そのニジュウロク 矢掴さん

 昴ヶ丘の町が怪物騒動でてんやわんやのようでいて、案外そうでもなかったりする、とある土曜日の昼下がり。

「……そうですか、京都の御本社でもあの怪物たちが問題に?」

「ええ。それで私が現地視察と、そこで……こちらの先代様に、是非ご意見など伺えれば……」

 鴻神神社の社務所。俊介が今応対している来客は、京都の貴船総本社から特別に派遣されて来た者だと言う。

 その女の、ごく地味なスーツ姿の醸す雰囲気。どうやら神職ではない……

(いや、そうとも限らないか)

 貴船総本社と蛇神の歴史的な関係は秘中の秘。隠したかったからこそ、蛇神はここ鴻神神社に転祀されたのである。つまり過去の経緯がどうあれ、貴船神社と蛇神は現在は限りなく無関係、そういう体裁だ。

 だから、もし今でも総本社の側に蛇神の秘事に携わるものがいるとするなら、むしろ普段から自分の正体を隠すような振る舞いはするだろう。

(そしてそれが父さんのようななら、尚のことだろうけど)

 ただし。俊介はこれまでそんなことを、噂程度にでも聞いたことがない……

 だが俊介は顔色一つ変えない。穏やかで紳士的な彼の態度は常のまま。そして女に答えて。

「先代は今あいにく出払っていますが……ああ、いえいえ!遠出ではありません、すぐに戻るでしょう。近所を一回り……ですので」

 俊介は言葉に慎重に謎を掛ける。すると女は。

お忙しいようですのね……こちらで待たせていただいてよろしゅうごさいますか?」

「ええ、もちろん」

 あっさりと返事する俊介。ごくあっさりと、そう装って。

(やはり、ときたね。つまり父さんの力のことを知っているわけだ。それに自分も同類、そう言ってる。

 まずはお手なみ拝見だ。本当に御本社からの使者エージェントなのか、それとも?)

 俊介という人物は、常に慎重。それでいて。

(どちらかと言えば、いや、ふふふ……んだけれどもね……)

 女が持参した名刺に、これまたさりげなく目をくれる。

(貴船神社総本社事務局、総務部庶務課、矢掴やつかみ今日子さん、か……さて?御本社の事務方にそんな部署あるのかな?)

 彼には、この状況を楽しむ余裕もあるようだ。


 さて丁度その頃。

「いや〜、久々にきたけどさ?ねぇ早苗、いくらなんでもこんっっっなにボロかったっけココ?」

「だって仁美、私たちがここによく来てたのって小学校ぐらいの時でしょう?あの頃だって大概だったじゃない。あれから何の手入れもされてないなら、そりゃあね?」

 とくに大きくも賑やかでもないけれど、人が暮らしやすい町として穏やかで健全な発展を遂げた地方都市、昴ヶ丘。今はのんびりした時間の流れるこの町にも、しかしやはり、土地開発や産業誘致の狂熱に浮かされた時代はあったのだ。そしてその波はあっという間に引いて……

 取り残されたのがここ、「トーサン化学工業・第三工場跡地」だ。昴ヶ丘の町の南の端に今でも残る、どこもかしこもサビの回ったその巨大な鉄の廃墟は、この地方都市の歴史上に数少ない負の遺産レガシー

 そして学校の土曜休みを利用して、オカルト研三人組はここにやって来たのである。目的はもちろん、グレーターグロゲロ探し。

「うわぁ……すごいところですねぇ!わたし初めてです、こんなところがあるなんて知りませんでした」

 目の前に天高くそびえる巨大な廃プラント、のけ反って驚くノッコ。

「え?……あ、そっか……」

 ここは初めてというノッコの言葉に、声を揃えて傾げかけた首を直す仁美と早苗。

 大人たちにとってこの廃工場は何の価値もない場所だったが、子供たちには違っていた。その荒れ果てた佇まいは怪しいロマンに満ちていて、幼い好奇心を大いにくすぐったし、第一何より敷地がだだっ広い。二人の子供時代は特別悪ガキというわけでなくても、皆自転車を駆って町外れのここに集まり、秘密基地ごっこに三角ベースにサッカー、鬼ごっこにかくれんぼに石蹴りと、仲間と遊ぶ格好の場だったのだが。

 ……ノッコの子供の頃の遊び場といえば、それは八尺様の隠れ里。友達とここで仲良く遊んだ思い出などないのだろう。

「じゃ、じゃあねノッコ、これから私たちとここで、いっぱい思い出を作ろうよ!」

 また胸がキュンとなった仁美、しかしその言葉はいささか珍妙。言われたノッコもこれはさすがにキョトン顔。そして早苗はと言えば。

「ねぇ、でも仁美?今はもうここ、入れないんじゃないかな?」

 そう、この工場跡地が昔ともう一つ変わったところ。少し前に新しく設置されたと思われる、簡素は簡素だが頑丈そうな、周囲を囲む高いフェンス。施設が更に老朽化しているのだから、それは安全上防犯上当然の設備だろう。

 そして正直、早苗は少しホッとする。槌の輔にああは言ったものの、彼の意見がもっともであることはいうまでもない。万が一ここにその「大グロゲロ」がいるならば、すなわちあの女妖術師や怪少女、そして宇宙人ロボットもいることが当然に予測される。自分たちだけで潜入するのは明らかに危険なのだ。

 そう、この際。いくら仁美が探索に大ハリキリといっても、物理的に入れないのなら流石に彼女も諦めるしかなかろう。少々気の毒だが、早苗にとってはそれはむしろ好都合。

「おりょ?やーホントだ、これは困ったよ諸君。どっかに穴とかないかなぁ?」

「う〜ん、ねぇ仁美?残念だろうけど、やっぱりこれは口裂けさんとかにお願いした方が……」

 困り顔になった仁美に、ここぞとばかりに翻意を促す早苗だが。

「入れますよ♪」

「「……え?」」

「今から入り口、作りますね♪

 ……ヤットッハッ、ヘンシーン!かーらーの、クルクル……クルリンパ!」

 必要なのかどうなのか、謎ポーズと共にノッコは変身した。そして鏡を磨くような手つきでフェンスをくるくると撫で回すと、そこに生まれたのはなんと、マンホール大の大きな穴!

「入り口出来ましたぁ!センパイセンパイ、お二人からお先にどうぞ♪」

「ぃよっしゃー!すごぉい、ノッコってばやるやるぅ!んじゃお言葉に甘えて早速どっこらせ!」

「ちょ、仁美待って!……ああ……」

「ささ、早苗センパイもどうぞ♪」

 なんたる超展開、早苗の顔は困惑でクシャクシャに。しかしこうなったら、仁美を一人で行かせるわけにはいかない。早苗もおっかなびっくり穴に潜り込む。

「それではわたしもよっこらしょっと!で通ったら、こっちからまたクルリンパ!」

 そして至ってこともなげに入ってきた穴を塞ぐ。ニコッと笑うノッコの無邪気な顔、塞がらないのは早苗の開いた口。すると、おずおずと現れたのは槌の輔だ。

「済まぬ巫女殿、実はその……小姫様に今の術をお伝えしたのは某でな……」

「ええ??槌の輔様ちょっとそれって!……どうしてそんな?!」

「いやその……万が一な?小姫様がこれから賊に囚われるような時ももしかしたらあろうかと……左様な場合に『獄から逃げるために』とお伝えした術であったのだが……タハハ」

 脱出術、まんまと転じて潜入術。

「おーい早苗、どしたの?大グロゲロ、探しに行こうよ〜!」

「早苗センパ〜イ、こっち、こっちですよぉ♪」

 最早これまで。呑気な親友と後輩の声が、今は恨めしい早苗。

「じゃあ槌の輔様……参りましょうか……」


 さてまた、お話を鴻神神社に戻して。

(よしよし、まずは怪しまれていないようね)

 矢掴やつかみ今日子、その正体は?というのもバカバカしい。元と比べてこんなにわかりやすい偽名もないだろう。この為だけに拵えたと思われるその名刺には、バカ丁寧にキチンとルビまで振ってあるし。真面目に隠す気があるのだろうか?いやどうやらこの女、いちいち違う名前を名乗ることに執着しているらしい。

(それに事前の調べ通り、この男には霊能力は一切無いわね。ここまで近づいても何も感じない……こんなの無視無視、無視でいいわ)

 ほくそ笑む八ッ神恐子。いや、その俊介にはすでに大分怪しまれているのだが、そこは気づかない。この女、格下と見るととことん舐めてかかる性格なのだ。

 だが一方で。

(私が用のあるのは……鴻神厳十郎、あの爺さんだけよ!)

 には、まるで怖けず向かっていく。その根性は見上げたもの。

 昴ヶ丘の鴻神神社。ここに密かに蛇神が祀られている、そのことを恐子が知ったのは、実に数年前のこと。

(ここに大蛇様の魂が封じられている……それはずっと前にわかっていた。だからこの神社の霊的な結界を破れば……)

 古代の大邪神、八岐大蛇をこの世に顕現させることが出来る。恐子はそう信じている。無論、ここに祀られているのは八岐大蛇にあらず、唐の蛇神であり、彼女もそこはわかっている。だが、この女には関係ない。大蛇信者の彼女にとってはそれら二柱の神の区別は曖昧、それに。

(もし別の神であったとしても……それならそれで!蛇神だって大蛇様と同じ強大な蛇の邪神。呼び出すことが出来れば、世界はひっくり返る、今の世界の霊的エネルギーの均衡を木っ端微塵に出来る!そうすれば次は大蛇様だってお目覚めになる……順番の問題よ、結果は同じことだわ……)

 ただし。その為には邪魔者を排除しなければならない。鴻神神社、それすなわち蛇神の封印。それを堅く守る者、鴻神一族。その今の長は厳十郎!

(天!才!の私は独学で私独自の科学的妖術・八ッ神流を立ち上げ、知識と技術を極めた。妖術呪術霊能力の戦いで、他の誰にも負けるつもりはなかった。でも……あの爺さんは別!)

 そう。恐子が鴻神神社に目をつけたのはすでに数年前。だが今まで手出し出来なかった。

 厳十郎のずば抜けた霊力と、磨き込まれたその術。

(桁外れなのよ。一目見た時からわかった!私が霊能力でまともに当たっても、勝てる相手じゃない……)

 ならばどうするか?刺殺、撲殺、毒殺、轢殺、銃殺、爆殺!普通の犯罪手法で闇討ちにする、それは何度も考えた。だが……それを考えると、何故か彼女は涙ぐむ。

(警察沙汰はダメなの、それだけはダメ……田舎のおっ母ちゃんを泣かせてしまうから……

 ま、邪神を呼び出して世界の秩序を丸ごと転覆させるのは、科学的根拠証拠がなければ法律に触れないし、そこは別に問題ないけど♪)

 ……そりゃそうだけどさぁ。この女、相変わらず思考回路が支離滅裂、壊れているところはとことんだ。読者の皆さん?ヤスデに倣って、ここはパス、パス。

 ともかく!恐子は警察のお世話にならないように、厳十郎をどうにかして科学的に犯罪を立証出来ないオカルトな手段で亡き者にしなければならないのだ。

(ずっと手詰まりだった私。でもとうとう!ついこの間昴ヶ丘で出会ったのよ、ヤスデに……そして耳に入れた、千年前にいたという日本最強の妖怪、土蜘蛛の情報を!)

 そんなものがもしこの現代の、ここ昴ヶ丘に存在するなら……半信半疑のまま、恐子はヤスデにフラットウッズを貸し与えることにした。そして町で宇宙人を暴れさせた。余所者の霊的存在に自分のテリトリーを荒らされたなら、その土蜘蛛なる妖怪から何らかの反応はあるかも知れない。何ともふわふわと薄い計画、だがこの際ダメで元々、そう思って。

……否!土蜘蛛は確かに存在した、そして彼女は自ら彼と戦い、目にし体験した、その驚異的な妖力を。思い出した恐子は、そっと身震いする。背筋を走るのは、あの敗北の瞬間に感じた甘美な悦び。ずっと探し求めて来た手段を、ついに自分は手に入れた!

(土蜘蛛とあの爺さんを、どうにかして戦わせるのよ!最高だわ、これしかない。だからこれから……)

 自分が上手いこと口車に乗せて、あの爺さんを退に担ぎ出す!

(ここは演技力が勝負。新しく作った変装用のコンタクト、いい出来でよかったわ。今のところバッチリ、バレてないし♪)

 ……いやそれがすでに大分怪しいんだけどねぇ。

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