第33話 白い髪の少女が縫った巾着袋


 そして、花見の宴の前日となった。


「宗主がいらっしゃいました」

 家宰を前触れにして荘興が白麗のご機嫌伺いに来た。


 年齢も知命に近いながら、仕事で東奔西走している彼が、日中にくつろいだ姿を見せることなど滅多にない。明日のことを考えて、今日は一日、屋敷にいることにしたのだろう。


 しかしながら、突然の宗主のお目見えで萬姜はおおいに慌てた。細切れに切り刻んだ色とりどりの布で、部屋は散らかっている。

 梨佳に手伝わせて、白麗と嬉児に縫い物を教えていたところだった。


 花見の宴の準備で屋敷のものたちは上へ下への大騒動だが、すべての準備が整った萬姜たちは、明日になるのを待つだけだ。この部屋だけは別世界のようにゆったりとした時間が流れている。


 切り刻んだ布は、白麗の着物の長い袖や裾を切り落とした端切れだ。


 昨年の秋に、萬姜は鬼子母神の縁日で白麗と出会った。

 そして彼女付きの侍女として、荘本家に雇われることになった。そのときに、彩楽堂の着物が気に入らないらしい白麗の状態を何とかして欲しいと、允陶に頼まれた。そのために、切り落とした白麗の豪奢な着物の袖や裾の布が溜まっている。


「切り落とした布を、あのままに仕舞い込んでおくのはあまりにもったいなく思います。巾着袋に仕立て直したいのです。それに、お嬢さまに縫い物をお教えするよい機会とも思いますし……」


 萬姜の申し出を最後まで聞くことなく、「好きなようにしたらよい」と家宰は即座に答えた。


 お嬢さまが喜んで着てくださるために、着物の袖や裾を切りたいと言ったときも、家宰は「好きなようにしたらよい」と言ったはずだ。それなのに、初めてあった彩楽堂にねちねちと皮肉を言われた時は、母子四人して屋敷を追い出されることも覚悟した。


 しかし、あの日から半年が過ぎようとしている。

「はい。では、そのようにいたします」

 豊満な胸を張って言い返す度胸もついていた。


 両親と夫を流行り病で同時に亡くした悲しみを思い出さない日が多くなった。あの時は少しは痩せたはずの体だったが、この屋敷での忙しいながら幸せな境遇のせいで、またもとの太った体に戻っている。いや、認めたくはないが、またまた太ったような……。


「白麗さま、縫い物の邪魔をしてしまったかな?」


 片づけた部屋の真ん中に、どさりと荘興は座り込んだ。

 白麗の最近の様子や明日の花見の宴の天気のことなどさりげない話題が続いたのち、萬姜は赤い布地で縫った巾着袋を手にすると荘興に言った。


「宗主さま、これは白麗お嬢さまが縫われた巾着袋です。お嬢さまはお器用で上手に縫われました。そして、お嬢さまはこの巾着袋を宗主さまに差し上げたいと……、……。たぶん、そう申されているような気がします」


 そう言いながら萬姜が差し出した一枚の巾着袋を、表に裏にしてと、しばらく丹念に眺めたあと荘興が言った。


「おれは男で縫い物のことについてはわからぬが、それでも使われた布地の見事なのと、丁寧に縫われていることくらいはわかる。萬姜、おまえの教え方が上手なのだな」


 男の宗主には興味のないことだと思っていた縫い物のことを話題にしてくれたうえに、過分に褒めてさえもらった。


――今日の宗主さまはご機嫌がよくていらっしゃる。雷鳴とどろく夜に、怖がって錯乱されたお嬢さまを心配するあまり……。部屋から出られようとされなかった宗主さまを追い出してしまった失礼を、もう忘れてくださっているに違いないわ――


 不安と安堵で、萬姜の顔色は青くなったり赤くなったり。だが、そのような萬姜の胸の内など、荘興は気づいてもいないようだ。


「白麗さま、かたじけなく頂戴する。この巾着袋は、大切に使わせてもらうと約束しよう。そうだ、このようによいものを頂いたのだ、なにか礼をせねばならぬな。あとで家宰に届けさせよう」


「そうしゅちゃま!」


 それまで、母親にそっくりな丸い目を好奇心にくりくりとさせて、大人たちの会話を聞いていた嬉児だった。突然に布の山に小さな手を入れてかき回すと、その中から、彼女はぐちゃぐちゃとしたものを探し出した。そしてそれを差し出しながら甲高い声で言った。


「そうしゅちゃまに、あたちのぬったきんちゃくぶくろもあげる。あたちにもおれいをちょうだい」


 梨佳が慌てて幼い妹の口を両手で押さえてふさいだが、舌足らずな言葉は出てしまったあとだ。


「も、申し訳ありません。わたしどもの躾が行き届かぬばかりに、嬉児が失礼なことを申しました」


「いや、いや、萬姜と梨佳、嬉児を叱るな。嬉児の縫った巾着袋は、白麗さまが当屋敷でご機嫌よく過ごされている証であるということだ。嬉児にも礼をせねばな。嬉児よ、これからも白麗さまと仲良くするのだぞ」


「はい、そうしゅちゃま。はくれいおねえちゃまとあそぶの、あたちもだいすき」


 一転して、部屋は和やかな笑い声に包まれた。

 慇懃無礼な允陶までもがその顔に笑いとは言いがたい苦笑を浮かべる。


「長居をしてしまったようだ」

 白麗の縫った巾着に嬉児のそれを重ねて懐にしまうと、荘興は立ち上がった。

「そうだな、今日は皆で楽しく昼餉の膳を囲もう。家宰、忙しいだろうが、取り計らってくれるか」


「承知いたしました。怪我人の治療のために永先生もお見えですので、お誘いされるのもよいかと」


「おお、それはよい。そういえば、近頃の旦州は萬姜の息子の範連に薬籠を持たせて連れ回しているらしいな」


「さようでございます。範連は賢く機転も利くと永先生はおっしゃられて、範連を重宝しているとか」


「昼餉の席に、範連も同席させるとよいだろう」


「そのようにいたしましょう」


 部屋を出て行く荘興の後ろ姿を見送る萬姜のこんもりと盛り上がった膝の上に、嬉し涙が一粒こぼれ落ちる。




※ ※ ※


 荘興は自室の扉の前で立ち止まった。

 そして、まるで目に見えない何ものかがいるように、しばらく中庭の一点を凝視した。


 後ろに従っていた允陶も主人の動きに合わせて、少し離れて立ち止まる。しかし、なぜ主人が立ち止まったのか、いったい何を見つめているのか、彼は訊ねようとはしない。彼はただ主人の次の言葉か行動を待つのみだ。


 白麗の縫った巾着袋を懐から取り出して、荘興が言った。

「允陶、これに詰められるだけの砂金を詰めて、六鹿山にいる魁堂鉄に送れ。砂金の使い道は、指図せずとも、やつにはわかるはずだ」


「承知いたしました」


 荘興の言葉の真意は、一を聞いて十を知る允陶でもわからない。


 しかし、明日、今までになく花見の宴を盛大に催すのは、毒蛇・園剋とその息のかかった者たちの目を六鹿山から逸らすためだということを、彼は知っている。ということは、巾着に詰めた砂金もまた、荘興の次男・荘英卓の無事の帰還に役立つということなのだろう。


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