第34話 青き飛竜の召還
パチパチと、薪の燃える音がする。
心安らぐその音に重なって、ソーの声が切れ切れに聞こえてくる。
聞き取れるかどうかという小さく低い声。優しくも哀しい
――――俺は、ちゃんとした葬送の曲なんて知らないから。
ソーは申し訳なさそうにそう言っていたけれど、突然の炎に命を奪われた彼らの死を悼み、天へ還してくれた。そんな彼の気持ちが、ラシュリは何よりも嬉しかった。
(早く、起きな……ければ)
目を開けようとしているのに、ラシュリの瞼は重くて開かない。
ソーが暖炉に火を点けてくれたのだろう。寒さで強張っていた体は緩み、温もりすら感じているのに、いざ動かそうとすると鉛のようにズッシリと重くて、指先ひとつ動かせない。
ラシュリが起きようとすればするほど、はっきりしていた意識までが底なし沼に引きずり込まれるように薄れていってしまう。
ソーの口ずさむ鎮魂歌を聞きながら、ラシュリの意識は再び闇の底へと落ちていった。
○○
ラシュリが次に目覚めたのは、夜明け前だった。
よく眠れたのか体は軽い。ラシュリは寝台から起き上がって――――ギョッとした。
ラシュリのすぐ横で、ソーが健やかな寝息を立てている。暖炉の火が揺れるに合わせて、ソーの伸びた金髪がキラキラと輝いている。
まるで、この世に不幸なことなどありはしないとでも言うような安心しきった寝顔を見て、ラシュリは何とも言えない気持ちになった。
(おまえは……本当に、太陽のような男だな)
自然と口元に笑みが浮かぶ。同時に、あんなことがあった後でも笑えるのだと、不思議な気持ちになった。
ラシュリはソーの額に手を伸ばし、一瞬ためらってから、そっと彼の髪をかき上げた。
(どうか、無事に、シシルの元へ戻ってくれ。おまえの無事を祈ってる)
ソーを起こさないようにそっと寝台から抜け出し、ラシュリは身支度を始めた。
ラシュリたちが一夜を借りていた場所は、広くて上質な部屋だった。おそらく、神殿の中でも上位の者の部屋だろう。広い寝台と、暖炉の前には質の良い長椅子もある。
ラシュリはテーブルの上に置かれていた食料の中から、パンと果物を手に取った。目端の利くソーのことだ。厨房の場所を探し当てて、食料を調達してきたのだろう。その姿が目に浮かぶような気がして、ラシュリは笑んた。
長年連れ添った
そのことを思うと、今もまだ自分の罪深さに絶望しそうになる。けれど、昨日に比べれば少しは前を向けるようになった。それは多分、やるべきことが、定まったからだろう。
ラシュリは服の襟を少しだけ開き、胸の内側にある
まるで、早くしろとラシュリを急かしているように――――。
(今すぐ行く……)
ラシュリは、もう一度だけ眠るソーに顔を向けてから、静かに部屋を出て行った。
神殿の外は冷気に包まれていた。まだ日は昇っていないが、東の空はやや明るい。
ラシュリはマントの前を掻き合わせ、神殿の裏から山道を上っていった。
針葉樹に覆われた山に分け入ると、すぐに黒く焦げた木々は消え、健やかな針葉樹の森になった。北山脈から吹き下ろす冷たい風のおかげで、炎竜の炎から守られたのだろう。
進むにつれて、足下の雪は増えてゆく。
(雪が止んでいて良かった……)
ラシュリは歩きながら、薄くなってゆく星空を見上げた。
藍色から薄紫へと徐々に明るくなる空に、巫女長の顔がぼんやりと浮かんでくる。
『――――あなたには、また辛い任務を強いることになる。あなたしかいないの……これで氷竜を呼び出して、炎竜を止めて』
巫女長の最期の言葉を聞いた時は、見捨てられたような気持ちになった。
あなたは最期まで、力のない自分に面倒ごとを押しつけるのか――――と、恨みがましく叫びもした。
あの時は、哀しみと憎しみと罪悪感とがごちゃ混ぜになって、とても冷静ではいられなかったけれど――――今は静かに、自分の運命を受け入れていた。
ラシュリが炎竜の真の共鳴者であること。呪われた炎竜を操るイェグレムがかつての恩人であること。その二つだけみても、これが自分の役目なのだと考えられるようになった。
やや開けた森の斜面で、ラシュリは青白い竜目石を取り出し、ゆっくりと空に掲げた。
「天竜よ、天翔ける兄弟よ。炎竜の兄弟であり対なす氷結の飛竜よ。人の子との契約に応じるならば、天より我が元へ来たれ!」
ラシュリが召喚の言葉を紡ぐと、ゴォーと風が唸った。
針葉樹の森が揺れ、枝に積もっていた雪が吹雪のように舞い落ちてくる。
強かった風が弱まり、白い闇が徐々に晴れてくると、ラシュリの目の前には、とても大きな、氷像のような青白い飛竜が鎮座していた。
――――ようやく我を呼んだか。待ちわびたぞ。
重厚な低い声が聞こえてきた。
実際には耳では聞こえぬ音のない声なのに、ラシュリにはそう聞こえた。それと同時に、王の御前に召し出された下臣のような、心許ない気持ちになった。
「私はラシュリ。失われた〈
――――何とでも好きに呼ぶが良い。急いでおるのだろう?
「では…………氷王と、呼ばせて頂きます」
――――氷王か。気に入った。炎竜の共鳴者、巫戦士ラシュリよ。
我はそなたのことを知っている。
そなたが炎竜のことで心を痛めていることもな。だが、責められるべきは
神殿だ。炎竜と共鳴者を引き離すべきではなかったのだ。
「氷王……」
――――さぁ、我が背に乗れ。炎竜を追うぞ。
「はい!」
ラシュリは雪を蹴って氷竜に駆け寄り、その背に跨がった。
触れたら凍りつきそうな氷の彫像のような飛竜なのに、その背は不思議と寒くはなかった。
鞍も手綱もない、カァルよりも一回り大きな氷竜は、ラシュリを背に乗せたまま驚くほど静かに舞い上がった。
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