3-2


 それから数日が経過したが、コンラートはぜん『眼鏡閣下』のままだった。

 どんよりとしたくもぞらの下、やしきの裏手で草むしりをしていたアルマは土だらけになった手をぱんぱんとたたく。


(あれからずっと自分の部屋にこもりっきり……だいじょうなのかしら?)


 どうやら相当仕事熱心な人格らしく、朝から晩まで食事の時間以外は机に向かっている。


(仕事と私、どっちが大事なのーなんて言うつもりはないけど、このままずっとこんな感じで家庭をかえりみなくなったらどうしよう……)


 実際、これまで習慣となっていた庭の散歩がなくなり、そのうえ家庭教師との時間を半分以下にまで減らされてしまっていた。

 聞けばあらかじめヘンリーから「婚約者に勉強はさせなくていい」と指示されていたらしく、以前のコンラートたちはアルマが望んだから、特別に手配してくれていたそうだ。

 新しい人格になったことで、そのルールが元にもどったということらしい。

 結果アルマは土いじり――もとい、こんちゅう探しで時間をつぶしている。


(本当は一刻も早く魔法を解きたいんだけど……)


 だがクラウディアに出した手紙の返事はまだ来ていない。

 たりだい、周囲に聞いてみることも考えたが、うっかりヘンリーの耳に入ったら大変だ。


(とりあえず今は、魔法のことがバレないようにしないと……)


 額のあせぬぐい、やれやれとその場で立ち上がる。

 するとアルマの眼前を、大きな青いちょうがふわっと通り過ぎた。初めて目にするその姿に、アルマはくちびるをわなわなと震わせる。


(アグリアスって子に似ていたけど、とくちょうてきせっかっしょくの帯がなかったし……それにぜんちょうも四十、いえ五十ミリはある……。あれはまさか……)


 そくに『エーディン』という希少な蝶の名前がかんだ。

 青いはねが特徴的な、エヴァハルト地方でしか見られない大型種だ。

 幼虫・さなぎの期間が長く、逆に成虫になると一週間ほどで命を落とす。その生態もあって、かんにはスケッチ程度のイラストしかさいされていなかった。


(もしかしたらとは思ってたけど、本当に会えるなんて……!)


 アルマははやる気持ちをおさえ、急いであとを追いかける。

 エーディンはひらひらと上下しながら、そのまま庭の奥にある囲いの向こうに行ってしまい――そこでアルマはすぐに足を止めた。


「ここって……お墓?」


 かかとを上げてそうっとのぞき込んでみる。囲いの奥には文字がられた白い石がいくつも並んでおり、み込むのはさすがにためらわれた。

 そこにメイドの一人が現れ、アルマに声をかける。


「アルマ様、そろそろ夕食のお時間でございます」

「ありがとう、今行くわ」


(……残念。まあでも、また会えるかしら)


 どろのついたシャツとズボンをぎ、はなやかな夜のよそおいへ。

 しょくたくにはすでにコンラートが着座しており、おくれてきたアルマを睨みつけた。


「いつまで待たせるんですか。わたしはいそがしいんです」

「も、申し訳ありません」

「時間がしい。早く給仕を」


 アルマが急いで向かいにこしかけると、あわただしく夕食が始まる。

 使用人たちもここ数日のコンラートのいちじるしい変化に、まどいをかくせないようだった。


(この前の『なん閣下』のこともあるし、そりゃびっくりするわよね……)


 食事中も、カチャ、とカトラリーを動かす音だけがひびく。

 ちんもくえかねたアルマは、勇気を出してコンラートにたずねてみた。


「あの、お仕事のほうはいかがですか?」

「いかが、とは?」

「毎日ずいぶん根をめているようですから、無理されてないかなと」

「あなたには関係ないことです」


 しゅう――りょう――という文字のげんかくが二人の間を通り過ぎ、アルマは思わず半眼になる。

 これ以上話を続ける気にもなれず、切り分けた肉をさっさと口に運んだ。


(今までなら、こんな言い方はしなかったのに……)


 不器用なコンラートであれば、ゆっくりでもちゃんと説明してくれただろう。

『軟派閣下』なら「きみが心配してくれるなら、もう今日は休もうかな」と言って早々に切り上げる姿が想像できる。


(本当に別人だわ。とても同じコンラート様とは思えない……)


 がっかりしたアルマは八つ当たりをするかのように、付け合わせの野菜にフォークをすのだった。

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