第43話 天へ還る


 雪を巻き上げながら、緑色の飛竜リュザールが茶色い飛竜の前に舞い降りる。

 着地してすぐにリュザールの背から飛び降りたソーは、無意識に剣を抜いたところでハッと我に返り、ラシュリに振り返った。

 彼と同じように飛竜から降りてすぐ右手で剣を抜いたラシュリだったが、すぐに顔をしかめ、剣を左手に持ち替えていた。


「痛むのか?」

「ん、ああ……氷王のおかげで表面的な火傷で済んだし、痛みがあるのは感覚が失われていない証拠だけど……使い物にはなりそうもない。ああ、心配はいらないよ。利き腕を失ったときの為の訓練は受けている」


 ラシュリはソーに苦笑いを返してから、スッとその表情を引き締めた。


「敵は少なくとも二人いる。どちらも魔導師だろう。気を抜くな」

「わかってるって!」


 本当にわかっているのか、ソーは剣をクルクルと回しながら飛竜に繋がれた箱に近づいてゆく。

 互いに目配せをし、うなずき合ってから、ソーが長い足を持ち上げて、思い切り箱を蹴飛ばした。

 箱が倒れると同時にパタンと蓋が開く。

 身構えるラシュリとソーの前に転がり出てきたのは、立ち上がる気力もなさそうな、痩せ細った老人だった。


「おい、〈炎の竜目石〉を持っているだろ? 出せ!」


 ソーは抜き身の剣を老人の首筋に当てた。

 どれほど弱々しく見えても相手は魔導師だ。どんな奥の手を隠しているかわからない。

 老魔導師は訳がわからぬ様子で、雪原に転がったままキョロキョロと視線を動かしていたが、ラシュリを見つけるとニタリと笑った。


「おお、炎竜の共鳴者か……炎竜の息の根を止めに来たか? その様子では、イェグレムは死んだようじゃな」


 老魔導師の〝炎竜の共鳴者〟という言葉にソーは一瞬ポカンとしてしまったが、その言葉でラシュリが表情を曇らせるのを見て、頭に血が上った。


「無駄口をたたくな! 大人しく竜目石を渡せば命までは取らない。さっさと出した方が身のためだぜ!」

「ソー。そいつの首元を調べて」

「わかった……ああ、あったあった!」


 ソーは老魔導師の首に掛かっていた紐を剣で切り、紐に繋がっていた麻の小袋をラシュリに投げる。

 受け取った小袋をラシュリが逆さにすると、黒く染まった丸い石が手のひらにポトリと落ちてきた。

 黒い石の中にほんの僅かに残る赤色の部分だけが〈炎の竜目石〉だった痕跡を残している。


「わぁぁぁぁぁぁっ!」


 突然、森の中から男が雄叫びを上げて駆け出してきた。

 森に逃げ込んでいた茶色い飛竜の騎手が、老魔導師を助けに出てきたのだろう。ラシュリの背後を取ったところまでは良かったが、男は剣も魔道もろくに扱えない下っ端だったらしく、振り返ったラシュリの剣さばきに慌てふためいて、雪の中に尻餅をついてしまった。

 ラシュリは尻餅をついた男の懐から問答無用で竜目石を奪い、剣の束頭で竜目石を叩き割る。その瞬間、雪原から茶色い飛竜が忽然と消え去った。


「ソー、行くぞ」

「え? こいつら、このままにしとくの?」

飛竜テュールなしでは、動けないだろう?」

「そりゃまぁ…………」


 ソーは一瞬だけ躊躇したが、神殿に使える巫戦士は無駄な殺生を嫌うことを思い出し、あえて反論はしなかった。


 ○○


 ラシュリとソーがリュザールに乗って雪の谷まで戻ると、氷竜はまるで本物の氷像のように、山ひだを埋めた氷の前に佇んでいた。

 その姿は、まるで己の力で封じたはずの炎竜を悼んでいるように、ソーには見えた。

 そんな氷竜の隣に、ラシュリが無言のまま並ぶ。

 二人の目は、氷の中に閉じ込められたに注がれている。

 ソーは氷の中にいる者に嫉妬の眼差しを向けながら、ラシュリの隣に並んだ。


「そうやって、俺をのけ者にしようとしてもダメだからね」


 傷ついたラシュリの右手に触れないように、そっと腕を取る。

 ラシュリは戸惑ったようにソーを見上げてから、諦めのようなため息をついた。


「私は……炎竜の共鳴者だった。本当なら、あの氷の中にいるのは私だった筈だ。イェグレムは、私の代わりにその役目を果たしてくれた……」

「それは違うね。ラシュリが炎竜と契約してたら、こんなことにはなってなかった。だから、ラシュリが申し訳なく思うことはない」

「……ソーは、単純で良いな」

「それが俺の取り柄だからね。さぁ、さっさと天に還してやりなよ」

「そうだな」


 ラシュリは平たい石を見つけて〈炎の竜目石〉を置いた。その上に剣の切っ先を突きつける。


「炎竜……あなたが、生涯で唯ひとり、光の絆で結ばれた私の相棒なら……イェグレムと共に天空の神の御元へ還り、穏やかに暮らしてほしい。いつかまた巡り会えたら、今度は必ず、あなたを守るから」


 ラシュリは唇を噛みしめて、剣の柄頭に体重をかけ、剣先に力を込めた。その途端、細かい破片を撒き散らしながら〈炎の竜目石〉が砕け散った。

 竜目石が砕けた瞬間、氷雪の中で黒い息吹を吐いていた禍々しい炎竜が、悲鳴のような咆哮を上げて消失した。



 炎竜の姿が消えた後も、ラシュリは氷の空洞から目が離せなかった。

 出来ることなら、次こそは別の形で出会いたい。カァルと同じように、互いを尊重し合える関係を築けたならどんなに幸せだろうか。

 後悔や罪悪感。己の不甲斐なさなど、様々な思いが胸に去来する中、ラシュリは思いを振り切るように氷竜を見上げた。


「氷王……あなたは、これからどうしますか?」


 ――――炎竜は天へ向かった。我もまた天へ戻る。

     だが、おまえは我の契約者だ。おまえの命ある限りその絆は消えぬ。

     困ったときは我を呼べ、ラシュリ。


 別れ際、氷竜はそう言って、ラシュリが〈氷雪の竜目石〉を持つことを許してくれた。

 日没が迫る中でのほんの短いやりとりだったけれど、ラシュリには、これから先も生きていて良いのだと、言われたような気がした。




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