゃあ、少しだけ。事件のこと、話してもらえるかな?」


「はい……」


ミキは一度だけ深く息を吸い、そして語り始めた。


「あれは、命(みこと)ちゃんにサヨナラを言ったあと……沙織(さおり)ちゃんと二人で、駅前のカフェに行こうと思って、バス停に向かっていました……」


言葉にするたびに、胸の奥に押し込めていた記憶が蘇る。

ミキの目にはうっすらと涙が浮かんでいたが、誰もその言葉を遮らなかった。


大石(おおいし)も、伊波(いなみ)も、命(みこと)も、一斗(いっと)も、そして真白(ましろ)も――

ただ静かに、彼女の声に耳を傾けていた。


* * *


「安生(あんじょう)ミキの証言、および周辺の目撃者の証言は以上です」


ツバキが姿勢を正し、きっぱりと報告を締めくくった。その表情には緊張と、救えなかった悔しさがうっすらとにじむ。


「報告は以上です。総司令(そうしれい)、お願いします」


古山(こやま)がすかさず引き継ぎ、姿勢を正して大石(おおいし)に一礼した。眼差しには焦りを抑えた覚悟が浮かんでいる。


大石(おおいし)は重厚な隊服の胸元に手を置き、周囲を見回しながら、ゆっくりと口を開いた。


「分かった。皆(みんな)、聞いてくれ」


その声は静かにして確かであり、一言で場の空気を引き締める力を持っていた。


「今回の妖魔はF1の形状をしており、F1に匹敵する性能を持つと見て間違いない。今後、この妖魔を──『F1妖魔』と呼称する」


『アドルフ』の隊員たちは、これから対峙することになる存在――『F1妖魔』という名を、静かに胸に刻み込んだ。


「それと──バクマ、報告と連絡を頼む」


大石(おおいし)の声に応え、すぐ傍らに控えていたバクマがふわりと宙に浮かんだまま、一歩分前へと滑るように進み出た。ヌイグルミの姿をしたペッポッドであるにも関わらず、その所作は実に整っており、目を向けた隊員たちの中には、思わず背筋を伸ばす者もいた。


「はい、それでは報告させていただきます」


柔らかく、それでいて凛とした声でバクマは話し始めた。


「命様(みことさま)、一斗様(いっとさま)は現在、『三雲邸(みくもてい)』にて日常生活をお過ごしでございます。健康状態にも異常はありません。また、安生(あんじょう)ミキ様に関しては、安全確保の観点から、許可をいただいたうえでミキ様が所有する『ペッポッド』と私をリンクさせていただいております」


それを聞いた数名の隊員の表情に安堵の色が浮かぶ。


「加えて、ミキ様の通学時に限り、ペッポッドの学校持ち込みを許可いただいております。ご対応、感謝申し上げます」


そこで一呼吸置くと、バクマは宙を漂う姿勢のまま、全体に向けて声を上げた。


「アドルフ隊員の皆様への連絡です。妖魔探知レーダーの小型化に成功いたしました。ポッド端末をお持ちの方は、後ほど私にお預けください。内部に組み込みを行います」


手を軽く挙げて見せると、周囲の数名が小さくうなずく。


「また、ブレスをご使用の方は、『アドルフ共有ストレージ』よりレーダーアプリを各自インストール願います。ブレス単体では設置型運用のみですが、一定の探知精度は保証されております。以上でございます」


丁寧に一礼し、バクマはふわりと回転しながら滑空し、大石(おおいし)の隣に静かに戻った。


「よし、皆──バクマの話、聞いたな。ヨロシク頼むぞ!」


大石(おおいし)の声に、隊員たちは一斉に「はいっ!」と力強く応えた。


古山(こやま)がすかさず前に出る。


「総司令(そうしれい)、ありがとうございました。では、捜査隊は『三枝コーポレーション』の関係者と、代表である三枝門之助(さえぐさもんのすけ)の交友・経歴・怨恨を洗い出せ。VF1およびF1との関連も含め、過去の歴史まで掘り起こせ!」


「了解っ!」複数の隊員が応じた。


「ツバキ、お前は『三枝邸(さえぐさてい)』の警備だ。妖魔が現れる可能性がある。最大警戒で!」


「はっ!」ツバキは真剣な眼差しで返答した。


「それでは……総司令(そうしれい)、最後の言葉を」


古山(こやま)が一歩下がり、大石(おおいし)に視線を向けた。


大石(おおいし)はゆっくりと前に出て、一人ひとりの顔を見てから言った。


「相手は妖魔だ。命(いのち)の危険が常に伴う。戦う力がない者は絶対に逃げろ。戦える者であっても、決して独断専行するな。報告し、援軍を待て」


そこまで言うと、大石(おおいし)は拳をぐっと握りしめ、強い意志を込めて叫ぶ。


「いいか──絶対に『F1妖魔』を倒し、三枝沙織(さえぐささおり)さんを取り戻すんだっ!!」


「はいっっ!!」全員の声が室内に響いた。


「……よし、行けぇぇぇっ!」


古山参謀(こやまさんぼう)の号令とともに、アドルフ隊員たちは次々に部屋を後にしていった。


その静けさの戻った司令室に残ったのは、大石(おおいし)、古山(こやま)、バクマ、そして数名の支援班のみだった。


作戦に向かった隊員たちの足音が遠のくと、室内にはわずかな機器の駆動音と、低く重い空気だけが残る。


大石(おおいし)は無言のまま、自身のデスクに片手を置いた。隊服の肩に走る赤いラインが、重責を象徴するように沈んだ光を反射している。


その傍らには、変わらず控えるバクマが静かに宙に浮かんでいた。ふわりと一定の高度を保ったまま、わずかに身体を前後に揺らしながら漂うその姿は、ぬいぐるみでありながらも、不思議と頼もしさすら感じさせる存在感を放っていた。


古山(こやま)はデータを整理しながら、ちらと大石(おおいし)の方を見る。口には出さずとも、互いの疲労と焦りは伝わっていた。


「……必ず、取り戻すぞ」


そう大石(おおいし)が誰にともなく呟いたその声は、決意と焦燥の入り混じった、司令官としての孤独を滲ませていた。


そしてその言葉に、バクマはわずかに頭を下げ、静かに応じた。


「御意でございます、総司令(そうしれい)」


『アドルフ司令室』の空気は、やがて再び動き出す運命の時を待つように、しんと静まり返っていた――。

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