発売日記念 書き下ろしSS
【長引く風邪にはご注意を】
その日、アルマは朝からベッドで寝込んでいた。
(うう……頭痛い……熱もある……)
エヴァハルトの慣れない気候に、体が無理をしてしまったのか。
メイドたちが着替えや水、果物を準備して立ち去りしばらくした頃、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「アルマ、少しだけいいかな」
「コンラート様……?」
ぼんやりと視線を向けると、コンラートがベッドの傍に近づいてきた。
金の瞳。いつも賑やかな『軟派閣下』だ。
「風邪ひいたって聞いたから。大丈夫?」
「少し休めば、多分……」
おずおずと答えながら、アルマはやや不安になる。
(『軟派閣下』のことだから、静かに寝かせてはくれないんだろうな……)
やれ「一人だと寂しいと思って」と大量のぬいぐるみを枕元に並べたり、もしくは「添い寝してあげようか?」と勝手に隣に入ってきたり――と想像したアルマの眉間に思わず
だが『軟派閣下』は近くにあった椅子に腰かけると、普段とは違う穏やかな声で話しかけてきた。
「医者はただの風邪だと言っていたけど……安静にしていた方がいいからね。そうだ、もし食べられそうなら果物を剥いてあげようか」
「え……じゃあ、お願いしていいですか?」
「まかせて」
そう言うと『軟派閣下』はナイフでするすると器用にリンゴの皮を剥いていく。食べやすく一口サイズに切って皿に並べると、「よいしょ」と椅子から立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ行くね」
「あ、ありがとうございました……」
「早く良くなりますように。……きみがいないと、楽しくないからさ」
『軟派閣下』が退室したあと、アルマはよじよじと体を起こし、切られたリンゴをひとかけら口に運ぶ。
「おいし……」
普段の彼からは見られない意外な一面に、アルマはつい顔をほころばせたのだった。
翌日。まだアルマの熱は下がらなかった。
額に
「あなた、風邪をひいたそうですね」
「コンラート様……」
眼鏡をかけているその姿から『眼鏡閣下』であると気づく。
彼は苛立った様子でつかつかとベッド脇に歩み寄ると、大量の瓶や紙袋をサイドテーブルにどさりと置いた。
「あの、これは……」
「こちらが熱に効くという薬、これはのどの炎症を抑える飲み物です。それからこちらは咳止め、全身の火照りにはこの薬草を肌に貼るといいと書物で」
「う、うう……」
ねっちょりとした謎の湿布を頬に押し当てられ、アルマは思わずしかめっ
するとそれを見た『眼鏡閣下』が呆れたような顔つきになった。
「まったく。怒り返す気力すらないんですか。あなたらしくもない」
「す、すみません……」
「今後一週間は仕事も勉強も禁止です。あなたがすべきことは、この風邪を治す、ただそれだけだと思ってください」
「は、はい……」
「……よろしい」
そう言うとコンラートは、ほんの少しだけ微笑んだ。
それでは、と足早に彼が立ち去ったあと、アルマは頬の湿布に手を伸ばす。あまりの独特な臭気に
(これ……自分で作ったのかしら……森とか、大丈夫だったのかな……)
薬草集めで虫と遭遇し、えもいわれぬ顔をする『眼鏡閣下』を想像したアルマはくすっと笑うと、剥がそうとした手をそっと下ろしたのだった。
だが三日経っても体調は改善しなかった。
深夜、自室のベッドで寝ていたアルマはぼんやりと目を開ける。
(氷……もう溶けちゃってるみたい……)
額に置いている氷嚢がすっかり柔らかくなっている。
だれか――と意識を廊下の方に向けたところで、いきなり扉がかちゃりと開いた。近づいてきた人影を見て、アルマはわずかに目を見張る。
「コンラート様……?」
「あっ、す、すみません、起こしてしまいましたか⁉」
現れたのはメイドではなく、いつもびくびくしている『気弱閣下』。
彼の手には新しい氷嚢があり、それに気づいたアルマは驚いた表情を浮かべる。
「わざわざ、持ってきてくださったんですか?」
「か、代わってもらったんです。アルマさんの様子が、見たくて……」
するとコンラートはぬるくなった氷嚢をどかし、アルマの額にそっと自身の手を添えた。
「すみません、こんなことしか出来なくて……」
「い、いえ……」
「……この熱、ぼくが全部吸い取ってあげられたらいいのにな……」
聞こえるか聞こえないかという祈りを残し、『気弱閣下』は「す、すみません、邪魔でしたよね⁉ おやすみなさい‼」と
ひんやりと冷たい氷嚢。
その下でアルマは、風邪とは違う熱を頬に感じるのだった。
――その夜、アルマは夢を見た。
親しかった人たちが、次々とアルマの傍から離れていく夢。
(待って……いかないで……)
なんだか無性に怖くなり、彼らに向かって夢中で腕を伸ばす。
するとそんなアルマの手を、誰かがいきなり摑んだ。
「――っ‼」
はっ、と目が覚める。
そこは自室のベッドの上で、アルマはぐっしょりと汗をかいたまま起き上がった。
「夢か……どうして風邪の時って、変な夢を見るのかしらね……」
だがそこでアルマの手を包み込む、温かい感触に気づいた。
横を見ると、椅子に座ったコンラートが眠った状態のまま、アルマの手をしっかりと握っているではないか。
(……まさかコンラート様、一晩中ここに?)
やがてアルマの覚醒に気づいたのか、青い瞳のコンラートが顔を上げた。
「アルマ、大丈夫か?」
「は、はい……。すみません、もしかしてずっと看病を?」
「……いいんだ。出来る限り、君の傍にいたいと思っただけだから……」
それだけを口にすると、コンラートは困ったように俯(うつむ)いてしまう。
だが繋がれたままの手を見て、アルマは嬉しさに微笑んでしまうのだった。
翌朝、アルマの体調はようやく回復した。
その一方――寒いなか一晩中アルマに付き添っていたコンラートは、その日から一週間ほど「くしゅん」「くしゅん」と風邪と闘う羽目になったという。
(了)
今日の閣下はどなたですか? 春臣あかり/ビーズログ文庫 @bslog
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