後編


 ――あ、敬語。やめてください。僕のほうが年下なので

   彼はそう言わなかった――?


「どうだったかな……たぶん、聞いたんじゃないかな」


 タカノリさんを押しのけて自分の鞄を引き寄せる。ポケットからスマホを取り出した。


「サクラさん?」


 今日のコース、前菜に蟹があった。蟹は、蟹のアレルギーは。


 急いでメッセージアプリを呼び出す。なんでもいい、送るものはなんでもいい。震えそうになる手でスタンプを押す。


 ひとつ、ふたつ、みっつ――鳴らない?なんだ、そっか、勘違い――


 ヴー、ヴー、ヴー。

 バイブレーションの音が、きっちり三回。

 わたしのスマホのものじゃない。


 スタンプを送った相手は――


「タカノリ、くん……?」




「結子、本当に勘が鋭いよな」


 はぁ、とため息と吐き出して、タカノリさんが困った顔でサラサラの黒い前髪をかき上げる。


「気付かなくて良かったのに」


 タカノリ、甲殻類アレルギーなのよ。そんなに酷い訳じゃないんだけどね、少し症状が出るから海老とか蟹とか駄目なのよね。だから良かったら貰ってくれる?北海道にいる従兄弟が送ってくれたの。

 そう言って渡されたことがある。こんなに美味しいものが食べられないなんて可哀想だと思ったから、覚えている。


 メッセージアプリを教えられなかったこと、年齢を言っていないのに年下だと断言したこと、初対面だからと苗字を名前のように偽って名乗ったら鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたこと、甲殻類アレルギーを言えなかったこと、本名を知っていること。


 繋ぎ合わせたら正解は見えてくる。


 でも、けど、だけど、タカノリ君は。


「わたしの知ってるタカノリ君は、そんな、顔じゃない……」


 そう言ったらタカノリさんは、ちょっとだけ悲しそうに笑った。


「整形してきた。結子に好きになって欲しかったから、結子の一番好きな顔に」


 ――はやく、俺のことすきになって


 思い出した。

 中学の卒業式のあと、恋愛なんて分からないから付き合えないと告白を断ったわたしにタカノリ君はわたしにそう言って、それを最後にわたしはタカノリ君と遊ぶのをやめたんだ。



 さっきまで嘘みたいに幸せだった。

 タカノリさんは理想の顔で、優しくて、可愛くて。

 舞い上がって、ときめいて、久しぶりにお洒落して。


 馬鹿みたいだ。

 騙されて、タカノリ君にまんまとしてやられて、どうしようもなく――どうしようもなく。



「あほかおまえはーーーーーー!!!!」



 腹が、立つ。




「ゆ、ゆいこ?」

「整形!?なんで!?」

「結子がこいつ好きだから……」

「あのねえ!芸能人は芸能人なわけ!恋人にするのにその顔が必須条件なわきゃ無いでしょ!そりゃ顔が良いからときめいたわよ!あっさり恋人にもなったわよ!でもよく考えてみろ!おまえはわたしに会いに来なかったでしょーが!」

「えっ、えっ」

「タカノリ君のことはそりゃめんどくさいなって思ってたわよ!だって高校生から会ってないのにいつまでもいつまでもメッセージは来るし実家の近況とか言ってくるし、意味が分からなかったし!ずっと好きなら会いに来なさいよ!整形する前にやることあるでしょ!?」

「はい……ごめんなさい……」

「泣くな!そうやってタカノリ君はすぐ泣く!泣き虫なのは変わってないままじゃない!あーもう、そんなぼろぼろ泣いて、ちょっとその顔で泣くと可愛すぎるからやめなさい!」

「ごめん……かわいくて……」

「ほんっとにもう」


 タカノリさん――タカノリ君は、そのままだった。

 昔から知っていたタカノリ君だ。

 うじうじしてめそめそして、友達が出来なくて、引っ込み思案で。


 ハンドタオルで目を擦り、赤くなってしまった目元に手のひらを当ててあげるとタカノリ君は漸く泣き止んだ。


「俺、結子のことずっと見てた」

「こわ」

「整形のために一年半は居なかったけど、行く前と帰ってきてからはずっと結子のこと見てた」

「だからこわいって」

「一年半の間に彼氏できてないってわかって嬉しくて、まだ処女なんだって思ったら絶対ほかの奴にやりたくなくて、嘘つきたくなかったけど早く結子と結婚したくて……」

「なんか聞き捨てならないキーワードが入ってるけど、まあいいわ」

「俺のこと、すきになってくれる?」

「わかんないなー」

「でも付き合うって」

「付き合うって言ったのはタカノリさんでタカノリ君じゃないからなー」

「どっちも俺!」


 また泣きそうになるタカノリ君を見て、深いため息が出る。

 どうにもこうにもこの子のことを突き放せない自分がいた。


 正直、わたしのために整形するなんて恐ろし受け入れ難い。それに、タカノリ君は決して見た目が悪かったわけではなくて、ごく普通の男の子だったのだ。

 泣き虫だからよく目を腫らしていたけれど、泣いてないときは二重だったし色も白かった。

 面倒くさいという気持ちはあっても嫌いな訳じゃなかったのに。告白されたときは本当に恋愛というものが自分にはしっくりこなくて、友達の話を聞いても羨ましいなんて思ったことが一度もなかった。

 そんな時期だった、というだけなのに。


「馬鹿ねぇ、将来生まれる子供の顔が違ってくるじゃない」

「結子に似てれば良いんだ」


 初恋が重すぎやしないか。腹を括ってこの子と死ぬまで付き合うか、それともここでバッサリ断ち切ってしまうか。その二択しかないと思った。





「で、付き合ったんですか?」

「そうなっちゃうよね」

「先輩まじでそいつヤバイ」

「分かってるけどね、昔からストーカーみたいにずっとついて回ってきてたし、メンタル弱いから逆に危ないことにはならないんじゃないかな」


 ざっくり事情を話したあとみちこは出会ってから今までで一番渋い顔をした。

 けれども、わたしのために顔まで変えてきた男を突き放せるほどわたしは強くないし、タカノリ君ならブランクがあるとはいえ長年の付き合いがあるぶん扱いやすいと思う。


「そのうち刺されますって、やばいですって」

「わたしを刺すより自分が死ぬほうを選ぶと思うよ」

「それもやばい」

「でもそういう定番のことは言ったことないなあ。死ぬとか」

「言い出したら即別れましょう」

「みちこ、心配してくれてるの?」

「当たり前ですよ」


 ほんとにもう先輩は天然なんだから、などと言いながらぷりぷり怒っているみちこを見るとタカノリ君に対するわたしもあんな感じなんだろうかと思ってしまう。

 頼りない先輩でごめんね、本当。

 でもタカノリ君が強硬手段に出るなんてことはないから安心して――などと考えていたら、その日はすぐにやってきた。




「結子、好きだよ。愛してる。世界で一番大好きだよ。俺のこと好き?愛してる?」


 付き合うことになってからすぐにうちに転がり込んできたタカノリ君は、わたしの家のことを全部しながら家賃も光熱費も払ってくれる。仕事はしているらしいけれども完全に専業主夫みたいになってきていた。夜はソファで寝てくれていたのだけれど、どうしてか今日はベッドに入り込んでいる。


「どうどうタカノリ君、落ち着こうか」

「嫌だ。だいすき。愛してる。たべたいくらい」

「はいごめんねーわたしこの歳でまだ処女なのーそういう経験ないのー」

「知ってる」


 真っ暗な部屋でちゅ、ちゅ、と音を立てつつ頭のてっぺんから全部にキスを落としていくタカノリ君の背中を叩きながら行動を中断させようとしてみるも、止まる気はないらしい。


「今日は言うこと聞いてくれないね?」

「……結子」

「はーい」

「今日、俺、誕生日」

「あっ」


 しょうがない、それはちょっとしょうがないぞわたし。

 今まで誕生日プレゼントあげたことないしな、ちょうどいいかもな、もう結構いい歳にもなってきたし、うん。

 したくない訳じゃないし、何となく――恥ずかしかっただけで。

 誕生日なんて言われたら、特別なことをしなくちゃいけない気にもなる。

 自分にそう言い聞かせて、わざとらしく溜息を吐いて、余裕そうなテンションで、彼の期待に応えてみせよう。


「よろしい、お食べなさい」


 羞恥でいっぱいの顔が暗闇でどうか紛れますように――。

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よろしい、お食べなさい。 弘奈文月/尋道あさな @s21a2n9_hiromichi

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