第41話 氷竜の力


 氷竜は、ラシュリに『機会をやろう』と言ったあと、空の高みに向かって上昇していった。

 炎竜のいる空域よりも高く昇り、大きく旋回しながらゆっくりと下降し、炎竜に近づいてゆく。


 炎竜はまだ、氷竜の存在に気づいていない。

 今は、周りに居た色とりどりの飛竜を倒したばかりで、それ以外の存在を感知する余裕がないのだろう。

 だが、それも興奮状態が収まればいつ気づかれるかわからない。


(どうか、このまま、気づかないで……)


 ラシュリは祈りながら、炎竜とその背にいるイェグレムを見下ろした。

 氷竜の首と翼の間から垣間見える炎竜は、ラシュリとは真逆の方を向いていて、背後にも上空にも注意を向けている様子はない。


 本来、飛竜は他者の気配に聡い生き物だ。多少離れていてもその存在に気づく。それが出来ないということは、よほど呪いに蝕まれ、苦しんでいるのだろう。


(イェグレムの声にも……氷王の声にも気づけないほど、なのか)


 ラシュリは炎竜が哀れでならなかった。

 ほんの僅かな運命の掛け違いがなければ、いま炎竜の側に居るのは、共鳴者であるラシュリであったはずだ。

 輝く赤い竜体はもうほとんどが黒く染まっている。

 荒い息を繰り返し、苦しむ炎竜の姿に思わず心が持って行かれそうになるが、ラシュリは頭を振って炎竜への思いを断ち切った。


 イェグレムは今も炎竜の首にしがみついている。ラシュリの代わりにすべての災厄を引き受け、必死になだめようとしている。

 ラシュリは震える唇をぐっと噛んで、イェグレムを見つめた。


「イェグレム! 私の声が聞こえるか?」


 ラシュリが叫ぶと同時に、氷竜が大きく旋回した。

 風圧と重力に耐えながら目を開けた時、イェグレムが弾かれたように炎竜の首から身を起こすのが見えた。


「上を向け! 手を伸ばせイェグレム! 私の手をつかめ!」


 ラシュリはもう一度声を張り上げた。

 左手で氷竜の首につかまり、右手を思い切り下へ伸ばし、炎竜の上をかすめた時にイェグレムに届くようにと手を伸ばす。


「だめだっ、来るな! 避けろっ!」


 大きく目を見開いたイェグレムの瞳が、恐怖に揺れている。

 何故だ――――そう思った瞬間、ラシュリの視界が赤く染まった。


(何が……起きた?)


 炎竜がラシュリの声に振り返り、火を吹いたのだと理解するまでに、しばらくかかった。

 ラシュリが呆然としている間にも、氷竜は氷雪を吐きながら急上昇し、炎竜から離れてゆく。


 ――――生きておるか、巫戦士よ。


「…………は……い」


 何とか体勢を立て直し、重みを増した痛む右手を引き上げる。目の前にかざした右手は焼けただれ、小刻みに震えている。

 後頭部で結んでいたはず髪はなぜか短くなり、毛先が焦げた状態でラシュリの目の前で風に揺れている。

 確かめる勇気はなかったが、伸ばしていた手と一緒に炎に巻かれてしまったのだろう。


 自分が炭化していないのが不思議だった。

 もしかしたら、炎竜にはもう、イリス王国の大地を焼いた時のような力はないのかも知れない。

 例えそうだったとしても、氷竜が助けてくれなかったらラシュリの命はなかっただろう。


 ――――我の力では、あの男を助けることはできぬ。許せ。


「それは……イェグレムを、炎竜と一緒に殺すということですか?」


 ――――そうだ。おそらく、あの男もその覚悟だろう。見てみよ。


 再び旋回をはじめた氷竜の背から下を見ると、斜めになったラシュリの視界に、炎竜の首に額を当てているイェグレムの姿が見えた。

 氷竜の姿を認識したにもかかわらず、炎竜は炎を吐きもせず、少しずつ降下をはじめている。イェグレムは、雪に埋もれた山ひだの小さな谷に炎竜を着地させるつもりなのだろう。


(イェグレム……私はどうしたら…………)


 ラシュリの迷いを察したのか、それともただの偶然か。

 イェグレムの声がした。


「ラシュリ。炎竜はもうだめだ。黒魔道で捻じれて、おまえでも制御できない。俺が炎竜の力を押さえてる間に……俺に契約者の絆があるうちに、俺もろとも、炎竜の動きを封じてくれ!」


 イェグレムの声は苦しそうだった。そしてそれは、炎竜も同じだった。

 イェグレムは魔道の力を使って炎竜を押さえている。二者の間では、目に見えないギリギリの攻防が行われているのだ。


「イェグレム! 〈炎の竜目石〉は無いのか? 竜目石を壊せば炎竜を天に――」

「ないっ! 早く、急いでくれ!」


 ――――巫戦士よ。見たくないのなら、見なくても良いぞ。


 氷竜の問いかけに、ラシュリはゆっくりと首を振る。


「いいえ…………何も出来ないなら、せめて、彼らの最期を、見届けさせて下さい!」


 粉雪を巻き上げながら着地した氷竜は、その口から青白い氷雪を吐き出した。

 氷雪はみるみるうちに炎竜の手足を固め、翼から首の辺りまでをイェグレムごと凍らせてゆく。


 神殿から孤児院に移された幼い日、頑なに他者との交流を拒み続けていたラシュリを構い続けてくれた唯一の存在が――――イェグレムが、氷に埋もれてゆく。

 己の無力さを痛いほど感じながら、ラシュリは氷雪に埋もれてゆくイェグレムを見つめていた。

 そんなラシュリの視界で、イェグレムがやや身じろぎした。


「ラシュリ。〈炎の竜目石〉は……たぶん、老師が持ってる。箱を吊るした……飛竜テュールを……つかまえ……炎竜を、天に――――」


 切れ切れに聞こえてくるイェグレムの声に、ラシュリはハッとした。

 老師とは、イェグレムに〈炎の竜目石〉を盗ませた魔導師だろう。すべての元凶である魔導師は生きていて、まだ何も終わった訳ではないのだと気づかされた。

 自分に何が出来るのかわからない。ただ、今は彼を安心させたくて、ラシュリは心が急くままに声を張り上げた。


「イェグレム、心配するな! 〈炎の竜目石〉は、私が必ず取り戻す!」


 氷竜が吐き出す氷雪に埋もれながら、イェグレムの瞼が閉じてゆく。

 静かに、まるで眠るように動かなくなったイェグレムの体は、白い雪に覆われて、やがて見えなくなった。


 ガァァァァァ!


 イェグレムの魔力が消えたと同時に、炎竜が咆哮を上げた。

 最期の力を振り絞り、氷竜の力に抗おうと長い首を振るが――――そこまでだった。



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