ちよこれいと大作戦 Ⅳ

「せ、正解です……! ですので、こちらをどうぞ」


 店長がレジの横から一枚の紙を取り出して、シルヴィに手渡した。

 どうやらドクター・レイチェルにそう指示されていたようだ。

 内容が気になって、テオリは横から顔を覗かせた。


       ②

 ―――――――———————

  I E L P R G N G

 ―――――――———————


 そこにあったのは、すでに配られていた暗号と同じ形式のものだった。ナンバリングが振ってあることを考えると、順当に連番ということだろう。

 この例に続くなら、次に手に入るのは③ということになる。

 だが――


(いったい、どういう意味だ……?)


 さきほどから頭の片隅で考えていた暗号――NCDOEの文字列――と同様に、こちらも意味がわからない。

 TAKE TWO WORDS——2語を取れという指示文も、いまだにわかっていない。これが暗号を復号してからの指示なのか、あるいは復号のためのヒントであるのかさえも判然としていない。

 転置式アナグラムの可能性は、おそらく低い。理由は単純に、現状で成り立つ文字がないからだ。とはいえ③も加えた全体の文字列でみたときに発見できる可能性も否めないが。

 あるいは基本的な換字式なら、どこかで対応表が手に入る、もしくは類推が可能な状態になるはずだ。だが、もしもその類推のための知識がチョコレートや菓子のたぐいとなるなら……そのときは、自分にはお手上げだ。


「IEL、PRG、NG……くそ、こいつも転置じゃなさそうだな」


 つけ直したマスクの下で、テオリはちいさく舌打ちした。

 せっかく先輩に頼ってもらっているというのに、まだなんの協力もできていないことが、なんとも歯がゆかった。


「おめでとうございます。……あの、ひとついいでしょうか」


 眉を困らせて、小柄な店長がシルヴィにたずねた。


「なんでしょうか」

「どうして、ショコラケーキがもっとも出来がいいと感じられたのでしょうか。レイチェルさんも、今回のクイズで私の店のお菓子を使いたいと言ったときに、新作をひと通り食べて、このショコラケーキを正解にしろとだけ言い残して去っていったのですが、肝心の私に理由を教えてはくれませんでした。私は、ほかのショコラクチュールも、お客様に喜んでいただけるお菓子になったと思っているのですが……」


 そうだ、とテオリは思った。たしかに、自分もどうしてシルヴィが正答できたのかは気になるところだ。


「わたしたちの前に、正解した方はいらっしゃらなかったのですか?」

「はい。ひと組いらしたのですが、とても急いでいる様子で、すぐにべつのところに行ってしまって……」

「なるほど。もちろん、わたしでよければお答えします。もっとも、わたしの考えとドクター・レイチェルの考えがまったく同じかどうかはわかりかねますが」


 シルヴィは、ショーケースに入った色とりどりのケーキに目をやった。


「さきほどこのブースを訪ねて、わたしは驚きました。理由は、想像していたタイプのショコラが商品のラインナップに少なかったからです。『ノクターン』で出しているのは、ショコラティエたちのなかではプロヴァンス風と呼ばれる、シンプルで優しく、それでいて深い味わいのある商品だという話を聞いていたからです」


 ですが、とシルヴィは続ける。


「実際に目についたのは、人目を惹くタイプの創作菓子が大半でした。今回の新作も、二種類はそうした系統でしたね。いえ、もちろん口に合わなかったとは言いません。むしろ、すべて非常にハイレベルな作品でした。それでもわたしには、ここのパティシエがもっとも腕前を発揮できるのは――言い換えるなら、あなたの特徴が出ているのは、この単純なショコラケーキに違いないと感じました。思わず口元が綻ぶくらい、優しくて甘くて、なによりも、どうしてか懐かしい味がしましたから」


 店長は、あからさまに驚いた表情でシルヴィの話を聞いていた。


「わたしのほうこそ、ひとつ質問してもよろしいですか。こちらのケーキ、紹介にはいちじくの説明しかされていませんでしたが、隠し味にワインシロップを仕込んではいませんか? バニラとか、アーモンドのかおりがするような」

「え……は、はい、そのとおりです! いちばんいい味になるように、何種類も調合して用意したんです!」

「やっぱり。そのおかげで、しっとりした生地の表面に華やかな風味がありました。単純でも工夫を凝らすことを忘れない。すばらしい仕事ですわ」


 感動した様子の店長が、そこでがしっとシルヴィの手を掴んだ。


「あ、あ、ありがとうございます! そういうことだったんですね……。私、七番街にお店を構えてから、どうもほかの名店と違って、出しているものが単純すぎないかって不安で……それで、見よう見まねで、とにかくおしゃれなものを作ろうって必死になっていたんです。でも、思っていたよりはお客さまからの反響もよくなくて。これからどうしようって、悩んでいたのです。でも、どうするべきかわかりました!」

「それはなにより。これからも、ぜひいろいろなお菓子を作ってください。かならず買いに行きますので」

「はい! お客さまのためにも、腕によりをかけて準備しておきます!」


 ぺこぺこと頭を下げる店長に、シルヴィはちいさく手を振ってブースを去っていった。

(やっぱ、このひとは違ぇな……)

 一部始終を見ていたテオリは、そう感想してごくりとつばを飲んだが、すぐに頭を振ってあとを追いかけた。


「せ、先輩! その、お、おめでとうございます?」

「ありがとう。でも、まだなにもおめでたくはないわ。なにせ、ヒントをたったひとつ手に入れただけだもの」


 手元の暗号をちらちらと覗きながら、シルヴィは足早に会場内を移動した。


「先輩は、今のところ見当がついていたりはしないんですか。っていっても、③を手に入れないことにはアレでしょうけど」

「ひょっとしたらこうじゃないか、というのはひとつ浮かんでいるわ」

「えっ、マジすか⁉」

「ええ。でも確証はないから、とにかくピースを埋めないとね」


 次なる問いは、こうだ。


 問い2.本物のチョコレートをそのまま食ったら、うまいか!うまくないか!どっちか、バフォメ社の新作ブースで答えろ!


 再読して、思わずテオリは頭を掻いた。


「これも、どういう意味なんすかね。本物のチョコレートっていわれても、なんのことやら。だいたい、もし本物のチョコレートがあるんだとしたら、そりゃうまいに決まっているし」

「あら。こっちは、さっきの問いに比べたらずっとかんたんよ」


 ついてきて、とシルヴィが先導していく。




 バフォメ社の新作ブースがあるのは、会場の中心地だった。

 新商品の紹介だけでいくつも展開しているのは当然として、新しく構えることになった直営の新店舗や、企業としての社会的な取り組みのプレゼンテーションをおこなうなど、会場全体の五分の一ほども占拠し、場の喧騒を強めるのに協力している。


「連盟企業は活動のスケールが違うわね。当然といえば当然のことだけれど」


 列に並びながら、シルヴィが言った。

 ドクター・レイチェルの問いに答えたい――ふたりはそうスタッフに伝えると、慣れた対応で列に案内された。

 来季リニューアルオープンする、一番街グランモール内にあるバフォメスイートショップの開店式に関連したキャンペーンの申し込み用ブースとのことだが、同時にドクター・レイチェルのクイズに答えるための窓口にもなっているようだった。

 長蛇といっていい列だが、何人もの係員が手際よく捌いているため、そう時間はかからないように見受けられた。


「みたところ、クイズに答えるために並んでいるひとが大半みたいね。場所が指定されているだけあって、まずこっちから取りかかろうというひとが多いのかしら」

「あの、先輩。この問題の答えは、結局どっちなんすか?」


 テオリは気になってたずねた。本物のチョコレートにかんする問いだ。


「それを説明するには、なによりもまず偉大都市におけるカカオの扱いを知らなければならないわね」


 シルヴィは、薄い桜色のリップを指先で軽く押した。素顔の彼女がものを考えているときの癖のひとつで、テオリにはやけに印象強く残っている仕草だった。


「旧文明由来のゲノム編集にはじまり、遺伝子組み換えと培養技術の確立で、今の偉大都市に作り出せない食材はほとんどなくなったわ。おかげでバフォメ社の代表的な商品、ビフィー・ラビットのイラストが描かれたタブレット・チョコレートなんかは、驚異の安価で市場に出回るロングセラーとなった……にもかかわらず、ほかの食材以上の高値で市外に輸出されていて、不認可の取引で利ザヤを出そうとする業者がたびたび捕まっているのは、鞍馬くんも知っている話よね?」


 豆知識を語らせれば右に出る者のいない女、シルヴィ・バレトである。

 ともあれ、その話はテオリもよく知っていた。

 連盟企業を怒らせれば生涯シャバに出ることが叶わないというのに、いまだに紙面に登場する昔ながらの犯罪の存在は、とても有名だ。

 チョコレートは、おいしい以上に栄養価が高い。そんなものが低価格で販売している偉大都市がおかしいのだ。


「とにかく、そうした事情で、偉大都市に住んでいる人間は、チョコレートを食べたことがあるひとが多い。でも、みんなが食べているものが本物のチョコレートであるかどうかと問われると、言葉には詰まってしまうの」

「つまり……どれだけうまくとも、しょせんは偽物ってことすか?」

「そうね。とてもじょうずに再現できているけれど、けして真実ではないわ。模造品の模造物を、さらに模造したもの。わかりやすい言い方をするなら、けして天然のカカオマスではないというわけ」

「それは、でもあたりまえじゃないっすか? 天然モノの果実なんて、カカオマスにかぎらず、ほとんど現代には――」

「それが、あるのよ」


 列の先を見据えながら、シルヴィは言った。


「バフォメ社の秘宝――はるかむかしにその状態を保存された、天然のカカオマス。その始祖たる果実の成分が使用された特別なチョコレートが、今年は売りに出たの。定義上、それを本物のチョコレートと呼んでいるのよ」

「まじすか、それ……。そういうのって、いくらくらいするんすかね」

「まあ、あまりお安いとは言えないのはたしかね」


 なぜか濁した言い方だったが、きっと法外な値段に違いないとテオリはにらんだ。


 いずれにせよ、スケールの大きな話だ。

 旧文明の崩壊から何年が経ったと思っている? それほどまでに長いあいだ生き延びてきた果実なんて、想像がつかない。

 

「ともあれ、問題文は、その本物のチョコレートをそのまま食べておいしいかどうか、というものだわ。これは、とてもかんたん――答えは、そんなわけがない、だわ」


 ちょうど、自分たちの番がきた。シルヴィは係りの女性に答えを伝えると、その引き換えに一枚の紙を受け取った。


「よくかんちがいされているけれど、カカオ自体に甘みなんてまったくないの。カカオは、あくまであの舌触りのなめらかさと極上のアロマを出すための食材で、ビターであれスイートであれ、味わいを引き出すのはその後の加工の工程だわ。だから、そのままではだめよ。ペーパーテスト的なひっかけね」


 シルヴィが嬉しそうなのが、正答できたからなのか、それとも最後のヒントを手に入れたからなのかは、テオリにはわからなかった。


「さて、では次の暗号を拝見しましょうか」


 シルヴィが、受け取った紙を開いた。

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