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   第六章


 シルバーのミッドシップ2シーターを駆るシェイカーの隣でシンガーはオーディオを操作していた。ハードディスクには結構往年のハードロックやなんかが入っていたがシンガーはいまいちそこいら辺は疎かったのでとりあえずマイケル・ジャクソンの《ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス》を選曲した。スパイク・リーが監督し発禁になったプリズン・バージョンのビデオクリップは見たか? みたいな感じのことをビリーと話しながらオーディオをいじりAC/DCのどの曲が《アイアンマン》のあれなのか見当も付かなかったのでビリーに訊いてみた。Hey, Billy. Could you tell me which AC/DC songs were in "Iron Man"? Lemme see. They might be "Back in Black" and "Shoot to thrill" or something, I guess. Thanks. That's it! That is absolutely it! It just feels like Tony Stark. Fuckin' great! ちなみに後日シンガーがセリカのセルフパーティーで両曲を練習したバック・イン・ブラックは難し過ぎで無理っぽかったが《シュート・トゥ・スリル》はいけそうだったので次回〈アルテミス〉赴く機会に披露してやろうと思ったという。ご機嫌なギタープレイを堪能しつつ次はちょっとボン・ジョビ行っとこうかなとか思っていたら《シュート・トゥ・スリル》が五分十九秒とやや長めでビリーは無茶苦茶飛ばしてた事も重なりAC/DCのボーカル、ボン・スコットがどうのこうのと喚いている最中に例の別荘に到着してしまった。別荘の前の駐車場にはシルバーの現行A90スープラ、黒の現行カマロ、そしてビス止めフェンダーを含むロケット・バニー製フルエアロをまとったオレンジ色の前期型86が停めてあった。シルバー2シーターを降りたシンガーはもう一台のシルバー2シーターを見て思った。プロポーションは現行NSXやC7コルベット・グランスポーツ辺りと較べればそれほど良くはないがそれを補って余りあるデザイン性の高さが秀逸だ。それにリアハッチ内のトランクの上に蓋があるのは荷物に日光が当たらなくて都合がいい。JDM人気がアメリカで爆発しているこのご時勢にわざわざBMWにスープラを作らせた上にオートマしかないことからしてネットでアメリカ人に絶不評なのは致し方ないとしてもだ、特にこのシルバーだと部分的にブラックと2トーンになっている所が際立ってよりデザインを際立たせる。それに滅法速くてハンドリングが良くてこんくらい死ぬほどカッコ良かったら結局どこで誰が作ろうと何だっていいだろ。このクルマ一体誰が買ったんだ? 普通に欲しいな。そんな一通りの批評を終えるとシンガーはシェイカーを追いやかましいトロピカル・ハウスが漏れ聞こえる別荘の玄関へと向かった。あんな軽薄そうな音楽を聞いて踊っているような連中とうまく話せるもんかね全く。こんな面倒なことになるんだったら家で《ニード・フォー・スピード/ペイバック》の先代カマロの後期型でドリフトの練習をひたすらやってた方がよっぽど良かったわ。そんな不満を胸に秘めていたシンガーであったが彼が想定していたよりもよっぽど面倒な先行きへと巻き込まれるなどとはこの時は知る由も無かったのである。

 低音が強いな。別荘へ足を踏み入れた瞬間、辛辣な批評家はそう思った。これだけ低音が強ければリズムが取り易くさぞ歌い易いことであろう。リビングルームはパーティー会場へと変貌を遂げ数人のパーティーピープルは軽薄そうな金髪のDJがプレイする楽曲に合わせ体を揺り動かしていた。何かのテーブルにパソコンを置いたような特設DJブース付近ではあのバーテン、確かタケザキとかいう男がどこで買うのか見当も付かないようなチンピラっぽい服装に指輪やピアスやネックレスといった光物で飾り立てビートにシンクロして頭を上下に動かしていた。通常シンガーはこんな感じの連中には決して近寄らないことにしていたが、今回に限ってはあっちから手招きしてきた。そちらへ向かう途中、リビングの中央付近ではユリカとマヤが二人で踊っていたので軽く挨拶し、その際付近のソファでマジックが煙草を吸いながら缶ビールを飲んでるのを確認した。タケザキは体を揺らめかせながら話し掛けてきた。よう、シンガー。調子はどうだ。うん、まあまあかな。聞いてるか? タイトルマッチが終わったらみんなでバーベキューパーティーだぞ。そうなの? いろいろ立て込んでるねえ。その時ビリーもその会話の輪の中に飛び込んできた。

「それにそろそろ招待しておいたモデル二人も来る頃合だ」

「楽しみだなあ。ところでシンガー」タケザキは金髪DJの肩を叩きながら言った。「こいつに会うの初めてだろ」

「まあ、多分」

「こいつはキクシマっていうんだ」

「どーもー、キクシマでーす」

「はい、どうも」

「ところでタケザキ、聞いたぞ、例のカジノ強盗成功したんだってな」

 タケザキは満更嫌でも無いといった具合に頷いた。するとそれに続けてシェイカーは言った。

「なあ、詳しく聞かせてくれよ。とりあえずあっちに座ろうか」

 フロアを踊らすので忙しいキクシマを残し、男三人はマジックが缶ビールを飲んでいたソファへと向かった。その様子を観察していたマヤは気を利かせ冷蔵庫に向かい缶ビールを三本持って彼らのソファに向かいそれらを彼らに手渡した。ありがとう。気が利くねえ。それに今夜も最高にかわいいね。とかいった軽口が交わされてから三人は一斉にプルタブを引き冷えたビールを喉に流し込んだ。さあ、喉を潤したところで聞かせて貰おうか、タケザキ。そう言われたタケザキはカジノ強盗についての詳しい話を語り出した。


「よし、時間だ」

 腕時計を見ていたタケザキの一言が合図となりアリストの四人は行動を開始した。モバイルPCの入ったバックパックを背負った助手席のマジックは自動小銃を手にアリストを降りると後部座席のタケザキとキクシマもそれぞれ自動小銃を手に後に続く。その途端、運転席のツチオカはギアをドライブに入れると所定の位置にクルマを動かし、外の三人も二人の武装した見張りから死角となる位置に移動及びガスマスクを装着し待機する。ツチオカはおもむろにクルマから降りるとトランクを開け中から大型のケースを取り出し車体側面に身を隠すように屈みケースを開け中から拠点突入用のハイパワーウエポンを手に取る。彼はその姿勢のまま車体上部から頭を出し仲間が所定の位置に到達し待機しているのを確認すると即座にバーレットM82A2セミオートマティック・ライフルをボンネット上に載せマガジン内の大口径ライフル弾を全弾セミオート連射する。十発の12・7ミリ×99弾薬はカジノの入口扉とその扉の外側と内側に配置された二名の見張りをそれぞれ瞬時に完全破壊した。


 ニコライ・ルシコフはツチオカが派手に発砲を始めた前日の昼下がりに目を覚ますと妻のマリアがサモワールで淹れてくれた紅茶を飲みながらベーコンエッグにソーセージ、カッテージ・チーズの入ったパンケーキやなんかというデラックスなブレックファーストをつまみつつテレビのワイドショーでコメンテーターがしゃがれた声で言う諸処の問題に関しての当たり障りのあまりない感想に耳を傾けた。ロシアでは過酷な厳寒による凍結問題から一般に生卵は流通していないのでベーコンエッグなどを食べられるのは大統領や特権的な成功者に限られるがここではスーパーで安価に手に入り手軽に成功者気分を堪能出来る。ただ近年はニコライ自身の組織内に置ける出世によってその成功者その物へと登り詰めたと言っても良かろう。ニコライは彼のボスであるミハイル・マルコフの監督下で多大な利益を上げる〈クリスタル・ドリーム〉の経営者として大きな成功を収めつつあったのだが、その職場へ出勤する前に彼の十二歳の娘であるナスターシャが学校から帰ってきたらバレエ教室まで彼の所有するダッジ・バイパーで送ってやるという日課があった。それは当然彼の妻も承知している日課ではあったが、彼女は多少わがままな気質を持ち合わせていたと言われても過言ではないだろう。ニコライ・ルシコフが食事とワイドショー鑑賞を終え入浴しヒゲを剃り身支度を整えた辺りになってマリアは彼女の夫に話し掛けたのだった。

「ねえ」

「何だい、マリア?」

「ちょっと買い物行くから送ってって」

「いやいや、これからナスターシャを送ってかないといけないから無理だよ。あのクルマは二人乗りだし」

「だから、送った後で私を迎えに来たらいいじゃない」

「そんな時間はないよ。そもそもその後仕事があるんだから」

「全く、仕事なんか手下に任せとけばいいじゃない。それに何であんな使い勝手の悪い2シーターなんか買うのよ。レクサスRC―Fなら後部座席もあるし燃費も(バイパーよりは)いいのに」

「まあ、それはそうだけどさ。けどキミにも自分のEクラスがあるんだからそれでどこでも好きなところ行ったらいいじゃないか」

「オイッ、いちいち自分で運転するのがかったるいからあんたに頼んでるんじゃないの。そんな事も分からないでよく私の夫が務まるわね」

「全く、何度言えば分かるんだ。夫は妻の奴隷じゃないんだぞ」

「フンッ、使えんわ」

「マリア、マリア……今日はどうしてもダメなんだ。大事な日なんだよ。出勤しない訳にはいかないんだ。その代わり、明日なら大丈夫だ。あの2シーターに二人きりで買い物に行こう。何でも好きな物を買っていい。それからあのフレンチ・レストランで食事をしよう。どうだい?」

「どうしても今日はダメだっていうの?」

「済まない。今日だけはダメなんだ」

「仕方ない。許してあげる」彼女は夫に優しくキスした。「けど明日は必ずよ」

「神に誓うよ」

 更にキスを続けた後でニコライは言った。

「じゃあ、行ってくるよ」

「ええ」

 彼は玄関で待っていたナスターシャの方へと向かった。娘の手を取り出かけようとする夫に妻は声をかけた。

「ニコライ」

「ん?」

「気を付けてね」

 ニコライは笑顔で頷くと娘と共に玄関を後にした。

 マンションのエレベーターで地下の駐車場に降り赤い2シーターに近づきながらナスターシャは思った。レクサスRC―Fなんかより断然こっちの方がイカしてるわ。特にマフラーが車体側面から出てるのがいい。ポルシェ918スパイダーと一緒ね。レクサスもパッと見はまあまあいいけど。ちょっとディテールが微妙ね。特にヘッドライトは明らかに完全な失敗としか言いようがないわ。マイチェンで何とかなるのかしら。彼女はバイパーのドアを開けパパが運転席に座るのと同時に助手席に乗り込むとさっそくバッグからセブンスターのソフトパックを取り出し一本を口にくわえライターで火を点けた。その間に彼女の父親はエンジンを始動し車体側面のマフラーから勢い良く排気ガスが排出されるのと同時にナスターシャの口から白い煙は揺らめいた。動き出したスーパースポーツは機敏にスロープを駆け上がり軽くドリフトしながら車道に踊り出た。そのスライド走行はニコライが彼の娘を乗せた時に見せる一種のサービスででもあったのだろう。

 どこかしらにドクロマークの入った服に指輪をはめた様などこからどう見てもドラッグディーラーだった頃とは異なり最近は洒落たスーツですっかりめかしこんだルシコフはショーガールだったマリアと結婚し娘を授かりカジノの支配人という肩書きをチラつかせ人生という名の街道を颯爽と快走しどこまでも突き進む算段だったが一日の職務もこれで全うしつつあったカジノの閉店間際、監視カメラが捉えた光景を目にした刹那、その希望的算段がハンマーで叩き潰されそうな予感が彼の頭を掠めたとしても不思議ではなかろう。六台の液晶監視モニターを見ていたニコライのボディガード、ウラジーミルは叫んだ。

「イイスース・フリストース!」

 そこのソファでピース・アロマロイヤルを吸っていたニコライは驚いてウラジーミルが見ていた監視モニターの元に駆けつける。

「アバルディェーチ。ブリャーチ!」

 モニターの四分割画面には元は扉だった残骸とかつては人体だった肉片を踏み抜け三人の武装集団が突入して来る様が映し出されている真っ最中だった。

「ど、どうします、ボス」

「と、とにかく、殺せ! 行け!」

 ウラジーミルはデスクの脇に置いてあったG36Cコマンド・アサルト・カービンを引っ掴むとオフィスからホールに飛び出し、薄ボンヤリとブリットニー・スピアーズのビデオクリップを見ていたもう一人の護衛、コーリャに怒鳴り声を浴びせた。

「オイッ、敵襲だッッッ! 戦闘配置に着けッッッ!」

「え? ハ、ハイッッッ!」

 二人はそれぞれ遮蔽物となる遊戯用テーブルに身を隠しG36Cをホール入口に向け照準を定める。まだ残っていた二人の中年風情のカモは、敵襲? 戦争? などとつぶやき、ディーラーやレオタード姿のウェイトレスといった従業員も急転直下の展開にまごつく次第であったがその中の何人かは入口付近から何かが投げ込まれるのを目撃する。


 You wanna hot body

You want a Bugatti

You want a Maseratti

You better work bitch


 玄関を突破しホール入口へ通じる階段を登り始めた辺りでマジックは聞こえてくる曲がブリットニー・スピアーズの《ワーク・ビッチ》であることに気づいた。ただ真面目に働いた位ではBugattiは手に入るまい。hot bodyや中古のMaseratti位だったらどうにかなるのかもしれんがフランス製の億越えハイパーカーとなれば特権的な天賦の才能でも無い限り何らかの危ない橋は渡らざるを得まい。それに――多少の付随的犠牲も止むを得ん。それぞれサブマシンガン並みにコンパクトな自動小銃、ガリルMARマイクロ・アサルト・カービンで武装したタケザキとキクシマが入口の両サイドで待機態勢を整えるとマジックは手榴弾を取り出しピンを抜いた。

 ニコライが見ていたホールを監視するモニター計五台の四分割画面は突然の爆音と閃光でホワイトアウトし音声はその入力を失った。敵が使用したのが通常の手榴弾であればカメラは破壊されモニターはその入力を遮断されるはずだったが、そうはならず映像は再度復帰した。何だ、ただのスタングレネードか。一瞬ホッとしたニコライであったが直後、突入して来た武装集団の一斉射撃で彼の部下であるウラジーミルとコーリャが射殺されたのを確認した途端、一刻も早く武器が必要な事を悟った。確かいつかどこかに仕舞ったあのピストル。あれは一体、どこだったっけ? 彼はとにかく手当たり次第にそこいら中の引き出しを開けまくった。膝を着いて両手を頭の後ろに回せ! とか何とか誰かが怒鳴っている声が聞こえる。急げッ、ホールを制圧したら次はここだぞ。こういう肝心な時に大事な物が見つからないパターン。そういうの今要らないし、とかいう思いが駆け巡っていたニコライは遂にそれっぽいケースを発見した。これだ、完全にこれっぽい! 彼がそれっぽいケースを開くと果たしてそこには自動拳銃と弾薬の装填されたマガジンが納められていた。しかしその直後彼は誰かがドアを蹴破ろうとする衝撃音を耳にする。急げ、死ぬぞこれは! そう思いながら震える手でマガジンをグリップに差し込み安全装置を解除しスライドを後ろに引いて薬室に一弾目を装填したところで目前のドアが勢い良く開いた――


 オフィスへ通じるドアを数回蹴ってからキクシマはこう言った。

「無理です」

「仕方が無いなあ、ドケッ」

 往年の新日のプロレスラー、後藤達俊とほぼ同一の体型だったタケザキは数歩助走を付け蝶野式ヤクザキックをドアに叩き込んだ。ドアは豪快に跳ね開いたが、ヤクザキックの勢い余ってそのまま室内に雪崩れ込んでしまう。タケザキはそこで拳銃を持ったスーツ姿のロシア人と目が合う。どうにか体勢を立て直したがその間にロシア人は四発発砲しその内の二発が彼の肩と上腕に命中。タケザキは即座に後退し室外へ脱出する。兄貴が撃たれたのを見たキクシマは逆上しドアの枠外から手にしたガリルMARだけを突き出し全弾フルオート連射する。マガジン内計三十発の5・56ミリライフル弾の内約半数は標的に命中した。

「馬鹿野郎」タケザキが怒鳴った。「殺しちゃってどうすんだよ。こいつを脅して金庫開けさせるって手筈だったろうが」

「すいません、兄貴」

 二人はオフィスの中へ進んだ。

「兄貴じゃないだろう、ルイスだろ」

「あ、はい」

「何でもかんでも忘れるんじゃないよ」

「すいません、でも兄貴、その傷大丈夫ですか?」

「こんなもんな、かすり傷だよ。イテッ、アァ。それよりマジック、この金庫開けられるか? あれ、マジックは?」

 タケザキは後ろを振り向いてキョロキョロとマジックを探した。

「兄貴、あっちです」

 キクシマが指し示す方を見ると、マジックがAI金庫にモバイルPCを接続し何らかの作業をしていた。

「さすがだなあ、マジック。手際がいいってのはこの事だな」

 高音の電子音が鳴り響くと金庫の扉は開いた。

「セバスチャンじゃなかったのか? ルイス」

 セバスチャンは即座にカネの入っていると思われるスーツケースを二個取り出した。

「不正アクセスしたから本部に通報が入ったはずだ。それに」マジックは死んだ男を見た。「こいつもとっくに電話かなんかしてるだろ。急いでズラかろうぜ」

 走りながらマジックはタケザキに言った。

「ルイス、二手に分かれよう。外に出たら近くに停めてあった赤いバイパーに向かえ」

「オ、オウ」

 三人組が建物から出ると通りの向こうから敵のダッジ・チャージャーが二台出現し猛然と接近して来た。キクシマは既に表で待機していたアリストを盾にして二台のチャージャーを狙って自動小銃を連射する。攻撃を受けた二台は泡を食って急停止する。その隙にキクシマはアリストの助手席へスーツケースを持って飛び込む。二台のチャージャーの助手席から男が一人ずつ現れライフルを構える。マジックはキクシマが殺したロシア人のポケットから拝借したバイパーの鍵でドアを開け運転席に乗り込み、助手席にタケザキがスーツケースを持って飛び込んでいる最中にエンジンを始動させる。敵が一斉射撃を開始した瞬間にアリストとバイパーはほぼ同時に急発進し道路に躍り出る。先頭のアリストがT字路に差し掛かりドリフト左折するとその直ぐ後ろを走るバイパーはそこをドリフト右折する。逃走車と同様に追っ手の二台もスライド走行で白煙を上げつつ二手に分かれた。

 三速でアクセルをベタ踏みしてからシフトアップし四速をベタ踏みしていた最中、マジックはバックミラーで追走するダッジ・チャージャーを見て思った。確かにあれはダッジ・チャージャーだったが以前タケザキがタブレット端末で見せてくれた下調べで撮影した動画のチャージャーとはヘッドライトとフロントグリルの形が大分異なっている。きっと新しく現行モデルに買い替えたんだろう。まあ、いくら新型でアップグレードしたとは言え所詮このダッジ・バイパーACRの敵ではないな。マジックはリアの特徴的なGTウィング形状からそれがバイパーの最高グレードであることを判別しアクセルを踏んだ感触からエンジンもノーマルではなく多少のチューニングが施されていると推測した。エアクリーナーか何かを高性能な物に交換したんだろうか。いくら何でもそこまではよく分からなかったマジックだったが、追走するチャージャーが新型だった所までは正解だった。しかしそのチャージャーはただのチャージャーではなく二台ともヘルキャットだった――市販車ながら716馬力という強力なエンジンを搭載するほぼ世界最速セダンだ。しかしながら空力と車重の軽さから動力性能においては圧倒的な優位を確保したバイパーは徐々にヘルキャットを引き離しつつあったその頃、2JZを搭載するアリストV300を駆るツチオカは圧倒的高性能を誇る追走車に結構手こずっていた。

 十二年前にシャブでパクられて以来、今でこそギャンブラー兼タタキの運転役といったゴロツキ稼業に落ちぶれてはいたが現役のプロレーサーだった頃はツーリング・カーのレースでシルビアを全コーナーでドリフトさせて連戦連勝を重ねシーズンを制するという偉業を成し遂げドリフトチャンプ(DC)として一世を風靡していたツチオカはヘルキャットが力任せに一気にアリストとの距離を縮めきった時でさえその冷静さを失うことも判断を誤り車体の挙動を一ミクロンも乱すことは無かった。相手が相手だけにこういった乱戦にもなり得ることはある程度予想していたDCはノーマルのアリスト程度では力不足であろうことを鑑みタービン交換等のパワー系チューンを施し630馬力まで出力を上げそれに合わせてブレーキパッド交換等でそのパワーを十二分に出し切れるよう繊細なセッティングを随所に施しきってはあったが、それでもあのヘルキャットは想定外の難敵であったはずだというのに彼の目には確固たる自信に加えある種の余裕と言えるものさえ感じざるを得なかった。

「ツチオカさん。全然引き離せないじゃないですか」

「ファック! テメェの所為だ! お前が乗ってる所為でクルマが重くなり過ぎてんだよ! 降りろ、コラッ!」

「勘弁して下さいよ、仲間じゃないですか」

「だったらつまらねえ減らず口叩いてねえでその銃で何とかしろや!」

「もう弾切れなんすよ」

「オッ、そうだ。あの対物ライフル……まだ予備のマガジンが残ってたな……おい、お前ここからトランクルームまで移動して、対物ライフルのマガジンを交換してから真後ろに向かってそれを構えて待機してろ、敵が真後ろに来たら俺が合図するからその瞬間に撃つんだ」

「OK。了解です」

 そう応えた助手席のキクシマはシートを水平に倒すと後部座席へほふく前進し背もたれを両方とも手前に引き倒してトランクスルー状態にさせ更にトランクルームへと前進した。とりあえず対物ライフルのマガジンを取り外して放り投げバッグの中からそれと同じ形のマガジンを探しライフルに装着し指示された通り銃口をトランクリッド中央へ向け車体後方に狙いを定めた。

 アリストとそれを追う黒のヘルキャットは〈クリスタル・ドリーム〉の立地する商業地区から臨海工業地帯を抜け湾岸に跨る大きな吊り橋へと差し掛かっていた。ここならまだ交通量も少なく周りは海だから流れ弾による二次被害も軽減出来るだろう。出来ればトンネルの中だともっと良かったが山奥でもないのにそう都合よくトンネルなど当分無い。そう判断したDCは慎重にステアリングを調整しながら想定された対物ライフルの弾道線上に丁度良くヘルキャットが重なる様に苦心しつつ合図を出すタイミングを見計らった。狂った様なスピードでカーチェイスを繰り広げていた二台のセダンが橋の中央付近に到達しつつあった時、彼は遂に合図の言葉を発した。

「今だ!」

 キクシマはその声に瞬時に反応し指を動かした。銃口から飛び出した大口径ライフル弾はアリストのトランクリッドをまるで紙切れのように突き破ると次の瞬間には既にヘルキャットのフロントグリルからエンジンルームへと深く突進しその中の物を滅茶苦茶に破壊した。キクシマは大きく開いたトランクリッドの穴から確かに見た。

スピードを落とした追走車はフラフラと蛇行してから横転しゴロゴロと転げ回りながら大爆発し炎上し始めた。

「やった!」

 キクシマがそう叫んだのを聞いてツチオカは口元を緩め軽く微笑しながらたんまりとカネの詰まったスーツケースを乗せたアリスト改のアクセルペダルを踏み込み悠々とその場からズラかった。

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