第16話『猫探し』

 クソ……

 焦る気持ちをなだめる余裕もなく、その扉を開いた。

「シロマメ探してくんない?」

「こちらは『伊登怪事件相談事務所』です。シロマメ、ですか?」

「あ……猫だよ。オレの飼い猫」

「猫、ですか……?」

 その探偵事務所の女性は、頭にハテナを浮かべながらも、オレをソファに座るよう促した。

「私はこの事務所の事務員の伊登千夜で、彼は所長の菊一郎です。お客様、ご依頼はペットの猫を探すということでよろしいでしょうか?」

「ああ。このくらいの白猫で、名前はシロマメっていって、それで……うっかり開いてた窓からいつの間にか逃げちゃって」

 それを聞いて、彼女はなんとも言えないような納得した表情をした。

「申し訳ございませんが、私どもはそのようなサービスを行っておりません。専門の業者をご紹介いたしましょうか?」

「でも! ここって探偵事務所ですよね? 探偵ってペット探しとかもしてくれるんじゃないですか?」

「まず、本事務所は探偵事務所ではございません。『怪事件』専門の相談事務所です。人間の尺度では測れない、所謂いわゆる『怪事件』が人間の生活を脅かすことがございます。本事務所はそのような事案を解決することが目的なのです」

「じゃあ、シロマメは探してくれないんですか?」

「はい。ご理解いただきありがとうございます。おそらく私たちでは力不足です。専門業者を紹介いたしますので、そちらをお頼りください」

「チッ……なんだよ。使えない女だな」

 立ちあがろうとしたその時、どこからか右手が伸びてきて机の上に珈琲が置かれた。

 続いて反対の手でミルクとガムシロップも丁寧に添えられた。

「お兄さん、その珈琲が無くなるまで俺の話を聞いてくれ。ミルクとガムシロは使いたきゃどうぞ」

「な、なんだよ……」

「もう千夜から聞いただろうが、俺たちは探偵じゃない。専門は怪事件だし、今までペット探しなんてしたことがない」

 じゃあなんで珈琲を出してまで話を続けようとするんだ。こっちは焦ってんだよ。

「ただ……普通の探偵にはないコミュニティがある。例えば、この街のすべての猫事情を知り尽くした化け猫とかな」

 化け猫ね……もういいや。さっさと帰ろう。今度は変なところに行かないようにしないと。

 珈琲に手をつけることなく、彼の話を無視して立ち上がる。

「化け猫の力を借りれば、俺たちは一日以内にお兄さんのシロマメを見つけられる」

 出口に向かおうとする足を止める。

「ふーん、無理だったら?」

「俺がなんでも言うことを聞く。その代わり見つけられたら、今後とも『伊登怪事件相談事務所』をご贔屓ひいきに」

「いいよ。見つけてくれるんなら文句ないし。よろしくね」

 大口を叩いた菊一郎は、千夜に怒られている。どうせ無理だ。その時はお金でも貰って、それでちゃんとしたところに頼みに行こう。


 その後、千夜はオレ達を乗せてしばらく車を走らせた。

 一方の菊一郎は後部座席の俺の隣で呑気に昼寝をしている。

 やる気あるのかね……

「シロマメが見つかればそれでいいけどよ」

「見つかりますよ」

 千夜が運転しながら話しかけてきた。

「お前、さっきは力不足とか言ってたじゃねぇか」

「そうですね。ですが……菊一郎くんが本気を出してくれたので、きっと大丈夫です」

「へぇ、変に信頼してんのな」

「はい」

 オレが座ったのが運転席の真後ろだったから、彼女の顔は見えなかった。だけど、気に食わない顔をしてるのは声でわかった。

「さて、つきましたよ」

 砂利駐車場に車が停まる。

「ここは?」

 あまり走ってないように感じたが、さっきまで見えていたような高いビルは一つもない。

「猫神社です。神様として猫が祀られていて、私たちの知る化け猫はここの神様です。彼は東京の猫事情を知り尽くしていますので、きっと手掛かりを教えてくれるでしょう。お手数ですが、菊一郎くんを起こしてくれますか?」

 はいはい。

「起きろ」

「……」

「起きろ、菊一郎」

「……どうも、お兄さん」

 どうもじゃねぇだろ、しっかりしてくれ。

「じゃあ、ついてきてくれ。会わせてやるよ本物の化け猫に」

 車に揺られながら、ずっと化け猫の正体を考えていた。

 生きた猫を化け猫と言い張るのか、猫の銅像か、猫の形の石か、はたまた3Dホラグラムの猫か。いずれにせよ偽物だと文句を言ってやろうと思っていた。

 しかし、それはあまりにも化け猫だった。

 白い毛を炎のように揺らし、尻尾が二本ある。

「こちらが、この神社で祀られている神様であり百年を生きる化け猫のユラです」

「はぁ? 様をつけるのを忘れんな。俺様はこの神社の神だぞ?」

 その化け猫は牙を剥き出しにして千夜を睨んだ。

「ユラ様、今日はお願いがあって来ました。この方の飼い猫がいなくなってしまったそうです。ユラ様のお力で解決していただけませんか?」

「……ふぅん、対価はいつも通りでいいか?」

「はい。問題ありません」

 ユラは口角を三日月のように吊り上げる。

「なら、そこのお前。飼い猫の名前と特徴を言え。写真があればもっといい」

 オレはスマホを取り出すと、オレとシロマメのツーショットを表示した。

「名前はシロマメだ。写真は……これでいいか?」

「うんうん……そうかい、なるほどね」

 ユラは何やら納得したようだ。写真だけで何が分かるのかね。

「結論から言おう。残念だけど、シロマメはもう死んでるよ。ご愁傷様」

「は?」

「死んだ。二時間前だ。車に跳ねられて即死。今頃体は次々と車に踏まれてぺっちゃんこ」

「お前! 嘘つくなよ。言っていいことと悪いことがあるだろ! あぁ、一日以内に見つけるって言っちゃったから、死んだことにして有耶無耶にしようって魂胆か! なんか言えよ菊一郎!」

「そんなつもりはない。ユラがそう言うならそうなんだ。シロマメは死んでいる。俺にそれをどうこうする力はない」

 クソ……なんなんだよ。ふざけんな。

「ふざけんな」

「ふざけているつもりは少しもない。たしかに体はぺっちゃんこだが、魂はちゃんとここにある」

 魂? ここ?

「俺様はこの東京の猫を統べる猫神だ。どの猫も俺様には逆らえない。生前も、死後もな。死後天国に行くシロマメの魂を特殊な方法で呼び寄せた。話したきゃ話せ。じゃれあいたきゃじゃれあえ。ただし、三十分だ。それでいいか?」

「シロマメと会えるのか?」

「そう言っている。準備はいいか?」

「あ、あぁ」

 するとユラの燃えるような白い毛から小さな別の白が這い出てきた。

「シロマメ!」

 白い毛に、小さな体。間違いなくそれはシロマメだった。

「約束は果たした。俺たちは対価を支払うために向こうに行っている。三十分経ったら戻ってくるから、それまで二人きりにしてやるよ」

 菊一郎はそう言うと、二人と一匹は神社の裏に消えていった。

 残された俺はシロマメを胸に抱えて、喜びと悲しさを混ぜた涙をゆっくりと流した。

「ごめんな。もっとちゃんと戸締りしとくんだったよ」

 三十分が終わるまで、ごめんと呟きつづけた。何か言うわけでもなくシロマメは消え、きっと許されないだろうなと思いつつ、あって謝れたという満足感に溢れていた。

 きっと、自己満足なんだろうな。

 謝ったのも、それで精算できたと思っていることも。

 あいつを飼ったのだって、部屋に閉じ込めたのだって、きっと俺の自己満足だ。

 あいつは外に出たかったんだろう。それで死んだのも本望かもしれない。

 いや、あいつの気持ちを勝手に解釈するのが一番の自己満足か。

「終わったか。ふん、顔つきが変わったようだな」

 戻ってきた白い化け猫が声をかけてきた。

「ユラ……菊一郎は?」

「向こうで寝てる千夜の介助だ」

 寝てる?

「俺様が生気を吸い取ったからな。あいつから吸う時は遠慮しなくていいから楽でいい」

「生気を吸われたら死ぬんじゃ……」

 なんてったった生きる気力だ。俺がシロマメに会うために人が死んだら冗談じゃ済まないだろ。

「心配するな。あいつは簡単には死なんよ」

 そうか……ならよかった。

「そうだ、一個訊いていいか? ユラ」

「様をつけろ。それで、何が訊きたい」

「シロマメを飼ったこと、逃してしまったことを悔やんだこと、それは全部、俺の自己満足なんじゃないかって思ったんだ」

 ユラはふぅん、といった感じで眉を上げる。

「あいつが求めていた幸せってなんだったんだろう」

「知らん」

「え、でも東京の猫を統べるユラ様なら……」

「知らんものは知らん。俺様は憶測しかできん。だが、それはお前がやったのと同じことだろう? だから俺様の意見など訊くな。どうせ意味などない。シロマメを飼うことで幸せになった奴が一人いる。それでいいだろう」

 そうかもしれない。でも、やっぱりよくわからない。

 少なくともこの気持ちに整理がつくまでは、新しいペットを飼ってはいけない気がする。

 俺は小さく白いあの猫を、どうしても忘れられそうにない。


【次回予告】

 鬼には初恋の人がいた。今や彼のみが知っていて忘れたと嘘ついたその事実を、今回だけは明らかにするが、他言無用を約束してほしい。

 鬼と魚のためだから。

 第17話『鬼』

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