シルヴィ・バレト警肆級

ちよこれいと大作戦 Ⅰ

「きょう、ふたりを呼んだのはほかでもないわ」


 ここはおなじみの場所。

 暖房ぽかぽか、第七執務室のなかでのことだった。


 とある粛清官ふたりを迎えているのは、凛然という二文字が顔面に貼りついているかのような女、シルヴィ・バレト警肆級。

 この日は、シルヴィがおおよそひと月にいちど、「そういう気分だったから」と髪型をほんのり変える日であり、少々手間を加えたハーフアップであった。

 ともあれ、いつもの銀髪には変わりない。


「ええ、わかっているつもりです」

「どんなご相談も、どんとこい、であります!」


 対面するは、ふたりの後輩粛清官。

 普段の和装にいつもの吊り目、ただしこのところの連勤が祟って目の下がわずかに黒くなっている、鞍馬手織警伍級。

 並んで敬礼しているのは、連勤にもかかわらず元気もりもりのライラ・イライッザ警伍級である。


 ふたりの返事に、シルヴィは意外そうな表情を浮かべた。


「あら。きちんと理解してくれているのね、鞍馬くん」

「もちろんです。いや、さすがの俺も、ちょっと疲れているってのは否定できませんが、年期の締めが近い今、粛清の完了件数を上昇させることは、第七にしても大事なことっすからね。どんな仕事でも引き受けますよ」


 テオリが自信満々に答えた内容は、おおよその本音といってよかったが、少々の下心も混ざっていたというのが実情だ。

 シルヴィという女は、部下を褒めるときに屈託がない。そしてテオリといえど、理想的な女上司から正当な評価を受けるのはやぶさかではなかった。

 だが、このときのシルヴィは褒めるではなく、その透過率の高い鉱物のような瞳で、部下の顔をふしぎそうに眺めるのみだった。


「その考えは立派だけれど、鞍馬くんは、どうやらあまりよく事情がわかっていないようね」

「そのようでありますね。まったく、しょうもないパートナーでありますなぁ」

「んだとライラ、てめぇ……」


 テオリにとってこの世でもっともイラつくのは、相棒にぷぷぷと笑われることだった。それがどういったものであれ、自分にわからないものをこの阿呆が理解しているという現実は筆舌に尽くしがたい感情を呼ぶ。

 というか、そんなものがあるはずがねーだろ。


「どうやら、ライラさんのほうはわかっているようね」

「もちろんであります!」

「ほんとうだろうな! なら言ってみろ!」

「いいでありますよ? いつもお忙しーシルヴィ先輩がわざわざ自分たちを呼びつけた理由……それは――」


 ライラは、たっぷり五秒も溜めると、


「ズバリ――バレンタインデーが近いから、でありますね!」


 そう、みずからの考えを明かした。


 えっへん、と薄い胸を張るライラ。

 おもいきり脱力するテオリ。

 無表情のシルヴィ。


「こいつ、なにを言っているんだ……。すんません先輩、こいついつまで経ってもバカのままで」

「正解よ」

「正解なんすか⁉」

「そりゃーそうでありますよ。自分に言わせれば、テオにはいまいち観察眼が足りていないでありますね。この二月が近づくにつれ、シルヴィ先輩ときたらそわそわして、気がつけばおしゃれ雑誌を眺めたり、めずらしく自主的に休暇を取ったり、あきらかにイベントを意識した行動ばかりが目立っていたでありますからね」


 満足げにうなずくシルヴィは、ずっと後ろ手に隠していたらしい雑誌を取り出した。

 テオリにはよーわからん、中央街勤めのハイソな女たちの買う雑誌のようだった。

 その表紙には、バレンタイン特集とある。あとハートがたくさん。


「バレンタインというものがなんなのか、ふたりは知っているかしら」

「はい、知っているであります! スゴクウマイチョコレートを、だいじなパートナーにお渡しする日であります!」

「正解よ。ただし、それでは記述満点とはいえないわね」


 ほんのり笑顔で、シルヴィは説明を足した。


「さかのぼること数十年前、この偉大都市で新たなビジネスチャンスを探していた連盟企業のバフォメ社が広告代理店と協力して、旧文明のとある地域の慣習を復活させたスイーツブーム……それが、来たる二月十四日のバレンタイン・デーよ」


 シルヴィの理解は、おおよそ正しいといえる。

 が、それでさえも正答とはいえないことをテオリは知っていた。

 バレンタインは、もとをたどれば夜半遊郭の文化だ。

 二月の第二週に、花魁が自分のいちばんの太客のために、特別に手作りでこしらえた甘味を渡すという、むかしながらの妓楼の風習である。

 そこに目をつけたのが、偉大都市最大の食品メーカーであるバフォメ社だったというわけだ。


 が、テオリはわざわざ口にしなかった。

 なぜなら、そんなどうでもいいイベントの沿革などどうでもよかったからである。


「ははあ、大企業によって作られたブームなのでありますね。お菓子業界の陰謀、暗黒メガコーポの策略なのでありますね!」

「ブームなんてものは、すべてに火付け役がいるものなのよ、ライラさん。それにね、これがお菓子業界の陰謀かどうかなんてどうでもいいの。肝心なのは、すでに立派に根付いてしまった風習がわたしたちの日常にあるということだけ」


 困ったような、それでいてどこか喜んだような、含みのある表情でシルヴィは続ける。


「そして気づいたときには、スイーツを渡す対象はパートナーのみならず、親やきょうだい、ともだち、果ては職場の人間と、どんどん幅広くなってしまったわ」


 そのことはテオリもよく知るところだった。

 官林院に入る前に通っていた遊郭の寺子屋でも、二月といえば男どもの挙動が不審となり、女たちが色めきだって、うざったいにもほどがあった。


「昨今のバレンタインオーラはますます強まっているわ。わたしの実感でも、バレンタイン直前のチョコレートフェスに足を運ぶ人数は、毎年倍増しているといっても過言ではないというくらいよ」

「あのー、んなところに毎年行っているんすか? シルヴィ先輩は」

「当然でしょう。だって、楽しいのだもの」


 なにをあたりまえのことを、という目でみられるテオリ。


「申し訳ないであります、シルヴィ先輩。テオリときたら、あまり物を知らないものでありまして」

「あァン!? 表出ろテメェ!?」

「かまわないわ。男のひとがよくわからなくとも、それは一般的なことよ。むしろ、受け取る側にはあまりこちら側の内情は知らないでいてもらいたいとさえ言えるわ」


 じゃあなんで俺はここに呼ばれたんだよ、と思うテオリ。


「じゃあなんで呼ばれたんだ、と言いたげね」と当てるシルヴィ。


「単刀直入にいうと、協力してもらいたいのよ。近々開かれるチョコレートフェスで、ぜひ手に入れたいものがあるの」


 シルヴィが一枚のカードを差し出した。

 まるで招待状のようになっている厚紙には、なにやらやけに豪華な包みのチョコレートの写真が載っている。

 どうやら、例のフェスとやらに出店するチョコレート屋の店舗カードのようだったが、そこに書かれているのは不審な一文だった。


「『ドクター・レイチェルのリミテッド・ハイスタンダード・ラグジュアリー・エクセレント・チョコレート・エクステンデッド・エディション』……」

「『当日限定五箱発売。スイーツバカのお客ども、買えるもんなら買ってみやがれ! まあ、おめーらみたいな砂糖中毒の低能には無理だろーけどな、ケケケ!』」


 上の文章をテオリが読み、下をライラが読んだ。

 が、意味はさっぱりであった。


「……なんすかこれ?」

「なんだか小バカにしてきているでありますよ!」

「それが、今年わたしがどうしても欲しいチョコレートよ」


 なんでもないかのように紅茶を啜りながら、シルヴィは答えた。


「ふたりは、ドクター・レイチェルというひとのことは知ってる?」

「まったく」「わからんであります」

「この偉大都市でもっとも有名なパティシエよ。九年前にバフォメ社が募集した自社の専属パティシエのコンテストで優勝した、とびっきりの才能。スイーツマスターとか、エンペラー・オブ・シュガーとか、そういうふうにも呼ばれているわ」


 どうやら菓子職人だったらしい。


「じゃあなんでドクターなんすか?」と当然の疑問をはくテオリ。

「知らないわ。当人は、料理は科学だから私は博士だ、とかなんとかインタビューで答えていた気がするけれど」

「絶対にバカじゃないすかそいつ」

「彼女の人格に難があると巷で言われているのは事実よ。それは、そのショップカードの文章を読んでもらっても疑う余地はないかもしれないわね」


 テオリはあらためて再読した。

 呆れて物も言えないとはこのことである。

 よくみるとカードのデザインも奇妙だった。謎に動物たちの絵がちりばめられており、高級感のあるフォントを邪魔している。


「チョコレートフェスはバフォメ社の協賛で開催されているイベントで、そのゆかりでドクター・レイチェルが来場者のためにチョコレートを作るというのが恒例行事だったの。でも、どうやら彼女はその仕事が気に食わなかったみたいで、ある年からボイコットするようになったのね」

「はー。連盟企業相手にそんなことができるでありますか、そのパチシエさんは」

「言ったでしょう、変わり者だって。とにかく、それで困ったバフォメ社は、どうにか仕事をしてくれないかと画策して、いろいろな手段を講じたそうなの。そのどれもがうまくいかなくて、しつこい交渉に辟易したドクターが出した条件が、『自分が会場に隠れているから、みつけられたやつには作ってやる』というものだったわけ」


 おおかた話が読めてきた。

 その場のクッキーをあらかた食べ尽くし、「こちらの缶も開けてよいでありますか!」と聞くライラと、自由にするように促すシルヴィと、どうやら本当に仕事の話ではないらしいとわかって肩のちからが抜けきったテオリ。

 代理指揮官のメガネが離席中だと、とことん自由な第七執務室であった。


「しかし、そのパティシエが隠れるったって、いったいどう隠れていて、客のほうはどうみつけだすんすか?」

「隠れるのはかんたんだわ。会場には何百っていうお菓子職人が出店するから、そのうちのひとつにまぎれているはず」

「そんなにあるんすか!?」

「中央街の有名店に所属するパティシエはもちろん、七番街のグルメ街道のお菓子屋もほとんど参戦するし、バフォメ社に取り入りたい野心家のアマチュアだって自作を持ってくるし、ちょっとしたお祭り騒ぎなのよ」

「お菓子たくさんなのでありますか!」

「ええ、去年は粒ぞろいだったわよ。ガナッシュをたっぷり詰めたショコラパイとか、貴重なプラリネを砕いて生地に混ぜたトリュフとか、めずらしいところだと冷菓加工のシャーベット風チョコレートあたりは、とくによかったわ」


 甘いものといえばせいぜい蜜少なめのあんみつくらいしか好まないテオリには、聞いているだけで胸焼けしそうな話だった。

 というか、バレンタインにかこつけて自分が楽しんでいるだけではないか……。


「肝心の探し方にかんしては、わたしもまだ詳細はわからないのだけれど、どうやらクイズのようなものが出されるみたい。まあ、詳しいことは当日ね」

「はあ。クイズ、っすか……」


 得意か苦手かでいえば得意な部類だ。が、いかんせん会場のテーマがチョコレート、あまり自信があると快活には答えられない。


「以上で、だいたいの説明は終わりよ。偉大都市のスイーツは手広く押さえてきたつもりのわたしだけれど、ドクター・レイチェルのお手製のものはまだ試したことがないの。だからぜひ、この限定五箱を手に入れたいというわけ。それで……ふたりには悪いと思うのだけれど、協力してもらいたいのよ」

「よくわからないでありますが、先輩の頼みならもちろん受けるであります!」

「まあ、俺もべつにかまわないっすけど……」

「助かるわ。わたしひとりだと自信がなかったから」


 当日は好きなチョコレートをご馳走してあげると言うシルヴィと、諸手をあげて喜ぶライラ。

 そういう話なら、どちらかというとライラこのバカはいないほうがいいのではないか……?

 そう思いながらも、めんどうくさかったので口に出すことはしないテオリだった。

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