第4話 セールスポイント
家に帰るなり、アニーの件を報告すると、父は目を丸くしていた。
「本当か、おまえが頑固者アニーに認められるなんて信じ、ぐわっ、いちちちっ」反射的に身体を起こそうとして、激しい腰痛に襲われたらしい。
「認められたといっても、品物を試験的に置かせてもらうだけだから」そう言いつつも、カホは誇らしかった。「でも、このチャンスは絶対に逃さないつもり」
気が付くと、父は涙ぐんでいた。
「父さんは情けないよ。母さんが亡くなってから、おまえには世話ばかりかけるなぁ」
退屈なテレビドラマみたいだが、このセリフは父の口癖である。カホも仕方ないので、
「父さん、それは言わない約束でしょ」と返す。「しっかり養生して、早く元気になってね」
その言葉に嘘はないが、とても楽観的にはなれない。ぎっくり腰の具合は一進一退を繰り返しており、父が元通りに働けるようになるのは、まだ先になりそうだった。
アニーの宿屋は早朝から深夜まで開いており、毎日数十人が出入りしている。一階は食堂・居酒屋を兼ねており、そちらも含めると利用客は百人以上。カホの手掛けたブレスレットは今は旅人の土産物扱いだが、もし地元ファッションに取り入れてもらえれば、ビジネスチャンスは極めて大きい。
カホはショウと一緒にブレスレットを宿屋に運び込み、売り場用に一階フロアの片隅を借りた。狭いスペースだが、ブレスレットを見栄えよく陳列すると、土産物の売り場にふさわしくなった
ブレスレットのカラーリングには工夫を施した。大まかには二つに分けられる。若者や子供用の派手な色使い、大人用の落ち着いた色使い。要望があれば、オーダーメイドのカラーリングも受け付けることにした。
宿屋に出入りする人は多い。見向きもしない人もいるが、中には足を止めてくれる人もいる。カホは勇気をふるって、どんどん話しかけていった。例えば、こんな具合である。
「おじさん、少しだけ商品の説明をさせてください。東洋の信心深い国に、こんな言い伝えがあります。このブレスレットは〈願いが叶うブレスレット〉なんです。古くからの言い伝えによると、身に着けておくと必ず願いが叶うというんです。誰にでも願い事がありますよね。おじさんにも、きっとあると思います。まず、願い事を口にしながら、ブレスレットを身に付けるんです。このブレスレットは木の蔓でできています。金属製とは違って、半永久的に使えるものではありません。肌身はならず使っていると、いつかは千切れてしまうことになります。でも、それは決して悪いことではありません。なぜなら、その時、おじさんの願いが叶うからですよ」
つまり、〈願いが叶うブレスレット〉という触れ込みでセールスを行ったのだ。それはアニーに見せたメモと同じ内容である。セールスポイントは芋版を使って名刺サイズのカードに転写し、これをブレスレットに添えた。
東洋の信心深い国とは、もちろん現世の日本を指す。〈願いが叶うブレスレット〉の元ネタがミサンガであることは言うまでもない。
このように、カホのブレスレットは装飾品であると同時に、もう一つの意味合いをもっていた。現世の言葉を借りるなら、付加価値である。物語といってもいい。「願いが叶う」という魅力的なストーリーで、異世界の人々の心を掴もうとしたのだ。
カホはターゲットをおじさんに絞っていた。おじさんのための商品というわけではない。おじさんに買わせる、という意味だ。例えば妻子への土産として買ってもらいたい、と目論んでいたのである。
さて、ブレスレットの売れ行きはどうなったのか?
初日は八個売れた。二日目は十二個、三日目は十五個。口コミが広がったのか、四日目は一気に三十五個、五日目の昼過ぎに在庫がなくなった。アニーの指定した一週間の期限を待たずに、ブレスレットは見事完売したのだ。
カホが夢にも思っていなかったのだから、アニーにとってはまったくの想定外だった。
「こんなに驚いたのは、夏の盛りに
「安っぽくて千切れやすいところが、実は魅力の一つなんです」
「ああ、それは千切れると願いが叶うからだね。なるほど、商品の弱みを強みに変えるとは、あんた、うまく考えたもんだね。心の底から感心するよ」
そう言って、アニーは高らかに笑った。
原材料費と人件費がほとんどかかっていないので、売上のほとんどは利益になった。一部をアニーに支払っても、道具屋二カ月分の収益に匹敵する。それをたったの一週間で成し遂げたのだ。
この事実は、カホの大きな自信になった。
「あんたには大急ぎで作ってもらわないとね」と、アニーは言った。「もちろん、ブレスレットの追加分についてだよ。宿屋のお得意様たちから、すでに予約分が殺到しているんだ。さ、のんびりしてはいられないよ」
カホは満面の笑顔で応えた。
「はい、商機は逃しません」
直ちに追加分のブレスレット制作にとりかかることにした。ショウも大喜びだった。売れることは確定済みなので、前回よりは心が軽く、やりがいは二倍増しだった。
マーケティングのノウハウは、異世界でも応用が利く。消費者の心をつかむことができる。そのことがわかったので、カホはビジネスの面白さを実感していた。
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