第11話 帰らないから
結界の中へ足を踏み入れた途端、これまでに感じたことのない空気にリスタルドは一瞬身を硬くした。
魔力に満ちた空間……こんなの、ルマリの山では感じたことなかった。いとこのいる山へ連れて行かれた時も、こんなに強い魔力は感じなかったのに。それだけここは世界が違うってこと?
「リスタルド、大丈夫?」
表情のこわばったリスタルドを見て、リーベルが声をかける。
「え? あ……うん、大丈夫。リーベルは何ともない?」
「何ともって、何が?」
無理をしてるのでもなさそうだ。人間には感じ取れない、ということなのか。
テーズの方を見ると、多少は雰囲気が伝わるのか、こちらは少し緊張した面持ちだ。
「テーズ?」
「あなたの言う通りね。一筋縄じゃいかないって気配が伝わってくるわ」
リーベルにはわからなくても、やはり魔法使いとして訓練を積んでいるテーズには感じ取れるようだ。最初の結界では気付かなかったようだが、ここはさっきまでとは空気の濃さが違う。
「二人とも、今なら戻れるよ。入ったばかりなんだから」
「やだ」
リーベルはきっぱり拒否した。
「ねぇ、どうしてリスタルドって、あたしをそんなに帰そうとしたがるの。そんなにあたしがいると困るの? もしかして、すっごく邪魔してる?」
ずいっと迫られ、リスタルドは戸惑う。
竜に迫れる人間は、リーベル以外に探そうとしてもなかなか見付からないだろう。
「そ、そうじゃないよ……」
「だって、さっきから戻るなら今のうちだ、とかばっかり言うんだもん。そんなことばっかり言われたら、あたし……」
リーベルがくちびるをかみしめながら、リスタルドを上目遣いに見る。
「ご、ごめん、リーベル。ぼくはただ」
「余計帰らないからね」
「……え?」
リーベルと一緒にいれば楽しい。だけど、いつもとは状況が違うから、彼女を危険な目には絶対遭わせたくない。
何か起きないうちに山を下りてほしいが、それを言うとまるでこちらがいやがっているようにも取られてしまう。決してそんなことはないのに。
そんなリスタルドの気持ちを知らずに……いや、案外しっかり知っていて、リーベルは心の中でペロッと舌を出しているのだ。
「あたしを帰すつもりなら、会った直後に帰すべきだったわね。ここまで来たら、魔法使いじゃなくても、あたしだって知らない世界を見てやろーって思うもん。帰れって言ったって、ぜーったい帰んない」
「……」
本人が断言している通り、もう何を言っても絶対帰らないだろう。
普段、リーベルがこんなわがままを言うことなどなかったが、リスタルドはそう確信した。
「私も同じくってところよ」
「はぁ……」
テーズにまでそう言われてしまったら、もうあきらめるしかない。
「さ、元気出して進みましょ。ね、おじいさんらしき気配はある?」
戻る戻らないの話は、もう終わってしまったらしい。
リスタルドは何も言わず、ロークォーらしき竜の気配がないか探った。
「何も感じない。いくらこの周囲の気配が濃くても、竜の気配が消されるとも思えないから……」
「さらに奥にいるってことね」
「そうなるかな。リーベルが言っていたように気配を消しているか、まだ二重三重の結界があるのか。どっちにしても、近くにはないみたいだ」
「じゃ、次の結界まで進みましょう。ここに突っ立っていても、おじいさんが迎えに来てくれる訳じゃないんだから」
「う、うん……」
「ルマリの山みたいに、プレナみたいな竜が迎えに来てくれればいいのにねぇ」
リーベルに手を引かれながら、リスタルドはふと「まさか、プレナがリーベルの姿になってるってことはないよね」なんてことを考えた。
竜や魔法使いがこの辺りの空気は他と違う、と何度も言ってるのに。
いくら気配を感じないと言っても、ここまで無防備にすら思える状態で歩けることが信じられない。
しかし、リーベルからプレナの気配は全く感じられなかった。人間や魔法使いを相手にごまかすならともかく、竜ならわかるはずだ。
それとも、リスタルドが知るよりはるかに高度な魔法で変身しているのだろうか。
だが……やはりこの気配はリーベル本人だ。いつも一緒にいるプレナと人間のリーベルを、リスタルドが間違えるはずがない。
これがリーベルなら、いや、気配からして絶対にリーベルなんだけれど、未知の場所でこうも元気に進めるなんてすごいな。人間って、力がなくてもこんなに強くなれるんだ。
知らない者が一番強い、とリスタルドがわかるのは、ルマリの山へ戻ってからである。
「特に拒絶されてるような雰囲気はないようね。殺気も感じられないし、景色だけを見ていたら森林浴でもしてる気分だわ」
一見すれば、何の変哲もない森を歩いているだけ。ここは山のはずだが、坂道ではないのはやはり異世界へ入り込んでいるためか。
しかし、そのおかげで人間二人は負担が軽くなって助かる。
「殺気……やっぱり人間って、魔物にとってはエサの対象になっちゃうの?」
「魔物によるわね。人間を捕食対象とする魔物ももちろんいるけど、だいたいは自分のテリトリー内に入ったから追い出そうとして襲って来たりとか、自分より弱い生き物をからかって遊ぶってところかしら。もっとも、魔物に遊ばれたりしたら、もろい人間はすぐに命が尽きてしまうけどね」
恐ろしいことをあっさり話すテーズ。しかし、事実でもある。
「……お互い、知らん顔で素通りできたらいいわねぇ」
そういう話をされたら、やっぱりリーベルだって怖い。いくらリスタルドがそばにいて魔物を簡単に蹴散らす力を持っていても、できるなら見ないで済ませたい。
「あなたが棲む山に、魔物はいないの?」
「ルマリの山には……んー、ぼくは見たことないなぁ。ちょっと普通の動物離れした子はいるよ」
スルーできないリスタルドの言葉に、リーベルが思わずつないでいた彼の手を引っ張る。
「リスタルド、そういう存在をあたし達は魔物って言ったりするのよ。……じゃ、待って。リスタルドとおしゃべりしてる時によく動物達が寄って来てたりしたけど、あの中に魔物もいたってこと?」
「あの子達をそう呼ぶなら……そういうことになるね」
「えーっ、本当にそうなのっ?」
聞いたリーベルは、血の気が引く。山の中腹などを散歩している時にうさぎやリスを見掛けることはよくあったし、たまに狼や熊の姿も少し離れた所で見掛ける時もあった。
どれかは知らないが、その中に魔物が混じっていたのだ。
それらがどんな性質か、なんてあまり知りたいとも思わないが、襲われなくてよかった、とほっとするリーベル。竜と一緒にいれば襲われることはないだろうが、それはそれ、だ。
「……殺気は確かにないけれど、視線はずっと向けられているよ」
「ええっ」
これにはリーベルだけでなく、テーズも驚いていた。視線なら、魔法使いでなくても感じられそうなものなのに。この空間の空気が、魔物の視線をあいまいにさせているのだろうか。
リスタルドに彼女達を怖がらせる気はなかったが、ここまで来たならそれなりに覚悟してもらわなければならない。
実際に魔物が現れて、騒ぎ立てられたらその悲鳴に興奮した魔物がますます攻撃的になりかねないのだ。
少しでもそういう事態を避けるために、現実を知っておいてもらいたい。
「その視線がいつ好戦的になってもいいように、用心しておいた方がいいわね」
「テーズ、あまり必要以上に力まない方がいいよ。向こうにそれが伝わって、興奮状態になったりしたら困るしね。攻撃力が上がるかも知れないだろ」
「でも、油断は禁物だわ。すぐ対処できるようにしておかないと、こういう場所では食うか食われるかよ」
魔物より、テーズの方がずっと好戦的な気がするなぁ……。
魔法使いの言葉を聞いてそんなことを思ったリスタルドだが、彼女が人間である以上は仕方ない心境かも知れない。
竜に襲いかかる魔物はそう多くないだろうし、多かったとしても対処は簡単。
しかし、程度の差こそあれ、人間にとって魔物の相手をすることはそう簡単なことではないのだ。一瞬の油断が、命取りになる。
「何でもなさそうに見えるけど、実はここってすごく怖い所?」
リーベルが、今更なことを尋ねる。
「こちらが余計な刺激をしなければ、何もしないよ」
今のところはね。
リスタルドは、最後の言葉を口にはできなかった。
怖がらせたくないと言うより、変なことを言うとそれが本当になってしまいそうな気がするのだ。
「きゃっ」
ふと前方の木を見上げたリーベルが、小さな悲鳴をあげた。
その枝に、鴉らしき黒い鳥が並んでいたのだ。十羽以上はいる。
そんな枝が五、六本。そんな木がさらに五、六本。
ざっと見ただけでも二百を軽く越える鴉が、こちらを向いているのだ。
しかも、その鴉達には三つの目があり、赤く光っている。思わずリーベルが声を出してしまうのも仕方がない。
そんなに大きな声を出したつもりはなかった。どちらかと言えば、息を飲む状態に近かかっただろう。
しかし、明らかに話し声とは違う音だ。それがこの周辺の均衡を破った。
鴉達が一斉に鳴き始める。しわがれた、ひどく耳障りな声だ。
あまりの音量に、リーベルとテーズは思わず耳をふさぐ。
「興奮し始めた。早くおさめないと」
「どうするのよ。一羽や二羽じゃないのよ。おさめるって言ったって、これだけの数だと一部をおさめたくらいじゃすぐにまた騒ぎ始めるわ。一度に全部消すくらいのことをしないと」
「テーズ、駄目だ。向こうは言葉を理解しているっ」
リスタルドが言ったが、遅かった。消す、と聞いた鴉達はさらに声を張り上げ、一羽が羽ばたくと間をおかず、群れ全体が羽ばたき始める。
「か、かなり……怒ってない?」
赤い目がさらに不気味な光を強めた……ように見える。
「これを何とかしないと、先へ進めないんでしょ」
そっちがその気なら、こっちもやってやるわ。
言葉にはしなくても、テーズからそんな雰囲気が伝わってくる。
一羽が枝を離れた。続いて次々に鴉が枝を離れ……リスタルド達を狙って滑空する。
テーズがそんな鴉達に、炎の矢を向けた。群れの一部にその矢が当たった途端、花火のように破裂する。
だが、それはほんの一部だけ。
魔物の群れは、その勢いを止めることなくこちらへ向かってきた。数知れない槍の先にも見える鋭いくちばしに、リーベルはその場にしゃがみ込んで目を閉じる。
次の瞬間、ごぉっという大きな音がして、リーベルは顔をそっと上げた。
こちらを狙っていた鴉達はあとわずかというところで、突然起きた竜巻に巻き込まれていたのだ。
否応なく向きを変えられ、中には地面に落ちてしまった鴉もいる。
「え……今の、リスタルドが?」
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