第20話 祖父のいる結界

「あ……うん」

 リーベルにすれば、テーズはこういう場所だとわかっていながら単独行動をしているのだから、何かあっても自業自得、という気がする。

 だが、リスタルドとしては、一緒に連れて来た、という責任感があるのだろう。

 真面目な彼らしい、と言えばそれまでなのだが……そういう部分をテーズに利用されているような気がしてしまう。

「あっちの方へ歩いて行ったわ」

 テーズが向かった方へと、ふたりは歩き出した。

「テーズー」

 リスタルドが名前を呼びながら歩いたせいか、すぐにテーズも姿を現わした。

「あら、目が覚めたの?」

 やはり、具合はどうなのか、といった言葉は彼女の口から出ない。一度引っ掛かると、いちいち悪くとらえてしまう。

 こんな風に思うなんて、あたしってひねくれてるのかなぁ。

 リーベルは一人、自己嫌悪におちいる。

「テーズ、ここではあまり一人にならない方がいいよ」

「大丈夫よ。あ、でも……またそろそろ出て来るかもね」

 リスタルドが目を覚ましたから、彼を狙う魔物が出て来るだろう、と言いたいのだ。

「あのね、テーズ。さっきも言ってたけど、魔物は……」

 リスタルドを狙ってると決まった訳じゃない、とリーベルが言いかけた時。

 近くの茂みでガサッと音がして、全員がそちらを見た。

「朝から大物ねぇ」

 現れた魔物を見て、テーズがつぶやいた。

 茂みから出て来たのは、熊の姿をした魔物だ。しかも、かなり大きい。

 立った状態でなら、リスタルドより頭二つ分は高そうだ。暗い茶色の身体は、幅も厚みもしっかりある。

 リスタルドを狙ったんじゃない、と言いかけたリーベルは、それまで何もなかったらしいテーズが自分達と合流した途端に魔物が現れ、そのことをあまり強く言えなくなった。

 こんな状況では「魔物は竜を狙ってる説」を覆せない。

 しかし、身構えているリスタルドを前にしても、熊の魔物は襲いかかってくる様子がなかった。

 昨日は二頭、三頭と仲間が次々に後から現れたりしていたが、今は目の前の一頭しかいないようだ。

 その一頭は、リスタルドをじっと見ている。その目に、攻撃の意思は見えない。

 向こうが手を出さないので、リスタルドも熊を見ていた。

 しばらく睨み合っていた両者だが、ふいに魔物が動く。

 熊が踏んだ枝の折れる音にびくっとしたリーベルだったが、熊は回れ右をして戻って行ったのだ。

 後には、何事もなかったかのような静けさだけが残る。

「今の、何? 出て来ただけで、帰っちゃったわよ。まさかと思うけど、自分だけじゃ無理って思って、あきらめたのかしら」

「いや、違うよ。ついて来いって言ってるみたいだった」

「ついて来い? リスタルド、まさかついて行くつもり? のこのこついて行ったら、この周辺にいる魔物が勢揃いしていて、一気に襲いかかる気でいるのかもよ」

 テーズにすれば、自分達の進退の鍵を握るリスタルドが万一にもやられてしまっては困る。

「そういう気配は感じないよ。それに……こちらの方から、次の結界の気配がするから。どっちにしても、行かないとね」

 魔物が向かった方が進行方向だと言われれば、テーズも反対はできない。

「結界があるなら、仕方ないわよね。もし魔物が勢揃いしてたって、今のリスタルドはしっかり動けるんだもん。平気よ」

「……それじゃ、仕方ないわね」

 これまでとは違うパターンなので、テーズは完全に不承不承という態度だ。

 魔物が消えた方へと、全員が歩き出す。

 さっきの魔物の姿はどこにもなかったが、リスタルドの歩みに迷いはない。

 少し進むと、リスタルドの目に竜の結界が見え、これまでと同じように通り過ぎた。

「あ……」

 もういくつ目になるかわからない結界の中に入ると、リスタルドは小さく声をあげて立ち止まった。

「どうしたの、リスタルド?」

「とても強い気を感じる。今までとは全然違う気を……」

「え、それって」

「うん、おじいさんがここにいるんだ」

 母カルーサが持つ気配と違うようで、どこか似ている気配。この空間に漂う魔の気配とは異なる力を、リスタルドは確かに感じた。

 間違いない。ここに、ロークォーがいる。

「つまり、ようやく目的地にたどり着いたってこと? やれやれね。私も早く竜に会ってみたいわ。竜珠ってどんなものなのかしら」

 竜珠のことはともかく、リスタルドも竜なんだけどな……。

 ずっと人間の姿でいるから、テーズの頭から「リスタルドは竜である」という事実が飛んでしまっているのだろうか。

 やれやれって、あたし達は歩いていただけ。大変だったのは、リスタルドなのに。

 彼女の言葉に深い意味はなかったかも知れないが、リーベルはついうがった見方をしてしまう。

 リスタルドはわかってないのか、気にしていないのか。

「こっちだ」

 言いながら、リスタルドはさっさと歩き出す。

 リーベルとテーズは、慌ててその後を追った。

☆☆☆

 さっき見た熊の魔物以外、歩いていても全然魔物に出くわさない。何の障害もなく進めるのは、どこか不思議な気がする。

 これは魔物がいるエリアを通り過ぎた、と考えればいいのだろうか。

「あなたのおじいさんに会えば、竜珠をもらえる……のよね?」

 テーズが、改めて確認する。

「うん、そのはずだよ。……母さんには、とにかく会って来いって言われたから、実際にはどうなるのかなぁ」

「何なの、それ。竜珠をもらうために、今まで進んで来たんじゃないの?」

 リスタルドののんきさにあきれたのか、テーズの口調には若干の苛立ちが含まれていた……ようにリーベルには聞こえた。

 リーベルにすれば、いつものことよね、とあっさり受け入れられるのだが、出会って間もないテーズにすれば「そんなことでいいのか」という思いがあるのだろう。

 その点については、ちょっとわかる気がする。

 昨日、テーズは竜珠が手にできなければどうなるのか、などと話していた。リーベルはそういう話をするな、と少し怒ったが、あくまでも仮定の話。

 まさか本当に「ちゃんと竜珠をもらえるという確証はない」とは、テーズも思っていなかったに違いない。

「うん、そうなんだけど。そのことについては、おじいさんが説明してくれるからって言われてるんだ」

 おじいさんの説明、長くならなければいいんだけれど。できるだけ早く済ませて、リーベルを家に帰してあげたいし。何だったら、大まかなことをとりあえず聞いて、リーベルを送ったらもう一度来るってことで、今日は説明を短縮してもらえたら……っていうのはありかな。おじいさんが人間嫌いじゃなきゃいいけれど。

 あ、もし嫌いだったりしたら、リーベルやテーズを連れてるのって、かなりまずいのかな。会った途端、いきなり雷を落とされたりして。もし本物の雷を落とすってことなら、彼女達を連れて来たのはぼくなんだから、それは甘んじて受けるつもりだけれど。

 リスタルドの意識は、テーズの言葉よりもロークォーに会った後のことに向けられていた。

 とにかく、これでリーベルを安全な場所へ帰せる、の一言に尽きるのだ。

 ふいに、歩き続けていたリスタルド達の眼前が開けた。

 そこには大きな湖が広がり、明るい陽射しが水面みなもを照らしている。光をさえぎり、薄暗い空間をつくりだしていた木々の間を歩いていたリーベルやテーズには、その水面がとてもまぶしかった。

「きれいね。ここがニキスの山とは別の場所でも、この景色を見てたらもうどこでもいいやって感じ」

 空が大きく見える場所へ来ると、それだけで何だか気持ちよく感じる。魔の気配だのを感じられないリーベルは、警戒することもなく深呼吸した。

 少し冷たい空気が、心地いい。

「あ……」

 広がる湖を見渡していたリスタルドが、ある方向に視線を止めた。

 そちらに人影がある。リスタルドに聞かなくても、それがロークォーだということは、同じ方を向いたリーベルにもわかった。

 この場所に、自分達以外の人間がいるとは思えない。竜の結界を通り抜ける人間が他にもいるなんて、まず考えられない偶然だろう。

 だとすれば、竜以外にありえない。よくない存在なら、リスタルドも気付くだろう。

 リーベルは、ロークォーが現れる時にどちらの姿になっているだろう、と考えていたのだが、どうやら彼は人間の姿で現れることを選んだようだ。

 今のリスタルドが人間の姿だから、それに合わせたのかも知れない。もしくは、人間であるリーベルやテーズが驚かないようにするためか。

 リーベルは竜のリスタルドを知っているので、問題はない。

 だが、そんなことをロークォーはわからないだろうし、知っていたとしてもテーズがびっくりするかも、ということで人間の姿にしたのだろう。

 話をしているうちに、竜の姿になったりするだろうか。それならそれで、楽しみだ。

 リスタルドがそちらへ向かって歩き、人影もこちらへ歩いて来る。部外者のリーベルは、どこまで近付いていいのかわからない。

 横や真後ろにいるのも考えものと思い、リスタルドと少し距離をおいて歩いた。

 テーズも同じことを考えたのか、リーベルの隣にいる。

 やがて、リーベルやテーズの目にもはっきりその姿がわかるまでに、お互いが近付いた。

 わ、思ってたより若い……。

 リスタルドの祖父であるロークォーは、五十代初めくらいに見える人間の姿をしていた。

 おじいさんと聞いていたから、てっきり六十代、七十代くらいの、つまり高齢者の姿だと思っていたリーベルは、そのことに驚く。

 想像通りだったのは、美形である、という点。

 カルーサがあれだけ美人なのだ、彼女の父のロークォーは絶対に麗しい見た目だろうと確信していたが、まさにその通りだった。

 温和そうな表情は、どこかリスタルドに似ている。肩までの黒い髪や緑の瞳、すらりとした長身が、余計そう思わせるのだろう。

 少し違うのは、肌の色。やや褐色で、色白のリスタルドより健康的に見えた。

 リーベルは、リスタルドの父パストーンを知らない。だが、こうして見る限り、リスタルドはおじいさん似だな、と思った。彼が歳を取ったら、こんな感じになりそうだ。

「よく来たね、リスタルド」

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