第9話『礼拝堂探索』
第一騎士団に所属するバーナバス・ギャヴィストンが、団長の愛娘であるリリーに
彼の軽やかに
それが彼女に気づいて近づいて来るなら尚更で、リリーはいつも不遜に腕を組んで、そのニヤついた、赤みの濃いブラウンの瞳を睨み上げるのである。
「バーナバス。お前はこんなに近くに来ないと話もできないのか」
「ええそうですよ。お嬢様の麗しい声を一言一句聞き洩らしたくないんでね」
「それなら耳掃除でもした方がいい」
「俺の耳はいつだって綺麗ですよ。まあまあ、笑ってくださいよ。その麗しい顔を歪めては勿体ないですよ、今日は折角の魔獣調査なんですから。楽しみにしてたんでしょ?」
バーナバスはつっけんどんな彼女の言葉を右へ左へ受け流しながら、リリーの頬に垂れた髪に触れた。彼女は間髪入れずその手を払い除ける。それでも、バーナバスが気にする様子はない。
二人は小さい頃から互いをよく知っていたし、昔はこれほど険悪でもなかった。
彼女がバーナバスを愛称のバーニーと呼ばなくなったのは、つい二年前、若い騎士見習いに裏庭へ呼び出されたところを
騎士と別れたリリーを引き留めたバーナバスは、何を話していたのかと彼女に厳しく詰め寄った。そして彼女の口から告白の内容を事細かに聞くと、小さく息を呑み、まだ幼さを残す彼女の頬に、柔らかい口付けを落としたのだ。
『あなたを愛しく思うのは、決してあいつだけではありませんよ』
低く囁かれたそれは、今までの関係を鑑みるとあまりに突拍子ないように思えたが――少なくともリリーはそう思った――しかし彼の瞳は真剣だった。当時十四歳のリリーが動揺したのは言うまでもない。だがすぐに、躊躇って逸らしてしまった視線を彼へ戻して……リリーの頬は怒りと羞恥に染まった。薄く口端を吊り上げた十六歳のバーナバスを見て、揶揄われたと思ったのだ。
それからである、二人の関係が明らかに変わったのは。
「――まだ私を茶化すのか、お前は! いい加減しつこいぞ!」
「茶化してなんかいませんよ」
色目を使う彼を遠ざけるように、リリーは彼をバーナバスと呼ぶようになった。
だがそれさえも「子供の付き合いから大人の付き合いに変わったのだ」などとバーナバスが噂を立てた。そうした悪循環がまた、彼女の神経を逆撫でるのである。
「そうだ、折角だから俺の後ろに乗りますか? 俺の馬は早いですよ」
「いい……自分のがある」
「昔はよく一緒に乗ってたじゃないですか」
「いいから早く出発しろ」
リリーが鎧をつけた自分の愛馬へひらりと跨り、彼を急かす。
それを見たバーナバスも渋々自分の馬に乗ると、七人組の小隊はやっと進み始めた。
「森の奥の礼拝堂については、どの程度ご存知で?」
「……あんまり。もう十年以上使われていないことと、結界が張られていることくらいは」
「上出来です。そもそもあの礼拝堂の結界は、そんじょそこらの魔術師じゃ破れません。勿論、魔獣もそうです」
「じゃあ何故……」
「さあ? それを今から調べに行くんです」
バーナバスの尤もな言い分に、リリーは黙って一周、手綱を手へ巻き付けた。
「大体、何故封鎖したんだ?」
「あの礼拝堂が、聖女リオーネを祀っていたことはご存知ですよね。その女神像の首が落ちたんですよ。十四年前に……ひとりでに」
バーナバスは手元に視線を落として、当時の記憶を手繰り寄せる。
「ある礼拝日のことでした。短い地響きのような音がして……今思えば像の首がズレた音だった。それが次の瞬間には、祭壇の前にいた司祭の上にずどん。司祭は即死だった」
彼の言葉に、リリーは前を向いたまま顔を顰めた。
「四歳の俺にはちょっと刺激が強かった。だがもっと恐ろしかったのは、あの首が、落ちる瞬間笑ってたってことです」
「……笑っていた?」
「ええ。……微笑んでいるとかじゃなくて、笑ってた。でもそれを見たのは俺だけです。あとからこっそり回収された像の顔を見ましたが、もうあの邪悪な笑みは消えていた。……まっ、今思えば、ガキのくだらない空想かもしれませんがね。子供の目なんて信用ならねぇもんですし。大人にも散々、嘘を吐くなと怒られた」
彼は、当時を吹っ切るようにそう言った。
自分を信じることを諦めてしまったようなその口振りは、彼女がよく知る彼の悪癖の一つである。リリーは手綱を握り締めたまま、昔を思い出してこう言った。
「だが、『子供は大人が思うよりずっと色んなことを知っている』……そうじゃなかったか?」
にやりと口端を吊り上げたリリーに、バーナバスは一瞬、面食らった。だがすぐに、その堂々たる笑みに愉快な過去を重ね、同じような笑顔を浮かべる。
「そうでしたね」
昔は二人だけでよく大人の話を盗み聞きしたり、
リリーの勉強がない時や、ベルやソニアと王城に出向かない僅かな時間は、いつも二人で一緒にいた。
懐かしい思い出が蘇り、リリーは僅かに目を細める。
昔はバーナバスと話すのも気が楽だった。身分は違うものの、今のようにそれに縛られることはなかった。
「覚えてますか? 二人で衣裳部屋に忍び込んだ時。悪役のお嬢様と、その従者ごっこをして遊んでた」
黒く透けた装飾用の布を子供服の上に滅茶滅茶に巻き付けたリリーは、大きな台の上に座っていた。そしてどこかに転がっていた採寸用の棒を杖代わりに、悪戯な笑みで言うのだ。
「「――その者の首を跳ねよ!」」
二人は声を揃えて、当時の台詞を真似た。
「ハハハ! 懐かしいな、あのおとぎ話は大好きだった」
「悪の女王が好きだったんでしょ? 俺はああ言われて、トルソーを転がして首を落とした振りをしたんですよね。そしたらお嬢様はそりゃあもう喜んで、」
「褒美としてネックレスを贈ったんだったな」
「まったく、酷い話ですよ。幼気な少年に首を斬らせるなんて」
「人形だったろう。それに、実際には首も斬ってない」
リリーは、即座にそう弁明した。
「あの頃のお嬢様はいつも笑ってたな」
「今だって笑ってる」
「でも、俺の前ではめっきりあんな顔は見せなくなった。今みたいな、可愛い笑顔はね」
ただの思い出話のつもりが、あっという間に180度変わってしまった話題に、彼女はすぐに口角を落してバーナバスを睨んだ。
誰の所為なのかと問うと、彼は肩を竦めるだけでその話題を切り上げる。「そろそろ着きますよ」という声につられて顔を上げると、確かに木々の隙間から礼拝堂が見えていた。
小隊はその場に馬を待たせ、徒歩で進んだ。礼拝堂の扉に触れる瞬間、リリーが腰に下げた剣を握ったのを、バーナバスは複雑な顔で見ていた。
ギギ、と重たい扉を押し開けると、中は長い歳月を経て廃れこそしていたものの、荒らされた形跡は少しもなかった。降り積もった埃に小隊の足跡が残る。
「あれを見てください」
バーナバスが指差したのは、祭壇のすぐ横だった。埃が薄く、大きな台を引き摺った形跡がある。
「祭壇か? 動くのか?」
「気を付けて。俺より前には出ないでくださいよ」
駆け寄ろうとしたリリーは、その声に従って渋々彼の横に着いて歩く。中央にある祭壇は、何の変哲もないただの古い台である。
しかしバーナバスが部下の一人と共にそれを押してみると、ゆっくりと地下への階段が姿を現した。
「嘘だろ……」
「! おい!!」
リリーが叫んだのと同時に、地下から二匹の蛇が飛び出す。矢のように一直線にバーナバスと部下へ飛びついたそれは、鎧の上から二人の肩へ噛みついた。食い込んだ鋭い牙が、徐々に鉄を腐らせていく。
「げっ……金属だぞ……!」
即座に蛇を斬り捨てたバーナバスは、これが鎧ではなく自分の体だったらと想像してゾッと身を震わせる。
「呪文がかけられてる……潜んでたのは魔獣ではなく魔術師らしいな。どうする?」
「バーナバス、降りるなら私も行きたい。邪魔なら最後尾でもいいから」
「無理は出来ねぇが……ちょっと待ってくださいね、うちの隊には魔術に詳しい奴がいます。マーリーン、ちょっと見てくれ」
そう言われて輪の中から歩を進めた男は、干乾びた蛇の亡骸を手に取って眺めた。
それから階段の奥を一瞥して、傍に立っているリリーを見上げる。
「魔術師が普通、ある特定の分野の呪いしかかけられないことは?」
「ああ、知ってる」
「鎧のダメージから見ても、これは毒を得意とする魔術師の仕業でしょう。それも、相当強い。いったん退いて、支度を整えて出直すべきです」
マーリーンの言葉に、バーナバスはすぐに頷いた。
「じゃあそうするか。おい、閉めるぞ」
開けた二人が祭壇の床を再び閉じる。リリーはその間、マーリーンに幾つかのことを尋ねた。
「魔術師の毒には解毒法が無いと聞いたが」
「特定の解毒薬がないという意味では、そうですね。術者によって毒の性質なんかも違いますから。解呪は厄介ですよ、大抵は……術を読み解く前に死んでしまうことの方が多い」
「次の調査までには、何を用意すればいいんだ?」
「うーん。乾燥した
「魔術師か……」
「おいお二人さん、話は戻ってからにしようぜ。いつ敵が帰って来るかも分からないんだ」
バーナバスの一声で、一同は礼拝堂を後にした。
馬に跨り、少し歩みを進めたところでバーナバスが己の鎧の傷跡を見やる。
「どこか痛むのか?」
「あぁいや……。高かったのになぁ、と思って」
苦く笑う彼に、リリーはそんなことかと、呆れた溜息を返すのであった。
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