第33話 つかの間の

「ルナ、あのパン屋が出店を出しているらしい。行こう」

「えっ」


 ニコラと何やら話していたエルヴィンは、突然ルナの手を掴んで歩き出した。


「良い夜を〜!!」


 振り返ると、後ろではニコラがブンブン手を振っていた。


「すまない、悪い奴らではないんだ。気を悪くしないでくれ」

「? 良い人たちですよね。エルヴィンさんも楽しそうで良かった」


 エルヴィンに手を引かれながら人混みをかき分けて行く。エルヴィンの背中に向かってルナが答えれば、エルヴィンがバッと振り返る。


「俺の婚約者だと勘違いされて嫌じゃないのか?」


 突然の問にルナの顔がボッと赤くなる。


「なななな!?」

「君は俺の大切な友人だ。君に嫌な思いをさせたくない」


 傷付いて良いのか喜んで良いのかわからない。とりあえず、エルヴィンは通常運転だ。


「嫌じゃ……ないです」


 赤い顔を少しムスッとさせてルナが答える。


「そうか」

「エルヴィンさんは嫌じゃないんですか? 本物の婚約者とかいるんじゃないんですか?」


 安堵するエルヴィンについ苛立ち、ルナは言いたくもないことを口走る。


「? 俺に婚約者はいない。どうしたんだルナ?」


 エルヴィンの心配そうな瞳がルナに近付く。


「べーつに!」


 赤い顔のまま、ルナは人混みの中をズンズンと歩き出す。


「ルナ! はぐれるといけない!」


 少し歩いた所で、ルナはすぐにエルヴィンに捕らえられてしまった。触れられた手が熱い。


 真剣なエルヴィンの瞳に見つめられて、ルナは戸惑う。


「エルヴィンさん?」

「そうだな、俺は、君に婚約者がいたら嫌かもしれない」


 先ほどの、ニコラの言葉を反芻するようにエルヴィンが呟く。


「それって……」


 エルヴィンの真剣な瞳にルナの心臓がドキドキと音を立てる。周りは人混みでガヤガヤしているはずなのに、ここだけ時が止まったかのようだ。


「大切な友人を取られるのは嫌だな……。なんたって君は、俺の唯一の友人なのだから」


 がくりとルナが崩れ落ちる。


「ルナ?」


 心配しながらも、エルヴィンが慌ててルナの身体を支えた。


(はあ、エルヴィンさんってそうだよね。うん、わかってた!)


「ルナ、やっぱり体調が? 大丈夫か?」


 ルナの気持ちとは、あさっての方向に心配をしてくるエルヴィンに、ルナは大きく息を吐いた。


「大丈夫です! 私もエルヴィンさんは大切な友人だから側にいて欲しいです!」

「俺は君から離れない」

「あー、はいはい」


 ルナがヤケになって言えば、エルヴィンからは真剣な答えが返ってくる。


(まあ、そんなエルヴィンさんが好きなわけで。どうせずっと一緒にはいられないんだから、せめて今だけは……)


「行きましょう!」


 今度はルナがエルヴィンの手を取り、パン屋に向かって走り出した。


 ルナに手を取られ、最初は戸惑っていたエルヴィンだが、次第に笑顔に変わった。


◇◇◇


「美味しい!」


 パン屋の出店に辿り着き、二人は近くのベンチでサンドイッチにかぶりついた。


 野菜とハムが挟まれた具沢山のサンドイッチに、ルナの頬も綻ぶ。


「良かった……」


 そんなルナを見て目を細めるエルヴィンにルナは首を傾げる。


「先ほど、何か怒っていただろう?」

「! 怒ってないです!」

「本当に?」

「本当です!」


 縋るように確認するエルヴィンに、ルナは強く主張する。


「俺は、知らないうちに何かしてしまったんじゃないかと……。君みたいな素敵な友人は手放してはいけないと皆が言う。俺も、そう思う」


 ふ、と笑みを浮かべたエルヴィンは、ルナの口元についた野菜をつまむ。そしてそのまま口に運んだ。


「!?!?!?」


 色々突っ込みたいが、顔が先に爆発してしまった。


「……エルヴィンさん、友人として一つだけ忠告します」

「何だ?」


 顔が真っ赤だが、ルナは目を閉じて意を決して口を開く。エルヴィンも真剣に、不安そうに、ルナを覗く。


「たかが友人に、そんな甘い空気出しちゃダメです! 本当に大切な人ができたときに知りませんからね!!」

「それが忠告か?」

「そうです!!」


 ルナの言葉にエルヴィンがキョトンとしている。


「甘い空気、とは何かわからないが、本当に大切な人は君だから、問題ないだろう」

「ありありのありです!!」


 今度はちゃんと突っ込めた。


 はあはあ、とルナが顔を真っ赤にして息をしていると、エルヴィンは不安そうな表情をする。


「ルナは、俺が迷惑なのか?」

「……っ、迷惑じゃないです!!」

「なら問題ない」


 しゅんとした表情につい絆されて、話が元に戻ってしまう。


「あー、わかりました! 私、妹みたいな?」

「君は俺の妹ではない」


 違う方向から攻めても撃沈した。ルナはがくりとする。


「妹……」


 しかし「妹」という言葉にエルヴィンは黙ってしまった。


(どうしたんだろう? エルヴィンさんのところはお兄さんだけだから、妹って感覚はないか)


「妹ではないが、君は、俺が必ず守る」


 少し考え込み、エルヴィンが顔をあげてルナに言った。


「……大切な戦友ですからね。私もエルヴィンさんを守りますよ!」


(この戦友の時間も終わりが来る。だったら恋とか友人とか気にしていないで、この時間を大切な思い出にしなきゃ……)


 エルヴィンとは色々と不毛なやり取りをしたが、ルナはこの気持ちに区切りをつけることにした。


 エルヴィンを見れば、その夕日色の瞳が少し困ったように微笑んだ。

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