もういいかな

 朝一の朝礼で、部の全員が集められた前で一人の社員が挨拶をしていた。


「手塚です。先日ニューヨークから戻りました。二年ぶりなので浦島状態ですが、本日からまたよろしくお願いいたします」


 綺麗にプレスされたスーツとシャツに身を包んだ手塚君が深々と頭を下げると、歓迎度合いがよくわかる大きな拍手が巻き起こった。相変わらずそつがない二枚目っぷりだな。


(帰って来たんだ……)


 私も周囲に合わせて拍手しながら、気づかれないように少し離れた場所に立っている千佳を盗み見る。相変わらず何を考えているのか分からないポーカーフェイスだった。


(新婚だし、もう関係ないか)


 手塚君の挨拶が終わり、社員たちが三々五々自席へ戻る。私は頭を切り替えて自分の仕事を再開した。


◇◆◇


 手塚君は私と千佳と同期入社だった。同期の中でも頭一つ抜き出て優秀で、数年前に抜擢されて海外赴任していた。

 その前までは皆には内緒で千佳と付き合っていたことを、私は知っていた。

 だって私は、入社したときからずっと手塚君のことが好きだったから。


 私の気持ちも、二人の付き合いを私が知っていたことも、あの子たちは知らないはずだけど。


◇◆◇


「よ、ひさしぶり。元気そうだな」


 当番になっていた給湯室の片づけをしていたら、不意に大きな声で呼びかけられて飛び上がるほど驚いた。そしてそれが手塚君だってわかって心臓吐きそうになった。


「びっくりするじゃん、お皿落としちゃうかと思った」

「ごめんごめん、懐かしくてさ」


 ドキッとしたけど多分社交辞令だ。懐かしいのは私じゃなくて千佳でしょ。


「うん、元気だよ。あ、仕事は大変だけどね」

「皆結構先輩面してるよな」

「面、っていうか先輩だし」

「だよなぁ、俺なんか入社したときの気分がまだ抜けないよ」

「それは赴任する前に終わってていいものじゃないの?」


 まぜっかえしながらどんどん記憶の蓋が開いて、ついでに終わらせたはずの感情まで吹き出してきそうで怖かった。なのに一秒でもこうしていたくて動けずにいた。

 こっちの気持ちなどお構いなしで、手塚君は上機嫌で話し続ける。


「今日、忙しい? もし時間あったら仕事の後飲みにいかないか? 何人かで」


 最後の一言で心臓がぴりっと痛む。でも気にしても仕方がない。


「いいけど、何人かって、あと誰?」

「そうだなぁ、いきなり部長とか呼ぶのも嫌だし……笠間さん、とか?」


 ほら来た、やっぱりね。


「聞いてみるけど、千佳、新婚さんだから難しいかも」


 私の言葉に固まる手塚君の横をすり抜けて、自分の席へ戻った。


◇◆◇


 飲み会のこと、どうしよう……。

 パソコンに向かって半自動的に作業を進めながら、頭の中ではそのことをぐるぐる考えていた。

 私が言い出しっぺじゃないし、誘いたかったら手塚君が自分で誘えばいいんだし、ほっとけばいいか。

 と思ったそばから新着メールのポップアップが目についた。『飲み会』だってさ。


 開かなくても内容は予想出来るけどスルーできる精神状態じゃないから確認する。やっぱり私から千佳を誘ってくれって。


 私は懐かしい感覚に喉の奥が痛くなる。千佳たちが付き合ってるときもこうだった。二人が仲良くしているのに気づくたびに、それを悲しんだり羨ましく感じる自分を無視して押しつぶして遠ざけてきた。それをやると風邪を引いた時みたいに喉がカッと熱くなって痛くなる。


『わかった、声かけてみる』


 と返事をしながら、自分で自分にうんざりした。

 千佳には社内メールじゃなくてスマホからメッセージを送る。


『急だから旦那さんにも悪いし、無理しなくていいよ』


 なんて書く自分も嫌いだ。千佳が断ってくれたら……、って考える自分がもっと嫌いだ。

 そして千佳からの返事は『了解』だった。


◇◆◇


 自分から言い出したくせに、飲み会での手塚君はぐだぐだだった。どうやら私に『千佳を誘って欲しい』と言ったはいいものの、千佳が結婚したことに予想以上にダメージくらってたらしい。

 千佳の左手には見ようとしなくても目に付くぴかぴかの結婚指輪が光っている。なのに手塚君はわざとらしいほどそのことには触れない。話すのは自分の赴任中のことばかりだった。


 私は世話焼きなおばさんにでもなったつもりで千佳にも手塚君にも気を配りながら、話題を盛り上げたり料理やお酒を注文して、二時間も経たないうちに疲れ果ててしまった。


 メンタル立て直したくてトイレに立とうとしたら、千佳が


「明日も仕事だし、この辺にしとこう」


 とお開きを提案してくれた。マジ感謝。


◇◆◇


 不満なのかホッとしているのか分からない微妙な顔の手塚君と別れて千佳と駅の方向へ歩き出そうとしたときに、千佳が私のジャケットを引っ張った。


「お茶してかない?」




 まだ夜の九時前だったからカフェも結構開いていた。けれど千佳が選んだのは昔ながらの喫茶店で、時間帯のせいか私たち以外に客はいなかった。


「お酒飲んだ後って甘いもの欲しくなるよね」


 なんて、余計な会話だったかな。でも手塚君がいなくなって気が楽になったのは事実だ。たくさん頭使ったから脳に栄養をあげたい。


「わかる。でもそれ言うと旦那が変な顔するんだよね」


 千佳もくすくす笑って同意してくれた。新婚旅行から戻ったときは新婚らしからぬテンションに低さに驚いたけど、やっぱり仲良くやってるんだな、と分かって嬉しかったし、嬉しいと思える自分が嬉しかった。


 だけどそれが良くなかったかな。気が緩み過ぎたか、お酒が残ってたのか。つい聞いちゃった。

 

「なんで別れたの?」


 言ってからしまった! と思った。千佳の大きな目がまんまるに見開いてる。そうだ、私が知ってるって知らなかったんだ。


 言い訳したほうがいいのか、と心の中で慌ててると、先に千佳が平常心に戻ってた。


「知ってたんだ、桃子」


 くすっと笑って紅茶にミルクを入れる。私には誤魔化すエネルギーは残って無かった。


「ごめん」

「なんで謝るの? 私も言わなくてごめんね」

「それは……、だってうちの会社、一応社内恋愛禁止じゃん」

「ああ、それもあるけど……。桃子、あいつのこと好きだったんでしょ?」


 ぶほわっ! と変な声と音を立てて私はお冷を吹き出した。幸い千佳のところまでは飛んでなかった。


「し、し、知って……」

「見てれば分かるわよ。桃子、正直だもん」


 私は酔いを吹き飛ばしながらも顔が真っ赤になっているのを自覚した。知ってた、ってことは……。


「知ってて……、付き合ったの?」

「まさか、そこまで性格悪くないわ。桃子に気づいたのは付き合い始めてからかな。だから言えなかった……。ごめんね」

「いや、そんな、千佳が謝ることじゃ……。じゃあ、ついでだけど、さっきの質問、聞いてもいい?」


 ああ、と頷いて、だけどしばらく沈黙して、また千佳がこっち見た。


「合わなかった、ってことかな」


 なるほど。まあ、大抵そんな理由で別れるか。


「なんて言うのかな……、桃子は同期だから分かると思うけど、あいつ、その場だけなんだよね」

「……たとえば?」

「んー、デートとかするじゃん。例えば泊りとかでさ。じゃあね、って別れて家に帰ってからも、何も言ってこないのよ。デート終わりの後会話するのは会社」


 私の中で、何かがすとん、と落ちてきた。

 そして昼間からずっと感じていた喉の痛みが突然消えた。

 わかる。なんか、それ。


「うん。別にそれが悪いとかってことじゃないし、連絡頂戴、って言えばしてくれたんだろうけど、なんかさ、大事にするポイントが違うんだな、って思ったんだよね」


 分かる。それも。


「大きなケンカしたとか、赴任決まって寂しかったとかそんなのも無いの。でもあいつがニューヨーク行くって決まったとき、付いていこうとか一ミクロンも考えなかったわ」


 顔が小さいくせにがばっと口を開いて千佳がタルトを頬張る。


「でも、私が言うことじゃないかもしれないけど、悪いひとじゃないよ。優しいし。桃子がまだ好きならいいと思うけど」


 私はやっと気づいた。多分誰よりも気が乗らなかっただろう今日の飲み会に千佳が来てくれたのは、私のためだったのかな、って。

 私も自分のケーキにフォークを入れる。


「うん……、なんか、もういいかな」


 するっとそう言えた。無理も見栄も何もない。本当に自然に。


 そう? と笑う千佳の顔は、いつものポーカーフェイスではなかった。


 私の喉は、もう少しも痛くならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編集】フツーの女子の、フツーの本音 兎舞 @frauwest

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ