第32話 もうひとつの竜目石
それを見たラシュリは、情けなくもホッとしてしまった。
幼少の頃から長年仕えた神殿だ。そこに住む者のほとんどを知っている。遺骸を見ればそれが誰であるかわかってしまうだろう。それが恐ろしかった。
本来ならば、生き残った自分が彼女らを弔わねばならないが、今は一刻を争う。ラシュリはリュザールの背から滑り降りると、巫女長の姿を求めて、脇目も振らずに神殿の階段を駆け上がった。
「巫女長さま! 巫女長さまっ!」
薄暗い神殿の石壁にラシュリの声が反響する。
細長い尖塔部分以外は岩山をくりぬいて作られたせいか、神殿の入り口付近を除けば炎の侵食は見られず、遺骸も見あたらなかった。
(中にいれば、助かったろうに……)
嗚咽が漏れそうになり、ラシュリは唇を噛みしめた。
神殿の者たちは、炎竜の飛来を聞いて外に飛び出したのだろう。彼女たちはきっと、炎竜の本当の恐ろしさを何も知らぬまま劫火に焼かれてしまったのだろう。
ラシュリの同僚の
そうであって欲しい――――。
「くそっ!」
微かな希望に縋りついてしまいそうになる。だが、それはあまりにも楽観的すぎる。あの炎を前に、わずかでも生き残る可能性などあり得ない。
ラシュリは激しく首を振り、失意を抱えたまま神殿の廊下を駆けた。
祭壇のある祈りの部屋の前で、ラシュリは足を止めた。
彫刻を施した大きな
(巫女長さま?)
ラシュリは祭壇の手前にうずくまる人影を見つけて駆け寄った。
白い衣を纏った人は巫女長だった。ラシュリは床に膝をつき、彼女をそっと抱き起こした。
「巫女長さま! 私です、ラシュリです!」
「ラ……シュリ?」
巫女長はうっすらと瞼を開いた。
眼窩が落ちくぼみ、やつれ果てたその顔は、ラシュリに〈炎の竜目石〉探しを命じた時から数年が経ったかと錯覚するほど老いさらばえていた。
「あなた、生きて……いたのね?」
「はい。生きております。ですが……私は、任務を全うすることが出来ませんでした。私の力不足のせいで、炎竜が召喚され、イリスの大地は、焼けてしまいました。申し訳……あり、ません……でした」
頭を下げた途端、涙が頬を伝った。
その涙を、巫女長の弱々しい手が拭う。
「泣かないで……あなたの、せいではないわ。事態を軽く見た、私たちの責任よ」
巫女長は驚くほど優しい声でそう言った後、激しく咳き込んだ。
痩せ細った体をねじ曲げ、苦しそうに何度も何度も咳をした後、彼女は血の滲んだ口元を片手で拭い、ラシュリを見上げた。
「もう、時間がないわ。あなたには、また、辛い任務を、強いることになる。でも、あなたしかいないの……これで、氷竜を呼び出して、炎竜を止め……て…………」
ラシュリの手の中に、ツルリとした冷たい物が置かれた。それが、氷のような薄青い竜目石だと気づいた時、巫女長の体から力が抜けた。
「巫女長さま! 待ってください……逝かないで……私には無理です。あ、なたは、いつも命じるばかりで、泣き言のひとつも聞いてはくれないのですか……巫女長さま?」
ラシュリが何度呼びかけても、再び巫女長の瞼が開くことはなかった。
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