第18話 わずかな不審感

 ふいに右手の方から何かの気配を感じ、リスタルドはそちらを向いた。

 今現れたのだろう、小さな狐だ。もちろん、普通の獣ではない。気配は魔物だ。

 新手か。今度は、どれくらいの数で来るつもりなんだろう。

 今は一匹しか姿はないようだが、一気に増えることもありえる。そうなったら、最後まで意識を保てるだろうか。

 何とか身体を起こしたものの、リスタルドはもう魔力を使える状態ではない。それどころか、意識もまたもうろうとしてきている。

「今日は終わった」

「え?」

 思わず聞き返したリスタルドだったが、狐は何もなかったようにさっさと茂みに隠れてしまった。

 今の言葉は、現れた狐の魔物が口にした……ように思う。中性的でひどく棒読み。

 そのせいで、すぐにはその言葉の意味を掴みかねた。理解しようとしたが、思考力の低下はもう止められない。

 リスタルドは倒れるようにして、また横たわる。気付いたら、そうなっていた。

 今日は終わった? もう夕暮れだし、一日が終わった、と言われればそうとも言えるよね。もう魔物は現れないって考えるのは……都合がよすぎるのかな。

 勝手だとわかっているが、そうだと思いたい。

 それ以上考えることはできず、リスタルドは今度こそ深い眠りに入った。

☆☆☆

「さっきのリスタルドの状態、どうなってるの?」

 リスタルドから少し離れた所で、テーズが尋ねてきた。事情を知らなければ、当然の疑問だろう。

「どうって……竜の貧血みたいなもの、かしら」

 尋ねられたって、リーベルもリスタルドがあんなふうに倒れてしまう、と知ったのはつい昨日のことなのだ。説明したくても、詳しくは話せない。

「竜が具合を悪くするなんて、そういうことってありなの?」

「そりゃ、竜だって生き物だもん。ありじゃないかなぁ。ほら、他の竜に比べて身体が弱いって話は、昨日してたでしょ。がんばりすぎると、ああなるみたい。人間の中にも、そういう人はいるでしょ」

「それはわかるけどね。虚弱体質の竜がいるなんて、想像もしなかったわ」

 確かにリスタルドの状態は、竜としては「虚弱」と言われても仕方ないかも知れない。昔は何度か危険な容態になったこともある、と聞いた。

 それを思えば外れてはいないのだろうが、言葉の響きにリーベルは少しムッとする。

 だが、今は何も言わなかった。

「ねぇ。テーズは自分の魔法の腕を上げたいから、旅に出たって話してたわよね」

 話を別方向へ変えることにした。

「ええ。……それが?」

「ブラドラの街では、それが普通なの? 女性の魔法使いが仕事以外でそういう旅に出るのって、ラカの街では今まで聞いたことがないから」

「別に普通って訳じゃないわよ。だけど、普通におさまってなきゃいけないって理由もないでしょ。私は街を出たかった。それだけよ」

「そう……」

 話している間に、リスタルドが教えてくれた木の実のある所へ来た。名前は知らない果実だが、リーベルの拳サイズの赤い実がたくさんなっている。

 さっきは魔物がいたし、その後も歩くのに一生懸命だったので気付かなかったが、こうしてそばにいるといい香りがした。甘いだろうな、と思える香り。

 リーベルは何も考えずに歩いていたが、リスタルドはこういう周囲の状況もちゃんと見ながら進んでいたのだ。

 魔物が現れる様子はない。適当な個数をもぎ取ると、二人は急いで今来た道を戻った。

「あなたやラカの魔法使いは、竜珠について知ってたの?」

 リスタルドの目的を話すことで、テーズにも竜珠の話はしてあった。昨日はリーベルが説明をするばかりだったので、今日はテーズが質問をする、という形だ。

「ううん。昨日初めて聞いたわ。テーズと会う少し前。竜も面倒なことをしなきゃいけなくて大変ねーって話してたの」

「リスタルドのおじいさんがその竜珠をくれるって言うのは、それでリスタルドが強い竜になれるってことなのかしら」

「あたしも詳しいことはよくわかんないけど……そんな感じみたいよ。実はリスタルドも聞いたばかりで、そんなに詳しいことは知らないらしいの。リスタルドってば、本当にのんきなんだから」

 ちょっとあきれたりもするが、それが彼らしい、と言えば彼らしい。

「早くおじいさんのいる所へ行けるといいわね」

「うん。リスタルドのお母さんは、すっごく美人なの。そのお父さんなんだから、きっと渋い感じなんだろうなぁ」

 もちろんそれは、人間の姿で現れたら、の話だ。

「リスタルドのお父さんは?」

「あたしもまだ会ったことはないの。リスタルドの身体が強くなるようにって、遠い国へ行って薬だとか食べ物とかを探してるって聞いたわ。人間と一緒よね」

 もちろん、薬や食べ物の中身は人間が口にするものとは違うが、親が子を思う気持ちはみんな同じだ。

 今はリスタルドの状態が以前よりもずっと落ち着いていることもあり、少し遠い国へ足(翼?)を伸ばしているのだ、と聞いた。

 それがリスタルドとリーベルが出会う少し前の話らしく、近いうちに会えるだろう、とカルーサにも言われているので、その日が楽しみだ。

「自分達の魔力で何とかできないのかしら。竜なら、大概のことはできると思ってたけれど」

「……さぁ」

 それができるくらいなら、リスタルドは今頃飛べないと悩んでいることはないはず。できないからリスタルドは一生懸命努力しているし、父のパストーンは息子のためになる物がないか、遠い国へおもむいていると思うのだが……。

 昨日、リスタルドはリーベルのケガを治してくれたが、やはりそれとこれとでは別だろう。リーベルの場合は一時的なケガだが、リスタルドの場合は生まれながらの体質なのだから。

 人間から見れば魔力や体力、寿命などからして神にも思える竜だが、彼らだって万能ではない。

 テーズって、リスタルドのことをどこか見下してるように思えるんだけど……やっぱりあたしの気のせいかなぁ。今だって、すごく冷たい口調に聞こえたんだけど。きっと、朝の再会で思ったことがまだ引っ掛かってるのね。……たぶん。

 リーベルは気にしないよう、テーズの言葉は頭から閉め出すことにした。

「もし、リスタルドが竜珠を手にできなかったりしたら……どうなるのかしらね」

「え……そんなこと、あるのかな」

 思いがけないことを言われ、リーベルは一瞬どきっとする。

 何がどうなれば、竜珠を手にできなくなるだろう。リーベルには、すぐに思い付かない。

 だいたい、竜珠をくれるのは、リスタルドのおじいさんではなかったか。竜ならみんなが持つという竜珠を孫に渡さない、なんてひどいことをするとは思えない。

 たまに頑固な祖父があれこれと条件を付けたりする、というのはありえそうだが。

 リスタルドだって、もらえると思っているからこうして向かっているはず。カルーサだって、そうなるようにリスタルドをここへ来させているはずだ。

「もちろん、仮定の話よ。みんなが持つというのなら、持たなかった場合はどうなるのかしらって疑問に思っただけ」

「そりゃ、竜珠が魔力の源みたいなものなら、それがないと……」

 力の元になるものがなければ、十分に力を発揮できないのではないだろうか。竜珠を手にすることで魔力が強くなるなら、手にできなければ弱い魔力に甘んじる、ということになる。

 人間の勝手な推測だが、単純に考えればそういう流れになるだろう。

「テーズ、仮定でもそんな悪い可能性の話なんて言わないで。リスタルドはあたしに会う前も会ってからも、本当に一生懸命やってるんだから」

「だけどね、一生懸命やっていれば全てがうまくいく、とは限らないのよ」

「……」

 まだ人生経験の少ないリーベルにそんな難しそうなことを言われても、理解しにくい。テーズって結構マイナス思考な人だなぁ、と思うだけだ。

 彼女もそんなに年齢を重ねているとは思えないが、余程の辛酸をなめてきたのかも知れない。

 ただ、最初は勝ち気そうに思えただけのテーズの目が、話しているうちに今は何だか意地悪そうに見えてくるのは否めなかった。

 たくさんでいた方が楽しいって思ってたけど……そうじゃない時もあるのね。

 言っても仕方ないのだが、彼女に会わなければこんな不愉快な気持ちにならなかったのにな、などと思うリーベルだった。

 良くも悪くも自分の周りにテーズのような、人の気持ちにさわるような言い方をする人が今までいなかったので、慣れないリーベルはちょっといらつく。

 自分が知らないだけで、世の中には色々な人がいる……とはわかっているのだが。

 自分までマイナス思考になりそうに思う頃、ようやくリスタルドの所まで戻って来た。

 声をかけようとしたが、眠っていたのですぐに口をつぐむ。

 持っていた木の実を置き、リスタルドのそばへ行ってその手を握ってみた。

 さっきより温かくなってる気がする。顔色もそんなに悪くない。呼吸も表情も穏やかだ。

 やはり早く休むことで、昨夜のような冷たさは回避できたのだろう。

 よかった。やっぱり強引に休ませて正解だったわ。

「あなた達、本当に仲がいいのね」

 その様子を眺めていたテーズに言われ、リーベルはちょっと首を傾げた。

 言葉通りではなく、テーズの口調に何かしら含みがあるように聞こえたのだ。

「そう、かしら」

 ラカの街へ戻れば、リーベルと仲のいい友達はいくらでもいる。時々街へ来るリスタルドともみんな仲よくなっているし、リーベルだけが特別という訳じゃない。

「竜とここまで親しげな人間がいるなんて、想像もしなかったもの」

 リーベルにすれば、リスタルドはたくさんいる友達のひとり。

 だが、今の状況しか見ていないテーズにすれば、竜と特別な関係を持つ少女、と見えるようだ。

「何か竜の秘密とか、教えてもらったりしているの?」

「秘密?」

「何でもないように話していたけど、身体が弱いっていうのは秘密の部類にならないのかしら。何か問題が起きかねない情報だと思うわよ」

 それについては、リーベルも似たようなことを思った。初対面なのに、竜がそんなことを告白していいものなのか、と。

 しかし、お互いが子どもだったから、そう深くは考えなかった。

 それに、リスタルドの魔力レベルについては、ラカの魔法使い達なら今ではみんなが知っていることだ。

 しかし、これまで何か問題が起きたことはない。

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